『老いの渇望』
 
22 「アメリカにおける自由と統制」(2022-08-19)を読む
     ― ブログ「内田樹研究室」より ―
 
E
2022/09/13
 ここまで読んできて、何を言いたいのかはよく分かるが、その言い方、考え方には賛成できないという感想が最後まで続いた。
 ここで一挙に最後まで引用して、早く終えてしまおうという腹づもりでいる。
 
 いま、世界の最も富裕な8人の資産は、最も貧しい36億人が保有する資産と同額である。それくらいに富は偏在しているわけだけれども、その貧しい36億人のうちにおいてさえ、ジェフ・ベソスやビル・ゲイツとともに自分は「多数者」の側にいると信じて、公権力が私権を統制し、私財を公共財に付け替えることに反対する人たちが大勢いる。それは富豪であるトランプの支持基盤が「ホワイト・トラッシュ」と呼ばれる白人貧困層であったことに通じている。彼らは平等よりも自由の方を重く見る政治的伝統を継承しているのである。
 その「自由主義」思想は「独立宣言」に源流を持っている。「独立宣言」の先ほど引いた「抵抗権」を保障した箇所の直前にはこう書いてあるからだ。
「われわれは、以下の真理を自明のものと信じる。すなわち、すべての人間は平等なものとして創造され、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている、と。(We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness)」
 すべての人間は平等なものとして、創造主によって創造されたのである。ここでは、平等はすべての人間の初期条件であって、未来において達成すべきものとしては観念されていない。政府は生命、自由、幸福追求の権利を確保するために創建されたものであって、平等の実現は政府の仕事にはカウントされていない。平等はすでに創造主によって実現している。だから、政府が配慮すべきは人民の生命と自由と幸福追求に限定されるのである。「すべての人間は平等なものとして創造されている」と宣言されてから奴隷制が廃絶されるまでに86年かかり、公民権法が成立するまでにさらに101年かかり、それから半世紀以上経って、いまだにBlack Lives Matter が黒人に白人と平等の人権を求めなければならないのは、平等の実現はアメリカの建国時でのアジェンダに含まれていなかったからである。そして、その政治文化はいまも生き続けている。
 
 長くなり過ぎたので、もう話を終える。市民的自由と社会的統制の間の葛藤に「最終的解決」はない。私たちに必要なのは「適度」を探り当てる経験知の蓄積である。自由を扱う技術の習得にはそれなりの時間と手間を覚悟しなければならないのである。
 
 大筋ではふむふむと読み進めることができる。現代から現在に至るアメリカの国柄が、「自由」と「平等」をキーワードにして上手く解説されていると感じる。
 アメリカの建国はイギリスの植民地からの解放、イギリスからの独立、つまりはイギリスから「自由」になるところから始まっている。そうして成立したアメリカ合衆国にとって、「自由」がどれだけメンタルに食い込むワードであるかは容易に想像がつく。これがその後のアメリカの学校教育に反映しないとは考えにくいことだし、反映するとなればどのような効果をもたらすかも見当がつく。白人貧困層が「平等よりも自由の方を重く見る」のは「政治的伝統を継承している」というよりは共同幻想化した「自由」の概念に同化させられているためだ。それを助長し、個人の信念、信条であるかのように思わせているのも、根底にはそういう力が作用しているはずである。つまりそれは政治(思想)的力であり、国家(思想)的な力である。
 「政治的伝統を継承」とか「いまも生き続けている」政治文化」とか言い、あるいはまた「独立宣言」の文言を引用してアメリカ市民全体の思いの反映かのような装いで語られているが、そんなものは一握りの治者、知者、政治指導者たちの見解に過ぎないだろうことも確かなことだ。アメリカの独立を画策したのも、また建国を指導した政治理念も、ごく一般的な市民、いわゆる大衆が自ら蜂起してなったものとは思えない。仮に一部分が自らの意志でそうしたとして、そうなった時点で彼らは大衆存在から疎外された存在となる。そういう中には「ジェフ・ベソスやビル・ゲイツ」のような財力の富裕者もいれば、知力の富裕者、政治力の富裕者も存在する。もちろん政府を立ち上げた者たちもそうした者たちの仲間である。財の独占、知の独占、政治の独占、そしておかしなことにこれらはすべて合法的な独占なのだ。財力の独占には積極的な理解を示さないが、知力、政治力の独占にはある種の共感を含んだ物言いがなされる。
 
市民的自由と社会的統制の間の葛藤に「最終的解決」はない。私たちに必要なのは「適度」を探り当てる経験知の蓄積である。自由を扱う技術の習得にはそれなりの時間と手間を覚悟しなければならないのである。
 
 これが結びの言葉である。ここで「私たち」というのは誰たちのことなのだろう。あるいはまた、誰が「自由を扱う技術の習得」に勤しむということなのだろうか。わたしには、少なくとも日々格差や階級や、半分は被害妄想の混じった差別に、密かに悩み苦しむ大衆存在ではないという気がする。大衆、若しくは下層の大衆は、とうの昔から嫌というほど「「適度」を探り当てる経験知の蓄積」はしてきている。それが大衆の無言や沈黙の意味合いだ。それがここでは、さも知的な課題であるかのような物言いがなされている。ここではただ、国家とか公権力とか政治力とかと、上手く折り合いを見つける努力や工夫をしましょうと言っているだけだ。逆に見れば、国家とか公権力とか政治力とかは必要不可欠と言っているのと変わりない。だが本当にそうなのか。
 国家や公権力や政治力が歴史の上にまだ浮上しない時代、分かりやすくは先史時代など、人類は自然法の下に平等であった。わたしが平等について考える時、このことがまず念頭にある。自然下に生きる条件が同じという意味合いになる。だから明治に訳語としてこしらえられた「平等」は、旧来の日本語としては「同じ」が相当すると考えている。個別的にはひとつひとつ異なるリンゴを「リンゴ」として括るように、さまざまな違いを持ちながら「同じ」「リンゴ」と見做す、それが「平等」と同義だと捉える。身体的あるいは能力的にさまざまな違いをもたらされるが、その違いをもたらしているのは「自然」だ。「自然」が創った差異は「不平等」の中には括らない。ここで考える「不平等」は人間が創ったものに起因するものについて考えているし、そういう意味合いから言えば自然発生的な集団社会の延長としての氏族社会や部族社会までの、いわゆる前政治社会的形態、不完全国家形態のころまでは「不平等」ではなかったと見做す。そして、宗教から法、法から国家へと幻想が集約され昇華されていった時、自然下の「平等」は人工的に「不平等」に置き換えられて行ったと考えたいのだ。国家、公権力、政治力などが「不平等」の根源でこそあれ、それが「平等」を実現できるなど、パフォーマンスでポーズをとろうとするだけに過ぎないことは明らかだ。「生命、自由、幸福追求」の「権利を確保する」という政府の配慮も然り、であろう。
 わたしは別に政府や政治そのものに対する忖度が悪いとは思っていない。そういう思想家がいてもよい。だが、戦争をはじめとして、税の無駄遣いや、政権維持に汲々としたり、あるいは格差を助長して憚らないことなど、国家、公権力、政治力がこれまでやってきたこと、今やっていることを考えると、一刻も早く消滅してもらうのがよいと思う。それらが消滅すれば混乱もするが、それで日本人とその生活、また社会が存続できなくなるというわけではない。官僚と自治体が存続すれば当分それでしのげるのではないか。
 いずれにせよ、多数派を工作する者たちや、財力、知力、政治力の占有者たち
の「経験知の蓄積」で「探り当て」られた〈いかがわしい〉「適度」など、「私たち」はどこまでも拒否し続けたいのだ。
 優れた思想者の一人と言える内田さんのようなものまで、政府(国家)とか公権力等は手強く消滅させえないものだから手を組んでこれを懐柔し、できるだけ国民の側に引き寄せようという政治的妥協案に至る考えを持つようになっている。現実的な発想と考えで、ここまでならやれるんじゃないかと考えてのことだと思う。だがわたしは逆に、そんなことは夢だよと思い、非現実的だよと思い、楽観的すぎると思う。「適度」な自由なんて、統制する側のさじ加減ひとつだろう。拡大する時もあれば収縮する時もある。
 ではどうやってそれを為していくかと言えば、矛盾した考えになるかも知れないが、「知」を武器にしてとしか言いようがない。「知」を構築するのではない。「知」を解体する営為を延々と続けていく。誰もが納得できるところまで「知」を練り続けるということだ。幾世代もその継承が続いていけばよい。今言えることはただそれだけだ。わたしが生きている間に、結論を見いだしたいなどゆめゆめ考えるべきではない。わたしはそう考えている。
 
 
D
2022/09/10
 Cでも少しだけ戦国時代について触れた。中央政権としての室町幕府が衰退し、さまざまな戦国大名、戦国武将たちが覇権争いに加わった。内田さんの文章の文脈で言えば、それは「弱い中央連邦政府」と「強い州政府」を彷彿とさせる。日本の室町時代から安土桃山時代にかけての混沌と混乱は「内戦」の様相を呈していたし、ここでのフェデラリストたちが懸念したものはそのような構図だったのだろうという気が、わたしは、した。
 
 常備軍についての原理的対立は憲法修正第二条の武装権をめぐる対立において再演される。1789年、憲法制定の二年後に採択された憲法修正第二条にはこう書かれている。
「よく訓練されたミリシアは自由な邦の安全のために必要であるので、人民が武器を保持し携行する権利は侵されてはならない。」
 修正第二条の文言を確定するときにどのような議論があったのかはつまびらかにしないが、これが邦の手元に軍事力を残したい地方分権派と軍事力を連邦政府の統制下に置きたい中央集権派の妥協の産物であったことはわかる。というのも、憲法制定時点でフェデラリストたちが最も懸念していたのは、外敵の侵攻と並んで邦政府と連邦政府との軍事的対立だったからである。ハミルトンははっきりと「内戦」のリスクに言及している。
「各州政府が、権力欲にもとづいて、連邦政府と競争関係に立つことはきわめて当然の傾向であり、連邦政府と州政府が何らかのかたちで争うとなると、人々は(...)州政府に必ず加担する傾向があると考えてしかるべきであることは、すでに述べた。各州政府が(...)独立の軍隊を所有することによって、その野心を増長せしめられることにでもなれば、その軍事力は、各州政府にとって、憲法の認める連邦の権威に対して、あえて挑戦し、ついにはこれをくつがえそうという、あまりにも強力な誘惑となり、あまりにも大きな便宜を与えるものになろう。」
 
 言ってみれば「州(邦)」は地域国家であるし、日本の戦国大名も不可侵の地域国家であり且つその領主である。そしてそれぞれに軍事力を有する国家は、地域国家であろうが中央集権国家であろうが他国家と対立し、相争おうとする。これは封建国家も近代民主国家も同じだ。
 
 ミリシアを邦が自己裁量で運用できる軍事力として手元にとどめたい地方分権派と、できるだけ軍事力を連邦政府で独占したいフェデラリストとのきびしい緊張関係のなかで憲法は起草され、憲法修正が書き加えられた。原則として常備軍を持たないとしたこと、軍隊の召集・維持の権限を立法府に与えたこと、市民の武装権を認めたこと、これらは連邦派の側からすれば不本意な譲歩だっただろう。連邦派の抵抗の跡はかろうじて「よく訓練された(well regulated)」と「自由な邦の安全のため(the security of a free state)」という二重の条件に残されている。
 ミリシアはのちにNational Guard に改称された。日本語では「州兵」と訳されるが、これは独立戦争の英雄だったラファイエット将軍が母国でフランス革命の時に率いたGarde Nationaleに敬意を表して改称されたのであって、原義は「国民警備兵」である。一方で武装した市民たち自身はいまも「ミリシア」を名乗り続けている。2021年1月20日のバイデン大統領の就任式では、「武装したトランプ支持者」の乱入に備えて「州兵」15000人が配備されたと日本のメディアは報じたけれど、彼らは「暴徒と兵士」でも「デモ隊と警官」でもなく、いずれも主観的には「ミリシア」だったのである。
 
 「ミリシア」は民兵、義勇兵、あるいは少しニュアンスの異なる州兵のようにも訳され、吉本隆明さんが認めた「自警団」の意味合いと重なるところもある。そこでこうした記述を興味深く感じて読んでいるのだが、一つ大きく異なるのは吉本さんの言う「自警団」は、国家(政府)が編成して所持する軍事力ではないということだ。その意味では州政府が編成して所持する場合の「ミリシア」とは明確に異なるものだと言える。もっと小規模の共同体、村とか部落とかで村人たちが自発的に編成し、自分たちの意志で動かせる武装集団のことを指している。
吉本さんはしかし、原理的に言えばそういうことだけれど、実質的に民衆が自らの意志で軍事力(軍隊・自衛隊)をコントロールできる状況ができれば、これは「自警団」的なものとなって認めることができると述べていた。軍部はもちろん、国民の代表でもある政府の意志で動かすのもだめで、それらは明確に排除されなければならないと言っていたと思う。
 ここで述べられている「ミリシア」は定義が曖昧であり、自警団的でもあり、場合によっては州兵として州の政府(国家)の意志で動かせる戦闘集団、軍隊、軍事力の意味合いにもなっている。これは市民、民衆全体の意志で動く戦闘集団という形にはなっていない。
 
 アメリカの政治文化では、原理主義的な首尾一貫性よりも、そのつどの状況にすみやかに最適化する復元力(resilience)が高く評価される。鶏さ先か卵が先かわからないが、この政治文化の形成に、アメリカが建国時点から二種の統治原理に引き裂かれていたという歴史的事実が与っていると私は思う。
 トランプ以後、アメリカの国民的分断を嘆く人が多いが、実際にはアメリカは建国時点から、統一国家なのか連邦なのか、どちらにも落ち着かない両義的性格を持ち続けてきた。その意味では二つの統治原理の間でつねに引き裂かれてきたのである。分断は今に始まった話ではない。
 両院から成る立法府の構成も二つの原理の妥協の産物である。下院定員は人口比で決まるので、下院議員は「その権限をアメリカ国民から直接ひき出している」 と言ってよいが、上院議員は各州2名が割り当てられているので、邦を代表している。日本人には理解しにくい大統領選挙人制度も、大統領を選挙するのはあくまで邦であって、国民ではないということを示している。アメリカは「統一国家的性格と同様に、多くの連邦的性格をもった一種の混合的な性格」 を具えた国家なのである。
 
 アメリカ国家論、政治文化論などさして興味がなかったから、こういう文章はあまりほかに読んだ記憶がない。なので、一般的にこういう文章がどう評価されるべきか予想がつかない。ただわたしが読んだ限りでは、アメリカの政治文化によく肉薄できているんじゃないかという印象を持った。また、なるほどなあと感心もしながら読んだ。そしてこうした解析、分析がどんどんなされていけばよいなあというような考えも持った。
 ひとつふたつ難癖をつけるとすれば、一つは日本の政治文化についてもこのように分かりやすく論じてくれればよいのにと思った。これについてはすでに文章や本が出版されていてわたしが読んでないだけかも知れず、あまり大きな声では言えない。
 ついでにもうひとつ言うとすれば、やはり内田さんが問題にしているところは統治原理なので、それはまた政界、財界、ほかに文化人、教養人の興味、関心が集中する領域でもあるということだ。こういう立ち位置で最も有名な人は孔子である。わたしは全く部外者で無知だが、なぜか根拠もなくそう考える。江戸時代の八戸の町医者安藤昌益は、権力者のお抱えを熱望した孔子を、仕官の誘いを断った弟子よりも劣ると評した。弟子はその後郷里に戻って田畑を耕して暮らしたという後日談があったと思う。安藤昌益は「不耕貪食」の輩が嫌いだった。加えて、孔子は理想の統治原理を説いたかも知れないが統治は統治であり、これを説くこと自体が人が人の上に立つことを許容するものである。もちろんこれも安藤にとっては許すことのできないことであった。民衆の上に立つ者はすべて頭のおかしな連中であり、残念なことだが、これらの頭のおかしな連中の影響によって民衆もまた少しずつおかしくなっていくと安藤は考えていた。
 
 そこからアメリカにおける自由の特殊な含意が導かれる。絶対自由主義者は「リバタリアン(libertarian)」を名乗る。彼らは公権力が私権・私有財産に介入することを認めない。だから、徴兵に応じない(自分の命をどう使うかは自分が決める)、納税もしない(自分の資産をどう使うかは自分が決める)。ドナルド・トランプはリバタリアンだったので、四度にわたって徴兵を逃れ、大統領選のときも税金を納めていないことを公言してはばからなかった。そういう人物が大統領になって、公権力のトップに君臨することができるのは、公権力が市民的自由に介入することへの強い拒否がアメリカの政治文化の一つの伝統だからである。
 
 こういう箇所は、まさしく目からうろこである。個人が公権力に対峙しえている。わたしの目にはそう映る。日本ではこうはいかない。どちらが良いか悪いかという問題ではない。風土の違い、文化の違いと言うしかない。
 
 トランプ統治下のアメリカでCOVID−19の感染拡大が止まらず、世界最高レベルの医療技術を持った国であるにもかかわらず、感染者数でも死者数でも世界最多を記録したのは、医療についても、公権力の介入を嫌う人がそれだけ多かったからである。
『トランピストはマスクをしない』というのは町山智浩のアメリカ観察記のタイトルだが、このタイトルは疾病のリスクをどう評価し、どう予防し、どう治療するかという、本来なら科学的に決定されるはずのことがらが「自由か統制か」という政治理念の選択問題にずれこんでしまうアメリカの特異な風土を言い当てている。
 
 ひとつ前の引用からここまではふむふむと聞いていられる。だが次の引用部となると少し様相が違ってくる。
 
 感染症は、全住民が等しく良質な医療を受ける医療システムを構築しないかぎり終息させることができない。だが、そのためには公権力が患者の治療やワクチン接種といった医療サービスを無償で提供する必要がある。医療を商品と考え、金がある者は医療が受けられるが,金がない者は受けられないという市場原理を信じる人たちの眼には、これは医療資源を公権力が恣意的に再分配する社会主義的「統制」に映る。
 
 どこに違和感を感じるかと言えば、「医療システムの構築」とか、治療やワクチン接種といった医療サービスを「公権力が無償で提供」という件だ。人によってはこれの何に違和感を感じるのかと訝しく思う人もいるかも知れない。わたし自身、今これをはっきりと把握できているわけではない。
 考えていることは、感染症であれ他の病気であれ、感染や病気と闘う主体は誰なのかということだ。彼個人なのか、それとも医療体制や公権力なのか。内田さんの表現からは、感染や病気との闘いはつとに医療システムや公権力の問題で、個人レベルの問題ではもはやないと指摘しているように受け取られる。本当にそうだろうか。わたしにはこれが「剥奪」のように感じられてしまう。つまり、個の、感染や病気と闘う力の「剥奪」であるというように。もちろんそんな文言はどこにもない。どこにもないが、ここを読んでいると、いつの間にかそう差し替えられてしまうような危惧を感じてしまうのである。もちろん内田さんにそんな意図などないことは分かる。そのことがまたわたしには恐怖だ。医療の知識も医療行為も、民衆に開かれていくのではなく、逆に閉じられて医療従事者の専売特許になってしまっている。これはごく普通の民衆から、学校教育によって学びの力が剥奪されたことと同じだ。学校教育は普通の民衆の知識、学ぶ力をとことん無価値化させていった。価値のある学びや知識はこっちにあるんだと徹底した。個人的には誰しもが本当にそうかと疑いながら、自分の感じ、考えることの方にこそ価値があるんだぞと大声で叫んでみせることができない。心弱く沈黙する。
 国家成立を期に、分業化、専門化は加速し、現在に至るまでの功績は大きい。だが逆に言えばそれからはじき出されれば可能性の芽は潰え、空っぽの個人になる。現在を構成しているのはそういう図式の末期である。
 こうした事態に比べれば、医療資源を公権力が恣意的に再分配しようがするまいが、つまり公権力内限定の「自由か統制か」の議論に過ぎず、わたしにとっては「わたしの関知するところではない」と言うことになってしまう。そういう議論に巻き込まれたくはない。
 
 だから、自由と平等は実は両立させることがきわめて難しい政治理念なのである。私たちはフランス革命の標語に慣れ親しんでいるせいで、「自由・平等・博愛」がワンセットのものだと考えているけれど、それは違う。平等は、公権力が強力な介入を行って、富める者の私財の一部を奪い、力ある者の私権の一部を制限して、それを貧しい者、弱い者に再分配することなしには、絶対に成就しないからである。平等を実現しようとすれば、必ずある人たちの自由は損なわれる。それも、その集団において相対的に豊かで、力があって、より活動的な人たちの自由が損なわれる。ミルの論点を思い出そう。平等は「民衆の中でもっとも活動的な部分」の私権を制限し、私財を没収することによってしか実現されない。そして、この「活動的な部分」はミルによればまさに「自分たちを多数者として認めさせることに成功」したがゆえに「活動的」たりえた人々なのである。平等は「多数の市民」の自由を公権力が制約するという図式においてしか実現しない。そして、当然ながらそのことに「多数の市民」は反対するのである。
 
 こういう発言にどう応えたらよいか分からない。公権力が介入して再分配することなしに平等は成就しないだ?そんな公権力など今だあり得た試しはないではないか。それを信じろとでも言うのだろうか。それを行うと公言する公権力があり得ても、それは結局のところ別の不平等に移行するだけのことである。公権力が平等を実現するなど馬鹿げている。逆に公権力が介入することによって不平等も不自由も是正されずに来ている。格差は拡大し、階級は再生産され、固定化されてきた。
 そもそもが「公権力」自体、「民衆の中でもっとも活動的な部分」が好んででっち上げてきた権力で、規範、規則を掲げて多数の民衆の自由を統制する。また統制するするのでなければ存在意義がない。そういうものに保証され守られる自由や平等など、近似的な自由や平等ではあり得ても、所詮似て非なるものというほかない。
 引用の最後の方は、常に「自分たちを多数者として認めさせることに成功」してきた自民党と、これを支持してきた国民とに置き換えて読めるかに思える。まあそう読み替えても別にさしたる感想も起きないのではあるが。
 
 
C
2022/09/07
 引用が長くなるが、読みやすく書かれている所なのでこのまま読み進めていこうと思う。
 
『ザ・フェデラリスト』は合衆国憲法制定直前に、世論を連邦派に導くためにジョン・ジェイ、ジェイムズ・マディソン、アレグザンダー・ハミルトンの三人によって書かれた。直接の理由はジェイの記すところによれば、「一つの連邦の中にわれわれの安全と幸福を求めるかわりに、各邦をいくつかの連合に、あるいはいくつかの国家に分割することにこそ、われわれの安全と幸福を求めるべきであると主張する政治屋たちが現われだした」 からである。
 アメリカは一体でなければならない。「この国土を、非友好的で嫉妬反目するいくつかの独立国に分割すべきではない」 というのがフェデラリストたちの立場であった。
 さて、このとき連邦に統合されることに反対した人々が掲げたのが「自由」の原理だったのである。連邦政府に強大な権限を付与することは、州政府の自由を損ない、さらには市民の自由を損なうことだ、と。だから、まことにわかりにくい話になるが、このとき「自由」の対立概念は「連邦」だったのである。明らかなカテゴリーミステイクのように思われるが、「自由」と「連邦」はゼロサムの関係にあるという考え方がその時点ではリアリティを持っていたのである。そのことは次のジェイの文章から知れる。
「同じ祖先より生まれ、同じ言葉を語り、同じ宗教を信じ、同じ政治原理を奉じ、(...)一体となって協議し、武装し、努力し、長期にわたる血なまぐさい戦争を肩を並べて戦い抜」いたアメリカ人は独立戦争のあと「13州連合(the Confederation)」を形成した。しかし、この政体は戦火の下で急ごしらえされたものであったので、「大きな欠陥」があった。
「自由を熱愛すると同様、また連邦にも愛着をもちつづけていた彼らは、直接には連邦(ユニオン)を、間接には自由を危殆ならしめるような危険性があることを認めたのである。そして、連邦と自由とを二つながら十分に保障するものとしては、もっとも賢明に構成された全国的(ナショナル)政府(ガバメント)しかないことを悟り(...)憲法会議を召集したのである。」(318−9頁)
 よく注意して読まないと読み飛ばしそうなところだが、ここでジェイは連邦と自由を両立させるのは簡単な仕事ではないということを認めているのである。自由だけを追求すれば、連邦は存立できない。連邦が存立できなければ、自由は失われる。だから、自由と連邦を「二つながら十分に保障する」工夫が必要なのだ。そのとき、連邦がなければ自由が危機に瀕することの論拠にジェイが選んだのは、「侵略者があったときに誰が戦争をするのか?」という仮定だった。
 
 ここでもフェデラリスト、つまり連邦制を望む連邦主義者側の主張が中心となって論が展開されている。これに反対の立場は反連邦主義ということになる。簡単に言えば、連邦主義者は「強い中央連邦政府」と「弱い州政府」を支持する立場に立ち、反連邦主義者は「弱い中央連邦政府」と「強い州政府」を支持するということになる。
 どちらにせよこの対立は統治のあり方の違いで、しばしば取り上げられている「自由」という言葉も、「市民」のと言うよりは「州政府」の「自由」が損なわれることが問題にされていると思える。言葉を換えれば「州の独立性」ということだろう。
 そこで連邦主義者は「強い中央連邦政府」と「強い州政府」(州の独立性)とを、両立させようと工夫したという話がこの引用部の主眼だろう。で、これを上手く言いくるめるための魔法の言葉、わたしは悪魔のささやきと呼びたいが、「侵略者があった」らどうすんだ、という話になって行く。
 この言葉は日本でも大衆を誘導して行く時によく使われる。だから軍備が必要、軍隊が必要、ミサイルも核も、ってエスカレートして行きかねない。ここの文脈では「誰が戦争をするのか?」だから、州兵か連邦軍か、みたいなことになり、
結局の所「強い中央連邦政府軍」が必要という話になっていくのではないかと思う。
 
 独立直後の合衆国は英国、スペイン、フランス、さらには国内のネイティヴ・アメリカンとの軍事的衝突のリスクを抱えていた。仮にある邦がこれらの国と戦闘状態に入ったときに、戦闘の主体は誰になるのか? 邦政府が軍事的独立を望むのなら、邦政府はとりあえずは単独で外敵に対処しなければならない。
「もし、一政府が攻撃された場合、他の政府はその救援に馳せ参じ、その防衛のためにみずからの血を流しみずからの金を投ずるであろうか?」(同書、329頁)。
 ずいぶんと生々しい話である。私たちはいまのアメリカしか知らないから、例えばヴァージニア州が外国軍に攻撃されたときにコネチカット州が「隣邦の地位が低下するのをむしろよしとして」傍観するというような事態を想像することができない。あるいは「アメリカが三ないし四の独立した、おそらくは相互に対立する共和国ないし連合体に分裂し、一つはイギリスに、他はフランスに、第三のものはスペインに傾くということになり」(同書、330頁)、大陸で代理戦争が始まったらどうするというようなことを想像することができない。しかし、ものごとを根源的に考えるというのは、その生成状態にまで立ち戻って考えるということである。いまのようなアメリカになる前の、これから先何が起きるかまだ見通せないでいる時点に立ち戻って、そこで自由と連邦の歴史的意味を吟味しなければならない。
 
 市民的自由の獲得から、これを統制しようとする独立国家の成立まで、内田さんはアメリカの市民革命、独立戦争に立ち戻って、根源的に自由と統制の問題を考えようとしているようだ。
 もちろん、自由と統制の問題を根源的に考えるのにそこまで遡らなくてもよいし、他国の歴史を例に取り上げる必要はないと言えば言える。
 引用部を読んでいると、何かしら持って回った言い方で、いかにも重大、重要なことを言っているように感じさせられる。しかし、わたしは読みながら日本の戦国時代の武将たちが、敵味方に分かれたりくっついたりしつつ策略・策謀に奔走していた、という言い伝えや記録や物語などを思い出した。徳川軍が織田軍の「救援に馳せ参じ」とか、信長が浅井長政の裏切りで窮地に陥った話とか、この手の話は枚挙に暇がない。要するに、そんなこともあるだろうと思える、たいした話ではないのではないかと考える。国軍を持つ、州(邦)軍を持つということは、結局はそういう事態を呼び込むことになる。こんなことは何も「想像することができない」ことでも何でもない。
 
 外敵の侵略リスクを想定して、その場合に自由を守るためには、邦政府に軍事的フリーハンドを与えるべきか、それとも連邦政府に軍事を委ねるべきか、いずれが適切なのか。それがジェイの提示した問いであった。
 連邦政府に軍事を委ねるというのは常備軍を置くということである。だが、地方分権派は常備軍というアイディアそのものにはげしいアレルギーを示した。世界最大の軍事力を持ついまのアメリカを知っている私たちにはにわかには信じにくいことだが、合衆国憲法をめぐる最大の論争は実は「常備軍を置くか、置かないか」をめぐるものだったのである。
 地方分権派が常備軍にはげしいアレルギーを示したのは、常備軍は簡単に権力者の私兵となって市民に銃口を向けるという歴史的経験があったからである。これは独立戦争を戦った人々にとっては、恐怖と苦痛をともなって回想されるトラウマ的記憶であった。たしかに英国軍は国王の意を体して、植民地人民に銃を向けた。それに対して、自らの意志で銃を執って立ち上がった「武装した市民(militia)」たちが最終的に独立戦争を勝利に導いた。だから、戦争をするのは職業軍人ではなく、武装した市民でなければならない。これはアメリカ建国の正統性と神話性を維持し続けるためには譲ることのできない要件だった。現に、独立宣言にははっきりとこう明記してあった。
「われわれは万人は平等に創造され、創造主によっていくつかの譲渡不能の権利、すなわち生命、自由、幸福追求の権利を付与されていることを自明の真理とみなす。(...)いかなる形態の政府であろうと、この目的を害するときには、これを改変あるいは廃絶し、新しい政府を創建することは人民の権利である(it is the Right of the People to alter or to abolish it, and to institute new Government)」
 独立宣言は人民の武装権・抵抗権・革命権を認めている。独立戦争を正当化するためにはそれを認めることが論理的に必須だったからである。だから、独立戦争直後に制定されたペンシルヴェニアとノース・カロライナの邦憲法には「平時における常備軍は、自由にとって危険であるので、維持されるべきではない」と明記されている。ニュー・ハンプシャー、マサチューセッツ、デラウェア、メリーランドの邦憲法はいくぶん控えめに「常備軍は自由にとって危険であるので、議会の承認なしに募集され、あるいは維持されるべきではない」としている。
「常備軍は自由にとって危険である」というのは建国時のアメリカ市民の「気分」ではなく、「成文法」だったのである。そのことを忘れてはならない。
 それに対して、フェデラリストたちは外敵の侵入リスクをより重く見た。ことは「国家存亡の危機」にかかわるのである。ハミルトンは「国防軍の創設、統帥、意地(「維持」の誤記かー佐藤)に必要ないっさいのことがらに関しては、制約があってはならない」 と主張した。
 強大な国防軍を創設すべきか、常備軍は最低限のもの、暫定的なものにとどめておくべきか。この原理的な対立は結局、憲法制定までには解決を見なかった。合衆国憲法は常備軍反対論に配慮して、常備軍の保持は憲法違反であると読めるような条項を持つことになったからである。連邦議会の権限を定めた憲法8条12項にはこうある。
「連邦議会は陸軍を召集し、支援する権限を有する。ただし、このための歳出は二年を越えてはならない。」
 常備軍はどの国でもふつう行政府に属する。しかし、合衆国憲法は陸軍の召集と維持を立法府に委ねた。さらも二年以上にわたって軍隊の維持費として継続的な支出をすることを禁じた。「これは、よくみると、明らかな必要性がないかぎり軍隊を維持することに反対する重要にして現実的な保障とも思われる配慮なのである」 とハミルトンは8条12項について書いている。
 アメリカが常備軍を禁じた憲法を持っていることを知っている日本人は少ない。改憲派は、憲法第九条二項と自衛隊の「矛盾」を指摘して、「憲法と現実の間に齟齬があるときは、現実に合わせて改憲すべきである」と主張するが、彼らが常備軍規定について合衆国憲法と現実の間には深刻な齟齬があるので改憲すべきであると米国政府に献策したという話を私は寡聞にして知らない。私はむしろ憲法条項と現実の間に齟齬があることがアメリカの民主制に活力と豊穣性を吹き込んでいると理解している。アメリカ市民は憲法8条12項を読むたびに、「建国者たちは何のためにこのような条項を書き入れたのか?」という建国時における統治理念の根源的な対立について思量することを余儀なくされるからである。正解のない問いにまっすぐ向き合うことは、教えられた単一の正解を暗誦してみせるよりは、市民の政治的成熟にとってはるかに有用である。
 
 軍事についても中央集権派か地方分権派かによって違い、連邦政府派か州政府派かの対立、国防常備軍を置くか置かないかの対立が合衆国憲法の根幹にまで渡って影響していたことが記述されている。その対立は、わたしにはいかにもアメリカらしく建設的なものだと映る。また上手く言えないが、血肉化した「民主」、血肉化した論理的言辞、言説、などというようなことも思った。ただ、いずれにしてもそこでの議論は統治のあり方を巡っての議論であり、わたしには興味がない。市民や国民に好意的に寄り添った統治であろうが、悪意を隠し持った統治であろうが統治は統治であり支配である。そんなものを認めるわけにはいかない。
 ただ、上記引用の中にたくさんの学ぶべきことはあった。例えば軍隊の維持費は2年以上に渡って支出を継続しないとか、「独立宣言は人民の武装権・抵抗権・革命権を認めている」という記述、さらに「常備軍は簡単に権力者の私兵となって市民に銃口を向ける」という箇所や「戦争をするのは職業軍人ではなく、武装した市民でなければならない」という件などもとても興味深かった。これらは日本国憲法の改正の気運が高まり、いよいよ現実的な日程に入ったと感じられるようになったらぜひとも検討してもらいたい事柄だ。以前、吉本隆明さんの憲法改正案を検討したことがあったが「9条」を守れの一点張りではなく、もっと積極的に改善策を提言していたので、どうせ改正に進むならばそういう方向で受け止め考えなければならないと感じた。アメリカの建国、また合衆国憲法制定にまつわる話ではあるが、国家を民衆に開いていく一つの方向性として憲法改正を捉え、この話の有用な部分を改正案に盛り込んで進めていくならば静的であった平和憲法も大きく前進する。そういう可能性が生まれる気がする。ここでの引用には出ていなかったが、「州兵」、「民兵」のワードもあり、これは「連邦軍」あるいは「連邦の常備軍」とは異なり、自警団的な戦闘集団に近いのかなと考えた。
吉本さんは、自警団は国が募集して編成した軍隊ではないので存在してもかまわないという考えだった。こういうところをすりあわせ、さらに詰めて考えていくことができたら、これはちょっと進化した憲法ができるかも知れない。
 こう考えてきたところで、実は内田さんは近い将来、憲法改正が現実の問題となってくるのを見越してこういう文章を書いたのかも知れないと思った。これはあながち妄想の類いだとは言い切れないかも知れない。そう考えると合点がいく。七面倒くさいことを、七面倒くさく、それでいて熱量が感じられる書き方をした文章である。内容そのままとは異なる意図があったとしても不思議ではない。それはしかし、以後の文章を読み進めないことには見えてこない。
 
 
B
2022/09/01
 前回引用した後は以下のような記述が続いている。
 
 これは市民革命をした経験のある者にしか語れない知見だと思う。支配者対人民という二項対立で話が済むうちは簡単だった。だが、近代民主制のアポリアはその先にあった。市民革命を通じて民主制を実現してみたら、予想もしていなかったことが起きた。最も活動的な民衆の一部がそれほど活動的でない他の民衆の自由を制約しようとし始めたのである。「民衆による民衆の支配」という予想していなかったことが起きた。さて、どのようにして民主制の名においてそのような事態を制御することができるのか? 社会が個人に対して行使してよい権力の性質と限界はいかなるものか? これが170年ほど前にミルによって定式化され、いまに至るまで決定的な解を見出すことができずにいる自由をめぐる最大の論件である。
 
 民主制とは、民主主義に従って政治が行われる国家形態である。これは最高権力者を法に従わせる政治形態であり、この法自体は建前上は国民が作り、定めたものと仮構されている。けれどもこれは建前上国民が作ったことにされているだけで、すべての国民が参加して作成されたわけではない。全国民が参加するなど物理的に無理だ。そんなことははじめから承知の上で、それは国民が作ったものだとしなければならない事情があったのである。
 この事情がどういうものかはここでは問わないとして、民主制とか民主主義とかと言っても、要するにその始まりからペテンを行っているんでしょう、と今のわたしは考える。最たるものは「国民主権」「人民主権」の言葉で、これらはすべて擬制概念に堕している。現在の日本においても、大半の国民はそれらが絵に描かれた餅であることを重々承知の上で、だがこれに逆らうことをしないでいるだけなのだ。こうした建前を振りかざして得している者たちは誰か。みんな分かっているのに黙っている。
 主権者が国王でも貴族でも国民でも、国土・人民を支配し、統治するという政治形態、すなわち国家を維持する限りにおいて、必然的に支配は継続される。国王の支配であれ、民衆から出自したものが行う支配であれ、支配は支配であるということに変わりはない。かえって後者の方が、同じ民衆、同じ国民という立場を標榜する分、非難や批判がしにくくなって質が悪いとも言える。支配は錯綜し、複雑で不透明になる。
 
 繰り返すが、私たちの国では、そのような問いが優先的に気づかわれるまでに市民社会が成熟していない。現に、「多数者の専制」が「社会が警戒することが必要な害悪の一つ」 であるという認識は日本国民の間では常識としては登録されていない。だから、「選挙に勝ったということは、民意の負託を受けたということだ」「選挙に勝って、禊が済んだ」というような言葉を政治家たちが不用意に口にし、メディアがそのまま無批判に垂れ流すということが起きる。ミルはそういう考え方が民主制に致命傷を与えるということをつとに170年前に指摘していたのである。
 ミルの書物は明治初年に日本に翻訳されて、ずいぶん広く読まれたはずである。しかし、読まれたということと血肉化したということはまったく別の話だ。私たちはトクヴィルやハミルトンやミルが生きた18〜19世紀の欧米市民社会よりもはるかに民主制の成熟度の低い社会にいまも暮らしているのである。そのことをまず認めよう。
 
 内田さんはここで「民主制に致命傷を与える」とか、「民主制の成熟度の低い社会」というような言葉を使っているが、わたしなどには「民主制」に肩入れしすぎてはいないかと思えてしまう。うまい例えが見つからないが、例えば国連のような機関でも、一応「民主的」な運営がなされているかのような体裁を作ってはいるが、実際は強大国のいいなりという場面がよく見られる。理事国、あるいは先進国のごり押しも、見ていると結構あったりする。「民主制、「民主的」と言っても、実質はそんな程度のことでしかない。
 そんなことよりも何よりも、ヨーロッパからの移民を始まりとして、植民地時代を経てアメリカが独立、建国に至る過程で、一方的にインディアンを虐殺、駆逐していった。そういった彼らがどの口で「民主制」を語るのか。少なくともネイティブ・アメリカンに対する接し方は、人間の自由や平等を尊重する「民主の精神」とは大いにかけ離れていた。近代以降、一方では常に世界の思想的・哲学的リーダーでありながら、一方では残虐と思われる行為も辞さない欧米のダブルスタンダードは、それほど見習って血肉化すべきというようには思えない。
 今から思えば「民主制」なども、観念的、理念的なこしらえ物で、広域社会の政治的な統治を正当化し、維持していくため、共同幻想を構成する際のピースの一つとして使われたかに思える。それが悪いわけではないが、口当たりのよい「民主化」、「民主制」、「民主主義」などの言葉を今も金科玉条のごとく持ち上げていていいか?これらの言葉で国家的統治、政治的支配、半永久化する被支配、階級の固定化、格差社会、不平等などへの不満や怒りは、人々の意識の後景に退く。そうして現在でも「民主主義」こそ最善だと、お題目のように唱えるものが後を絶たない。
 ミルをはじめとする近代国家成立に影響のあった論者たちの言葉は、国家体制をさらに堅固なものに確立していくための言葉たちであり、これらを政治史、哲学史、思想史として重大な案件のように取り上げること自体が、矛盾を隠蔽することに加担しているのだと思う。そして内田さんのように、「市民社会が成熟していない」とか、日本社会は「民主制の成熟度の低い社会」だとかと批判し、ある意味日本の市民、民衆を小馬鹿にする。
 だが、わたしに言わせればミルらの見解は古い。勉強するに価しないし、議論にも価しない。もしそうしたことに価値が生じるとすれば、ただ一つ、国家という統治形態が今後も存続することを望む限りにおいてである。そしていつまでも決着がつかずに、永遠に議論し続けて行くがいい。
 
 独立宣言(1776年)から合衆国憲法の制定(1787年)までには11年間のタイムラグがある。それは新しく創り出す国のかたちについての国民の合意形成が困難だったということを意味している。一方に連邦政府にできるだけ大きな権限を委ねようとする「中央集権派(フェデラリスト)」がおり、他方に単一政府の下に統轄されることを嫌い、州政府の独立性を重く見る「地方分権派」がいた(Stateを「州」と訳すことが適切なのかどうか私にはわからない。以下に引く『ザ・フェデラリスト』の訳文では「州」と「邦」が混用されている)。
 
 ここで「国民の合意形成」という言葉が簡単に使われているが、現在の日本社会においても乱発されている言葉で、この言葉自体がどんなにいい加減なものであるかはわたしたちにも想像がつく。狭小な政治社会においても「合意形成」というのは難しいことなのに、広域の政治社会でそれをしようという無理。この無理筋を11年の歳月をかけてまでもやり通すアメリカは、もちろんたいしたものだと言わなければならないだろうと思う。だが合意形成がなされたように政府が宣言し、また報道がこれを伝えたとしても、おそらく最後まで激しく抵抗した勢力は存在し、多数の無関心派も存在したはずである。どの国のどんな言葉であれ、政治的に使われ、用いられる言葉は信用がならない。
 さらにこの引用部で気に掛かった言葉は、「連邦政府」と「州政府」だ。政府が狭義の国家だと理解すれば、「連邦国家」と「州国家」のように言い替え可能だ。各州はそれぞれに憲法も持ち、なおさら国家と呼べる体裁は整っている。正直に言えばアメリカなど知った気になっていたが、ここまで降りて考えたことはなかったから恥ずかしさと同時に新鮮さも感じられた。日本の場合、「県」はアメリカの州のような憲法は持たない。その意味では当然国家ではない。では江戸時代の「藩」はどうだったろうか。それぞれが徳川幕府の支配下にあっただろうから、これを小国家と見做すには無理があるが、それでも独立性は「県」になって以降よりはあった気がする。またそれぞれに独自の戦闘集団を保持しており、その戦闘集団を直接動かす権利は幕府ではなく、それぞれの藩及び藩主にあった。これは藩の軍隊と捉えるべきか、自警団的なものと考えるべきか、今はちょっと分からない。いずれにしてもアメリカの連邦政府と州政府の関係は、幕府と藩の関係によく似ているように感じられる。ここの部分はそんなことも考えながら読んだ。
 
 中央政府に必要な権限を付与するために人民はみずからの自然権の一部を譲渡しなければならない。これはホッブズ、ロック以来の近代市民社会論の常識である。この原理に異を唱える市民は近代市民社会にはいないはずである。だから、問題は、どの機関に、どの程度の私権を譲渡するかなのである。ことは原理の問題ではなく、程度の問題なのである。原理の問題なら正否の決着がつくということがあるが、程度の問題に「最終的解決」はない。それは必ずオープン・クエスチョンとして残される。アメリカ合衆国がその後世界最強国になったのは、彼らが統治の根本原理を採択するとき、統制か自由かのいずれを優先させるかをついに決しかねたことの手柄だと私は思っている。人間は葛藤のうちに成熟する。国も同じである。解決のつかない、根源的難問を抱え込んでいる国は、単一の無矛盾的な統治原理に統制された社会よりも生き延びる力が強い。
 
 わたしはこういう文章の書き方、文体といってもよいけれども、正直気に食わない。特に句点3つ分までは啓蒙的だし、大学教授の嫌らしいにおいがプンプンして反吐が出そうだ。こういう書き方で何をしているかというと、読者(学生)に向かって、当然あなたたちも上記の原理を常識と捉え、異を唱えたりしない知力は備えているはずだよね、と物静かに威嚇しているのだ。そうは言い切れないとしても、「この原理に異を唱える市民は近代市民社会にはいないはずである。」という言い草は何だ、と思わずにおれない。どう考えてみたって、市民全員が賛同することなんてあり得ない。異を唱える市民もいたはずである。よくない言い回しだが、大本営発表とやり口が同じだ。こういう言い方をする人間の手に掛かれば、「異を唱える市民」がいたとしても「近代市民社会にはいないはず」だから、彼は「市民」ではないという論法でかたずけられてしまうに違いない。
 極めつけは、「アメリカ合衆国がその後世界最強国になったのは、彼らが統治の根本原理を採択するとき、統制か自由かのいずれを優先させるかをついに決しかねたことの手柄だと私は思っている。」という箇所で、ずいぶん偉そうに俯瞰しているなと思った。また、「決した」ことではなく、「決しかねた」「ことの手柄」と書いたところで、著者は一瞬自分の表記に酔いしれたんじゃないかとさえ感じた。
 「世界最強国」?ああそうですか、わたしはそう反応するほかない。アメリカ称賛ですか。それに、「生き延びる力が強い」とも言っている。これも別に皮肉って言っているわけでは無さそうである。内田さん、そういうことですか。アメリカが羨ましいということですか。あるいは国家として上位だと言いたいのでしょうか。
 一昔前の、社会的統制か市民的自由かの議論を今持ち出す理由は何なのか。賞味期限切れの議論を蒸し返してどうしようというのか。古くさい議論だ。この葛藤が解決しないのはただ一つ、国家を人間社会に必須のものと固着して考えているからだ。どうして日本でも良質の思想家(ほかにフランス文学者、武道家、翻訳家など多数の肩書き)と考えられる内田さんに本格的な国家論が不在なのか。数世紀前のこうした解決不能の葛藤は、ただ一つ国家が消滅すれば自ずから解消する問題で、そうでなければ永遠に続くほかないものである。こんなこと誰がどう考えたって分かることではないか。現在はそんなふうにパラダイムを変換して考えることが必要な時期で、過去の「民主制」発足の時期に遡ってこれを追体験すべき時ではサラサラないのだ。そう、わたしは思う。
 
 
A
2022/08/28
 @では内田さんのブログの記述の冒頭部分を引用し、自由についての議論が日本社会で深まらないのはなぜか、という問題提起を読んでみた。内田さんはそこで一つの仮説を提示していた。
 
 私たちはややもすると私たちは「自由というのはすばらしいものである」「全力を尽くして守らなければならないものである」ということを不可疑の前提にして、そこから議論を出発させる。けれども、そうすると、自由に制限を加えようとする政治的立場が理解できなくなる。自由を恐れるという発想が理解できなくなる。自由を制限しようとする者はただひたすらに「邪悪な権力者」にしか見えない。だから、市民が語る自由論は「どうやって権力者の干渉を排して、自由を奪還するか」という戦術論に居着いてしまう。私たちの社会で自由についての思索が深まらないのはこの固定的なスキームから出ることができないせいではないか。
 
 市民の自由についての議論は図式が固定してしまっている。それは、妥協なしに全くの自由を権力者から奪還しようとする発想のせいだ。そこから出発したのでは自由を恐れ、自由に制限を加えようとする政治的立場が理解できない。それでは市民が自由を求めて掛け合うべき相手である権力層のことを理解できないことになり、交渉しようにも先に進まないのではないか。自由に制限をかける権力層と、それを排して自由を奪還しようとする市民とはどこまでも平行線をたどって交わらない。
 自分に引き寄せて読み取ればおよそこんなことになる。
 ここから@でのわたしは少し性急に、内田さんは大衆の側に顔を向け、また耳を傾け、彼らの沈黙の内側から言葉を選び取って思想を語ったり、あるいは文字にする人ではないという意味合いのことを述べた。これは勇み足で、今はその部分を削り取ってしまいたい気がしている。これを言った上で、次に以後の内田さんの記述に沿って見ていくこととする。
 
 J・S・ミルの『自由論』(1855年)はアメリカ合衆国建国の歴史的実験を間近に観察した上でなされた考察である。私たちがまず驚くのは、ミルの最初の主題が「社会が個人に対して当然行使してよい権力の性質と限界」 だということである。どこまで市民的自由を制限することが許されるのか。ミルはそう問題を立てているのである。
 私たちの国では、そういう問いから自由について語り始めるという習慣はない。私たちの社会では、市民は「個人が行使できる自由の拡大」について語り、統治者は「政府が行使できる権力の拡大」について語る。話はまったく交差しない。
 
 一転して、J・S・ミルの『自由論』の話となる。
 わたしは内田さんがこういう話を持ち出す時点で、ある意図のようなものを感じないではいられない。いや、そういう感じを持ちながら内田さんの文章を読み進めた、と言った方が正確かも知れない。
 現在のわたしには、「社会が個人に対して当然行使してよい権力の性質と限界」
というJ・S・ミルの主題などはどうでもよいし、社会が個人に行使してよい権力など、風俗、習慣、宗教的制限といったかたち以外にあり得ないと考えている。また、「どこまで市民的自由を制限することが許されるのか」というミルの問い自体もナンセンスだと思う。どこまでだったら許せて、どこから以上は許せないとか言える問題ではない。また、「どこまで市民的自由を制限することが許されるのか」という時に、許すのは誰か、というのも曖昧である。
 まず、J・S・ミルは「社会」と言う言葉を用いているが、これは本来は「国家」と置き換えるべきだ。社会とは人間が行う活動、営為の集合や総和を指すもので、それ自体は市民的自由を制限する意志を持たない。市民的自由を制限するという明確な意志を持つのは社会ではなく国家である。もっと詳細に言えば国家の中枢に存在する個人や集団の意志である。この国家の政治体制が、君主制であろうが貴族制であろうが、あるいは民主制に代わっても、国家は国家である。また国家である限りにおいて、どのような政治体制をとろうが、規則・規範を掲げて民衆の自由を制限することは国家の本質であり、存在意義でもある。
 ミルを介して、内田さんは社会に市民的自由を制限する意志があるかのように印象づけている。この箇所で、わたしはそう読み取り、現に今もそう考えている。
 引用の最後のところに、「話はまったく交差しない」とあり、さっきまでは意に介さずそのまま受け取っていたが、今ふと考えて本当に交差する必要があるのか疑問が生じている。そのことも、含めもっと読み進めなければ分からないなと思う。
 
 統治機構はどこまで市民的自由を制限できるのか、制限すべきなのか、それがミルの自由論の一つの論点である。こういう問いは市民革命を経験し、政府を倒し、統治機構を手作りした経験のある市民にしか立てることができない。
 
 内田さんはこういうところに見られるヨーロッパ(ミル)の発想や思考法、そして議論を高く買っているように思われるが、わたしには学者然としたあまりに客観的な姿勢に見えてどうにも気に入らない。市民の考えも統治者の考えも分かるという時点で、ミルは市民や統治者よりも優位に立つ知の上級者であり、もちろん市民と呼べなくはないが単なる一般市民とは言えない。一般市民はこういうところまで考えない。逆にこんなところまで考えないのが市民だと捉えた方がよいと思う。ミルは哲学、政治、経済など幅広い分野に通じたインテリであり、また短い期間だが政治家として活動したこともあったようである。
 実質的な国家とみられる統治機構、政府及び政府機関は、もともと社会のもめ事や利害の対立を調整、調停する最上位の機関であり、市民的自由を制限しようとすればどこまでも制限できる可能性を持っている。ただそうすると当然市民の側からの反発や抵抗があるからそうしないだけだ。つまり、市民的自由の制限は国家サイドのさじ加減一つで決まってくるもので、市民や部外者が案配できるものではない。わたしにはミルのように統治機構の制限限度を論じることには、あまりたいした意味合いがないというような気がしてならない。さらに、こうした論は市民のために市民に向かって書かれたものではなく、統治する側に向けた統治の学、もっと言うと支配の学として書かれているように思える。つまり支配者の立場に立って考え、書いていると思う。内田さんもそういうところが気に入って論じているのかも知れないが、わたしはミルのような立ち位置は好きではない。一つ間違えるとあっさり支配の側に加担しかねないと思えるからだ。
 
 市民革命以前の人民にとって、支配者は「民衆とつねに利害が相反」する存在であった。だから、人民は支配者の権力の制限についてだけ考えていればよかった。しかし、民主制を市民が打ち立てた後、理論上は人民の代表が社会を支配することになった。支配者の利害と意志は、国民の意志と利害と一致するという話になった。政府の権力は「集中化され行使しやすい形にされた国民自身の権力にほかならないのだ」 ということになった。民主制以前だったら、空想的にならそう語ることもできただろう。けれども、実際に市民革命を行って、民主制を実現してしまったら、話はそれほど簡単ではないことがわかった。「権力を行使する『民衆』は、権力を行使される民衆と必ずしも同一ではない」 からである。代議制民主制のふたを開いてみたら、そこで「民衆の意志」と呼ばれているものは「実際には、民衆の中でもっとも活動的な部分の意志、すなわち多数者あるいは自分たちを多数者として認めさせることに成功する人々の意志」 だったからである。「民衆がその成員の一部を圧迫しようとすることがありうるのである。」
 
 分かりやすい言葉を使って丁寧に記述されている。読み手には齟齬なくスムーズに受け取れそうだし、実際にそのように読み進めてしまう。けれども、こんにちでは『民衆』から出て「権力を行使する」側に回ったものは、民衆そのままではあり得ないというのは自明のことになっている。そういう意味ではここに示された民衆同士の対立という図式は、もともと成り立たないものではないかと感じられる。
 国家形態が君主制であれ貴族制であれあるいは民主制であれ、国家は国家であり、ただ統治権がどこに、また誰に属するかが異なるだけだ。その意味では一般の民衆にとって、ただ首が挿げ替えられたり顔ぶれが変わるだけに過ぎず、依然として支配・被支配の関係は継続していくことになる。
 権力を行使する側に回った『民衆』はもはや民衆ではない。民衆の代表の代表、あるいは「元民衆」の面々も「民衆の意志」の代表者では決してなく、国家そのものであったり、代弁者またはその予備軍と化している。それらを指導層とかリーダー層とかと呼ぶとすれば、民主制度化ではそうした上位層が下位の被支配階級にある民衆を圧迫するということになる。上が君主であろうが貴族であろうが、はたまた「元民衆」であろうが、この構図は変わらない。
 歴史的に振り返ると、国家支配権は徐々に民衆の近くに降りてきているように思われる。それとともに、支配の側からも、盛んに「民衆の意志」の尊重なり反映なりの忖度の声が聞かれるようになってきている。君主制も貴族制も立ち行かなくなっての民主制。民主制が立ち行かなくなったら、次にはどういうことになっていくのか。現在の間接民主制から直接民主制への移行といったことも考えられなくはないが、それを経たとしても、最終的には国家の統治の形態が立ち行かなくなっていくのだろうと思われる。
 
 
@
2022/08/24
 タイトルに記述したその通りのことで、大雑把に言えば思想家である内田さんの「自由」に関する論を読んで刺激を受けたという話である。もちろんそれだけではなく、圧倒的な博識だとか、プロの批評の解説、解析の見事さなど最初から最後までうなり続ける、そういう格の違いを思い知らされた文章でもあった。
 ただし、それだけならば感心しきりで、ためになった、勉強になったで終わってよい。実際に、今でもあえてこの文章に触れた自分の感想めいたことを記す必要があるだろうかと、半分自信がないところでこれを書き始めている。それでも書き始めているのは、ほんの少しの違和や差異、それを見ていくことで自分の考えも深められるのではないか、という一縷の望みのようなものを抱いているからである。
 
 はじめに冒頭部分を引用し、ゆっくりと眺めてみる。
 
「自由論」という論集に寄稿を依頼された。こんなことを書いた。 
 
 まずアメリカの話をしようと思う。自由を論じるときにどうしてアメリカの話をするのかと言うと、私たち日本人には「自由は取り扱いのむずかしいものだ」という実感に乏しいように思われるからである。私たちは独立戦争や市民革命を経由して市民的自由を獲得したという歴史的経験を持っていない。自由を求めて戦い、多くの犠牲を払って自由を手に入れ、そのあとに、自由がきわめて扱いにくいものであること、うっかりすると得た以上に多くのものを失うかも知れないことに気づいて慄然とするという経験を私たちは集団的にはしたことがない。「自由」はfreedom/Liberté/Freiheitの訳語として、パッケージ済みの概念として近代日本に輸入された。やまとことばのうちには「自由」に相当するものはない。ということは、自由は土着の観念ではないということである。
 私たちはややもすると私たちは「自由というのはすばらしいものである」「全力を尽くして守らなければならないものである」ということを不可疑の前提にして、そこから議論を出発させる。けれども、そうすると、自由に制限を加えようとする政治的立場が理解できなくなる。自由を恐れるという発想が理解できなくなる。自由を制限しようとする者はただひたすらに「邪悪な権力者」にしか見えない。だから、市民が語る自由論は「どうやって権力者の干渉を排して、自由を奪還するか」という戦術論に居着いてしまう。私たちの社会で自由についての思索が深まらないのはこの固定的なスキームから出ることができないせいではないか。
 
 自由は輸入された観念で、日本古来から根付いた土着の観念ではないと内田さんは言っている。確かにその通りであると思う。そのために日本人の自由の捉え方には底の浅さが露呈する。それもまた真実といってよい。しかし、「自由」に相当する「やまとことば」が存在しなかったとして、太古からの社会生活が継続し、初期国家が成立していく過程でさまざまな規制や規則が制定されていくことで、不自由さや抑制感、あるいは外圧のようなものは体験してきたはずである。これは近世から近代にかけても同じであったろうと思う。民衆が、「自由」を求めて真っ向から支配権力に立ち向かうということはしなかったかも知れないが、個々にささやかな抵抗めいたことは大いにあり得たと思う。それは西欧近代の自由とは全く別次元の話かも知れないが、無意識も含めて考えれば古来から近代にかけての日本人にも近似的に自由への憧れ、希求はあり得たとわたしは思う。
 ただし、内田さんの論旨を考える時、わたしたちが学生だった70年代頃、ムードとして自由を語り叫ぶ世相はあったわけで、そこに立ち戻れば確かにわたしたちは自由をはき違えて声高に叫ぶ渦中にあったと思う。そういう意味では全く内田さんが記述するとおりで的確であるような気がする。
 だがしかし、ただ1点疑義が生じるとすれば次のような記述に対してだ。
 
 私たちはややもすると私たちは「自由というのはすばらしいものである」「全力を尽くして守らなければならないものである」ということを不可疑の前提にして、そこから議論を出発させる。けれども、そうすると、自由に制限を加えようとする政治的立場が理解できなくなる。
 
 この中でも特に「自由に制限を加えようとする政治的立場が理解できなくなる」という文言に、わたしは強い危惧を感じてしまう。
 社会生活における個々人の自由に制限を加えようとする政治的立場とは、国家存在を抜きにしては考えることができない。ある種社会における利害調整の役目を担うものとして国家は機能し、それ故に国家は個々人の無制限、無際限の自由を規制することになるのである。それがないと、個人的な欲望、エゴが野放しになり、社会は無法地帯と化す。このような論議はたぶん欧米社会においては成り行きとして当然議題に上ることと思う。
 内田さんの論調では、「自由に制限を加えようとする政治的立場」を理解した方がよいと言っているように聞こえる。それは極論すれば国家という存在形態、また存在様式を肯定すべきだという風にも聞こえる。国家存在を前提とし、自由を制限する政治的立場、言い替えれば為政者の立場を理解した上で自由について論議せよと言っているのだ。そうしないと議論が深まらないからと。
 わたしはそれが嫌だ。国家なんかなくなった方がよいと思うし、なくなって行くに違いないと考えている。内田さんの政治学は時として、経済学のように統治サイドの学、国家運営のための学といった様相を呈する。政治的立場を理解するのも、自由を恐れるという発想を理解するのも、百歩譲って知識人や市民活動家といった連中ならばそれもよいが、それを一般民衆に求めるというようなことは筋違いでなすべきことではない。そう、わたしは思う。
 ここまでのところで考えても、内田さんの記述、言い回しは示唆に富み、奥行きや深みも感じられる。また政権と市民との間に立って、両方を公正に考えようとする人だなと感じる。だがわたしに言わせれば、根っからの知識人で、知識人としては良質だが、いざとなれば知を放棄してでもごく普通に生きる人たちの側に立つ、という覚悟を定めた人ではないなということになる。