「病院記」について
 
 晶文社の「島尾敏雄作品集」4巻には、妻の神経症の治療のために入院した時期のことが書かれた系列の作品群と、神経症の発作が始まって入院に至るまでの家庭の様子を描いた作品群とが分けて収められている。前者は「病院記」、後者は「家庭の事情もの」と呼ばれ、併せて島尾敏雄の「病妻物」といわれたらしい。(解説、奥野健男の既述より)
 私は今回、昭和52年「新潮社」から、いわゆる「家庭の事情もの」を一冊の長編小説として構成してまとめられ、発行された「死の刺」を先に読み、その後、この4巻に収められた「病院記」を読むことになった。
「家庭の事情もの」のあとでこの「病院記」を読むと、意外にあっさりと読めたというのが一つにはある。また、「家庭の事情もの」を読む時にあった、読むことが苦しくなるような思いは軽減されて、どちらかといえば一気に読み終えられたという気がする。最終の「一時期」という題の作品の末尾には、「妻の治療は、ほぼ順調に経過しているように思えた。」という既述がおかれ、読み終えると同時にほっとするような安堵感さえ感じられるようであった。
 この「病院記」の方は、妻の治療に付き添っての入院生活の間から書かれたらしいから、発作を繰り返す妻と対峙しての合間を縫って書かれたに違いなく、その困難を想像すると島尾の、作家的宿命といったようなことさえ考えさせられ驚嘆してしまう。それはともかく、そんな事情のせいか比較的刺激的な表現、言葉、文章は避けられ、非常に客観的な既述に終始しようとする意志が感じ取れる。精神病棟の内部の様子、雰囲気、そして島尾夫婦の生活のあらましが主に描かれている。
 ここでは、妻が発作を起こした時の、夫のきたない過去を執拗に暴き立てる尋問の詳細なやりとりの既述はあまり書かれていない。ただ、そういうことがあったというように書かれているだけだ。おそらくこれを書く島尾の側にも精神的に余裕はなかったのであろう。 私は、半分きちがいのようになって、日常生活に支障をきたすことになった妻の病気の治療に付き合い、精神病棟に一緒に入った島尾の行動が、本当のところでは不可解だった。夫である男性が、付き添いとして患者としての妻を世話するといった話はあまり聞いたことがないからだ。また、島尾の場合、妻にとっては夫こそが誘因であったのだから、自分が責められいたぶられることは明らかなのだから通常は忌避してしまうものと考えるのが普通だ。
 私はともかくも今読み終えて、作品の核心に触れたとか、作者の密かなモチーフを理解できたとか、そういう文学的な高度な読後感など持ちようがなかった。何も、言えることはないように思う。ただ、感性的に共感できる言葉、文章がちらちらとあったことだけは覚えている。そしてもしかすると、読書というのはそれだけのことかもしれないと考えている。愛の問題とか、夫婦や家族の問題とか、それはたしかにそうなのだけれども、読書を通じて考えさせられても、そうは容易く理解できるといった単純なものではないに違いない。
 夫婦、家庭の生活を、あるいはもっと、一対の男女の極限状況におかれた魂と魂のぶつかり合いのようなものを赤裸々に描いているように見えながら、しかし私には作者の真実は吐露されているようで実は小出しにされていて、全容は思いのほか隠されているように思える。小出しの部分は所々無造作に挿まれ、そこにおいて私の反応の針は揺れ、同時に言葉がきらりと光って感じられるようであった。私はこの作家を、太宰治が好きなのと同じように好きなのだ。
 作家が優れているのかどうか、また作品が優れているのかどうか、そんなことはよく分からない。万人に認められる作家であるか、作品であるか、そんなこともどうでもいい。ただどこか惹かれる要素があるのだ。そのことを追求して文章を書くとして、それがいったい何になるか、何にもならないに違いないのだが、それは謎解きのようにぼくを駆り立てる。