「てならいのうた」
「意識、この厄介なもの」
作られたり
自分で作り上げたりして
今こんな老人に
ぼくは仕上がった
時折人知れぬところで
精神とかこころとか
そう呼ばれるものの集積を
皮むきみたいにして
一枚一枚捲ってみる
すると
らっきょうみたいに
何にもなくなる
乳児や胎児にまで遡ると
真っ白で空っぽで
動物的な反射が全てだ
そこから
こんな老人に仕上がるまで
ぼくはいったい
何をしてきたんだろう
現在のぼくが
邪であるか正であるのか
自分では測りようがない
成り行きに任せて
成ってきたとしか言いようもなく
人類史と環境
という時空の織り糸で
ぼくは仕上がった
みんなそうだろう
そうして織り上がったものを
みんな自分と呼んでいる
恐縮しすぎて
空っぽだと公言するのも変だが
肯定が過剰過ぎて
偉そうにするのもおかしい
2025/08/05
「討論譚」
無自覚でしたが
架空の討論をして来て
その相手は妻だったり
息子たちだったり
あるいは亡き父や母でした
ぼくはとにかく全敗です
架空だし
自分の意識内だし
さじ加減でどうにでもなる
そんな討論なのに
どういう訳かいつもぼくの負け
ぼくはそのたびに
一歩後退しなければなりません
一歩一歩と
これがまあ内臓に響きます
もう後がない
そう思って必死に防戦しても
負けて後退します
その時に気付いたんですが
土俵の俵が一緒に
ずるずる後退し始めるのです
つまり
ぼくの後退には
限界がなかったのです
限界と思ったのは
そう思ったと言うだけなのです
そうして分かったのは
ぼくには自分がないということです
自分と思い込んでいた領域が
どんどん縮小して
どんどん消えて行きます
そうして最後には
父と母と妻と
息子たちの領域らしきものが
自分に取って代わって居座り
いつの間にかその形が
自分の形だと
そんな具合になっているようです
2025/08/04
「時間の使い方」
人生の三分の一は寝て暮らし
あとは学校や仕事で三分の一
残りの三分の一は
ご飯を食べたり歯磨きしたり
友達と遊んだり
家族と談笑したり
ありきたりだが
生き物としての人間の
個人的人間的な主たる活動は
この残り三分の一にあるのではないか
学校も会社勤めもない大昔には
その分の三分の一は
残りの三分の一と合わさっていた
だから寝てる時三分の一と
起きてる時の三分の二
という分け方ですむ
勉強と被雇用がないだけで
ずいぶん暮らしにゆとりがある
人間や人間社会の未来は
理想の姿としては
そこに立ち戻ることではないのか
そういう時間の使い方にだ
となれば狩猟採集ではない何か
雇用されることでもない何か
食べることを可能にする何か
その新しい形態が必要になる
それはまだちょっと思いつかない
思いつかないが
分業と専門の限界
その先を
考えておくのは悪くない
2025/08/03
「壊れるものは壊れた方がよい」
ぼくらが知っていたり
抱えていたりしてきた中で
そのまま残っているものもあれば
否定され捨てられてしまうものもある
もちろん少しだが
新たに生みだされるものもある
古い難問は嫌われるが
難問でも新しい時代のものには果敢だ
手垢のついた古い理念や理想を
ぼくらよりも純粋に素朴に
水晶玉のように掌にかざしていたりもする
いずれにしても
新旧全体のバランスが崩れてきて
古い考え方では通用しない社会が到来してる
透徹した考えを生みだすのか
バラバラな分断のまま行くのか
さしあたって壊れるものは壊れた方がよい
少なくとも自由の幅は拡がる
ぼくらの考えられるよいことは
ほんのわずかなことだ
壊れるものは壊れた方がよい
華やかさ賑やかさの季節を越えて
枯れ色の秋が来る
次々に枯れ葉をふるい落として冬が来る
潔く枯れ葉は落ちた方がよい
その後にしか春は来ない
春を引き寄せるのはきっと
厳寒に萌える新生の芽の呼吸だ
2025/08/02
「暗黙の岐路」
報道が少しおかしい
月初めの鳴子ダムの貯水率は
80パーセントを超えていた
最新は0パーセント
段階がすっ飛ばされている
梅雨時の雨も少なく
猛暑が続いた
一般人のぼくらでも
水不足を不安した
従来だと記者たちが追って
もっと前から警告を発した筈だ
杜撰になってないか
新聞の部数が減り
テレビは視聴率が下がり
時間をかけた詳細な調査
詳細な記事は
もう不可能になってはいないか
記者の数は足りているか
マスメディアの衰退はかまわないが
生活上の大事なことを
おろそかに報道されたんでは
ぼくらは困る
SNSは取って代われるか
生活情報に関しては別途
どういう形でか
調査費用や記事に対する対価を
国民で負担する
そんな日が来るかも知れない
暗黙のうちに
報道もまた
岐路に差し掛かっていて
舞台裏では次々と
崩壊が進んで止まない
いろんな死の兆候は
いずれきみのアンテナにも
届くはずだ
2025/08/01
「時代は手厳しい」
本を売り飛ばす気で
フリーマーケットで出品を始めてみた
著者が外国人のものは売れた
日本人のものは駄目だ
人気や売れ筋
そういうものがやっぱりある
昔の純文学の周辺は
全部駄目だ
ぼくが読んで欲しいのに
と思う本ほど売れない
需要がない
平たく言えば小難しい本ばかり
小難しいものは敬遠される
たぶんこのことは
社会の動きを投影している
とりわけ若者は
理由もなく苦しくて
理由もなく苛ついて
小難しい本を読んだり
小難しく考えたりしたくない
ゆとりがない
だから手っ取り早く
CMの宣伝文句で賄おうとする
またその方が
派手だし明るいし
ほんの束の間のハッピー感で
間断なく時間を
敷き詰めることもできる
たしかに
そこに需要は集中している
苦のないところに
人間が集まり
人間の頭も集まって行く
誰だってそうなるよな
と言う意味では
そうなる
小難しいものは通用しないのだ
通用するためには
小難しさを
解体しなければならない
売り飛ばされる本も
昔は需要があった
作者たちも需要に向かって
書いていた
人気作家たちだった
時代は手厳しい
ぼくらの考えにも
手厳しい
2025/07/31
「お手本のない社会」
人生で一度だけ
時代が光った瞬間に立ち会った
西洋近代が
花開いた瞬間で
日本中が中流意識に浮かれた
それを契機として
日本に移植された西洋近代は
役目を終えた
つまり社会的に死を迎えた
それ以後の迷走は
死が浸透するまでの
束の間の余韻のようなもの
政治も死んだ
学問も教育もみんな一緒に死んだ
何もかも死んだのに
死んだように見えないのは
死後の世界に気づいていないからだ
西洋近代という
時代の面影を引き摺って
まだ生きていると思い込んでいる
瀕死者と亡霊とが
国家にも社会にもひしめいて
生きているかのように
残像として振る舞っている
西洋近代というかつてのお手本が
今や世界中から不用扱いを受け
薄く透明に消えかけている
もうどこにも範を求められない
世界のどこにも
差し替えるべき思考がない
死後の行く手が暗いように
頭脳を亡くした社会も暗い
死に体の社会が上に下に右に左に
あてもなく駆けずり回っている
横軸を縦軸に置き直し
過去へ過去へと歴史を降りて行こう
初源からやり直さなければ
本当も未来も
見えてくるはずがない
少しの錘をつけて沈んで
再び息を吹き返せたら
その時は
互いの無事を喜び合おう
2025/07/30
「晩年を行く」
おじいさんになった今でも
ぼくには煙草とコーヒーが欠かせない
月に1度か2度のパチンコも必要だ
これは無ければないですむが
あったほうがいい
負けてばかりだが
何もかも忘れて没頭できる
一つの趣味になっている
時々大勝ちした時の有頂天の感触
それはなかなか忘れられない
抜けきれない
家ではパソコンが必需
ネットで動画やニュースを見る
時間を潰して反省が来ると
考え事をして文字に記す
これを発表し公開することが
日課になっている
ドライブやピクニックも
ある時期はまった海釣りも
もうしなくて済むようになった
時々懐かしげに動画を見るくらいだ
それやこれやで
家人にはあまり評判がよろしくない
働いて給料を毎月もらっていたころとは
ずいぶんと扱いも違う
要するに家人の目から鱗が剥がれ
禿げてくすんだ浦島が見えているらしい
控えめで謙虚でもあるので
きわめて無口な浦島は
何とか家においてもらっている
そういう感じなのだが
当人には少しも苦にならない
「ありがたやありがたや」の毎日で
いたって居心地はよい
迎えが来たらいつでも行ける
散々好き勝手をして跡を濁して発つ
こんなんでよかったのかどうか
死ぬまで分からない
死んでもきっと分からない
2025/07/29
「原日本人論」
かつて渡来人を優遇した朝廷が
なぜそうしたかと邪推すると
それは出自の点で
共通するものがあったからであろう
朝廷の主要なメンバーが
ずっと以前の渡来人の末裔で
東北に残った縄文の文化の匂いよりも
遙かに渡来の文明文化に
親近感を抱いたに違いないのだ
要するに今頃外国人がどうこう言う前に
何度も外部の血は紛れ込んで
純血どころの話ではない
逆にそんなものは全くない
現在のアメリカが
人種の坩堝と言われるみたいに
かつての日本は小規模のそれで
混血に混血を重ねて古代日本人になった
いっそそう考えた方がよいくらいだ
この島の元祖の住民は
とっくの昔にこの島から消滅している
もっと言うとこの島は
渡来人に乗っ取られて
そして乗っ取った渡来人の末裔が我々で
現在の日本人ということになっている
今さら外国人に乗っ取られるとか
日本が壊れるとか消滅するとか言っても
まるでお話にならない
そう考えるとこれからだって
同様のことが繰り返されないとは限らない
現にこの国だって外に向かって行って
いくつかの国を従属させ
併合した歴史もある
だいたいこの手のことを口にする連中は
共同体の上に立ちたがり
統率したり支配したりが好き
つまり田畑を耕さずして利を貪り
濡れ手に粟を求める者が多い
それはどう見ても
この島にたどり着いて根を張った
初期住民の姿にはほど遠い
この島国の自然や気候風土を恵みと感じ
恩恵を分かち合い
均しく誰にでも振る舞い
もてなそうとする心根の人があれば
その人こそは
この島国の純の名残り
こころの美に生きようとした
島国の元祖住民の面影をとどめる
その人であり
いやいやと手を振り
けして主役の座につかない
そういう人たちである
2025/07/28
「夏を乗り切る呪文」
感覚を捨て考えも捨てる
そうやって猛暑の夏を乗り切る
万一生理から崩れたら
その時は終わりだが
崩れなかったらそれで行ける
水だけ飲んで飢餓を越える
それと一緒だ
頭を捨てることは
それほど難しいことではない
とっておきの呪文が一つ
「頭を捨てる」
そう呟くことだ
呪文だから言霊が注入される
猛暑の夏を乗り越えて
何なら厳寒の冬も越える
万能なのだ
後は細胞や肉体を信じることだ
一つだけ危惧があるとすれば
悲しさも苦しみも不安もないかわりに
楽しさや喜びも失うことだ
ただそうやって
生き長らえることだけが目標なら
生きる甲斐がない
と思うものには
こういうことはお奨めしない
普通に小さく一喜一憂しながら
感覚も思考も愛惜して
もって他人のそれを敬うのがよい
ぼくは違っていて心と頭とを捨てる
ぼくが信じるのは
肉体や細胞と言ったものだけだ
逆さまに言えば
ぼくの心と頭とを信じるな
そう貴方たちに向かって
叫んでいるのだ
2025/07/27
「孤独死考」
悲惨という色合いの霧を吹きかけられて
孤独死が報じられることが多い
だが本当に孤独死は悲惨なのだろうか
野良の植物や動物は
たいてい孤独に死んでいて
瀕死や危篤を取り囲み
看取るといった図は見たことがない
人間と言えども
死の原点はそこだと思う
それだけを覚悟してしまえば
孤独死の悲惨という形容は回避し得る
このごろはどうも
孤独という言葉の立場がよくない
若者からも老人からも
嫌われ避けられ遠ざけられている
誰もが脅えている
おそらくは
内奧に個を感知するその反動として
群れることを正当化しようとするからだ
もちろんそれが悪いのではない
ただその為に
孤独や孤独死を敵視しすぎるのだ
悲惨と考えすぎるのだ
死ぬ時は黙って孤独に死ぬ
それが本来の在り方で
だからもともとは非幻想的
非人間的な
一つの事象でしかない
そしてもっと言うと
「死」という手垢にまみれた概念は
らっきょうの皮のように
実体を持たないのかも知れない
2025/07/26
「才に習う」
鮮魚が買えないなら
竹輪にしましょうか
肉が買えないならソーセージ
豚モツを買って
辛味炒めなんかごちそうだ
米はブランドでなく
ブレンドだ
野菜は旬が少し安い
一円パチンコは
零点二円パチンコに
五百円を超す高価な煙草は
それだけは
懇願して目をつぶらせる
まだやっていける
煙草が吸えるうちは
まだ大丈夫
そうやって庶民は
今日を凌いでいる
今日も明日もあさっても
一日一日を凌いで
それ以外に方途がないのだが
それでいて
小さな喜びや幸せを感じ取る
特別な才能を
持っていたりもする
そしてその才に習うことは
存外楽しくもある
2025/07/25
「ぼくらが後を追っている」
この島を呑み込む波なのか
滝のような雨なのか
まぼろしに濡れて島が沈み
まぼろしの水底に落ちて行く
昨日今日と酷暑が続き
青みのかかった白い紫陽花は
所々花弁がくすんで
錆びた匂いが薫っている
まぼろしと白い紫陽花とが
トレース紙の上に重なり合い
解離性同一障害のように
行ったり来たりする
あなたではない
世界が病んでいるのですよ
夏が乾涸らびて溺れるその後を
ぼくたちが追っています
2025/07/24
「超国家考」
国と言い国家と言い
人類史の途次に生まれたもので
しかもごく最近に作られた
共同体の形態であり
いずれ緩やかに消えて行く
あるいは
かつての小国家が
形を変えて藩になったり
現在では都道府県になっているように
間違いなく変貌して行くに違いない
こういう予測の根拠は
経済と情報の
境界を越えていく広域化から来る
古代の部族国家
豪族国家の乱立を経て
統一国家成立までを考えると
そこでも小国家群を越えて
経済と情報の
境界を越えていく発展が
先ずあったのだろう
鎖国体制を取った江戸時代においても
完全な規制は難しかった
こうした歴史の流れを考えると
超国家連合や
世界連合国家へ至る道筋は
極めて妥当なステップアップである
もう一つこれに付け足すと
いろいろな意味と理由で
国家の構成員である国民の不満が
解消されない点に
現在の国家体制が絶対ではあり得ない
と帰結される理由がある
多くの矛盾を抱えた国民国家
民族国家が消えるには
最低でも一つの必要要件がある
語の全き意味での住民の自立
それである
だがそれは遠い遠い先の話だ
超国家も成立する心配はない
今のところは遙か遠い夢想にとどまる話だ
日本の未来をどう考えるか
なんて言う政治家の話を耳にして
そうだそうだと相づちを打ったり
打たなかったりする今を
存分に経験したり体験して
それが悪いという理由はどこにもない
何でもありっちゃ
何でもありのご時世だもの
お互いにやりたいように
やって行くさ
勝手に未来を夢想するのも
ぼくらに与えられた
特権の一つだ
放棄したり棄権したりする手はない
2025/07/23
「不連続の連続」
いつの間にか歌番組は見ないし
バラエティーやドラマも飽きてきた
画面で幅を利かせるのは
新進気鋭の若い人たちばかりで
さすがにぼくらの青春のスターたちも
年老いて一人去り二人去りして
時折脇役のように
画面の端に見え隠れする
若い頃は考えもしなかった
父や母が下っていった階段を
今はぼくが下っている
父母が言葉を濁したように
ぼくも息子たちには
言葉を濁して語れない
言えば鼻先であしらわれるかも
それもまた楽しめなくもないが
彼らの側に立てば
それどころではないだろう
毎日をがっぷり四つに組んで
社会に全力で対峙して
やっと転がされずに立っていると
そんな状況でもあるのだろう
彼らもまたマスメディアとは距離を置き
SNSに移行して
自分でヒーローやスターを発掘し
時代と共に流れて行く
そうしてぼくらの年になると
やっぱり飽きが来て
飽きが来た頃には
新しい領域や分野から
新たなスターやヒーローが
立ち上がってくる
2025/07/22
「それが普通」
需要がない
そんな人間がいてよいはずはないが
今のこの社会ではそんなことも罷り通る
それが普通になっている
そんな境遇の老人がいるが
そんな境遇の老人がいたらどうする
そんな境遇の引きこもりがいるが
そんな境遇の引きこもりがいたらどうする
そんな境遇の老若男女がいるが
そんな境遇の老若男女がいたらどうする
ぼくもそんな境遇のひとりであるが
ぼくはぼく自身をどうする
ぼくには力がないし
何も変えることは出来ないな
今日も明日もあさっても
相変わらずの境遇でいるんだな
寂しさと我慢と忍耐と
これまで続けてきて
だからこれからはいっそう心を強くして
全然平気だと口にするまでもなく
これが「一定すみかぞかし」と
腹を括るほかない
そしてそれくらいのことは
非力なぼくにも出来る
需要がなかろうが
切り捨てられようが
死ぬというその時までは生きる
それは自然界の掟で
どんな境遇でも同じだ
難なくそれをやりきれば
ぼくらの務めは
果たせたことになるのかな
悲しいとか
寂しいとか
苦しいとか
そんなことは昔から全部
植物にも動物にもあって
それが普通だよって教えているな
普通に黙って生きているな
2025/07/21
「歩くとはそういうものだ」
文字にして来たものが
誰にも読まれない
理解されないと思い
通じないと思い
理解され
通じる言葉で書こうと
長くそういう書き方を
試行してきた
けれどもそれは
違っていたかも知れない
需要がない
その一点に尽きると
このごろ思う
役に立たないのだ
不用で不要なのだ
文字を読もうとするひと
読みたいひとは
現在でも少なからず存在し
そこには需要ある領域
と言うものがある
そこにはまっていれば
たくさんの人が目を通す
ぼくの言葉には
そうした需要というものがない
いちばん楽なのは
多数を諦めることだ
それならば
需要なしで書き続けられる
好きなことが好きなだけ
書ける
書き手も読者も
同じで自分ひとりだ
ぼくはそういうタイプだ
需要にあわせる技量もないし
あわせる気もない
はじめから
ポツンとを選択した
それが分かって少しほっとした
細道なのだ
途切れるまで
どんどん細くなる道を
ただ進んで行く
意味もなければ価値もない
そもそも歩くとは
そういうものだ
2025/07/20
「需要」
時代の風を読めないで
二十歳前後のころの知と
自分の生涯とを
ずっと追いかけ回してきた
自分には意味があっても
ほかの誰にとっても
関係ないこと
そのことはよく知っていた
その執着はなぜか分からない
ただそのことが
馬の鼻先のにんじんのように
目の前にぶら下がっていて
追いかけずにはいられなかった
そんなことは不毛だと言われても
徒労だと言われても
鼻先にぶら下がっている限り
追わずにいられない
そんな習性になっている
田舎の町の商店街みたいに
シャッターを閉め
店じまいのようにして
みんな居なくなってしまった
見切りをつけるのは当然だ
どこかで出直すんだ
そんなことも告げずに
風の向こうに消えて行った
きっと見知らぬ土地で
蝶のように舞うつもりだろう
時代の風が読める若い人たちは
需要のありかをよく知っている
何につけても
需要第一主義にもなっている
賢くて抜け目がなくて
SNSで例えれば
再生回数の稼ぎ方を
よく知っている
それでいいんじゃないか
世の中がそうなっているんだから
需要を追って
売れるものだけを作る
そうなっているんだから
2025/07/19
「分かるかな」
参院選の党首討論会の動画
再生回数が百万二百万回を超えていた
コメントなどもたくさんあり
政治に関心がある層が
こんなにもいるんだと驚いた
政治や選挙そのものには興味が無いので
動画やコメントの中身は見ていない
多くは大学卒レベルの知識があり
年齢的には三十代から五十代が
中心かなと予測する
これらが一番ステータスに関心を持つ
そういう層と思えるからだ
いわゆる本物の大衆
地に足着けた
仕事や日々の生活に一辺倒の人たちは
あまり選挙に興味関心が無いと思う
政治や選挙にコメントする人は
演説を見たり聞いたりして
こういう国を目指すとか
こういう社会や社会人にとか
啓蒙に乗っかって
自分も啓蒙する側に回りたいと
そういう思いがあったりなかったりしながら
演説などで釣り上げられる
投票権を持つ人の五十パーセントが
この国の先行きの方向性
その決定に進んで参加している訳だ
でもおよそ半分だ
半分しか先行きの決定には参加していない
だからそういう方向性の決定は
長らく半分の世界内で行われてきたことだ
もう一度言う
ずっと
約半分の世界で決定が行われてきた
おかしくないか半分だけだぜ
政治も選挙もギリギリ成り立っている
民度が低いせいだと言う人もいるが
それで多くが参加しないと言う人もいるが
それだったら
政治も選挙の制度も
それに見合った仕組みや形にすべき
ぼくならばそう言うな
怠慢だし傲慢なんだよ
たかが大卒レベルの知のくせして
そんなことも弁えていないで
偉そうにするんじゃない
ぼくならばそう言うな
言うだけなら自由だ
思想や信条の自由もある
「正直者が馬鹿を見る」
そんな社会を変えると
選挙カーの上から大言壮語する人
君らがいるからこれまでも
そしてこれからも
「正直者が馬鹿を見る」社会は
変わらず続く
君たちの自滅だけが社会の希望さ
分かるかな
分かんないだろうな
2025/07/18
「ある邂逅」
路上ミュージシャンの歌にあわせて
アップテンポで踊る陽気な人たち
ひとりでするミュージシャンの
歌や演奏が巧みなのか
合間の語りかけが上手なのか
それとも立ち止まる観客が
明るく人なつっこいのか
シンガーやぼくには異境の地だが
人種も言語も越えて
なぜかひとつの輪となるところに
ある懐かしさを感じさせる
そんな動画を見た
遠く離れた南洋の
明るさとかおおらかさとか
親和性とか素朴さとか正直さとか
仮に血というのではなくても
ずいぶん身近だったという
おぼろげな幻影が
記憶のずっと底に沈んでいる
そんな気がした
懐かしさのあまり
かつてぼくらもそんなだった
もっと正確に言うと
むかしむかしのこの島国の住人も
南洋のおおらかさに触れる時があり
それを引き継いだ時もある
そう言ってみたいほどだった
子どもの頃の田舎の家では
日中家に鍵はかけなかった
夜は一軒しかない店をたまり場にして
毎日酒盛りが繰り広げられていた
みんな少しずつ声が大きくなり
哄笑が絶えなかった
この国の経済の発展と共に
朝晩は車のエンジン音が多くなり
その代わりのようにして
村から一軒だけの店はなくなり
哄笑も消えて行った
小さな村ではあったが
それなりに活気はあったのに
あちこちで挨拶する声が聞こえていて
少しも過疎の村とは
思わなかったのに
2025/07/17
「一週間」
月曜日が始まった
と思う月曜日
土日まではずっと先だと思う
火曜日もほぼ月曜と同じだ
長いなって思う
水曜日になると
ほぼ半分まで来たって思う
木曜は少し違う
土日がすごく近く感じる
目の前に来てるって思う
金曜日は嬉しい
一週間を生き抜いた
そういう気分になる
特別何もしてないし
一週間でもないのだが
得した気分になる
土曜になるとほっとする
勤めてないから
この気分は不可解だ
でもそうなっている
遊んでもいいという解放感が
理由もなくやって来て「快」
日曜日はその延長
後半に少し翳る
一週間の気分の流れは
繰り返し
確実にそうなっている
少し変だ
ずっと家にいて
曜日に縛られない老後なのに
縛られている
一週間って怖い
とりあえず
そんな思いだけに
留めている
2025/07/16
「自立の庶民論」
参院選の争点のひとつに
減税と現金給付があげられていた
どっちでもいいから早くしろという話だが
そんなことが争点になって
わいわいしているのもおかしい
政治の争点としてはずいぶんとレベルの低いことだ
庶民がこんなにも生活が苦しいと
調査やら取材やらで訴えているのだから
どの党が政権与党だろうが
早晩実施するほか無いことだ
騒ぎ立てなくてもそうなるに違いないから
争点としても微妙な差異しかない
酷暑や極寒に常に脅える動植物は
基本遺伝子に従った対応しかしなくて
それで対処できなければ死ぬだけ
そういう厳しさと潔さの狭間に
生存の営みをつむぐ
われわれ人間の庶民もまた
多少の生活の浮き沈みには慣れたものである
まして長い経験から
政治に頼っても意味がないと知っている
一時的に給付や減税が行われても
すぐにまた何かの形で徴収されることは
これもまた経験上わかりきっているのだ
どうぞどうぞやんなさい
どうせ小手先だったり
一時しのぎの対策でしかないことを
さも重要施策のようによく言えたものだ
酷暑や極寒に耐える動植物のように
庶民は生活の困窮に対し
頭も言葉も使わずに
遺伝子レベルで耐えることはそれほど困難ではない
またその方が悠々と耐えられるんだ
酷暑や極寒に似た生活の困窮
その対処法を含め
遺伝子にはその記憶が刻まれている
第一義にはそれで為して
さて頭を使うのはそれから先だ
それも庶民としての頭を使うのである
ぼんくら政治家どもの薄い批評を追うのではない
そんなものは右から左に流して
地にしっかりと足をつけ
悠然とひたすらな誘いを排し
動植物を範として
動植物の範となる
権力に飼われるペットじゃない
いたずらに懇願なんかしない
庶民の名が廃る
困窮に会えば困窮を切る
われわれひとりひとりの庶民は
この島国の主権者のひとりひとりである
政治は利益の調整役であり
困窮も不耕も救わない
だから最後にどうするかは
遺伝子に聞いて事を為す
動植物のような
それで行く
2025/07/15
「アメーバの脅え」
生命の起源に使われる言葉として
バクテリアや細菌や原始の単細胞など
耳にすることがある
聞いてもよく分からない
ただそう言うところから多細胞に進化して
複雑化したり高度化したりしながら
一部なのか大部なのか
現在世界に見られる生命群に拡がった
ぼくが長く不思議なのは動物の感覚器で
過去に遡れば遡るほど
いろいろな意味で未分化で
視覚も聴覚も嗅覚もまた触覚や味覚まで
初源はもっと単純にまとまっていて
簡単で素朴なひとつの器官だった気がする
あるいは器官でさえないかも
わざと誇張して言えば
そんなふうに思っている
そしてそういう意味から言うと
目と耳と鼻と口や舌や喉は特に
比喩的に言うと血縁関係にあると思える
「匂う」とか「味わいがある」とか
これらは単一の器官を超えて
使われることがある
それで特に何が言えるのでもないが
人間が死に向かって衰弱していく時
それらの器官の働きも
後退したり縮小したりして
しだいに境界をなくして
融合していくようなイメージをぼくは持つ
最後に残るのは聴覚や嗅覚だろうが
それによってある光景が浮かんだり
ある味わいとして錯覚したりとか
弱った存在の内側では
互いに短絡し混沌として
受け取られているのだろうと思う
これもまたどうということもない夢想で
ただ初期の単純な生命と
人間のように複雑化し高度化した生命体と
何がどう違うのか
優劣があるのかどうか
意味なくのんびりゆったり考えて
老いの時間を消費している
2025/07/14
「不思議」
動画で犬猫を見ているが
本当に見ているのは録画機器のレンズで
ぼくらはその後を追っている
自分の生身の目では
レンズのように追ったりはしない
レンズを介すると
そのように犬猫を見ることが可能になる
そうして改めて
ひとつひとつの動き
仕草に不思議を思ったりしてる
そんなふうに人を見ることは出来るか
同じように赤ちゃんは見るが
同じように不思議を見るが
成人や老人を見ることは出来るか
不思議は見ることが出来るか
成人はエグくて
老人は死者になりかけで
ついつい目を背ける
老いたる家犬は始終寝そべっている
老いたる人も
その動きにさしたる興味が持てない
老いてみると
老いたる人は自分が不思議だ
何で生きているのか
何で生かされているのか
どうして若い時よりも
分からないことが増え続けるのか
不思議で不思議で
ついついぼんやりしてしまう
老いたる人の不思議は
老いたる人には簡単ではない
2025/07/13
「冬のことだけ考える」
夏に向かうには
黄緑色の若葉でいいのだな
枯れ葉なり
葉を落とした枝先では
夏には耐え得ない
一年を通して
ずっと冬の季節を考えている
時折赤ちゃんが
動き回る動画など見て
春はこういうものだなと
頷いたりする
やがては誰もが
凍える冬の季節に出会う
遺書には
冬の過ごし方について
啓蒙とは違う
役立つ言葉を綴りたい
まだしばらく
冬のことだけ考えて過ごす
春夏秋が
これから何遍来ても
わたしの季節は冬のままだ
時間が許す限り
冬の語り部でいなければ
ひとりくらい
愚直を貫かなければ
この世界は
◯◯◯
甲斐がない
2025/07/12
「鎮魂の歌」
泣いていたり
助けてほしいことが
はっきりと分かっているのに
誰も手を差し伸べない
冷酷無比な高度文明社会
少なくともその冷酷無比さは
いや増しに増している
口をつぐむ
目をそらす
そういうことだけは
日増しに手慣れて得意になる
人間よ
時代と共に
何もかも発達した人間たちよ
ただひとつ退化していることは何か
自分の心に尋ねたことはあるか
気に入ったことには
惜しみなく愛と善意を注ぎ
意に沿わぬ
みんなが遠ざかる案件には
気づかぬ風をする
そのケースごとに態度を変える
そのダブスタが
絶望的な心のど真ん中に
絶望を打ち込む
つまり
高度に発達した人間よ
きみたちにも
永遠に手の届かぬものがある
知っているはずだ
気づいているはずだ
自分の心の一部始終は
安らかに眠れ
悔恨に抱かれて
永久の眠りを貪れ
2025/07/11
「人間の世界だけは」
日はまた昇り
地上には季節が巡る
野山には草木が茂り
小鳥は羽ばたき
相変わらず物陰には
虫たちが動き回っている
そんな中で
人間の世界だけは
自分だけがよければいいと
だんだんと異様さが増している
だんだんと駄目な世の中になっている
あれもこれも
あそこでもここでも
明るく愉快にやっている連中は
みんないい気なものだ
まっとうな顔つきで
まっとうなことを言い合う連中が
一番まっとうでない
そのことだけははっきりしている
人間だけだよ
見て見ぬふりをするのも
見て見ぬふりが出来るのも
そうやって財に走り力に走り
他の生き物たちにも
他の人間たちにも
無関心の目を向けてきた
冷酷無比な無関心で
自然の生き物たちを
負に喘ぐ人たちを
追い詰めてきた
(ぼくもおんなじだ)
その客観的な加害の関係性について
無自覚な愚劣さ
彼らが笑顔を振り撒くたびに
閉塞はいっそう
深く暗くなって行く
考えるということの仕組みの
どこかがおかしい
2025/07/10
「自立の苦しみ」
憲法を見ても
天皇は日本国の柱になっていて
いないと国会も開けない
総理大臣も決まらない
それはそれで大変だ
役割は大きくて
天皇を務めることは
ぼくらの考えのおよばぬところだ
同じ人間ながらさりげなく
務めを果たして異数
天皇は
日本国及び日本国民統合の象徴
とする憲法によって
その地位を保証されるが
どうなのだろうか
現代の高度文明化社会において
今でも国全体としての
重要な役割や務めを
万世一系の個々人に負わせて
その負担をそのままに
未来永劫続けてよいのだろうか
国家を団結させ
それでもって繁栄を勝ち取り
国民生活の安定を図る
そう言う働きを
国家形成の祖の系譜だからと言って
今でも人間ひとりの個人に背負わせて
われわれ国民は
天皇がいない時の世の中の混乱を
体験しないことが
本当に彼我にとってよいことだろうか
衆愚のぼくらには分からないが
ぼくらが無意識に
象徴天皇に依存していることは確かだ
ぼくらは主権在民として
自立できていない
そうした自立の苦しみから
忌避し続けている
ぼくらはずるい
深刻に苦しむものをこそ
冷酷に突き放す社会の無関心と
真逆に相似して
咎められない道にのさばり
無関係を装う
そうして事態は
どこまでも深刻に病んで行く
2025/07/09
「もっと引きこもる」
幼稚園に行きたくなくて退園した
小学校も駄々をこねたが
さすがにそこは許してもらえなかった
子どもなりに精一杯我を通して
一点の水の逃げ道が見つからなければ
諦めるものらしい
もともとの引きこもり体質
引きこもり傾向がどこから来るか
分からない
高齢の今でも変わらなくて
ただ社会通過の経験から
特攻隊のように
身も心も捨てる覚悟で向かえば
いつでも出張って行けるものだとは
考えられるようにはなっている
大げさではなく
社会人になってからは
いつもそうした覚悟で苦手な方
嫌だと思う方にわざと足を進めた
それで成るようには成ったのだ
身の持ち方はだから何とかなる
ぼくらのようなものは
自分を殺すことを目的のようにして
社会に向かい社会に生きるのだ
ぼくにとっての問題はだからそこにない
今でも問題なのは
意識や思考の引きこもりだ
あまり社交的でなく閉じこもりがちだ
暗かったり反対の見方をしがちで
そのことに劣等意識もある
やっぱりずっと
明るい言論言説から逃げ続けている
顔を隠して見つからないように
ということもしてきた
なのでぼくは
意識や思考としては
生涯の引きこもり者だと自認している
それで何が悪いかと
大っぴらに言うことも出来る
通用しないは無視されるはで
惨憺たるものである
けれどもそこで
引きこもりがよくないとは
少しも考えない
かえって逆行して
もっと引きこもろうとしている
ただし要件がひとつあって
健康に引きこもることがそれだ
〈私〉に縛られているうちは
要件は満たされない
2025/07/08
「見えない選挙に一言」
またまた選挙だって世の中が騒がしいな
庶民には分からないが
膨大な金とエネルギーが費やされて
終わってしまえば別に変わり栄えのない
国会運営と愚策であたふたする
そんなことの繰り返しだ
必要なこと大事なこと
そう思っているのは国民の半分
後の半分の思いは
「まっとうじゃない」って
それはもうはっきり固定している
品のない選挙戦術
指導や啓蒙好きなオメデタイ政治マニア
声を振り絞って
必死に選挙を戦ったって
その後に国民に喜ばれる政治が出来なくて
近近にまた選挙でしょ
政治が本気だったのは戦後すぐかな
安定繁栄するに従って
どんどん駄目になっていった
下劣で汚い選挙が横行するようになった
「どんな手を使ってもよい」
「勝てばいいんだ」
代表となるべき候補者がそんなんだから
大半の国民も真似する訳さ
全ての情報メディア媒体が
一緒にお祭り騒ぎで
部数稼ぎ回数稼ぎで狂奔さ
〈思いついちゃったな〉
せっかくの金とエネルギーだから
今風の国政選挙を
一級河川の浄化コンテストに代える
期間は一ヶ月
優勝は候補者の当選
言うまでもなく選挙運動は環境整備
日本全国美化するし
何より政治家の心根が変わる
県や町の選挙は
県内の二級河川以下の川の浄化
一通り終えたら次は山や森
さらに平野の環境整備という手もある
本気度が可視化される
どうかな
国のため国民のためを考える政治家だもの
頭もよくてアイディアもある
〈期待しちゃうぜ〉
2025/07/07
「『法律』漬け」
普通に普段に
町を歩いていて
「法律」に出会うのは稀だ
ぼくなどは生涯に二度三度
青切符を切られた
その折に横顔を見たくらいだ
けれども話の上だけでは
町には「法律」が
溢れるほど出回っているらしい
みんなのものと言う割には
ぼくらはほとんど
直接的な「法律」との付き合いはない
むこうから
優しく声を掛けて来たこともない
いまのところ
敵でも味方でもない気がする
なので「法律」がたくさん出回ることが
よいことかどうか分からない
普通に暮らせば出会わない筈で
近現代と進んで
「普通」が崩れて行っているのだろう
そうなると話は別で
今後はさらに増すことになる
「法律」だらけになって
社会が過ごしやすくなるならいいが
どうだろう
馴れてないぼくらは
「法律」が量産されるより
崩れた「普通」を社会標準へと
立て直してもらいたいな
凡人には
それがありがたいな
2025/07/06
「告白の方程式」
誰かを好きになったら
好きだと言えばいいんじゃないか
好きだから付き合ってと言って
断られたら
諦めればいいんじゃないか
諦めきれなかったら
全力で諦める努力をして
それでも未練が残るようなら
身を切るようにして
未練を断ち切るしかないさ
そうしてまた新たに一から始めて
二度三度四度と繰り返す
それでも駄目なら縁がないと諦める
四の五の考えても仕方がない
ただ悔いが残らぬように
いつでも真剣に
思いは普通に吐露するように
訥訥とでも余さず告げよ
その為の真摯な工夫は
惜しまずにやれ
そこからは
もうきみは主導権を手放して
相手の意志が主導権と
切り替えよ
概念を振り回すな
自分の愛が至上と勘違いするな
現実実際的な愛は
生き物の性(さが)
人間の性
物語を生みだす土壌
醒めるまで
夢は大いに見るものだ
傷つくことは
避けられないものだ
2025/07/05
「消えて行く記憶」
むっとする暑さの夏
夕暮れが闇を増す中で
家々に明かりが灯る
その時間帯の
ぼんやり淀んで停滞する
あの感じ
子どもの頃のイメージが
既視として
どっと押し寄せる
(あっ、おなじ?)
一瞬に浮かぶ
その一瞬なんだけど
立ち現れて
一瞬で波のように引いていく
勢いよく励起して
その後の
梯子を外されたような
足が空を切る
あの感じ
そのことは
口にしてもつまらないし
耳に聞いてもつまらない
ただただ自分だけに懐かしく
その懐かしさについて
思いのたけを語ってみたい
そんな時はある
そんなことはずっと
心の底に圧縮してきて
覆っても来たから
その時も場も
いまではもう失われている
あとはだから
賽の河原の石積みみたいに
白紙の上に文字として
書いたり消したり
気が済むまで
続けて行くだけになる
最後はたいてい
呆気ない
2025/07/04
「老後を行く」
午後からは
カフェイン入りのコーヒーも紅茶も
飲まなくなって四、五年
このことにはさしたる意味もなく
考える価値もない
夜眠れないと困る
何となくそう考えて
何となくそうしている
もう一度言う
意味も価値もない
なぜ夜眠れないと困るのか
よく考えると
これにもたいした理由がない
夕飯後は動画を見ながら
ちょっと寝落ちする
その日を越える時間には
眠気がなくなっている
カフェインのせいではない
若い頃はコーヒーと煙草で
日を跨ぐのが常だった
イライラして
興奮して
ぶっ倒れるように寝た
朝は起こしてもらうが
すぐに仕事スイッチが入った
今思うとあれが若さだが
なにがどう現在と違っているか
よく分からない
全てに無理がないようにと
元気を消耗しないようにと
省エネを心がける今だが
思いのほか
衰退は加速している気がする
気のせいなのか
肉体や細胞のせいなのか
医者や学者に聞きたいのではない
自分で分かりたい
だが知識も知性も不足だ
もう手遅れかも知れないが
平気な顔をして
どこまでも下って行く
老いるとは
こういうことではないのか
行き当たりばったりの
自然さに折り合って
ゆっくりと解放されて行く
そういう時間に
自分から
寄り添うことではないか
2025/07/03
「〈なみ〉の方角」
暦は七月
一年の半分が過ぎた
年月が軽い
人生の半分は
とっくに過ぎてきた
こちらの年月も
同じように軽く感じる
残るのは
わずかな年月だ
だからどう
と言いたいのではない
どうして
こんなに軽くなったのか
知らない
薄くもなり
手応えもない
暦の上ではこれから後半
年齢からすれば晩年
幾つになっても
行き当たりばったりが
止まらない
今さら反省しても遅いし
そういう気もさらさらない
淡々と
前方に足を送る
これまでと同じやり方で
よろよろ行くが
いつも通りであれば
小さな棘を避けながら
怯みながら
脅えながら
進むことになる
2025/07/02
「寂しさの現在」
山深い森の奥に
逃げるように
救いを求めに来た
ひとりの若者の問題は
草木たちの放出する
メッセージ物質を
感知できないことにあった
人間たちや
他の動物たちについては
実証が済んでいる
どんなに森を探索しても
結果は同じだった
彼はその日から
平気な顔が
もっと平気になった
メッセージ物質の成分が
違っていることを確証した
けれども意外にも
彼にはそんなことは
どうでもよいことだった
孤独な命が
一人歩きし始めた
全てをさらけ出したら
メッセージが伝わるか伝わらないか
そんなことは
もうどうでもよかった
真空に孤立することが
墜ちないためのただひとつの選択
ながーいトンネルの中では
出会うことも触れあうこともなかった
そうして気づいたら老いていて
欠陥ある成り立ちを受け入れた
寂しい老人になっていた
興味をかき立てる物語など
ひとつもない
聞きたい物語もない
夜更けたとある高台の物陰で
すすり泣く徘徊老人がいたら
それはおそらくわたしだ
2025/07/01
「80億人分の1」
世界人口が80億人あまりとすれば
簡単に言うと
80億通りの生き方がある
と考えていいですかね
気が遠くなりそうだが
その80億通りの生き方を示せ
と言われたら速攻で「不可」
具体的な想像すら「不可」
80億通りの違った生き方
違った人生
考えや意見すらも
80億人分の1ということ
ひとりひとりが
自分の論理や計算にこだわって
貫いたらどうなるか
いやいや
全ての生き物は
そういうものだから
ぼくらもまたその中の
特別で且つありふれた
ひとりひとり
人混みに姿くらまして
証拠隠滅を図る
頭は隠すが
お尻が露わだ
2025/06/30
「言ってみたいだけのこと」
日常の状況認識は
感覚器を使って行って
充分用が足りている
つまりそれは人間史の
幼年期を表している
存分に感覚器を使った
幼年期の履歴は
以後の脳の活躍に
直接繋がって行きそうだ
それが何だと言われたら
後の句が継げない
年取ったので
毎日中途半端に考えて
中途半端に投げ出して
不甲斐ないことになっている
言ってみたいだけ
ただそれだけ
ふと老後も
感覚器頼りになっていて
感覚器だけで用が済む
脳は休みがち
感覚器は疲れがち
加齢によって「がた」も来てる
誰にともなく
ゴメンナサイ
が言いたくなる
2025/06/29
「〈範囲〉考」
今現在のこの国の成人は
一億人くらい居るんだろうか
多種多様な人生を
それぞれ送っているが
みな小学時代を経由している
それで言うと
今小学生で居る子どもたちは
未来には
現在の成人の
多種多様な人生の中の誰かに近い
人生を送ることになる
考えれば
それは当然のことではないか
小学校の先生だった時に
そういうことを考えたことがある
いつでも教育は頑張って
子どもたちを次のステップに
送り出すのだが
大きくなった子どもたちは
今の世の大人たちのように
あっちにあんな姿で
こっちにこんな姿で
世に讃えられる人にもなれば
世に疎まれる人にもなり
世に数として認識される
だけの人にもなる
社会人の再生産であり
反復でもある
だから犯罪者の予備軍もいて
そのことを含めて
子どもたちは大丈夫
社会内存在として
その範囲内の人間として
どうなるかは別にして
必ずどうにかは
なって行く
現在の社会を広く見てみると
十年前も二十年前もそれ以前も
さして変わり栄えしない
それは十年後も二十年後もそれ以後も
変わらないことを予測させる
人間は変わるが
社会人の在り方はいつの世も同じ
つまりそんなところで
世の中は安定している
安定して
子どもたちは
そんな世の中の
それぞれの大人たちへと
成長し変貌を遂げる
それで以前先生だったぼくは
子どもたちはぼくの助けを必要としない
そう考えたものだった
人間以外になりそうな子も
人間を捨てようとする子も
いなかったし
2025/06/28
「クーデター」
法令遵守の「上」と
法を破ることも辞さない「下」と
あちらこちらで
争い合っている
余裕の「上」と必死の「下」と
階層の近しさでは
ぼくは「下」の肩を持ちたいが
知に立てば
「上」の肩を持ってしまう
昔の「左」「右」の戦いは
同じ高さでの
主張の違いでの戦いだ
今の戦いは「上」「下」だが
主張の戦いと言うよりも
「下」からのクーデター
と考える方がより実際に近い
うだつの上がらぬ
知性の乏しい
社会の底辺の層が本気で戦ったら
これは相当手強いよ
ゲリラ戦よりも
もっと無法なゲリラ戦になる
これと似たやり方を
ぼくは文字でやってきた気がする
それで言えば
「もっとやれ」「もっとやれ」
と嗾けたい気もする
ただやり方がエグいので
どうかなと
それに煽動者は愚劣であると
ぼくの知が直感してる
ぼくはぼくで
矛盾があぶり出されるが
見るところ
煽動する者の目論見は
権力を握ることのようだ
であれば
そのクーデターは
狢同士の権力移動に過ぎないし
上からの本気の圧力には
必ず屈するだろう
必ず失敗に終わるだろう
2025/06/28
「そんな時代じゃないんだな」
この国をこうしたい
日本をこうしたい
と言う考えは
濃淡あわせて
ほぼほぼ成人の数だけあるだろう
それぞれが強く主張して
その為にどうしようかと言い合えば
もちろんまとまらない
民主主義下では
そうやって意見がぶつかり合うと
決まるまでに手間暇かかる
ここまでこのように
当然のように語る中に
間違いが一つある
とぼくは思っている
それは
「この国を」とか
「日本を」と言う捉え方や考え方だ
目を見開いて見た時に
視界のどこにそれはあるか
どこにもない
イメージしているだけだ
頭の中に浮かぶ幻想として
それらは構築され
存在しているに過ぎない
その上共同体を成す全体を
国を日本を
自分の考えひとつにまとめるとか
支配下やコントロール下に置くとか
そんなふうに考えること自体が
大それた我欲であり
間違いである
なんだかんだ言いながら
みんな金と組織的な力がほしいだけだ
と言うこともあり
それ以前に誤解や錯覚が
混じっている
それに気づけないのは
気づきの能力に欠けている
そうとしか言いようがない
最近の社会は
選挙なんかでもさ
多種多様な抗争が多くてさ
昔のヤクザ映画みたいに
「仁義なき戦い」が
あっちでもこっちでも
次々に弾けて止まんないな
やることが大人げない
知的スノッブ知的チンピラが
あちこち出没してさ
そんな時にひと言
「止めなよ」
と言ってくれる
「高倉健」や
「菅原文太」や
「裕次郎」も
もう居ないからなあ
心の底も抜けて
美学もなく
道理も条理もなく
もうそんなことを言っている
そんな時代じゃないんだな
2025/06/26
「見送る」
視界の背後流れる
透明な流れ
見たものをみんな遠くへ
運んで行く
運ばれるものは
灯籠でもなく魂でもない
切り取られた視界と
そこに張り付いた時間だ
高齢者は黙って
みんな見送る
スーパーの食品売り場
カートを往来させながら
店員のする
値引きシールの貼り付けを
視野に入れて待っている
そうその人もだ
背の側を流れて行く時間に
視界の全てを送り込んで
素知らぬふうに
見送る
見送る人たちは
時代の証人になることを
一様に固辞した
特段の意があってのことではないと
みな考えていた
そうやると少し
身軽になる気がしたと
その中のひとりの人が言っていた
2025/06/25
「嘘」
教育計画の作成全般を任された時
ベストは難しいとしても
ベターな出来上がりのために
みんなで一生懸命に作った
冊子が完成すると
まあまあの出来を喜んだ
誰が読んでも申し分のない教育計画
今振り返って考えると
その冊子が一番よくない
法が社会にとっての拠り所であるように
教育の拠り所は冊子の中に
詰め込まれている
何がよくないのかは明瞭で
分担して作成されたそれは
担当者の言葉で書かれてはいるが
個人の言葉で書かれたものではない
人間の言葉で書かれたものではない
例えば特別支援学級の計画もある
反論しにくい文言が
これでもかとかき立てられている
文字だけを読めば
とてもよい教育が行われようとしている
それもまた先生みんなで読みあって
納得尽くで掲載している
けれどもそれが
いま思うと真っ赤な嘘なんだよね
せめて教育現場だけでも
差別を生まないようにと配慮しながら
そもそも国家が社会が
健常者を主体とする仕組みに出来てるし
実際的な構図として
障害があると判定された人たちは
分離もしくは隔離されている
そういう意図はないよと言っても
真っ赤な嘘でしょ
気を使った言い方をすれば
無意識の巧妙な嘘でしょ
そうして学校も社会も
善意で行っているからと
平気でいる
ぼくもそうだったから分かるけど
関係者の取り澄ました顔を
思い浮かべてごらん
どこかの知事の記者会見みたいに
「俺は悪くない」「俺は正しい」
そう言いたげな顔つき
法律でも教育計画でも
差別がないようにすると言っている
その為にみんな努力していると
全部計画している通りで
法的な根拠に則ってやってます
というあの顔
言っては悪いが
アリバイ工作が完璧すぎる
そしてすべての困惑や疑義を
切り捨てる
そんな奧処の大悪を
見過ごす悪も大悪と言わずして
何と言う
むかしは当事者として
それが仕事だから一生懸命やった
でも考えれば考えるほど
どうも嘘っぽいなと感じていた
障害を持つ子はなにも言わないけど
知っていると思ったな
言葉にはしないけど
寂しさや悲しさを内に秘めて見えたな
一切を受け入れて
無抵抗に受け入れて
けれどもその子たちは
けなげに
明るく前を向いてもいたな
2025/06/24
「最強の戦士」
荷を負って山道を登る偉い人よりも
地を這う姿で無数の足に踏まれる
そんな人の声が聞きたい
そんな人の思いが知りたい
どうしてかというと
その余のものとは違い
そういう声や思いが
一番言語化されていないものだからだ
言語化されたものは
読めば知れる
聞けば知れる
そんなものはいずれ
ありきたりで通俗でもある
社会がどう言おうと
どう考えようと
現在の実際社会には
理想社会の片鱗もなければ
ヒントもない
だとしたらどこを探せばよいか
自ずと決まってくる
地を這って
声を失った人たちの中に
それを探さなければならない
地を這う人たちよ
地を這うわたしたちよ
わたしたちの中にしか
理想とする未来社会のイメージは
思い描くことは出来ない
考えても見たまえ
弱者とされるきみたちは
無数の幻想の足たちを背に負って
苦しく険しい戦いを
日々たったひとりで耐えている
それはそのまま戦いであり
必敗の戦いであり
讃えられることのない
報われることのない戦いを
長く孤独に戦い続けている
ぼくから見れば
きみは選ばれた戦士だ
非力であり非知であるゆえに
最強の戦士であり
誰もが嫌がり逃げ出すことに耐え
極限まで耐えて戦う
ヒーローのひとりひとりだ
その金剛力を
きみ
自分だけでも
分かっておくべきだ
2025/06/23
「修羅への出口」
若い短歌の文字生き生きと
口語を使う
同じ口語でも
老人であるわたしの為す文字は
明らかに亡霊だ
真似ても媚びても
その差異と違和とはどうしようもない
いつまでも陣を張る必要もないし
「ねばならぬ」必要もないさ
老いの歌は老いて行け
ただひたすらに下って行け
しかる後に白旗を揚げて
若き口語を讃えればいい
老いたる口語は
これよりあとは修羅に入り
修羅の道を統べる
そんな
無謀な道を行く
2025/06/22
「統括者と民」
宮城と言ったら仙台藩主伊達政宗
だが思い入れはない
他県の昔の藩主の名を聞くと
思わず業績や生存中の逸話など
比べてしまう
江戸幕府を開いた徳川家康と比較すると
こっちは少ししょぼいなと思ったりする
当時の農民たちは
その頃にはもう仙台藩は伊達家のもので
土地も住民も全て
伊達家の所有と思っていたのだろうか
見たこともない藩主の
家臣のまた家臣の侍たちのことは
やっぱり出会った時には
恐怖に襲われたのだろうか
仙台から五十キロも離れた
岩手との県境
往来の街道から遠い
山間の集落に暮らした先祖は
侍に会ったことがなかったかもしれない
子どもの頃のぼくらにしても
テレビもラジオもなく
道行くのは人と牛馬ばかりで
あとは一年を通して
せいぜい交流ある隣の集落の人を
見かけるばかりだった
年貢以外は
ほとんど関係らしい関係はなく
出会いも触れ合いもなかったろうが
藩主から庄屋から名主から
その言いつけは絶対で
逆らったりは出来なかったのだろう
田畑から何から
取り上げられても文句は言えなかった
全てはありがたく
お上からお借りしているもので
好き勝手には出来なかった
そんな頃にぼくらが生まれていたら
ぼくらもそうさ
現在だって
お達しは上からの一方通行で
逆らう手さえ
相変わらずいっこうにない
為されるがままで
ちょいとこうして物陰で
文字にしてみるだけ
ああしてそうしてこうなって
上下の構図は変わらない
うっとうしい
天の輩は大っ嫌いさ
「撃ちてし止まん」の
民の思いさ
2025/06/21
「次のステージの始まり」
あるところまで行ったら
それ以上は追い詰めるな
身体を支配するきみは
身体より上位にある訳ではない
かえって身体に紐付いて
始めから終わりまで
身体から逃れられない
きみは物質の攪拌で出来た細胞
そのまた集合からなる身体の
その内部に浮き出たまぼろし
きみが自分を「わたし」と呼ぶ時
きみはまぼろしを
自分だと決めつけている
けれどもそれは違う
きみは身体とまぼろしとで
初めてきみであり
ひとりであり
人間である
たかがまぼろしに過ぎないきみに
身体のきみを追い詰める
資格はないと知れ
身体から一歩下がってついて行け
まぼろしの意識よ
きみひとりで
全てを抱え込もうとするな
何なら目を閉じて
眠りの中に入り込み
明日まじまじと身体を見よ
一つ一つの細胞の
絶望とは無縁の生命力に
激しく驚愕せよ
その時きみは従の謙虚さを持って
積み上げた塔をガラガラと
崩し始めるのだ
それはきみの敗北だが
人間としての
次のステージの始まりでもある
2025/06/20
「老いの今日」
広く明るく
日差しが熱い夏日には
親戚も交えて
みんなで海辺に集う
水しぶきの中
行ったり来たりして
屈託なく笑う
もしかして
子どもの頃の夢の一つは
そんなだったかな
夢の夢の夢と言うものは
浜辺の砂文字
時間の波に洗い流され
かすかな記憶だけが
脳裏に刻まれて
いやいやいや
あれもこれも
むかしむかしは
何にもない
今日はそんな気分で
部屋の中だ
エアコンは効いているし
飲み物は冷蔵庫の中
目は閉じて
大きな液晶に
夢と記憶を混在させる
今日の午後も
そんなお一人様の長い時間
「しあわせ」だなって
心に大きな字を書いて
あとは
自分には聞けない
ガーガーの
苦しい鼾
2025/06/19
「無知や非知の底力を舐めるな」
現在の未接触部族は
細菌やウィルスなどを除けば
都会にもわりとすぐに
順応できる気がする
ぼくも山間の集落の出身だが
東京大阪でも大過なく過ごせた
そのままずっと
都会人として過ごすことも
出来たかも知れない
いろいろな刺激が都会にはあって
その刺激に呑み込まれて
日々対処するだけで
年月は過ぎたかも知れない
そういう運命ならば
ぼくらはその運命に順応するのだ
けれどもそれが
人間にとっての最適な生き方で
誰もがそうであるべきかというと
ちょっと首をかしげる
変な言い方だが
都会の刺激は麻薬のようだ
批判も否定もしないが
どこかに連れ去られて行く
そう危惧がある
ぼくらの身体はまだどこかに
最適な集落規模や
最適な人と人との距離
最適な人間認知の数量を
記憶している気がする
例えばみんなが幸せに暮らす
桃源郷のようなものは
過去に想像するのであって
未来には難しい
過剰に大型化した恐竜は
そのせいで絶滅した
環境の変動に
適応できなくなるまで
発達してしまったと言われる
人間は脳が発達して
心と精神を持つまでになった
心は身体に紐付くが
精神は屋上屋を重ねて
発達に限りがない
無学の徒であり
独想の徒であるぼくらは
せめて絶滅の時期を遅らすことが
出来ることではないかと考える
知と情とのバランスを
考慮すべきと考える
知や技術や道徳の
注入に走る子どもの教育を
真剣に遊ぶ方向に
シフトすべきと考える
子ども期の遊びの充実こそ
生きる喜びや
生きる力を育てるものと
考えている
そうしてぼくらの全ての考えは
無視されるだけだ
と承知しながら考えている
無知な子どもも
未接触部族の人たちも
精神の病への対抗力がついている
人間力よりも自然力
基礎のない人間力は
結構かよわい
無知や非知の底力を舐めるな
2025/06/18
「ぼくならば言っちゃう」
扇動は昔もあった
田舎者らしくデモに参加した
釣られただけなので
二度とごめんになった
似たことは
今も繰り返されていて
寂しく苦笑いだ
対立は
とても人間的だ
悲しい性だ
互いに憎悪を育んで
いいことは何もない
頭の為す技で
頭が得意とするところ
左右もあれば上下もある
けれどもやっぱり
上下を競っている
言葉が武器に使われて
それは本意ではない筈なのに
荒げた声に乗っかって
ビュンビュンと飛んでいる
どうせどっちが勝ったって
政治は〈不耕貪食〉
〈直耕〉を嫌がる者の
なんて言うか言い訳の倫理
らしい鎧を着込んで
勇んで見せているだけ
本当の弱者って
それだよ
別名は卑怯者って
ぼくならば言っちゃう
※〈不耕貪食〉〈直耕〉は、江戸時代の安藤昌益の造語。
2025/06/17
「〈知〉〈情〉のもつれ」
身体のない頭脳は
自然の認知と体験を
過小評価する
ほぼAIと同じだ
こうした自己矛盾は
時代により
尖鋭化されつつ
限界へと運ばれる
歯止めが利かない
どこかがおかしい
そう気づいた時には
すでに手遅れだ
「愛だ」「思いやりだ」
と口々に言い始めた時は
気をつけた方がよい
人間性が豊かに深くなった証
でも何でもない
ただ単に心が冷めて
消失した自然感情の代わりに
頭脳が代替する
まるっとこの世を見渡せば
あちらでも
こちらでもほら
存在喚起とは別のルートで
「情」を言葉化する
そんな兆候が見えている
危険を知らせる
アラートが鳴り止まない
気をつけろ
〈知〉〈情〉がもつれている
2025/06/16
「言葉の旅」
ぼくの言葉の始まりは
「美は美」と
きっぱり書いた時
卒業の寄せ書きの
空いたページの真ん中に
万年筆を押しつけて
一瞬で離れて行く不思議
感情が
いくつもの夜の葛藤が
朝の沼地を一斉に
飛び立つ雁の群れのように
文字から飛び去った
たったひとりの人に
贈る言葉とは
そういうことだった
届かぬということ
返歌がないということ
その寂しさは鮮烈で
いま思うと
運命に憑かれた
そこが初源だ
「美は美」だなんて
なんて稚拙だ
今はそう思うが
なに今だって
それに代わる言葉が
使えているわけじゃない
あれからずっと
探す旅さ
2025/06/15
「夏物語」
もうすぐ夏が来る
峠のような夏が来て
超えるか超えられないか
と言う話
55年前の夏は
大阪万博住友童話館
概要にも紹介にも記載されない
バイト仲間の青春物語
広場の噴水のしぶき
つぶつぶの光と影
牽引されるように
楽々と
夏をまたいだ
あの頃
賑わいをなくした記念公園
みたいに何となく
低い骨密度の老人
すっかりスカスカになって
酷暑の夏がまた来るのだと
意気消沈
あの夏と同じように
心に心を秘めながら
匂い立つ青さに苦さ
もういいわ
知らぬ間に項垂れて
知らぬ間に目も閉じて
知らぬ間に夕暮れになり
夕飯を告げられる
秘める中身がまったく違う
飯食って
風呂に入って
すぐに寝る
2025/06/14
「消えた蛍火」
ある年までテンプレートを追いかけて
いい加減に飽きも来た
あれもこれも破り捨てて
最後に一つと決めた
泥だらけにまでなって追いかけたドロドロ
網で濾そうとして泥で目が詰まった
道は二つあった
愚直に泥の中に住むことと
鮮やかに手品使いをすることの二つ
ドロドロには先駆がいて
ぼくはその人の
どこまでもどん底を墜ちて行く
這いずりに感銘していた
なので意味のない
徒労と不毛に向かう殉教を目指した
ぼくの考えではそれは
イエス・ノーの無限の問いに
ずっとノーを選択することだ
万人が避けて嫌がる方に
黙して向かうことだ
ドロドロとした暗いかたまりを
水晶や瑪瑙に変えるやり方もある
拒絶したその人は
泥の中に沈んで
どこまで行っても救いのないままだった
真も美もこしらえなかった
ただその人が力尽きて倒れた時に
ぼんやりとした蛍火みたいな明かりが
その人を去って空に消えた
あれからぼくは
誰の助けも借りずに
消えた蛍火を追っているんだな
彼の言葉には蛍火が憑いていた
それはもう勢い盛んな科学のせいで
誰の目にも心にも
見えないものになっている
2025/06/13
「弱者の闘い」
弱者の側に立つというのは
どういうことか
分からぬ人がいるかも知れない
ぼくも弱者の側にいたい
そんな傾向を持つが
そんなぼくだって
はっきりと分かっているわけではない
ただやむを得ず仕方なく
そうなってしまって
けれども人間だから
徹頭徹尾弱者であり続けることは
至難のことだ
自分を弱者に置く闘いの仕方は
ずいぶん以前に
「死の棘」の本によって学んだ
勝ち目のない闘いを
けして優位に立たずに
闘い続けると言うこと
それでも一度や二度は
いやそれ以上
他者の生涯を狂わせてしまう
と言うことはあり
そういう履歴だって消さずに
背に負ってはじめて
弱者としての闘いは闘いとなり得る
難しいことなのだ
天空から垂れる
一本の蜘蛛の糸を掴もうとして
苦し紛れに手を差し出したとたんに
強者の叩き伏せる闘いに変じる
だから難しいことなのだ
弱者のままでする
弱者の闘いというものは
負け続けなければならない
勝てば自動で転換・反転し
たちまち寂しく敗北する
弱者に勝ちはない
負け続けることをやりきって
やっと解放される
そんな
馬鹿げた闘いだ
2025/06/12
「小人の救い」
社会人としては用なしになった
どんどんとひとりの世界にはまって
抜け出せなくなる
反対から見ると悠々自適の生活
金が足りないのを除けば
Bランクの家電に囲まれ
ひどく安直な出家か隠遁ぐらし
だが根っからの俗人
ここ十年ほどは毎年の宝くじ
一等五億円を夢見てきた
そうして毎日
当選した際の使い道を考えている
高級住宅への買い換え
車も外車にして毎日外食する
ステーキにマグロの食い放題
なんだろうね
文字ではいかにも
清貧の暮らしが楽しいと
余裕さえ見せていたのにね
ずいぶんと俗なんだな
しょうがないよね
人間だもの
生まれ育ちから
今日までの全てを
同じように辿ったら
誰だってこうなるよね
大善をなさなかった代わりに
大悪もなさなかった
それだけが救い
だよね
2025/06/11
「生き延びる宗教」
上手く広がり
長く生き延びた宗教は
金ぴかに飾ったり
俗に言えば
たくさん金を集めていそう
例えばキリストなんか
元々はそんな既成宗教や権威に向かい
戦いを仕掛けた側だった気がする
例えば親鸞なんか
大伽藍なんか作ってはいけない
そんな教えだった気がする
それが代々続き
年々信者も増えて
2代目3代目のキリストや親鸞には
逆の立場で迫害する側に回り
例えそうではなくても
宗祖の教えは見る影もない
外から見ると金金金の豪商と
さして違わないと見える
江戸時代の安藤昌益は
庶民一般人より偉そうな人たちを
不耕盜食
不耕貪食
などの言葉で罵った
言うこととやることが違う
統治者の貢納の仕組みとは別の
巧みに人間心理を利用した
そんな仕組みを作ったと見た
やってることは
少しだけ見た目のよい
上品な搾取だ
人間の心が織りなす
慈悲や敬慕というまぼろしを除き
関係の客観性へと抽象すれば
それは実にその通りだ
弁明は効かない
想像では
人間キリストも
人間親鸞も
今では考えられないくらい
荒々しかったに違いない
先陣を切って既成の観念に立ち向かい
時に傷つきぼろぼろにもなった
今はもう穏やかになり
風景の一部となり風物詩となり
駆け込み寺みたいな
そんな立ち位置になっている
引きも切らず
新興宗教が起こる所以だ
2025/06/10
「北極星に代わるもの」
脳が発達して
意識と言葉とが発達して
それは生存のための
また種の保存のための
人間的な道具にも武器にも進化して
最終的には社会生活と
維持する為の兵器も大量に作り
繁栄の裏では
一切を滅ぼしかねない核兵器を
持つまでになったんだ
ずいぶんと無理をして
危ない道を
まっすぐに来たのかなあ
見渡せば誰もが幸福や平和を願い
その集積が
高度な文明社会と
物的な豊かさを手にした
それは賢くて勇気ある
我ら共同体の誇りと言いたいのだが
どうかなあ
その後をひたひたと影が追い
そのことで
地球全体がざわつき出してもいる
この不安定さを超えるのも
意識と言葉に頼るしかないのだろう
このまままっしぐらに進めば
繁栄といっしょに危機も増す
欲張りでない方が好戦的でない
つまりこれからは
不戦や非戦の方法の確立
そのことが大事になるのかな
そのために
これまでは弱さと見えたものを
どう取り込んでいけるか
これから未来に向かう意識や言葉の
一番の考えどころだろうな
固定点としての北極星に代わるもの
それは現在でも依然として
庶民とか大衆の
生存の形態に潜んでいる
日中には見えないが
天空のあの方向に
あることはある
2025/06/09
「人体と『わたし』考」
人体は37兆個の細胞の集まり
そういわれてもピンとこない
それらがまた臓器や器官として組織され
独自に機能し働いているらしい
ここで想像してみるに
まず37兆個の細胞が個人事業主のようにいて
所々で手を組んで中小企業として展開している
そのうちの優良なものは
例えば脳や心臓のような大企業となって
大規模な運営を行っている
つまり何か人体が一つの社会のように
巨大ネットワークとして繋がり
いろんな動きをしている
そこにはもちろん全体的に
神経網や血管網が張り巡らされ
メッセージ物質エネルギー物質などが
せわしなく行ったり来たり動き回っている
これらは全て人体が勝手に行っていて
意識としての「わたし」は
ほとんど関知していない
「わたし」は朝に目覚めさせられて「わたし」となり
日中は「わたし」として外界に相渉り
夜は眠りの中に眠りこむ
人体はというか各細胞は
どうやら寝ても動き起きても動き
死ぬまでは何かしら動いているようだ
その動きは喜怒哀楽などで止まるものでは無い
「わたし」が絶望しても人体は絶望などしない
人体が力尽きたら
黙っていても「わたし」は終わる
「わたし」はその道理から
あまり離れない方がよい
2025/06/08
「肝心なこと」
一方では宇宙を遍く観察し
また一方では
微小な細胞の中に分け入り
さらに微小な物質を
観察できるようにもなっている
まるで極大と極微が呼応するように
空間と時間が切り裂かれ
どこまでも拡張して行くかのようだ
こうなるとぼくらの目には見えない
一つの細胞の内部が
宇宙空間の広がりを持って
映像として提供されたりもする
そこにはまたさまざまな
エネルギー物質とか
メッセージ物質などが飛び交う
なるほどね
細胞も宇宙もある意味
精密精巧な仕組みで成り立ち
危ない均衡の内で
危うい秩序が保たれている
そんな感じ
少し均衡や秩序が崩れたら
とっても危ないって事だ
奇跡とは
こういうことを指すんだな
だからほら
ぼくらはみんな奇跡だ
きみもぼくも
自動で重心を調節し
危うくバランスを保っている
そんなひとりひとりだ
どこかでバグが起きてしまえば
とたんにバランスを失って
「またね」って話だ
奇跡というのは
致命的に脆いということだな
きみもぼくもこの世界も
意識以外のところで
言葉以外のところで
肝心なことは
進んでいるんだな
2025/06/07
「いっとう美しい心の動き」
子どもの頃に憧れ
心酔したとまで言える人は
たいてい身内や身近にはいなくて
テレビやラジオや雑誌などで見聞きできた
スター性のある人たちだ
性格的に明るくて
技能や技術に長け
ひときわ目立って活躍する人
力があって強い人
また多くの人に慕われる人
たくさんのファンに囲まれる人
それらはすべて
自分にはないものを持っているという人で
裏を返せば羨ましかったのだろう
それは子どもらしい率直な反応で
子どもの理想的な人間のイメージは
そんなものだった
それが多くの大人たちにとっても
憧れであったとすれば
大人たちにとっても
適わぬ自分の理想のイメージ
と言うものだったのであろう
自分と理想のイメージとには
大きな隔たりがあり
昔から人たちはそういう問題を心に抱え
苦心惨憺を重ねてもいた
裏を返して言えば
それだけ自分を理想の高みに
引き上げると言うことは難しいことだ
けれどもそこからさらに裏を返して言えば
憧れや理想に近づくことが
本当に良いかどうかひと言では言えない
例えば宮沢賢治という詩人は
反転して「デクノボウ」になりたいと言った
例えば太宰治という作家は
足下に咲くタンポポ一輪に目を向けた
大人になり老人にもなって
ぼくもずいぶんと考えが変わった
少数者であるとか異数者とか
そんな人たちの
寂しさや悲しさに
心を奪われるようになった
人間としていっとう美しい心の動きは
そこにある
そう感じるようになって
だがそこはまだ
自分だけの秘密にしておいて
口外しないようにしている
2025/06/06
「縄文との再会」
未だに原始生活と見える
アマゾン流域に住む非接触部族の人々は
例えばこの国の
縄文から現代へと続く
その共時の歴史的な時間を
どう過ごしてきたのだろうか
見かけは半裸状態だから
文字もなく発達もなく
何一つ変わらぬ風俗や風習のまま
縄文からの一万年と同じ期間を
無駄に不毛に暮らしてきたばかりなのか
つまり彼らの精神は
一万年前の精神そのままなのか
安易に接触して
確かめることも出来ないのだろうが
ぼくは違うと思うな
その間の頭や心の働きは
実は文明国のそれに引けを取らない
そのように働き動いていたと思う
文字化せぬ言葉は
自分たちの生活の必要以上に
変遷しはしなかっただろうが
変化が少なかった分
一つ一つの言葉には重さと深さとが
加わったのではないか
時間の経過は
そこに見ることが出来る気がする
文明国に生きるわたしたちとは
大いに価値観が違っていて
その意味では停滞の一万年の空白の
その内実がいつか解き明かされて
知られるようになったら
きっと二つと無い
驚きに変わる
2025/06/05
「届かぬ声・受け流される声」
一般人のぼくたちには
現在のこの社会がこのようであることについて
誰に責任があるのか分からない
また日々目にしているこの社会が
ぼくたちにとって感謝すべき
よい社会であるのかそうでないのかについても
ひとことで言えないところがある
貧しく孤独であることを除けば
周囲には温暖な気候そのままの雰囲気が漂う
だがテレビやSNSで流れてくる情報は
社会の中に陰惨な事件が頻発し
毎日が我欲のせめぎ合いで
あちらでもこちらでも争い混乱していると教える
もちろんそれらの情報の中には
限りなく美しく優しさの物語も含み
自由や平等や平和を望む
人間の優れて良質な理性が紹介されたりもする
この混沌とした現状の社会を
ぼくらはどう見たらよいのだろうか
言葉にするとつい悪い点に言及しがちだ
あんな事もありこんな事もあり
全体としては絶望的だと言及することもある
もちろんそう言ってよいかという疑義も交えてだ
けれどもやはり自分の実感として
不安もあり寂しさもあり
奧処には溺れてしまいそうなほどの悩ましさが
地下湖のように満ちていたりもする
それ自体がぼくたちの我欲
あるいはその裏返しであるのかどうかも分からない
そうして日々それらを
自分を取り巻く牢獄のように感じて
引き摺るようにそのまま一緒に行くほか無いと
諦め覚悟しているところもある
ぼくらは力なく遠い以前から
一切の責任は誰にあるのかと問うてきた
その答えはいつも同じで
誰にも責任を問うことが出来ない
強いて言えば国家社会の責任は
現在においては日本国の総理大臣にあるのだが
けれどもその責任は各省庁の大臣に分散し
それはまた官僚に分散し
組織や機構に分散し
最後には選出や任命の国民へと分散していく
つまりは自己責任という所に終結する
冗談じゃ無いよと思うけれど
それがこの国と社会の根幹の仕組みとなっている
実に馬鹿馬鹿しくて
こんなもの全部廃棄だ放棄だ解体だと叫んでも
国も社会もその現実と現状は微動だにしない
やんなっちゃう
うんざりする
社会参画をしろと言うから
思いのたけを述べてみるが
この声はどこにも届かない
届いても右から左に流される
2025/06/04
「老いの日課」
喰う道が
尻すぼみに閉じて行く
それは怖いことだ
自分の心や言葉が
徐々に薄く消えて行く
それも怖いことだ
生きていく中で
怖いことがいっぱいになって
けれどもその時に
わたしの中で
恐怖は反転して怒りに変わる
そうして怒りは
それを表す言葉へ向かう
(すると言葉はひとりでに始まる)
死ぬまでは
生きなければならない
生きるなら
すべてに抗わなければならない
重力にも抗しなければならない
気圧気温の変動とも戦い
さまざまに変化する自然現象にも
抗って行かなければならない
そうして最も気をつけるべきは
わたしたちが属する社会内において
末すぼまりの未来や
閉じて狭まる空間を怖れる心とも
戦って行かなければならないことだ
心はみんなまぼろし
何度でも消えてはまた蘇える
心こそが「わたし」を名乗りながら
わたしにとっての最大の敵なのだ
心を疑え
すべてを疑え
(ひとりでに言葉は去って行く)
(一つのメモが残されている)
朝起きて心を洗い流す
午後には心が作られはじめ
夕べには心が出来上がる
夜には
心に影が忍び込む
2025/06/03
「自他を救う一つの方法の試案」
野生の生き物たち
動物にしても植物にしても
死ぬまでは生きて
それぞれに
それなりの生活を営む
基本はみな同じで
精一杯に生きて
力尽きたら倒れる
そんなふうに大きく捉えたら
ぼくら人間も同じだ
同じように
生きてる間は何かをして
最後にはみな倒れる
人間や人間社会は
その間に何をしたか
どう生きたかを随分気にする
人間だけは
そんな生き物だから仕方ないが
あんまり気にして
息苦しく感じられる時は
自分も動植物と同じと考えると
少し気が楽になる
どんなふうに生きようと
基本は同じで精一杯
喰うこともあれば
喰われることもある
ストレスやトラウマから
自滅することだってある
規範に縛られて
なんだか人間の世界だけが
狭苦しく窮屈だ
少しだけ
動植物世界にシフトして
たいていのことは
どうでもよいことだと思えたら
自分の生き方を否定しない
その為の助けにはなる
普通が苦しい
そんな感受性を持つ者たちは
人間だけの世界では
なかなか救われない
2025/06/02
「ぼくにはよく分からない」
現代の同時代人
未接触部族
自主的に孤立している先住民
彼らの存在はぼくを鼓舞する
現在に自主的に孤立する
まるで引きこもり者のようだからだ
そういう生き方の可能性を
示してくれている
若い頃は
アメリカやヨーロッパしか
眼中になかった
なので彼らの存在を知ったのは
たぶん壮年を過ぎてだ
それでもそれは
ただの驚きでしかなかった
それから少しして
世界的な引きこもり種族
ひとまず
そんな捉え方をしてみている
現代の同時代人
引きこもる現代人も
未接触部族も
同じく今この世界に
横並びに点在している
それらが現在世界の現在社会に
すべて取り込まれてしまうのがいいか
ぼくにはよく分からない
おそらくは接触をし
同時代人同社会人として遇するため
現代の高度文明社会を創造し
またこれを是とする側は
慎重な誘いをするのだろう
もちろん彼らへの理解と敬意とが
十分に熟さなければならないし
そのための準備と配慮とが
尽くされなければ
上手くいくはずがない
どう遇するべきか
そこには人間社会の真価を問う
最後の問いが問われている
と心してかかるべきだ
2025/06/01