「てならいのうた」
「〈生産性〉考」
生産性という観点から社会を狭めてしまった現在
社会は自然における生産性と破壊性から破壊性を差し引いた
極めていびつな生産性至上主義に陥っている
だが自然が恵みと災害とで自然であり得るように
二つで一つという摂理は人間社会と言えども共有する筈である
生産性に偏った現在社会は非生産性を切り捨てる
健常者と非健常者を識別して非健常者を蚊帳の外に並ばせ
丁度戦時中の諸外国にできた日本人居住区のように
あるいは同じく戦時の旧優生保護法のように
もっともらしい理屈を付けて人権侵害をし続けることになる
見え見えの切り捨ては今も横行する
生産性の追求からの高度文明社会の樹立
現在のような豊かさ便利さ快適さを人質にして
生産性社会は同じ方向を向いた契約で更新し続け
あるいは信を問う解散総選挙をこれからも行おうとする
ぼくらが今目の前にしているのはそういう問題なのだ
人間の尊厳とか人権だとかの言葉をどれだけの重みで捉えているか
言葉の人となることを肯定しこれを選択するというのであれば
自然界と同じく生産性と非生産性とで一つというように
この社会を立て直していかなければならない
生産性と非生産性の共存とは
まず生産性という概念を放棄するところから始まる
またその概念に含まれた健常と障害の概念も放棄される
あるのはただ人間の子どもという概念だけで
一つの学級一つの教室が創造性と破壊性とで運営されるのである
学習効率は低下するかも知れない
日々の些細な諍いや軋轢は頻繁に生じるかも知れない
ただ自然社会の世に似て恵みと災害との両方を体験することになる
生産性や効率性だけを追う教育はいびつである
そういう教育を施行させている社会もまたいびつである
そういうところでは人権や人間の尊厳の学びもいびつになる
2026/03/02
「臭い言葉」
物価高になってチョコレートも買わなくなった
どうしても買わなきゃいけないもの
それはトイレットペーパーと消臭スプレー
そう言えばむかしは消臭スプレーなんかなかった
今ではどうしても欲しい商品になっている
子どもの頃は便所は臭い
そういうもんだと端から思っていた
田舎だからぼっとん便所で臭いとかのレベルじゃない
ただ不思議なことにそれ以上でも以下でもない
年がら年中臭いのが当たり前だった
新規の便臭は古い強い悪臭に紛れて消える
現在の水洗トイレは革命的だが
我が家のトイレは小さな個室で臭いが籠もる
窓を開けたくらいではだめで
前の人の便臭が残ってすぐに分かる
それなので
消臭スプレーは必須のアイテムになる
不思議なのは自分の便臭は余り気にならない
臭ってもなぜか許せる
だが家族でも自分以外の臭いだとイラっとする
ちゃんと消臭してくれないとと少し憤る
おおらかな気持ちでいたいが気になる
この気になり方が我ながら変な気がする
許容の範囲が狭くなっているのか
些細なことでも許せなくなってきているようだ
このごろ気になる臭いは便臭だけじゃない
人の口から発する言葉も臭く感じるようになった
社会が一つの大きなトイレになったように思う
社会全体に便臭ならぬ個々人の言葉臭が漂っている
ぼくらは言葉臭にも敏感になっていて
その臭に互いに激しく反応するようになってきた
言葉臭の消臭スプレーはまだないので
みんな口汚く罵り合っている
いやそれはだめでしょうと思い
当面は自分の言葉臭に気をつけ気を配る
消臭方法のない現在では
対処法はそれくらいしか思いつかない
2026/03/01
「小さな力」
はじめに不登校になった子たちはどこへ行ったか
ずいぶんとつらく険しい道をその後に歩かされたかも知れないが
見てみな君たちの小さな力が流れを作り
今では大河となって学校から社会から国からをも動かす力を持ち
未来には学校が不要になるところまで追い詰めつつある
もちろんまだそう言うことになるかも知れないぐらいの段階だが
少子化からの国や社会の衰退によりもっと混乱し
大所帯は維持できなくなって消えていくんだ
もちろんその時には公の指揮下の学校も消えているさ
いいかい不登校を始めた人たち
君たちの小さな力が大きな力を超え始めている
大きな力が小さな力を無視できなくなって認め始めたんだ
不登校という無意志の意思表示に屈服して
自らを変えていくことしかできなくなってきたんだ
だからそうした意味では君たちは先駆者だ
国や社会が変わったきっかけを君たちが身を以て拵えたのだ
そのおかげで不登校も広く認知され
負い目を感じる必要はないと
一つのあり方なんだと認められるまでになったのだ
そろそろ胸を張ったっていい
苦しんだ時間を返せと叫んだっていい
2026/02/28
「ある即興的な反応」
案の定一人の権力者のために
間接的にとはいえ犠牲になった人たちの
追悼の戦は立ち消えになりそうだ
理由は組織の財政破綻という新たな問題で
地域住民の暮らしが脅かされる懸念が生じたから
いつまでも対立分断していたら
全体を巻き込んで泥船諸共沈んでしまう
車の両輪の一方がそれを案じて一方にすり寄った
終わりはいつもこんなだ
毎度毎度見せつけられてきたことの繰り返しだ
人一人の命が大切だと言いながら
ある困難な局面を迎えると
途端に前言を翻すことを平気でする
仲間内でもそうなんだから
そんなことはとっくに知れていることだから
自殺者も後を絶たないよな
そういう人間たちでできているんだ
この社会の組織も何もかもが
一人っきりでは戦えないから手をつなぐんだろ
一人っきりでは生きていけないと脅して
正義や真実の腰を砕けさせてきた
言葉にも行動にも責任を持たないやつが多すぎる
そうして時代が進めば進むほど
そういう人間の数が増えてくる
自殺者を出しても躍動する県政なんだと
人間には絶望だよがっかりだよ
神がいたらきっとそう言う
何とかならんだろうかダブルスタンダードや二枚舌
そう言う連中がこぞって言うんだ
未来によりよい社会を作りますとかなんとか
未来なんて言うんじゃないよ今だろ今
今現在にも責任を負えないくせに
未来を作るなんて言うんじゃない迷惑だろ
今上に立っているものは上に立つ資格がない
未来なら誰が手を下さなくても
ひとりでにやってくる
ぼくらの願望が未来を運んでくるのだ
むしろそのほうが未来は明るい
2026/02/27
「ふつうのことば」
ことばの背景をたどり歩くうちに
背景のないことばとは
すれ違うことが多かった
けれども背景のない
行き当たりばったりの言葉こそが
面白いという人がいる
あちこちで背景のない言葉を集めては
そこにはっとする気づきを見いだす
ぼくにはまだ難しいのだが
背景を探す旅に
まだ成果が見られない今
そういう見方考え方があるなって思う
何よりも平易なのがいい
ふつうの庶民もふつうに楽しめる
そういう表現の輪が広がれば
明るくハッピーに
こころもことばも大写しになり
再び人間らしさが注目される
文句を付ける筋合いは
ぼくにも誰にもない
2026/02/26
「気持ちだけとはいえ」
結婚して
妻子のために尽くす
と言うことをさせてもらえた
借り物の立場だが
小さな組織の上の立場に立って
身近な人のために尽くす
そういうことができた時もあった
とてもとても
考えるほどに人を助けること
救済することなどできなくて
仮にできたとしても
その数は数人にも満たないだろう
腕力か権力か財力か
そのどれにも縁がなかったので
すべての人を救済したい
そう考えることが
そもそもの誤りに違いない
違いないがまたそれは
この国に住む人々の
古からの悲願であり祈願であり
代々次の世代に憑依し
受け継がれ続けてもいる
気持ちだけが先走って
ぼくらは何もやれていない
そうして時々は
この気持ちを重荷に感じてきた
手放して逃げて
手放して逃げて
そのほうが誠実であると
考えたこともあった
けれどもそうすれば
ぼくらは明るくなれたかもしれないが
明るさは暗さを置き去りにする
現実の矛盾に目を塞ぐ
救済の気持ちの放棄につながる
気持ちだけでも持ち続けなければ
未来はもっと暗くなる
現在よりももっとだ
そんなことを許容していい筈がない
2026/02/25
「なぜ初源を問うか」
政治の初源は
太古の家族の年長者
からの
親族の中の最年長者
からの
氏族の中で最も聡明な年長者
が氏族長に立ち
様々な差配で取り仕切る
そこから氏族が連合して
部族を形成するようになると
今世紀に続く政治の始まり
数人の氏族長を候補者として
誰を部族長に選ぶか
あるいは選ばれた部族長に
反旗を翻すか
混乱必至な国家規模政治が始まる
太古に初源を持つもの
ほかに言葉があり歌があり
もちろん人の心もある
ほかに日本社会の初源
階級や階層の初源もある
それらのものをひっくるめると
どうやら農耕の始まり
穀物の貯蔵
富の蓄積との関係が見えてくる
集団が大きいほど収穫が増え
時間とゆとりも生まれ
知識や考える力も増し
儀式や装飾なども発達する
太古の産業革命
爆発的な初源からの
戦いの始まり
集団として生き残る
集団として繁栄する
それはそれでいいのだが
ぼくの遡行の目的は別にある
ぼくらが暗く孤独なのはなぜか
君たちが貧しく
下層に沈んだままなのはなぜか
考えていたらいつの間にか
初源に向かっていた
よりよい未来のイメージのためには
初源初動を知ることが
必須と思える
そういうことをしなくては
曲がったレールは曲がったまま
未来にも敷かれてしまう
だからまだしばらくは
初源を訪ね
初源を問い続けるつもりだ
2026/02/24
「雪解け」
窓の外は
梅の香ただよう陽気
若やぐ心して
洗濯を終える
蕗の薹は芽を出したか
すでに花開いたか
校舎の脇に咲く福寿草の
蕾は膨らんだか
雪解けの山の麓
閉校に駆け回った日々
雪の中を一軒一軒
説明して歩いた
老婦老爺との
ポツリポツリの会話
最後の卒業式
閉校記念式
町場への集団移転
射撃演習場の拡張
目撃した
あのときの日々は
あのままの形で
あの場所に
それからぼくたちは
ただ麓から離れて
2026/02/23
「言葉の近現代」
言葉の雨や洪水や津波で
ピチピチジャブジャブ乱乱乱
抱えた頭にジャブの連打
ジャブジャブジャブ
右ストレートにアッパー
何じゃこりゃー
とまあ言論空間はこんな次第で
式次第の卒業式
涙涙涙でピチピチジャブジャブ
グッドバイ人間失格
小さな群れへの挨拶は
なんとかしろ
そこそこそこに引きこもった神
ほっとけと言う仏
乱乱乱と
輪になって踊る言葉の近現代
2026/02/22
「昭和の教科書」
昭和の教科書で
教えられ学びもした人間とは
こんなものではなかった
目前に広がる現在社会は
自然を耕作するよりも複雑で
獣じみた人影や
能面をかぶった神仏や
ぱちくり目玉の悪魔たちで
ごったがえす
元は素朴な人間だった
黙々と野良仕事に精を出した
一仕事終えると畦道に腰を下ろし
屈託なく談笑し合った
それが昔からの
人であり人の暮らしだと
教えられ学びもした
これからはより社会のために
他人のために
尽くせる人になる
そういう社会人になるんだと
確か学んだはずだった
昭和の教科書には
墨を塗らなければならない
人の暮らしは
教科書通りには行かなくて
少しも親和的にはならないと
書き換えられなければならない
生き残りをかけた
露骨な戦いの場であると
令和の参考書には赤い大きな文字で
そう書き足される
2026/02/21
「〈かわら版〉」
報道の初源で思いつくのは〈かわら版〉
これはまだ商売だったが
その色味は現在の新聞やテレビにも残る
報道やジャーナリズム精神と言っても
絶対的なものではない
たばこと肺がんの問題
温暖化の問題
原発事故の問題
続いている政治批判の問題
傍から見るとどこかしら〈かわら版〉的だ
大小の商売っ気を宿している
そして本来これはそういうものだから
そういうことが前提だから
SNSなどで批判するのは禁じ手なのだ
その手を使えば使う側も問われる
同じように商売でしょうと
だがSNSは調子に乗りすぎた報道や
ジャーナリストたちに
冷や水を浴びせて反省を強いた
その功績は認められる
この国のメディアはすべて
いまもって〈かわら版〉的である
そのことが露呈した
報道メディアの基本は
事実の積み重ねが基本だ
媒体が新しかろうが古かろうが
そうでなければ
〈かわら版〉を自称すべきだ
つまり色物だと
はじめからデマや中傷だと知れば
ぼくらだってそれなりに
付き合い方も考える
2026/02/20
「白い世界と黒いぼく」
白い世界と黒いぼく
白い世界の中にぽつんと黒いぼく
目立っている
それはぼく目線だから
俯瞰すると
ぼくは黒くてもちっぽけなので
大きな白の中に消える
そうすると
もしかすると世界の白は
人たちの黒で出来ているのか
黒が白なのか
それとも人は黒なのだが
人以外がみな白で
人の黒は吸収されるのか
どっちにしても
ぼくの黒には意味がない
いま白い世界から
お出でお出でをされている
黒いぼくが白くなる
2026/02/19
「彷徨」
世界の総人口八十二億
知らないのだ
愛せないのだ
ぼくは隣人のことだって
家族のことはどうだ
自分自身はどうだ
知っているか
愛せているか
アイの音
あいの響きに
酔いしれた過去
彷徨ういま
2026/02/18
「バレンタインの贈り物」
カーテンの隙間から漏れ入る日差し
薄暗い部屋の中に
大海の小島のような明かりがひとつ
ポツンと届いた
世界からの秘めた誘い
ぼくへのバレンタインの贈り物
もちろんぼくは喜んでいる
二月の寒い中だもの
ふと日が陰る
太陽が雲に隠れた
いずれ風が雲を吹き飛ばすだろう
夢とか希望とかの本質はそれだ
まだ目が見えて耳が聞こえる
おぼつかないが手足も動く
これだけの装備があれば
大気の中を苦もなく泳いでいける
憧れの魚たちの旅を
どこまででも
追えもする
2026/02/17
「自分に対する嫌がらせ」
稚拙な表出を怖がってはいけない
未熟さがあからさまになるからと
隠してはいけない
表現は遊びである
そう思い込めば気が楽になる
それに表現は
自分に対する嫌がらせである
そう思い込めば
さらに気が楽になる
それで行こう
今日も明日もそれで行こう
2026/02/16
「ねずみの嫁入り」
江戸時代には農民が9割と言い
現代では5割強がサラリーマンと聞いている
そうすると江戸時代では
農民であればごくふつうの人
現代では5割強のサラリーマンがそれに当たる
それぞれの時代で
職業別就業者数第一位を占めていると言うことは
その層が一番社会に貢献しているということ
ひとりひとりは平凡だろうが
結集した力は社会の基礎や基盤を為す
その層が一番偉いってことで
これはもう「ねずみの嫁入り」だ
政治家が職業別就業者数一位で社会を支えたら
政治家が一番偉いってことになるし
学者が職業別就業者数一位で社会を支えたら
学者が一番偉いってことになる
そういう理屈で
医者や報道記者や宗教者や
その他のいろんな職種を並べてみても
一位で社会を支えられるそんな職業は他にない
政治家でも学者でも9割いたら大迷惑だ
社会は即崩壊する
ふつうの農民が9割いて
ふつうのサラリーマンが5割強いてこそ
それぞれの時代で他の職業も成り立っている
魚屋さんだって大工さんだって
それが現実でしょう
「ねずみの嫁入り」でしょう
太陽が一番偉いなんて言ってちゃダメだ
言われた太陽や雲や風はきちんと
一番偉いのは自分じゃありませんと
言えなきゃダメだ
江戸の農民も現代のサラリーマンも
自分たちが偉いと言わないし
考えもしなかった
それが人間の「ふつう」でしょ
2026/02/15
「仲良くすることだけは足りてない」
鎧姿の政治や文学は人気がなくて
赤ちゃんとペット
主に犬や猫との触れ合いは
視聴率で少なくても二十倍以上の差がある
癒やされたりほっとしたり
肩の力も抜けるから
断然こっちの方が好まれる
百倍以上の差もふつうにある
政治も文学も大事ってよく分かる
でもめんどくさいし楽しくない
よい社会に住んでいたら
そんな話題はなくていいのだが
そんな社会でもないから
困った人や何とかしたいと考える人は
政治や文学にも近づく
あえて難しいことも一生懸命考える
そうしてその上で
いろんなことも教えてくれるんだが
結局は考え続けることとか
倫理的に振る舞うだとか
息が詰まりそうなことになって
そんなふうな生き方は
そりゃあ自分らには無理だわってことになる
大方はふつうに生きること
ふつうの生活を楽しみたいんであって
それだってままならなくて
動画なんかに癒やしを求めたりしている
こんなんでいいんじゃない
赤ちゃんと犬や猫だって仲良く出来ているのに
どうして人間同士が競争したりいがみ合ったり
しているんだろうか
とても悲しいよね
いろんなことを発明したり発見したり
とてもとても人間って頭がいいと言われるのに
仲良くすることだけは足りてない
だからどうせなら
赤ちゃんとペットの動画を見て
先ずは仲良くする原点を学ぼうか
難しいことをしたり考えたりは
その後でいい
2026/02/14
「残余の記憶」
子どもがする印のように
その野には木や石が無数に並んで立つ
戯れに記憶をたどると
その石の下には干からびた蛙の死骸
木の下には裂けた通草の実が埋められている
よく見ると木や石には大小があり
平らな場所がひとつもない
心がする心の営みはそういうもののようだ
どうして蛙の死骸が記録されなければならないか
今のぼくには分からないが
いずれDNAのように解き開かれ
そこからたくさんのことが読み取られ
知られるようにもなるのだろう
些細な記録のいちいちに
重要な意味があったりもするのだろう
ぼくらはなめし革みたいな
平らな区画でしか思い出さないが
指で触れれば
心はもっとざらついている
ぼくらが重要だと考える記憶よりは
思い出に残らない残余の記憶が
心にとっては
重要な結節点かも知れないのだ
2026/02/13
「心は遠く離れている」
引きこもりすぎて
部屋が頭の中になり
頭が部屋の中になっている
よく分からないが
それだけになって何も支障がなく
別にそれならそれで
何の問題もない
時々寂しい気がする
時々悲しい気がする
どこかに置き忘れてきた心の
どこかで鳴る小さな着信音
ことある毎にわざと置き忘れた
心のバッテリー残量は
まだ空になってはいないのだろう
ぼくは頭の中で寂しくない
ぼくは頭の中で悲しくない
ただ時々そういう気がすると
遠くで着信音が鳴る
小さくかすかに
闇を越えて聞こえてくる
別にそれでも頭の中のぼくは
揺さぶられたりしない
ぼくは頭の中にいる
心は遠く離れている
2026/02/12
「分断の限界・統合の不可能」
分業や専業は同業同士は堅く結びつくが
異業種では話が合わない
その上個性重視が言われて
同業でもばらつき始めた
分断が限界値に達しつつある
こうなると趣味の細道で出会うか
もっとオタク化するかだ
つながりは細く薄くなって行き
不便や軋轢も起きる
個人間がここまでばらけてしまえば
この先は何でも自分でやる
必要なことは自分で産み出し
自分で作り出す
言ってしまえば自給自足化
そういうゾーンに向かうのかも
縄文時代がそうだった
分業や専業がなく
誰もが同じことを同じように経験する
その経験が共有されて
阿吽で通じ合う
そんな時代的転換が起きたら
進歩や発達は遅くなるだろうが
もう少しのんびりできて
互いに思いやれる
そんな社会になるのかも
それまでは孤独な寂しさに耐えて
孤独な寂しさの向こう側まで
ともに突き抜けて行きたいものさ
向かうは
あの桃源郷の面影
2026/02/11
「文字の背後」
縄文の冬の朝は
雪一面の林の下に
兎の小さな足跡を発見する
弥生に入ると
鉄製の薪ストーブの教室で
長の話に聞き入る
それを過ぎると
古墳時代以降となり
豪族に仕える
それからは仕える豪族を変え
転々と渡り歩き
退職して現代現在に至る
個の生涯は
歴史の記載に同じく波瀾万丈だが
どこにも記載されない
実の生涯は文字の背後に隠れ
文字を信用する者には見えないので
記載には意味がない
2026/02/10
「庶民に徹す」
ぼくら庶民には専門という専門はないので
政治を語れば政治家に負けるし
文学を語れば文学者に負ける
知識量も学習量も専門人には歯が立たない
個人が特定の分野に入れ込んで
生涯を賭けたら
それは確かにそう言うものだ
たくさんの情報をかき集め
時間をかけて読み込み解析して
そこから得られた知見を体系づけたり
まとめたりすれば一家言ある人となる
ただぼくが不思議に思うことは
それはそんなに偉いことかということだ
ぼくが感じるには何となくだが
世の中はそういう専門家を
殊更偉い人のように遇したがるし
調子に乗った専門家は偉そうにする
しかし生涯を狭い特定の分野に注ぎ込むことは
他の分野には手が回らない
頭を回せないと言うことでもある
昔の日本の主婦も専業主婦という専門家だった
家庭生活の分野は相当に熟知していた
専門性ということだけで言えば
専門とはせいぜいがその程度のものではないのか
何なら地域や家庭の伝統とか風習とかも加味すれば
主婦目線の深さの方を優位に見る見方も出来る
それから何より専業主婦たちは謙虚だった
自信はあっただろうが
殊更専門性を誇示しなかった
大きく国家国民を案じるから
政治家や活動家が偉いなんてことは特別ないさ
人間性を深く探究するから
文学者が偉いなんてことも特別ないさ
それらに生涯力を注いだとしても
たくさんある分野の中のただひとつに対してで
専門なくぼんやり生きたとしても
ぼんやり生きた専門家のうちのひとりになる
つまりそれだって専門だ
要するに誰もが同じってことになる
大きくメディアに取り上げられるから
自分は大きいと錯覚してはいけない
そういうことは決まって水物だ
庶民の無知をこそ畏れよ
それを超えたところに非知が広がり
すべての知はそこに向かって
静かに着地して行くべきものだ
2026/02/09
「人界の摂理」
適者生存か弱肉強食か
自然界の摂理は人間界にもあり
人間の日々もまた
生きることは容易いものではない
そういう一面はある
教員時に悩んだことがひとつ
生きる力として
できる力わかる力を身につけさせる
そんな目標があった
半分納得し半分疑問を覚えた
目標は各家庭や子ども等にも喜ばれる
そういう性格のものだ
一方ぼくが疑問に思い悩んだのは
これは子ども間格差を付けることではないか
というものだった
こちらに喜ぶ子ども等がいて
あちらに落ち込む子等がいてということに
なりはしないかと思ったのだ
また各学校間の競争にもなりそうなことを
堂々と公立学校で
目標にしてよいのかとも考えた
結果としてぼくには
熾烈な競争を止める力はなかった
子ども等も適者生存・弱肉強食
自然の摂理を生きねばならない
すべては繁栄のために必要必須のものである
そこでぼくも腰砕けになったのである
挫けたのである
ぼくひとりの力でどうにかなるものではない
自然界の摂理を受けてかどうなのか
国もそういう方針なのだから
格差の推進は公然の事実なのだから
ひっかくほどの抵抗も為し得ない
仕方ないって
ぼくもみんなも思う
摂理だからか
本当に摂理なのか
2026/02/08
「まほろば」
貧しさとか社会的な孤立とかを
ぜんぶ人との出会いや関係で語ろうとする
でなければ本人の努力や能力の不足
あるいは知識の有る無しや
性格の善し悪しに還元して語ろうとする
社会には相変わらず
そういう論調が蔓延っている
それらは有史以来続いてきた流れで
その一方で
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の
欠けたる ことも なしと思へば」
と自らの栄華を誇る歴史上の人物には
その論調は忖度のしまくり
準公共放送局では偉人のように遇し
憧れをかき立たせる脚本で
劇を作って流している
現在の視聴者はその論調や流れを支持し
おおむね好意的に受け止める
この国では有史以来
説話の貴種流離譚にもあるように
貴種が大変好まれる
功成り名を遂げた人はみんな貴種になる
貴種を叩くことは忌避されている
下賤と見れば苛め尽くす
地形や風土に見合った
とても個性的で特殊な社会で
時により瞬時に一丸となって統治しやすい
下賤は村八分になりやすく
下層が一丸となることはないクニだ
治める立場からはまほろば
2026/02/07
「老いて亀」
台風のど真ん中が
ぼくの住む団地の家です
二十キロ圏外はみんな吹き飛ばされました
もうぼくは二十キロ圏内でしか暮らせなくなりました
しかも台風が定住したとのこと
ぼくにとっては朗報です
キャパシティーに見合います
これで毎日雲に覆われていたら最高です
ずいぶん前からぼくは亀になっていて
手足を引っ込めたままです
湿度は高いくらいが長くじっとしていられます
何のために生きるとか目標とか聞かれても困ります
もちろん何にもありゃあしません
のそのそと地上を這いずり回ったり
手足を縮めて時間をつぶすしかないですから
それが楽しいか楽しくないかなど考えても仕方ないし
ただ見飽きた地上を徘徊するだけです
それではいけないでしょうか
せっかくの命
せっかく此の世に生を受けたのだから
もっと有用に生きるべきと言うのでしょうか
人間でいるならそうでもいいのですが
ぼくはもう亀になりましたから
一日かかって十メートルも動いたら十分です
人間の一日もこんなもんでしょ
2026/02/06
「初めての老後」
真白な夢の跡をたどると
言葉が浮かんでこない
しばらく待っても
頭にも心にも浮かばない
仕方がないので目を閉じると
ただ眠くなる
その場に身を横たえて
目が開いたら
意識の中に意識を探す
とりあえず
そんなことでいいのかな
初めての老後だもの
初めて島に降り立った
古代人の気持ちさ
辿り着いた安堵と心細さとが
行ったり来たりして
少し時間がたてば
孤島の景色にも慣れる
背を向けて立ち去る
言葉たちの不在にも慣れる
後はゆっくりと
なるようになるしかないと
開き直り
開き直って
胸のドアを押し開く
2026/02/05
「泉が涸れる」
今年の冬は泉が涸れて
池に水がない
どろ底に薄い氷が張っている
昔はたくさんの魚たちが棲んでいて
糸を垂らすと黙って釣れた
「あ」の魚から「ん」と言う名の魚まで
まるで泉の底から
湧いて出ているようだった
周りは雪に覆われて
水のない池の表面も真っ白く見える
記憶ではいま少し大きかったが
いま見るとずっと小さい
そのうち風と雨とで塵が積もり
池は窪みに変わるだろう
泉は湧き出す場所を変えて
また別に池を造るだろう
魚を棲まわすだろう
「音」を背負った魚たちは
たくさん「音」を増やすだろう
冬の寒さに
ぼくと同じように泉を涸らして
たくさんの老人が震える
その老人たちからは
またたくさんの記憶が消えて行く
幼児のように唐突に
わけもなく怒ったり笑ったりしながら
少しずつゆっくりと
老人たちは「音」と「音叉」とを
手放して行く
2026/02/04
「冬の中でする鼻歌」
いろんなことを忘れたし
これから調べるとか覚える気もない
年老いてみれば
勉強したことはすべて無意味で無駄だった
それでも夢中だったのだから
楽しかったのかも知れない
世界が一瞬で争いや嘘や生きづらさのない
そんな世界に作り替えられたら
そういう魔法が作り出せたならと
そう考えて探し歩いたが
見つからないし作れもしていない
その魔法がはたして
科学なのか詩なのかもはっきりしない
とりあえず
物心ついてからはそう念じ続ける生涯だった
だけでなく
今もその延長にある
専門家でも研究者でもないし
ただの趣味だと捉えられればその通りで
頭の中を公開しても
たいてい誰にも見向きもされない
ただ負け惜しみではなくて
そのことは一番の誇りとしている
真なるものは蹉跌す
真なるものこそ容易に社会に通じない
そう書いた詩人の言葉が
今も胸に去来してぼくを鼓舞し続ける
引きこもってはいるが
受け取った精神のバトンを
不特定多数に向けて差し出している
遙か後に通用する時代を夢に描きながら
その姿だけでも見せ続けることが
自分の使命かなと
これもまた自分に言い聞かせながら
2026/02/03
「原生からの監視」
泉が涸れている
かすかに塩気が臭っている
遠い記憶のように
神経繊維をゆっくりと登ってくる
逃避と回避が混ざり合って
警告の色が色づき始める
たしかにそこには
もう一つの個人史が進んでいて
それとこれとでは次元が違い
話も食い違う
そちら側では生きて行けない
意識の触手も首をすくめて
ただ呆然とするだけだ
その向こう側を
掠めるように生きている
原生の息づかいがあり
黙ってこちらを監視している
2026/02/02
「老人の空」
隠遁者みたいな年金生活は
仕事してきた身にはほぼ遊び
口減らしみたいな怖いこともなく
極楽と言えば極楽
少額の年金額が倍になれば
もっとよい
が そこは謙虚に「ありがた山」で
金のかからぬ遊びがインターネット
極寒のシベリアに住む狩猟民も
大人がスマホに夢中
八人の子どももそれぞれに持って夢中
極端にとがった円錐の住居の中
薪ストーブが太陽のように燃えている
それだって極楽と言えば極楽
紛争や戦争がないところでは
世界は極楽に近いところまで快適に近づいた
どうしたってそれは「ありがた山」で
二の句が継げない
ぼくはもう老いたんだし
どんな助言や忠告や勧告も出来ないし
それを求めるのなら「ほかを当たってくれ」
一緒に遊ぶだけなら「よろこんで」
時にはこんな軽口を叩いて
寒空を眺めるもよし
眺めた後に俯くもよし
2026/02/01
「新旧対立の嘘」
新旧メディアの対立とか
新旧の政治思想的な対立とかは
ずいぶん多く見かけ
また過激になって見えもするが
野次馬の目には
同じ穴の貉に見える
新旧どっちもだめというのが結論
新旧どちらの言辞も着飾っているが
その衣の下は鎧で
居場所と地位と名声と
安定した生活を送るための金
あるいはいっそうの贅を尽くす
それを求めているだけだ
当人たちにはその自覚がない
から困る
それで終わりだ
旧も新も互いにする批判は真っ当で
だったらどちらもだめでしょう
というだけの話
どちらにも肩入れなんか
出来るはずがない
どっちも心を入れ替えて
出直せって話で
今のまんまでは話にもならない
共倒れするのが理想だ
新旧どちらも論外
どちらも選択しない
本物の民は高みの見物くらいで
ちょうどいい
2026/01/31
「幻想のゴミ屋敷」
神社仏閣など昔から権威があるされてきた古いもの
お城やお殿様などかつての権力の象徴
そういうものに日本人はいつまでも弱い気がする
神様にも偉人にもずっと弱い
これに伝統行事などを加えると
日本人は欧米化もする新しもの好きだが
同時に古いものも捨てがたいという両局面を持っている
日本社会ではこれが混在していて
見方によっては精神や幻想のゴミ屋敷に見える
あれもこれもごちゃ混ぜの坩堝と化していて
ある種活気の様相も呈している
バラバラでひとつに纏まらず
これを自由主義や民主主義の現実化の表れと解すれば
それはそうかもわからない
「大変結構なことですこと」と言わざるを得ない
けれどもこうした混乱状態から引きこもりも生まれ
経済的貧困も生じたりして
手放しで喜んでばかりではいられない
みんながバラバラだから負の状況に無関心派も表れる
せめてそこだけはひとつに纏まって
「街からタバコをなくそう」キャンペーンみたいに
強引でもいいから
「街から孤独死も貧困もなくそう」キャンペーンを張り
全市挙げて条例を定めたらどうですか
混乱や坩堝と化していても近現代の社会だもの
核心的な部分は明瞭にして筋を通さないと
ごちゃ混ぜの坩堝と化していても
苦しむ民のための為政者であり神社仏閣であると
芯はしっかり持ち続けないと
何のための政治であり宗教であるか
はたまた学問であり文化であり文明であるのか
その存在意義や必需性が問われますぞ
2026/01/30
「均衡」
お相撲さんががっぷり四つに組んだ時
一瞬力を抜く瞬間はあるだろうが
たいていはそうではなくて
互いが力を込めながら
力が均衡して動かなくなる
人間ひとりの存在を見ても
やはり均衡という作用が働いている気がする
均衡が破れたり
均衡を破ろうとする時にも
人に動きが生まれる
心身全体が均衡している時は
かえって静かに鎮座しているものだ
社会にも似たところがある
ひとりひとりは力を込めていて
またひとりひとりが頑張って
全体としての社会が
いつも通りの姿で見えている
そこにもやはり
力の均衡という作用が働いている
そうしてあるところの力が弱まるとグラリ
あるところの力が強まるとグラリ
少し均衡が崩れる
でも大きくは崩れない
なぜならみんなの力が均衡を保つから
そこから言うと社会は総体として
多数の望む方向にじんわりと進んで行く
そんな力学が働いている
長い目で見れば
それ以外のどんな力を加えても
その向きは変わらない
社会はいつも均衡に向かって
動いている
2026/01/29
「ぼくの後ろに道はない」
物忘れではない
覚えておく必要がないから
覚えなかった
どうしてそうしたかというと
過ぎたことなので分からない
問題は今日と明日で
今日は今日の内に白紙にする
明日もまたご破算から始まる
そうやってきたので
すっかり頭は空になり
言葉や数字の記憶もない
世間では加齢による認知症だと
噂をしているようだが
それは誤解だ
昨日とは失われた日だ
過去とは失われた日々だ
そうして失われた日も日々も
限りなく美しい
美しい幻である
幻ゆえに
ぼくは目を閉じて
覚えることを避けてきた
ちなみに
ぼくが大切に感じたものは
必ずその日のうちに石碑に刻んだ
その石碑はどこに置いてきたのか
もちろん覚えていない
もうすぐ
ぼくも美しい過去になる
2026/01/28
「年を経るということ」
言葉も文字も重い
背負うには少し辛くなって
いっそのこと
ガラクタと一緒に
ところかまわず放り出したい
そんな気になったが
見るともうそれほどの数でもない
歩く途中で落としたり
飛び去ったりした言葉や文字も
あったのだろう
小さな貯水池に
湧いて出る言葉や文字も
めっきり少なくなった
情緒が涸れて泥で埋まっている
年を経るということは
きっとこういうことだ
いざとなると心細い
どうしたらいいのだろう
湧出口も塞がれて見えない
いくつかの見知った言葉や文字
形骸のようなそれだけが
泡に包まれて池の上に舞っている
気を確かに持たないと
いずれそれらも
どこかに飛び去って行くのだろう
慌てて手を延ばすと
ずしりと重く
もうとても背に負えそうにない
どうしたらいいのだろう
こうしている間にも
プツンとひとつ音がしたら
なにもかもが
それっきりになるのだろう
いっそのこと
もうこの辺でと
考えたりもする
2026/01/27
「内々において決すべきこと」
世の中には騒がしく
盛んに信や不信のことばが飛び交って
耳目に小うるさい
他人の言葉や文字を信じると言うことは
誰にでもあることで
ぼくも若い時に小説家や詩人の言葉に
深く信頼を置いたことがある
それらの言葉や文字の意は共通して
真を疑えすべてを疑えという声調であり
それが今でも精神に憑いている
そうして心に受け止めたいろいろな言葉を
何度も問い糺すことを繰り返し反芻して
心から信じてしまえばしょうがないこと
仮に結果嘘だったとして
そのために最悪の人生に落ちたとしても
それは覚悟して
つまり信じた言葉と心中する
それ位のことになる
ぼくの信じた言葉がホントか嘘か
永遠に分かりようがない
ただ信じたと言うことだけが事実である
それは強制しても強制されても
けしてよいことではない
信じるも信じないも
それぞれの内々において決すべきことで
その後始末についても
それぞれの内々において決すべきこと
今のところ
それ以外に言えることは少ない
血気盛んな若い時分には
どうにも解りようがなかったことだ
2026/01/26
「念を飛ばす」
後期高齢者医療への移行通知が届き
いろいろと心がけておくべきことなどが書かれていた
まあそういうものだろうが
昨日までは思いもしないことが目の前に舞ってきて
それらを読んだり記入項目を記入して
終わったあとにどっと疲れを感じ
一気に老けた気もする
ひどいなあ
行政サービスの一環なんだろうが
年を気にせず元気でいたのに
余計な細かい文書書類
それもいかにもお役所書類という感じの
ところどころ細かな文章も混じって
読みにくい読みたくない文字を何枚も読まされた
腹が立ったり苛々する自分をなだめるが
後期高齢者の医療資格とかなんとか
まるで「お迎えですよ」と告げられているようだ
寿命年齢健康寿命も丁寧に書いてある
否応なしに「もうすぐだなあ」って自覚を迫られる
「死ぬ準備は出来てますか」って
避けてきた心の中にも
土足でずかずか入り込んできた感じ
これが今時のサービスなんだわ
ありがたいんだか
ありがたくないんだか
地方自治の標準的なサービス〈知〉
お役所の善意のレベル
ぼくは小学校の先生もしていたので
かつての児童だった職員にも言いたくなるよね
過剰なサービスはいらないから
簡素質素に徹し
批判を受けても甘んじて受け止めよと
そのかわりもっともっと市民目線に降りて
困った人に手を差し伸べる
そんな気持ちをもった職員になりなさいねと
届くんだか届かないんだかわかんないけど
一応市役所に向かって念じてみるわ
2026/01/25
「不可解と彷徨と」
三つ子の魂百までとは
性格や気質あるいは人格まで
割と早い時期に決まることを言うらしい
これはちょっと理不尽だ
まだ無意識にいる時分に性格がほぼ決定され
それを持って生涯生きなければならない
よい性格の人は得するだろうが
そうでないときつい
ぼくはどうしてか協調性が足りない
それに世を厭い世に背く
自分でも首を傾げたくなる性格になった
幼児の頃に何があったのだろう
意味も訳も知らない頃に
原生感覚的に不信を感じる出来事に遭遇し
心的外傷後のストレス障害を負った
そういうことなのだろうか
それが外部世界と接触するたびに蘇る
そして不信感を抱き敵対する
これが生涯つきまとうものだとすると
いろんなことに波及し影響しそうだ
またそうなっている気がする
もちろんいまではそれもひとつの性格
ひとつの個性と考えられる
すべて世界に原因があるというのではない
幼少期の視覚聴覚に
なんらかのフィルターが付加されたとすれば
その色で世界を潤色する
そういうこともあり得るかも知れない
依然として不可解だが
そうなったものは仕方がなくて
自分なりに仕上がったこの世界に対して
ぼくはせめて最後には和解したい
ぼく色の世界とぼく自身とを救いたい
2026/01/24
「明日への希望」
いろんな言い分を別にすると
建国者やそこから派生した僧侶とか
学者らをひっくるめて
結果彼らがしたことは
自分の食い物は余所から手に入れる
それを発明発見したことだ
人間以外の生き物はすべて
自分で獲物を仕留めて自分で食すが
彼らは他人が耕作して得たものを
脇から横取りしたり
謝礼として受け取ったりという
地位や立場というものを構築した
そうして人に指図したり
人に教えたりして食うようになった
その上で自分たちを
尊敬すべきもののように遇させた
平らなる人たちには
羨む気持ちや嫉妬心が生じた
人間とは恐ろしいもので
何でも私物化したがるし
支配もしたがる
これには例外がなく
平らな民たちも同じだ
自然の下の平等は
人工化における不平等に変わった
そうなってしまって以後
もう元に戻ることは出来なくなった
修復できない所まで来て
欲望が尽きるまで
欲望に突き動かされる運命のよう
それでもしかし
いま時の暮らしにもどこか
自然の下での生活の名残りなのか
記憶からなのか
ペットや観葉植物などを脇に暮らし
遠くを眺める人たちもいる
遙かな自然世を懐かしむ心も見える
そしてそれだけが
ぼくらのする明日への希望だ
2026/01/23
「寒波に妄想する」
今日から今年最大級の寒波が訪れる
そんな予報通りに
夜になると部屋の中でもピリッとする
それでも暖房は効いていて
ちょっとした差異に気づく程度で
気にするほどでもない
あの円形の竪穴式住居の中で
縄文人たちはこんな夜も過ごしたのかな
真ん中に木々を燃やし続けて
一晩中燃やし続けて
子どもたちが寝て女たちが寝て
男は眠い目をこすりながら
炎に薪を足し続けたのかな
朝になって女と子どもが起きたあと
ゆっくり火のそばに横たわり
昼まで寝たのかな
いざとなったら車を売ろう
家を売ろう
それも尽きたら野に立って
凍てつく雪の上の縄文人となろう
そうして食を探して何日も
何日も歩き回り
力尽きた野生の小動物のように
雪の上に倒れよう
それ位のことは縄文にもあり得たろう
神も仏もなかったし
野に生き野に死ぬ尋常は
人以外には当然のこと
恐れ悲しむに足りない
そんなことを考えて我に返り
暖房の中では勇ましいが
部屋を出るとひんやりして身を縮める
妄想家の自分と言うことも
よくよく知れている
いつものことだ
いつもの妄想以外の何ものでもない
こうやって流れて流して
また明日の自分に会いましょう
もしもいつものように
明日という日が来るものならば
2026/01/22
「ただの耕作人の末裔」
アメリカに渡って建国したヨーロッパ人みたいに
ずっと昔にこの島国にわたってきた弥生系渡来人が
ヤマト=日本を建国したと考えると
何となく腑に落ちる気がする
アメリカはインディアンが先住民とされる
日本で先住していたのは縄文人やアイヌ人だが
両者の関係はまだよく分からない
ただアイヌ人や縄文人や
あるいはまた弥生系渡来人も混血を繰り返しており
原始からずっと島国に住み続けた
生粋の日本人というのは想定しがたい
これまでは半ばそういう想定がされていて
ぼくらは生粋の日本人の末裔のように考えたが
本当はそうではなくて
いろんな時期にいろんなところから移動して
この島国にたどり着いた人たちが混血し
そんな形で日本人が形成されてきたと考えるのが
現在では妥当だということになる
そういう中で一番数として多い弥生系渡来人から
力ある豪族が出て島国の半分を制圧した
以後中央に王朝を立て
島嶼の隅々にまで覇権を拡大していった
ぼくらは覇権者の末裔とも言えないし
犠牲者の末裔とも言いにくい
ただこの島国にあってごく小さな区域を耕作し
家族や親族とともに
自然の恵みや時に災害も享受した者の
末裔であるとは言えると思う
そうした境涯に満足し感謝し
過分な富の蓄積を求めなかった者の末裔
そのことに幾分かの誇りを感じている
そうしてこれからも
そのようでありたいと思っている
それでいいと思っている
2026/01/21
「自分のこと人間のこと」
年老いた最近は
目を閉じてぼーっとしていることが多くなった
意志ではないし
意識もうっすらして
パソコンで言えば
スリープとか休止状態になる
電力が消費されないということだから
エネルギー消費が少なくなることだが
もしかすると
DNAレベルでの指令によるのかな
もしそうだとしても何のためだろう
この頃はこんなふうに
自分の意志や意識以外のところで
かってにスリープになったり
休止状態になることが多い
つまり何というか
ぼくのあずかり知らぬところで
ぼくが動いているというか
動かされているというか
まあ寿命などもそうなんだろうが
バックグラウンドで何かが行われている
そういうことをよく感じる
自分を自分と思い込む意識は
背景を入れた全体の自分とは
少しずれている
そう考えると
自分という意識にずっと騙されてきたようで
なんだかいやになっちゃう
もうすぐ終わりだよと言う
こんな時期に考えたくはないことだが
意識と自分の全体は
政府と国民くらいに乖離している
乖離して膠着状態にある
自分のこと人間のこと
すべてが全然まとまらない
2026/01/20
「憂鬱な季節」
自由主義とか民主主義とか
あるいは共産主義とかでもいいが
こうした立場や態度を
表向きや建前のように解すると
対する本音は
個人的な性格とか気質とか
そういうものに該当しそうだ
建前は簡単に変えられるが
性格や気質は容易に変わらない
なのでぼくは
思考や思想が行き着く何々主義に
まったく興味が無い
そんなのは目指す方向に過ぎなくて
目の前にぶら下がる人参だ
永遠に食べられない
それを食べられると喧伝して
党派を組んで実現しようとするのは
ちょっと愚かな気がする
だってたいていは性格や気質という
本音の部分がぶつかり合って
党派は分裂解散するものだもの
時には激しく憎しみ合うし
人の社会は知らず知らず
建前を必要とするように進んだ
歴史はそう教えている
本音は奥に隠れて
世の中は難しく複雑になった
心なしか
人たちは疲弊して見える
どうしたら無理せずにいられるか
無理せずに生きられるか
そろそろ本気で考えなくちゃいけない
そんな憂鬱な季節が
間近に迫ってくる
2026/01/19
「統轄考」
世の中は難しい
世の中を統べることは難しい
統べる世の中にしたことが
そもそもの間違いで
取り返しがつかない
だったら
統べるということを要しない
世の中は出来ないか
それがぼくの出発点で
もぞもぞと
田舎者らしく考えてきた
考えた結果無理だった
そこで妥協案を考えた
すべての国家的意志決定に
全国民の意志を
反映できる形を作ること
そこだけは代表者に
委ねないこと
もう一つある
憲法論議法律論議に
できるだけ一般国民の多数を
参加させること
こうしたことで少しずつ
統べる力を削がないと
統べるものになりたがり
近づきたがり
争いは上から下と治まらない
国中の混乱も続く
そんなじゃだめだと
誰もが統べることから
引きこもるように
ならなければ
2026/01/18
「いまある日本社会の起源」
いまのぼくが存在するのは
父母が居て祖父母が居てさらにご先祖が居てと
どこまでも遡れる
連綿と流れる血筋というものがあって
その果てにぼくも生まれた
これは社会についても同じことで
代々積み重ねられてきて現在に至っている
いまの社会のよいところも悪いところも
いろんなことが受け継がれて来た末に
いまこうしてこうなっている
原始の社会にまでは遡らず
だがいまの社会について言うならば
ひとつの直接的な起源というものは想定できる
それはひとりか複数かは別にして
この島国をひとつの領土として
統括するものが出現した時点が起源になる
いわゆるそこで国家社会ができあがり
その国家社会は現在へと続いている
つまり日本という国家社会のよいところも
悪いところもそこから始まっている
もちろん当時から現在に至るまで
様々な紆余曲折を経てこうなっていて
すべての起源というわけにはいかないだろうが
その紆余曲折を生んだ元々を考えると
やはりそこに行き着くことになる
この社会を統(す)べると言うこと
まとめ上げて支配下に置くと言うこと
その初動のところでいろいろなことが決定した
たとえば当時に蝦夷と呼ばれた子孫は
どのようにして現在の子孫へとたどり着き
どのような現在を迎えているか
あるいは当時に直轄の家臣になった者の子孫が
どのようにして現在の子孫へとたどり着き
どのような現在を迎えているか
想像を超えた物語がそこには介在するだろう
つまり現在の社会構成にも
依然として強い影響力を放つのがその時点だ
よくも悪くも大きな歴史の転換点がそこにあり
現在社会のただいまを考えるにあたっても
そこの歴史の評価の仕方でずいぶん変わる
その当時の何がよくて
現在の日本社会の長所につながっているのか
その当時の何がよくなくて
現在の日本社会の短所につながっているのか
そう言うことが十分議論されるべきだ
よりよい日本社会の未来のために
起源に遡ってする選り分けの作業や
どうあるべきだったと
顧みて考えることは大切だ
「功罪半ばする社会」
世の中には痛ましい出来事もあり
めでたい出来事もあり
評価の仕方が難しい
めでたいことはよいことで
めでたい人がいることもよいことだ
そうしてみんながみんな
そうだったらよいのにと思うけれども
七十余年を過ぎても
痛ましい出来事がなくなる
そういう気配や兆しを感じない
そればかりか
よいことに巡り会える人と
そうでない人とに世の中が分断し
その差が広がっていくばかりのようで
ぼくは辛く感じる
ぼく自身はなんとかぎりぎりの生活
そういう境遇にあって
それでも年寄りだからいいやって
仕方ないやって妥協も出来る
けれどももう少し若い人だったら
格差があることに不満を抱え
そういう人たちの気持ちを考えると
居ても立ってもいられない
どんなにか苦しいことだろう
この世界には歴史というものがあって
ずっと積み重ねてきて
こういう社会の現実になっていて
この堅牢な現実を
たとえばご破算にすることなどは
たいそう難しい
みんながゼロ地点に立って
一斉にスタートできるならば
誰もが本気で全力で
頑張ることも出来るだろうに
それは叶わない
いまある社会は
個人に向かって「やり直せる」とは言うが
社会の方で
自ら「やり直そう」とはしない
出来ていない
そんなんでは
いつまでたったって
痛ましい出来事はなくならない
2026/01/16
「いまだ手に届かない」
此の世の始まりの昔から
一定数世を厭い世に背く人たちもいて
それがどういう理由によるのかは
一言では言えないし言い尽くせない
その中のひとり西行は
人の道を説くよりも
花や月を題材に歌う芸術に走り
中世歌人の中でも唯一無二の人であり得た
花にあこがれ月を慕う
そういう嗜好
美への嗜好はそのまま芸術への嗜好で
ぼくにはそれがよく分からない
世を厭い世に背くまでは分かる
その先にどうして
西行の心が花や月に向かったのか
宮沢賢治の自然没入にも
西行に似たところを感じる
苦しむ人を産み出す俗世を厭い
そういう人たちに尽くす生涯を願った
自然への没入は
人間の自然性への嗜好と対を為している
あえて自然をきらびやかに歌ったのは
素朴さへの讃辞に通じる
ぼくにはその力も欠ける
ぼくはただ世を厭い
ただ世に背くことばかり考えてきた
歌も詩も他の芸術も
いまだ手に届かない場所にある
2026/01/15
「命の震え」
長くこの社会にいて
意見の対立や考えの対立を見てくると
それぞれを支える意識
そして言葉とか声とかが
意味内容を別にして
ただ命の発現のように見えてくる
言ってることは意味があり
内容も理解はするのだが
そうして当人たちも
真剣に語ったりもしているが
近頃のぼくにはどうも
言いたいことは別にあるのじゃないかと
何となくそう思える
ああぼくは変人でも変態でもない
そう自分では思っているが
人の発語と動物の鳴き声と
同じように聞こえてくる
種は違ってもそこにひとつの命があって
その命から低く高く
音のうなりが聞こえてくる
ぼくにはそれが
命がする自らの震えに思えて
上っ面の言葉とは裏腹に
言葉にはならない
別のことが言いたいんだろうなと
そう思ってしまう
その上で
ぼくには生き物の声はすべて
命それ自体の発する
戸惑いのように聞こえている
あるいは後悔のように
2026/01/14
「蕩尽」
寝ていても
目覚めていても考える
その考えの
ほぼ全部は無駄になる
どうしてぼくらは
こういう無駄を
性懲りも無く続けるのか
いっとき止めても
知らぬ間に
また繰り返している
この手の蕩尽が
生き抜くためには不可欠だ
とでも言うように
頭に考えを巡らせて
寝ても覚めてもぐるぐる
グルグルグルグル
特にそれで得したことは
なかった気がする
2026/01/13
「無為の力」
昨年も官民の組織内で
風通しの悪さなどを因とする
様々な事件や問題が話題になった
本当は氷山の一角
内部告発などを含め
組織の結束が揺らいでいる
これは左右を問わないし
上下にも起きている
組織や体制を
個人が超えてきている
共同幻想の後景化や解体現象が
密かに進んでいる
ひとりの人間の中で
個人幻想が前景に押し出されて
あちこちに出没し出した
そう捉えられる
もうすぐ
ひとつの正念場がやってくる
地には巨大地震の兆し
精神上には
我欲と理想のプレートがぶつかり合う
地殻変動の兆し
諺の「栄枯盛衰」を思い起こす
いかなる種も
繁栄の先に制動が掛かる
予言はしないが
いま来て悪いという法は
どこにもない
ここまでの歴史では
数々の危機は
平らな民の無為から発する力で
幾度も乗り越えられている
2026/01/12
「ひとりの人へ」
働いて金をもらって飯を食う
今の世の掟と思い
それだけは従うことにしていた
文句も言わないが
文句も言わせない
あとは好き放題やらせてもらう
そう考えて
好き放題やって来た
ぼくの考えでは
生きるとはそう言うことだ
それだけのことだ
最低限の約束事に則って
あとは自由にやる
働いて金をもらって飯を食う
それさえ出来たら充分
出来なかったら不充分
死ぬまでに一度でも働いたら
人間としてすべきことは
やったことになる
その心は一念義に同じ
もしもまだやれていなかったら
死ぬまでに一度やる
そう思い続ければそれで済む
あとはただ
行きたいように道を行き
謙りも恐縮も必要ない
人はひとり
命はひとつ
生きて輝かぬものはない
きみもまた
見知らぬ瞳の中に輝く
ひとりの人だ
2026/01/11
「初心を綱渡る」
すぐに行き詰まる
そんな迷路を歩いている
その度に来た道を引き返し
別の道を行く
嫌になりうんざりだ
と言う気分になったりもする
まあそこで諦めて
行き倒れることもある
先は分からないさ
歩けるならまだよい
歩く道やその光景がすべて
初めてを行く
それならなおよい
出口を探す目的を捨てて
初めてを目的にする
そうすると好奇心が湧いて
どこまでも行ける
初めての連続で
歩く今日の心でさえ
昨日までとは違う
今日初めて出会う心だ
いろんな角度から観察して
なかなかに
見かけたことのない心だ
まだまだ観察のしがいもある
ぼくが絶望するには
ちょっと早すぎる
2026/01/10
「進む頭脳化社会」
魔界の森に誘われるから
深夜に本を読んではいけない
文字を書き記しても
知に目覚めてもいけない
急いで
非知の森へ
非知の民に紛れて
非知の住民になりすます
魔界の森では
人は人として
生きられないという
人ではない人になる
知と芸との人になる
知や芸に呑まれて生きるか
それとも知や芸から
逃れて生きるか
本当のところを言えば
逃れるところに
ふつうの人としての正解はある
知と芸とは
純粋に人間的な産物だが
平らな民は関知しない
理想の世界では
知も芸も不用になる
これに矛盾するが
頭脳の潜在能力は無限だ
三百キロを超えて走行可能だ
五十キロ規制で走らせるか
規制なしの暴走に
社会の牽引を委ねるか
いまこの社会は
そうした分水嶺に直面している
2026/01/09
「正月の朝の鏡」
柔和な笑顔に
老いて行くのかと思ったら
そうではない
この正月の朝の鏡にも
鉛筆書きの素描みたいな
表情のない顔が
映っていた
暗い口腔の中に浮かんだ
寂しく生真面目な
心を映した顔だ
心が見えない顔だ
泣くことを
手放した顔だ
笑うことを
忘れた顔だ
2026/01/08
「小粒の王」
世界中に王が誕生したことが
あるいは既定の路線だったとしても
それで人の上に人が立ち
世界が王たちを抱えて分割されたとしても
平らな民として
我々が契約書にサインさせられたとしても
我々は必ずしも
家来のように従うことを本意としない
ただ有形無形の力に
終生押さえ込まれて生きなければならない
いつまでそんなことが罷り通るのか
社会の最上階に君臨する王と
無数の平らな民の中の小粒の王たちと
いずれもが譲位して
静かに身を退くまでは変わらない
そのことはとても難しいことだ
けれどもまたいつの日か
人間の世界はそうならなければと
小粒の王たちは
自分自身を押さえ込もうともしている
我々から去らなければと
葛藤もしている
それが出来さえすれば
世界の大粒の王たちも王室も
黙っていても
この世界から身を引いて行く
契約書は
二度と更新されることがない
2026/01/07
「いまはまだ旧世界」
初期の中央政権は
奥羽から以北に住む人たちを
蝦夷と呼んだ
それは蔑称でもあった
逆に奥羽以北の人たちは
中央政権のある西日本の人々を
何と呼んでいただろう
同じように侮蔑の意識で考えたかというと
そうではなかったという気がする
尊卑や上下や貧富は
この島国では西に発生した
中央政権が源に違いない
人間が人間を差別し支配する
歴史の岐路と起源がそこにある
現在の民主主義の社会からすると
とんでもないことがその時から始まった
政権が発足するにあたって
何が手本になったかというと
渡来人の運んだ中国の文明文化だ
土地も住民も
最高位の君主の支配下となった
それ以前は
集落に必要な土地は集落の土地で
それ以外は誰のものでもない
ただの自然の地だった
これ以後全ての島国の地は
国のものとなり君主のものとされた
現在の民主主義社会は
人間は生まれながらにして平等である
そう教えている
そこから言えば当時の中央政権は
取り返しのつかないことを為したとして
強く否定されなければならない筈だ
しかしいまもってそういう声は強くない
それどころか尊卑や上下や貧富
それらは変わらず存続している
何が問題かははっきりしている
平等が果たされていないことと
法施行のゆがみを是正できないことだ
それで社会が自ら苦しみ
自浄化できないままに築かれて来た
王が誕生してから
人間の世界は狂い始めたのだ
そうして狂ったままに現在に続いている
王と国とが支配すると言うこと
これが断ち切れなければ新世界は訪れない
いまはまだ最高位に欲を置いた
旧世界を脱していない
2026/01/06
「冬の朝日」
窓から差し込む冬の朝日は
手の甲に受け止めると
思いのほか熱く感じられる
直接光の当たる部屋の壁板とか
庭の草花にも
感じる手の甲はあるだろうか
こんなにも光は熱いのに
団地の家々の外壁にも光は差し
屋根にも差し
アスファルト路や
立木や生け垣の葉にも差し
光と熱とが注がれて
冬はもっと暖かくても良いのに
北からの冷気が勝る
一月二月三月と攻勢をかける
人間は火を焚いて布を重ねて耐える
自然の生き物たちは
遺伝子対応だけで乗り切る
人間は一方では力を増幅・拡張し
一方では力を失ってきた
手の甲に受けた朝日の熱さに
ぼくは少しはっとした
子どもの頃
たしかに生きるということは
こういうことだった
2026/01/05
「国民の力」
選挙に行きましょうと
国が呼びかけても
国民の半分はそっぽを向いている
反対に暮らしをよくしてと
国民が呼びかけても
国は半分しか聞く耳を持たない
どっちもどっち
力は均衡していて
だがいざとなれば国民の残り半分も
投票に行くかも知れない
また別のいざという時に
国は協力せよと強制するかも知れない
その時にならないと分からない
国の力が強いのか
もう国民の方が能力が上なのか
どちらもまだ上がったり下がったり
を繰り返している
街中ですれ違えば互いに知らんぷりだ
うまく泳がして完全に統御するか
自由意志と自己責任に耐えるか
のどちらかだが
この先も拮抗は続く
国民の大半にそっぽを向かれて
世界中の全ての国が立ち行かなくなると
案外そう遠くない日に
そんな日が訪れるかもしれないし
災害時にも比較的冷静に行動できる
ぼくら日本人は
闇市暮らしは平気かも
国民だけでも
互いを侵害せずに整然とやって行く
そういう力はついているかも
2026/01/04
「自分の解剖学基礎編」
体はDNAの設計図からなっているし
また水や食料を取り込んで
大きくなったり維持されたりする
ほぼ当人はノータッチだ
心はどうかというと
主に親とか取り巻きとか環境から
言葉といっしょに注入され
性格という形に形成されている
こちらもほぼ
「自分」で作り上げたとは言えない
このように体も心も
「自分」で作ったものは一つもない
心は幼少時に
無意識の接触の中から出来上がり
体はお米や野菜や肉に魚
それらが通過して出来ている
つまりは全部借り物と言えば借り物で
その借り物の上に
「自分」という意識が3Dみたいに浮き上がる
そういう寸法である
摩訶不思議だがそうなっている
ただし外側からの認識では
「自分」と言う意識でも何でもなく
ただ体が「そいつ」と認識される
大雑把には体で「彼我」を見分けている
後は言葉の主体として
体の中には「自分」が宿っていると
人は相互に認め合っている
だが見てきたように
「自分」と意識しているのは意識だけで
その意識は借り物の上に成り立っている
要はどこまで行っても幻である
だから解剖したり火葬すると
「自分」は残らない
じゃあ今の「自分」は何だとなって
また一から考え直す
2026/01/03
「わたしたちの願い」
農耕が盛んになった弥生期から
豪族化が起こり始めた
支配と被支配が生じ貧富が生じ
有力な豪族によって連合国家が成立した
その過程で渡来人の果たした役割は大きい
そこからの紆余曲折を経ながらの
近代資本主義へと到達するまでは
今のぼくにはまっしぐらに見える
そうして現代現在の社会へと続いた
問題は富の余剰であり蓄積だ
豪族が成立し豪族の上に豪族が立つと
階級や位階が生じるようになった
支配と被支配
上と下
貧富や尊卑も大きく明確になった
ここまで来ると現在社会と変わりない
逆に言えば現在社会の原型とか祖型とかは
そこまで遡ってよいことになる
あるいはそこまで遡らなければならない
そしてそこまで遡って分かることは
縄文人たちよりも
弥生人たちの活発な活動であり
さらに言えば渡来人たちの活躍である
中国文明および文化の
この島国への移植の結果が
以後の日本の歴史を作り上げ
近世にまで至るのである
わたしたちがこの国にあって
どうしても肯んじ得ず
この社会の由緒を尋ね歩くのは
このためである
そして弥生以前の縄文の時代には
ほぼほぼ自然の元に平等な暮らしを為し
争いも少なかったことを知って
現在社会はそのまま残しながら
どうしたら縄文の心象に立ち戻れるか
を考えてきた
このことが内部告発やクーデターと言うなら
それはその通りであろう
だが元をたどってみると
クーデターはその時に起きていたのである
縄文から弥生へという形で
わたしたちはそれを元の姿に戻してみたいと
平和で争わず互いを認め合い
助け合い協力し合う
そういう社会にしたいと願っているだけなのだ
わたしたちは権力を欲しない
わたしたちは人の上に立とうとしない
わたしたちはただ
わたしたちの考えることが
人間として至極まっとうだと
当たり前の普通の考えだと
納得してもらえることだけが願いである
2026/01/02
「2026年元日」
技術文明は一方的に進むが
その恩恵をすべて受け取れる人は
一部に限られている
なので一般の国民の幸福度は
必ずしも文明の高度化に比例しない
文明の恵みは作為的だ
自然の恵みはこれとは違い
万人に平等に注ぐ
太古にはそういうものだったので
現代の不平等は
ぼくらにはずっと不満なのだ
どうして歴史が重ねられるほどに
文明や文化が進むほどに
「面白くないなあ」とか
「つまらないなあ」とか考える人が
増え続けるのか
またこれを変えて行けないのか
勉強もして頭もよくなって
かえって「生きることが辛い」と
感じるようになって
人の上に立とうと躍起になる
人間の世界は
どこまで汚れて行くんだろう
2026年元日
不遇を抱えた人たちが
今年も一斉に口を閉じている
だがもしも未来がもっと
ぼくたちに生き辛さを感じさせる
ものだとするならば
今はその手前にあって
幸せを感じるひとときはある
ぼくらはそれを大切にしよう
そうしてもっともっと
美しい未来のことを考えよう
2026/01/01
「何も知らないから」
女性と言っても
長く付き合ったのは妻と母くらい
そのほかは親戚づきあいとか
仕事上のお付き合い程度
それで女性の何が知れたかというと
何も知らない
一番長い付き合いの妻だって
その何ほどが知れたか
自信がない
長く一緒に居てのこれだから
ほかの人とは推して知るべしだ
知っているつもりというそれだけで
生涯を通してきた
しかもそれで罷り通ってきた
ぼくがそうなんだから
誰もがそうなんだろう
人間の世界は
そんな暗黙の了解の元に
成り立っている
つまり人が生きると言うことは
そんな程度のもので
適当でいい加減で
後ははったりがかませるかどうかだ
これは悪くはないことだ
人間がこれ以上真剣に
そして深刻に生きようとしたら
みんな心を病んでしまう
だから時々はたがを緩めて
どうだっていいやって
思わなくっちゃ
人界を超えて
無の自然界を眺望してみなくっちゃ
知り尽くせないから
自分以外のものに
崇敬の念を持つこともできる
2025/12/31
「今よりも若くいる明日はない」
年寄りが未来に顔を向けると
今この瞬間が
幸福とか喜びとかの絶頂期である
ここから先ははっきりと
下り坂であることが分かっている
頭も体も衰える一方で
今よりも若くいる明日はない
考えようによっては
下って行く一日一日は
未来から逆算して
最高の一日だけを
稜線のように下って行くのだ
確実に衰える明日からの視線では
今日のわたしは
一日分若いわたしである
衰えた明日のわたしからすれば
今日のわたしは
遙かに可能性に満ちている
動くなら今だ
考えるなら今だ
この先生きていたって
何も好い事なんてありはしない
今よりも体が動き
頭が冴え渡るなんて
年末宝くじに当選するのと
同じくらいにあり得ないことだ
なのでわたしには
信ずるに足るのは今日だけだ
明日よりは体が動き
頭も冴えた今日
だから今日・今日・今日と
今日だけを繋げば
わたしの毎日は
ベストコンディションが続く
だとしたら
やれるだけはやりましょう
2025/12/30
「老いを追って行く」
言葉以前には嘘がなかった
赤ちゃんが嘘をつかないようにだ
言葉が使えるようになってすぐに
嘘もつけるようになった
二・三歳の子どもが
嘘と分かる嘘をつくように
少したどたどしい言葉で
嘘をつくようになった
言葉が進歩し
文明が発達すると
嘘もだんだんに巧妙になった
今を生きる大人たち
の嘘が巧妙であるように
どうして進歩や発達が
嘘をつくことと結びつくのか
少し分かるが
多くは分からないまま
今ぼくらは未来に向かっている
この数式通りに進めば
後しばらくして
言葉がすべて嘘になる
言葉と心が乖離する老後
のような局面を迎える
時代に老いがあるならば
時代は
老いを追って行く
言葉は
時代を追って行く
2025/12/29
「言葉と世界」
小さい頃に言葉がなかった
大きな目と大きな耳があった
目は縦横無尽にあちこち飛び交い
耳は動かずに
あちこちの波形を引き寄せた
言葉のない風景と
言葉にならない時間を
ひたすら感受する日々だった
その頃の世界は
目に見え耳に聞き
肌に触れるだけのものだった
思考以前の世界がひらけていた
言葉を獲得した瞬間から
何かが変わった
春の草花たちのように
次々に言葉が花開いて行った
その代わりに
言葉以前の目と耳の力が後退した
花粉のように風に飛ばされて
遠くへ消えて行った
少しずつ
植物や動物の世界の出口を跨いで
もう後戻りできない
子ども時代を卒業すると
世界は言葉で埋め尽くされた
老後は未来世界
言葉を捨てる世界への入り口か
子ども時代への退行か
2025/12/28
「タイシュウ」
国民がおしゃべりの界隈に参画し始めて
大衆社会を中心に大荒れ模様
地震や大雪とおんなじで
こうなったもんは仕方がない
ひととおり好き勝手を言い合って
その後の虚しさや寂しさが身にしみる
皆さん心と体を大切にしましょう
耐えましょう
自他の愚劣を許しましょう
不可避の道の試行錯誤は続きます
ひとつだけ不安があります
生活から足裏が浮くことです
そうなるとまるでバブル
上昇しながらパチンと割れて雲散霧消
岩牡蠣のように生活にへばりつき
それだけは回避しましょう
あとはそう
今のままの生活を通しましょう
世の中は
賢い大衆が支えて成り立ちます
2025/12/27
「老後の仕事冬編」
大気が刃先となって
日常の均衡を切り刻んでいる
庭のところどころに咲く草花も
一様に萎れたり頽れたりして
冬の日差しの下で荒廃が凄まじい
形の崩れた色が
それでもまだ消えきらずにいて
冷気の中に痛々しい
買い物帰りのぼくは
荷物の入ったポリ袋を下げて
急いで玄関から家に入る
台所が寒いので
寒い寒いと口に出していいながら
買った食品を冷蔵庫に入れる
居間のストーブに火を入れ
テレビを付けて
徐にゼンマイのねじを緩める
老後の一仕事
あとはもう
風呂に入って
飯食って寝るだけが仕事
退屈な日常だが
ふとした隙に「奇跡だなあ」って
思わず漏れる思いもあり
言葉にせぬ感謝もある
2025/12/26
「チャーハン」
パラパラのチャーハンが
中華鍋の中で
おいしそうな色に仕上がる
粒々になった人の粒が
空に舞う
笑っているのか泣いているのか
粒の中の顔たち
くるくる宙に舞い
やがて大きな口の中に吸い込まれ
スープといっしょに
暗いトンネルを下って行く
鍋の中で
楽しかった粒も
悲しんだり苦しんだり
宙を飛び回り
跳ね回った粒たちもみんな
等しくスープに押し流されて
暗いトンネルを下って行く
庶民も知識人も
政治家もジャーナリストも
みんなだ
境界を越えて世界中が
みんなチャーハンの粒々になって
大きく開いた口の中へ
吸い込まれて行く
その後はきっと
この宇宙の外へと排出される
熟考するなら今だ
2025/12/25
「教育現場」
精神疾患で休職中の教員七千人
3歳児並みに
感情の制御が出来ない低学年児童
学校の教員から塾講師まで
盗撮や性犯罪に手を染める愚者たち
いったい昨今の教育の現場に
何があって何が起きているのだろうか
辞職した二十年前にも
確かに気配とか兆しのようなものはあった
目の前には未体験の児童期があり
言葉も行動も予測できないことが多かった
先生たちは職務と個人の生活を無難にこなし
何の問題もなさそうだが
日々に見えない葛藤を繰り返しているに違いない
と見えていた
確信はないけれども
自分自身が精神的な戦いに明け暮れていて
同じ時代と社会を生きる誰でもが
心に傷を負わないでいられるはずがない
そう考えていた
みんな壊れている
大きな声では言えなかったが
ここにいればぼくも壊れてしまう
そう考えて足のちりを払った
善と思い込み正義と思い込む人たちがいて
体制を固めればなんとかなると高を括り
組織の維持と運営を支配した
立派な人たちの立派な手腕と采配で
今日こうした教育の現状をもたらした
と言って過言ではないと思う
ぼくの精神の中の教育現場は
しんと静まりかえって闇が深い
ぼくなどがどうこう言えるものでもないが
いま教育の現場に何が起きて
何があるのかを
責任ある人たちは説明するべきである
はっきり伝えるべきである
同時に自分たちの無力と無能をも
はっきりと公表すべきである
「鋭意努力していきます」ではすまない
自ら計画し実行し反省するサイクルを続けて
徐々にほころびをみせ
崩壊していく教育の現場って何だ
ふだん社会人育成のための教育の現場は
エントロピー増大の法則に従い
時々病者の製造工場と化して見える
2025/12/24
「現在進行形」
「小学生低学年の暴力が急増」
「3歳児みたいな小学生」
そういうタイトルが
ネットニュースにあった
あえて詳しく記事を読まなかった
想像がつく気がした
本当には分からない
分かることが怖い気がする
ぼくらも無力だが
ぼくら以外も無力だ
みんな無力だ
文明は前に進んで後戻りしない
同じようにぼくらの暮らしの中に
後戻りできない何かが
現在進行形で進んでいる
出番ではないので
そっと片隅で思念する
ここまで来ると
もう取り返しがつかない
先の戦争で大敗して
一度壊滅した社会だが
その時の壊滅が半端で
こういう事態も迎えているのだろう
壊滅を全うし
成就を果たさないと
不穏は去らない
幼児化から幼稚化へ
ステージ4で
手の施しようがない
社会を捏ねくり捻くりして
どうにかなる
というのではなさそうだ
2025/12/23
「外には雪が」
お茶碗を洗って部屋に戻って
すぐにキーボードを打ち始める
いつもこんなリズムで
口から出任せをボロッボロッとやって
4行か5行か6行かやって
小休止
さてとここからどう進むかだ
ひねくり回した後に
一篇を終わらせるまでに
一気呵成か中断か
運命なのか岐路なのか
成るように成ったり
成るようにしか成らなかったり
昨日も今日も明日も
修行修行修行
外は雪
いいあんばいの境界の庵
憎いねぇ
クールだねぇ
ファンヒーターがあったかいね
しんしんしんと外は雪
外には雪が降り続く
2025/12/22
「言葉と声の一考察」
言葉の本源は内臓の声だ
「豚骨ラーメンが食べたい」とか
「愛してる」とか
生き物の特性である
「食と性」に直接結びついていて
とても分かりやすい
一日のそして一生の
きみの口から漏れ出たり
心に呟く言葉の
あるいは秘めた言葉の
統計をとりデータ化すれば
「食と性」にまつわる言葉であったり
「食と性」に紐付く言葉だと知って
きっと驚くだろう
その声は動物的生物的なのだ
人類はそうであり続け
いかなる現代人もまた
仕事に時間を差し出している時以外
たいていそういうことになる
言葉の残余は頭の声だ
内臓や感覚の声を
ぐるぐる捏ねくり回して
声を言葉に変換する
ぼくらが自分を人間と呼ぶ時は
こちらの言葉に耳を傾けている時だ
あらゆる人間的なものを
設計したり生産したりしている
時に内臓の声とかけ離れる
2025/12/21
「『男と女』論」
胎児は性別が決まる前に、共通する発達過程があるそうだ。つまり、男女差のない一時期をくぐり抜ける。これは個人としても人類としても、その起源を暗示するものだと思う。つまり発生時における、良性具備の事実である。このことは、現在的にはあまり意味はないことである。しかし、起源においては男性性も女性性も混在し、そこから分離・分化したと見なす考え方が出来るようになり、このことは意味あることと思える。
すると、その後、はっきりと男性と女性の区別がつくように発達して行ったと言っても、形成過程はやはり千差万別で、小さくか大きくか残る異性部分というのは、男性にも女性にも残存するのではないか。
確かに男女を比べた時の身体的な特徴というのはあり、それを以て大まかに男女の性別の区別はつく。しかしながら、男性でも女性でもよいが、たとえば同じ男性として完璧な相似、同一というのはあり得ないはずである。
ひとこと男性と言ってもみな違う。違っているのに、みな男性と認知される。女性もまた同じだ。だが本当は、男性は男性の中ですべてが差異を持ち、女性もまた女性の中ですべてに差異を持つ。
ここからは全くの妄想になるが、とりあえず一本の直線を頭に思い浮かべてみる。そうして左端には完全なる女性性というものを想定し、直線の反対側の右端には、同じように完全な男性性を想定してみる。それぞれ百パーセントの女性、百パーセントの男性という位置づけをする。
そうすると、直線上で女性度九十九パーセントの場合を考えると、必然的に右に一パーセント分スライドし、その位置はほんの少しだけ男性に近づくことになる。九十八パーセントだと、二パーセントが男性という考えだ
ぼくは心的な男性性、女性性についても同じモデルで考えることがあり、そうすると心的な男女の違いというものも、だんだんと境界を失っていくものだと感じている。そうして終いには、線上に並ぶのは男でも女でもなく、ただそこに人間がいるだけ、となる。人間の中で女性性が多いもの、男性性が多いものという区別だ。
男と女で人間(ヒト)と、江戸時代の安藤昌益は言った。女性がなければ男性なく、男性なければ女性なく、と言うこと。女性があってこその男性であり、男性があってこその女性である。女性だけでも存続できないし、男性だけでも然り。
安藤は男性と女性が結び合って人間(ヒト)となると考えたが、ぼくは人間ひとりひとりの中に男性性も女性性もあるのだとする考え方をしている。
そうして外見、内面双方において、より男性性が多いものを男性と呼び習わし、その逆は女性と呼び習わすことになったとぼくは考えている。
男と女の違いはグラデーションとして、階調が違っているだけではっきりとした境界はない。そう考えた方が、おそらくは男性性と女性性の実態に近いとぼくは思う。
2025/12/20
「秋から冬にかけてと」
秋から冬にかけてと
社会の景気の落ち込みと
老後の何となくの寂しさとは
その波長が似ている
ゆっくりと
真冬の厳寒の真っ只中に
差し掛かる
さりながら
ぼくは厳冬の2月生まれ
花咲く春に育ち
夏の暑い日差しの下を駆け回り
疲労は秋風に癒やされもした
そこからすれば
溶けない氷はなく
乗り切れぬ厳冬はない
そう高を括ることが出来る
父母は秋生まれ
小さい頃を冬に過ごし
春寒を経て
壮年に夏の輝きを得
暑さ衰えた頃に晩年を迎えた
ぼくと少しサイクルが違う
よい四季を
巡ることが出来たと思う
ぼくの晩年は冬だが
小さな炭火に暖を取り
思い出の四季を脳裏に思い巡らせて
それはそれで楽しくもある
すべて雪に覆われた世界は美しい
陽に輝けばさらに美しい
雪の下には
小さく芽吹くものもある
2025/12/19
「不幸ごっこの世代から」
不幸ごっこの世代から
幸福ごっこの世代へと切り替わる
何も変わらない
何も起こらない
全国的に度々の地震
それだけが起こっていて
人たちを不安に駆り立てている
神風みたいな地殻変動
たぶんぼくらはそれを願っている
もうそれしか頼るところがない
神様仏様ってか
どうせ野垂れ死ぬんなら
どうなったっていいやって言えば
「自己中」と非難されるな
命だけは助かりますようにって
今だって無一文と変わらぬ暮らしだから
みんなを引きずり下ろして
また無一文から始めようって
当てなく野原を徘徊しようよって
マラソンのスタートラインに立てたら
楽しいだろうなって
ほぼ病気みたいなことを言ったら
石で追われるだろうな
空想だから
妄想しているだけだから
石礫は届かないけど
それはそれで
またひとつ心から
ひっそり飛び立つものがある
2025/12/18
「憎悪の噴出」
最近の社会なり世界なりを見ると、その表層は憎悪に満ちて見える。一方で愛だのピースだのと得意がってもいるのに、どうしてこういうことになるのだろう。高度な文明と膨大な知識と、コマーシャルとして流すほどに胸を張る社会や世界なのに、地下から湧いて出る憎悪の飛沫にところどころ穴を開けられて、むしろぼくらの方がそれを見て恥ずかしく感じている。
神に似せた崇高な理念により、活躍する人材を選び、高層ビルのてっぺんのスクリーンで大きくもてはやしたのは、取り巻く社会や世界の方だ。彼らがリーダーだと持ち上げた。そこまではいいのだ。そこまでは許せるのだ。
許せないのは、何度も何度も失敗を重ねて、その度に首をすげ替えて目先の批判をかわし、体制の革新に手を付けないことだ。憎悪が噴出するメカニカルな部分に目を塞ぎ続けていることだ。不平等と不自由による、人が野垂れ死ぬ現実をほったらかしにして、明るい未来ばかり喧伝していることだ。社会の深層からこんなにも憎悪が噴き出るのは、きっとそのためだ。
2025/12/17
「生ききる」
真っ白な紙の上に
いくつもの傷ついた心
傷ついた意識が横たわる
長い時間をかけて集めた標本
次から次と積み重ねる
閉め切った扉の中
そういう生涯ならそういう生涯で
むしろとことん突き詰めるのもよい
昔の豪族のように
誰かが後ろ盾となって応援してやれば
一番よいと思うがどうだろう
変われとか止めろとか言いがちだが
そしていつもそれは
頓挫を呼び込みがちだが
頓挫せずにどこまでもやりきったら
評価されようがされまいが
それはひとつの不倒の偉業となる
苦しい閉塞の記録となり
後の人たちの
困った時の指標の役割もする
温かな家と温かなパンとは大切だが
冬のまっただ中に
雪をかき分けて進むしかない者たちには
そういう家とパンとの幻想は
かえって過酷で罪となる
制止してはいけない
否定してはいけない
ぼくらに出来ることは
小さなぬくもりを届けるか
または雪上に足跡を残し
その先を自らも
自らの足で歩いて行くことだ
2025/12/16
「暇乞い」
ぼくのように燻って生きても
彼のようにキラキラと生きても
死ねば死にきり何にも残らない
そう考えると
どうでいいような気がする
松の葉か銀杏の葉かの違い
人間以外の生き物からはそう見えて
ただ人間界の幻想領域において
いろんな意味づけや価値づけが
なされるだけだ
その一喜一憂が人間の人間らしさとなり
たいそうなことになってしまう
若い時の苦しみや悩みは
そういうところから押し寄せる
まるで目の前に
幻想と現実とが混同して
実在のように感じられる
本当はちょっと心の向きを変え
心の窓を開けさえすれば
たちどころに消え去るものでもあるのに
不安と恐怖によって
幻想は固定化されるのだ
実在しない幻想の神話
その口承され口伝されたもののために
どれほどの岐路に出会い
紆余曲折してきたことか
そうしてこれからもしなければならないか
年を取ると少しだけ分かる
あることの終わりの地点が見えてくると
少しずつ言葉が旅の衣を着始めて
次々と暇を乞うのだ
何度も振り返り振り向いて
名残惜しげな言葉たちもある
2025/12/15
「以て瞑すべしの生涯」
高度な文明や文化を持っていても
植民地化された国や種族はあるもので
弱肉強食は人間世界にも当てはまる
そんな過去の歴史を見ると
統一部族連合国家への道は
必然の成り行きでもあったのだろう
先史時代から歴史時代へと移行する際の
人類史におけるひとつの隘路であった
これは人間社会においての人間が
愛や優しさや思いやりだけでは生きていけない
ということによく似ている
生き残るためには戦いも辞さない
そんな野蛮さの段階から
この社会はまだ超して行けていない
ふつうの庶民であるぼくらに出来ることは
ただひとつのことに過ぎない
正義や平和のために活動するのではなくて
日々の暮らしの中で
できるだけ争うことを避けることだ
できるだけできるだけ避けて
ゴールまで駆け抜けられたら
それはそれですごいことだ
ぼくは凡人中の凡人なので
つい逆らったり抗ったりしてしまう
植民地化するかされるかの
二者択一と考えてしまう
ただ頭の中では植民地化するよりは
される方がましだと考えていて
そこに齟齬が生じて
今もって解決がつかないでいる
支配もしないが
支配もされない
なるべくそんな生涯でいられたら
庶民にとっては
以て瞑すべしの生涯になる
2025/12/14
「健常ということ」
特別支援教育・学校・学級や
障害者という呼び方に強い抵抗があった
ずっと慣れなかった
ずっと答えのない自問自答があった
吐き気を催すのに口から何も出てこない
そういう苦しさがずっとあった
優しさや思いやりから発したかも知れないが
それらの言葉の裏には
健常者からする傲慢さ
無意識の差別や囲い込みの意識
広く見れば人権意識における
アジア的な後進性があり
その先進的な顔つきをした後進性が
どうしても容認することができなかった
とある学校で
人間的に尊敬できる校長に出会った
公正公平な人格者で
子どもたちにも
先生たちにも寄りそう考え方が出来た人だ
ぼくは尊敬もし信頼もした
それ故に強く反発する一点があった
彼は障害や特別支援に関して
教育界一般の考え方を踏襲して考えていた
善意からする隔離や差別は
悪意の隔離や差別とは違うという考えを
当然のように受け入れていた
そこに人権上の際どい問題があると
無意識の差別があると
少しも考えてはいなかった
ぼくの絶望は大きく
孤立をいっそう深くして行った
自分を健常者と思い
普通人と思うから
平気で特別支援とか障害という言葉を
使えるのではないか
自分は自力で何でも出来るから
出来ない人を支援するのだと
考えるのではないか
その文化的な先進性や優越性に胡座をかく
謙虚さのベールのしたの傲慢
ぼくは信頼もし尊敬もした校長先生に
直接「顔も見たくないから」と
異動願いを出した
移動後のどの学校においても
その先生以上に信頼でき
尊敬できる人に出会うことはなかった
考え得る理想の教師像
その人でさえ
現在的な健常と障害の区分を
合理的なものと見なし
学校や社会が人権に違反している
と感じてさえいない
いや感じていたとしても
気づかぬふうをしている
交流のあったほとんどの先生たちは
温厚でこころ優しくもあったが
「健常」の名札を平気で付けている時点で
ぼくからすると異常な健常者だった
数年後ぼくは
自分がひとり迷い人のような気がして
学校という職場を辞した
その時からもうドラマはない
2025/12/13
「文明が高度になりすぎて」
文明が高度になりすぎて
ついて行くのがやっと
スーパーで買い物する際も
レジ係のひとから
支払いはあっちの機械でと指示される
慣れない手つきで済ませると
別の店では別の機械
なんか親切じゃないんだが
これが便利で高度でと言うことかと
あっちでもこっちでも口ごもる
たいへんだなあ
高度な文明社会では
人間も高度な人間に仕上がらないと
苦労するんだろうな
小さい時から勉強も習い事も運動も
着実に積み上げていかないと
振り落とされるのかな
そういうレールから外れたら
もう戻れないんだろうな
高度さは過疎の隅々まで行き渡っている
逃れられないんだな
老人も振り落とされるな
なんか親切なようで親切じゃないようで
年寄りはみんな本音を口ごもる
何食わない顔をして
気配を殺して後ずさりして行く
諦めたほうが楽だからな
時々若者たちに紛れて
適応してるぜって顔の老人がいる
羨ましくもあるが
もう疲れたという気にもなり
それなりに自分も抗ったさと
自分を慰めたりもする
後はどれだけ好きに生きられるか
わがままを通せるか
自分の老後を
それひとつに賭けて行く
2025/12/12
「誤差にうんざり」
生まれてこの方
ぼくらはずっと見続けている
この世の中の改良や改善を
もちろんぼくらもその流れの中に
自らの反省と成長のため
努力を重ねてきた
一年一年を積み重ねて
社会も自分もよくなるはずだった
住みよく暮らしやすく
そうして楽しく生きられるはずであった
けれどもそうではなかった
考えてみると
この事情は
このところの主流であるパソコンの
改訂や改良の進み具合によく似ている
多機能になり便利さが増し
使い勝手もよくなってきた反面
それ以上に最近ではバージョンアップや
セキュリティーの更新がひっきりなしになって
そのために起きる不具合も増えている
酷い時にはフリーズで固まったり
停止して使えないこともある
何だ何だ
機器も変えて部品も変えて
いろんなデバイスもハイスペックなのに
ぼくらの生活は
思うように向上していない
何かよく分からないがうんざりだ
この社会もパソコンも
一年一年とうんざり度が増している
改善改良が確かになされているのに
思ったような結果になっていない
なぜか分からない
どうしてか分からない
ぼくらの見込みが
誤差を生みだしているとしか
考えようがない
2025/12/11
「国民のお手本」
しばらく前から
特殊詐欺事件が騒がれ
社会問題化している
うん?
と少し間を置いて考えていたら
知らず知らずに
国の行政機構図を見ていた
(そうそうたる顔ぶれ)
内閣府
デジタル庁
復興庁
総務省
法務省
外務省
財務省
文部科学省
厚生労働省
農林水産省
経済産業省
国土交通省
環境省
防衛省
うん?なんで
なんでこんなのが思い浮かんだ?
何でこんなのを見た?
何で?
まさか?特殊詐欺グループ?
(嘘をつく)
(巧みな仕方で金を巻き上げる)
まさか
そんなわけは
ない
そんなわけはないが
いずれも過去に
ひとつふたつの不祥事や怪しい履歴も
(天下り)
そう思って改めて見返すと
詐欺とは見えない
特別でバレない仕方の特殊詐欺
そのお手本はここらかも
と思うが
まさか
2025/12/10
「ひとを罵るためだけの悲歌」
ぼくも時々する他者批判
それが口癖のやつ
完璧に自分のことが分かっているか
自分のことが分からなければ
まして他者が分かるか
分からないで批判する馬鹿
ぼくはその中のひとりで
これは内部告発の記だ
〈反日〉が口癖のやつ
まるで日本人と日本のことが全部
分かっているつもりのやつ
嘘をつけ
自分のことを日本的と思いこむ間抜け
ぼくのことは知らないだろう
青森の方言や
鹿児島の方言で会話できるか
出来ないだろう
中国政府や韓国政府の政策は知っても
その国の庶民個々については
何も理解しちゃいないだろう
ぼくらのことを知らないと同じように
中国だ北朝鮮だ韓国だ日本だと
国名で言えば
すべてを包摂したかのように
錯覚する脳細胞
言葉で情報をこねくり回して
世界に触れ
世界を論じられると勘違いした
とんまたち
半世紀ちかく地を耕し続けた農民と
数年を知のパズルに興じた連中と
どちらの世界認識が深いか
よくよく考えたことがあるか
幻想にはまり込んで
世界を幻想に引きずり込み
道ずれにするその連中
いつも庶民を巻き添えにする
あの連中
もううんざりだ
小さな頭の中に拵えた
小さく観念化した認識
それで世界が言い尽くせると考えたら
それは大いなる錯覚だ
世界はそんな頭の悪さで埋め尽くされる
その時確かに世界は狭小になる
そして狭小な世界を掌の上に転がして
手玉に取れた気になってしまう
だがいい気になっているのは人間だけで
人間の外には通用しない
統治者気取りは
統治者気取りたちだけでたたかい
統治者気取りたちだけで滅びるがいい
人間の世界はその外にある
2025/12/09
「時間つぶし」
半世紀以上もテレビ漬けで暮らしたので
昔なら自然の中に過ごしたところを
今はテレビ番組視聴に過ごしてきたと言ってもよい
それでどうだったかとか
それが何だったかとかはまだ断定は出来ない
自然の中か電波の中かが違うだけで
ぼくらはぼくらを取り巻くものの中で
楽しめるものを選択し
ケンケンパみたいに飛び跳ねて
電波の中に進んで来た
ただそれだけのことだった
電波の次に何が来るのか知らない
もっと刺激があって面白いものが用意されるんだろう
食と性と労働以外は時間つぶしのようなもので
それでいてそれが肝心なところ
その時間をどうフラットに過ごすかは
極めて大きな意味合いをもつ
ところでぼくは老後で貧しくもあり
自然にも電波にも興味が薄れて
後退縮退に進む
午睡を楽しむようになった
無意識から非意識へと
これからどんどん引き寄せられて行き
一緒に時間が勝手につぶれて行く
時間つぶしの暇もなく
シャッターのように目を閉じたら
もうそこは寂れた商店街だ
ぽつんと通りに立っていて
縮退の時間だけに立ち会っている
2025/12/08
「飛び飛びに人間」
人として壊れている
そういう人が多くなった気がする
メダル獲得のアスリートでも
芸能人や政治家とか
医者や先生やいろんな人たちが
あれれ、の一面をみせて
それでもつつがなく
社会生活が送れているので
まあいいかと
知ったこっちゃないと
目を離す
自分もちょっと鏡を見る
目や鼻が壊れていないかを見る
機能が劣化しているものの
大過ない
心はどうかというと
ちょっと怪しい
心が壊れたらどうしようかは
昔から考えてきた
捨てる
無視する
そうしておいて
世の中には
体と行動だけ見せつける
それだと大過ない
気がする
ご飯は食べる
睡眠も取る
ぼくという人間は
頭や思考を生きているのではなく
体を動かすことで生きていて
さらに生きる営みの根本は
内臓の方でやっている
なので心とか意識とかは
そちらに合わせる方がよさそうだ
そう考えてきて
今もそう考えている
人が壊れるか壊れないかの要因は
価値意識や価値観から来るらしく
とりあえず要因を除去すれば
人としての防御にはなる
時々人知れず
頭や思考に手を伸ばす
飛び飛びに人間であれば
それで一応の用は済む
2025/12/07
「腹が立つ、が」
小学校教員時代に経験した
朝の交通指導と
特別支援学級の運営は似ている
車社会が児童の安全安心より優先され
学習活動の効率性という観点から
健常者と障害者に区分し
健常者中心のカリキュラムが中心に置かれた
江戸時代までの方が
今よりはずっと平等に近い
自然と同じ差異のように認知されていた
長いものには巻かれる
大きいものには呑まれる
先のことが教えるものはこれだ
国の発展のために欠かせない二つ
教育と交通とは
障害と名付け支援という体のいい隔離
危険極まりない車の間を通学させる愚挙
そうしたことに目をつむって
富国発展に邁進した
国の発展か子どもの安全安心平等か
二者択一の中
先生も家庭もそして社会全体が
国の発展に忖度して
言葉をのんだ
ゲーム終了
ぼくを含め
みんなで渡れば怖くない
みんなで仕方ないと思ったんでしょ
平の先生はもとより
教頭も校長もPTA会長も
それから指導主事も教育委員会や
教育長あるいは文科省までもが
それを是としたんでしょ
一列に並んで歩きましょう
ふざけないで歩きましょう
そうして大小の車を走らすために
大通りは車に開放したんでしょ
そりゃあもちろん国の発展のためだから
車社会は変えられない
そして工場の流れ作業もお店の接客も
たどたどしくはやってられない
邪魔者は脇にどけて
スムーズにスムーズに流れて行かなきゃ
発展が追いつかない
その勢いに降参したんでしょ
あーあ腹が立つ
おおむね昔の方が大事にされていた
子どもも障害を持つ人も
その頃の社会は端を歩かせたりしない
社会の外にはじき出したり
特別な小屋に押し込んだりしなかった
一緒の社会にいるのが普通で
できる限りで大事にされもした
それが何だ今の世の中は
丁重に慇懃無礼に
そっちで楽しみなさいと
結局はのけ者にしてすました顔でいる
その方がよっぽど卑劣だ
善意によって偽装されたごまかしだ
国のためって何だ
国のためは
国の発展のため
じゃあ国の発展のためは誰のためか
それが延いてはみんなのためだという
統治のしがちな腐った論理
あーあ腹が立つ腹が立つ
ぼくも同じ穴の中の狢
ただ考えているだけ
言ってみるだけの役立たず
2025/12/06
「《国家のため》論」
類推すると、現在の都道府県はこの島嶼における最初の「くに」(国家)の姿をなぞらえたものだ。それはまたそれ以前、太古に存在した集落の、複数の寄せ集まりからなったと考えてもよい。
個々の集落は自然発生的であり、その繁栄や衰退はまた自然的なものだ。だが、集落が併合合体して「くに」(国家)の形にまでなると、自然な共同体の形成の次元とは異なり、人為が大きく影響を及ぼすようになる。
ここまでのところを考えたところで、ひとつひとつの集落にも、初期の「くに」のあり方にも、何ら特別の根拠はないと考えられる。天命を受けた集落も「くに」も無く、半ば勝手に、そして偶然に、形成されていったと考えてよいと思う。
集落には年齢や貧富や親族の広がりなどから地位や序列が生じるようになり、それはまた集落同士が合体して「くに」となってもその中に維持、継続されて行ったに違いない。それは豪族の誕生と形成の過程と軌を一にする。
これらの「くに」の統一からなる、統一国家日本の成立に際し、各地に存在した「くに」の豪族、そのうちの誰が覇者になるかは予見できるものではなかった。別の言い方をすれば、誰がなってもおかしくなかったのである。ただ知謀に長け、武力に秀で、運のよかったものが統一王朝の首領に座した。その一派がすでに形成されていた他国に向かって、こちらは「日本」だと名乗った。中央から離れた古代の過疎の住民には、そんなことは知ったこっちゃなかった。ただかつての小さな「くに」時代の、豪族に差し出す以上のものを納めることにやや負担を感じるようになったかも知れない。
現在のわたしたちの社会で、何の疑義も躊躇もなく、「国家のため」と口にする政治家を見ると怪訝な気持ちになる。おそらくは近代国家成立後の、国家自身が定義する国家をもって「国家」と言っているのだろうが、それは統治のための一方便に過ぎず、なぜ国家内に存在する人々が国家のために働いたり、国家のためを思って考えなければならないかを、根拠を示して教えるものでは少しもない。ただ念仏のように、国家のため、国家のためと口にしているのと違いがない。国家のためと口にする根拠が少しも語られていないし、示されていない。もっと言えば、彼らが口にしていることだけからは、「国家」とは何かが見えてこないし、内実について不問にしたまま、空っぽにしたまま、「国家」を連呼しているだけのように推測できる。
具体実証的に見れば、国家の前身は豪族の勢力範囲の恣意的な囲い込みであり、私物化とさえ言える。統一国家もまたそれを拡大した、恣意的な解釈による囲い込みに過ぎないものだ。
そしてこれを本質的に言い直せば、法や規範や規制を実際とした、観念または幻想による共同性の構築、これが国家の本質であり、本質的実体であると考えることが出来る。
もっとあからさまにしょうもない言い方をすれば、ある範囲内のすべての人が、「ここは日本というひとつのまとまりだ」と思い込めば、それが日本国の根拠になると言うことだ。そして実に、それ以外の根拠は何もない。ここが日本だという考えとか思いに統一できたら、そこに日本国が成立するのである。国家とはそれ以上でも以下でもない。空虚な幻想を本質としている。
現在言うところでは、国家はみんなが力を合わせ、みんなの力で作り上げていて、そうしてみんなのためになるものとして存在すると言うように装われている。しかし正直言って、その実感がない。また、国家という実体も見えない。あやふやなのだ。そしてそのあやふやなものを国家と呼び、一部の人たちは「国家のため」と連呼している。だがそういう人たちこそ、国家も国民の姿も見えていない。まるで神仏であるかのように国家を仰ぎ見て、国家のため国家のためと呪文を呟くだけのように見える。
2025/12/05
「観察の力」
シジュウカラが言葉を持つ。そうした最新の研究を聞くと、古代のこの島の住人が草木を初めとする自然の生き物たちの言葉を聞き分けたという話も、比喩や修辞としてだけではなくて、俄然実際的そして現実的に『そうだったのかも』と思われてくる。
動物も植物も種ごとに伝達手段を持っているはずで、その手段は広い意味では「言葉」だ。それぞれの伝達手段を感知していれば会話の雰囲気も知れ、長い時間をかけて観測すると推測の精度も高まり、おぼろげに理解出来るかも知れない。
たとえば縄文の一万数千年。争いが少なく平和だったかも知れない日々。自然全体を観測するには十分すぎるほどの時間とその経過である。そのうえ幾世代もの積み重ねもある。自然界の観測も十分に行われ、自然界の読み取りも広く深いところまで行われて、知識や知恵も得て、さまざまな教訓も得たことだろう。おそらくその間には、現在の生活の基礎ともなる、たとえば食べられるもの、食べてはいけないものの確定も、ほぼほぼ成し遂げられ、終えていたのではないか。
その後、人社会は人的交流が盛んになり、交流は広域化し、自然界から徐々に抜け出して行った。人界が多忙になり、人同士の意思や意図の読み取りに意識を集中させる必要も出た。その分自然界を読み取る力は薄れて行ったことだろう。
現在ではすべて機械任せにして、自然界の正確な情報を機械から教わることになっている。かつて人々に備わっていた自然観察力のような、身体的および心的な種々の能力はことごとくスッカラカンになったようだ。
そう思ってあらためて自分を振りかえると、自然の中に生きる身体能力も知識や知恵も、ほとんど失われていることを知る。一応現代社会にだけ適応できる能力は備わったが、この社会がいつなんどき自然や人為による災害で、気づけば荒れ地に立っているということがないとも限らない。そんな時に、出涸らしみたいなぼくらが、そんな事態に対処できるかどうか疑問だ。それもこれも、ひたすらに幻を追ってきた報いだと考えると、ただただ呆然としてしまう。はたして進歩発達だけを盲信して、このまま進んでいいのか。
この社会の底流に沈んで、ぼくらは物事が発する言葉を聞き取らなければならない。観測観察をして、暗示や示唆を読み取らなければならない。その力をすっかり失ってしまえば、ぼくらは糸の切れた奴凧のようにどこかにすっ飛んで行って迷子になる。
2025/12/04
「運命」
蟻は働くことが好きで
たくさん食料を蓄えたからと言って
長生きするかどうかは分からない
働き過ぎが原因で
死ぬことがないとも言えない
キリギリスは歌うことが好きで
後々食べることに困った
でも歌うことが好きだったので
短命を意に介さない
だったらそれはそれでいいのだろう
ぼくはお節介なのか
人を見てあれこれ考える
けれどもどうかな
長生きだろうが短命だろうが
とりあえずのその場で生き方を選択して
その選択のために
長生きしようが短命に終わろうが
そこは成り行きなんで仕方ないと
人は人
自分は自分と距離を取って
切り離すこともいいんじゃないか
可哀想なんて
安易に思ったり言ったり
しない方がいいんじゃないか
自分ならどうするかって事を考えて
実践して没頭する
人の生き死にについての手出し口出しは
傲慢かなと時々反省する
それぞれの人になることは出来ないし
なれなければ真意は測れない
ぼくの人生だってそうで
運命は共有されない
共有してほしいとも思わない
倒れたらそれっきり
命はそれを背負って死んで行く
外野の思いは届かない
外野の思いに意味はない
2025/12/03
「ぼくのミトコンドリア」
先史から歴史時代の現在に至るまで
変わらない生活というのはあるのではないかなと思う
たとえば家庭生活というようなもの
その水準とか様式とかは大きく変遷したが
その内に入り込んで考えると
必ずしも順風満帆に進むものでもなく
幸福だけが続くものでもない
海の波が凪ぐ時もあれば荒れる時もあるように
暮らしに悲喜こもごもはつきものである
そしてそうしたことは未来永劫続いて行くに違いない
人間生活のそういう部分はなくならないし
そこの部分では多かれ少なかれ
耐えたり我慢したりしなければならない
そこは是としなければならない
人間生活や人間社会の自然性と言うことで考えると
歴史時代に入って以後
わたしたちの社会生活にははっきりと
自然性の上または周囲に人為性や人工性が加わった
明らかにこれは人間の力によるものだから
人間の力によって付加したり
取り除いたりが出来るはずのことだ
そうして今わたしたちが考えていることは
自然発生的なことと人為によるものとを区別して
できるだけ人為からなるものを
わたしたちの社会から無くしていきたいと言うことだ
それはたとえば不平等
それはたとえば上下の階層
それはたとえば個々の人間に優劣をつけること
それはたとえば尊卑で見る視線
それはたとえば行き過ぎた貧富
そういう人為を無くすのでなければ
人の頭の上に立ち人を踏みつけて
それを是とする社会へどんどん進んで行く
人の作る法はきれい事を言いながら
ますます固定化していくことにしか役立っていない
こういう考えを遠慮がちに何度も何度も反芻して
やはりこれではいけないと
そのことだけは断定できるまでに至っている
言い換えれば考え方を詰めてきた
そうして到達したのはここまで
もうこの先へは進めない
いくら考えてもここから先のアイデアが出ない
積み重ねられた歴史が
積み重ねられた幻想の歴史が
わたしたち下層に生きるものを
常に圧迫する装置として働き続けると知ったら
わたしたちは妥協や忍従で暮らす以外に
どんな仕方で生きようとするだろうか
他人を蹴落としてか
他人を踏みつけてか
他人を陥れてか
そうじゃないな
生きることの普遍に沿って生きながら
どこまでも考え感じることをするんだな
つまり一周回って今ここを生きる
それ以外にないな
それでいいんだな
ここからはかすかだが
普遍の真ん中を生きる人々が
かつてのクラスの子ども等のように輝いて見える
とりあえずはそれは
ぼくのミトコンドリアだな
2025/12/02
「似たか寄ったか」
庶民としてのぼくは
酔っ払ってふざけるのが好き
夜のネオンの中を
頭をぐらぐらさせて
はしごして回る生涯を
選択できるんだったら
それでもよかった
どうせ遅からず
おさらばするものと思っていた
正解と確信した計算が
違っていた
目の前にはダイブの崖も見当たらず
緩い勾配の坂
ずるずると今日まで
貼り付いた斜面を滑り続けた
別にどうって事ないんだ
右も左も庶民はみんなそうだ
似たか寄ったかで
ずるずる斜面を下る
足先に引っかかりを求めて
ついた手の指先で地に線を引いて
足からずるずる落ちて行く
おさらばの考えなんか
考える余裕もない
問題は
人社会で平等を壊したのは
誰かって事だな
元に戻してもらおうじゃないかってのが
庶民の悲願ってもんだ
2025/12/01
「境界にて」
老後が残りかすみたいに言われるのも癪だし
だからといって強がりで
本当の自由と希望の入り口と讃えるのも変
いっそ先輩老人たちのように
奥義については黙っているのが無難
いずれ年寄りになれば誰にも分かる
他言無用の免許皆伝を手にする
以心伝心の術も会得する
言葉に頼り切りの非老人には分からない
老人の心の触手は
薄れた境界の間を縫って
霞のようにどこまでも広がって行ける
空にも雲にも通じ
自然物や野生の生き物たちにも通じる
少しずつ
人間の言葉は捨てて行く
境界を越える頃には邪魔になる
真っ白な砂嵐に変わると
新たな通信が始まる
2025/11/30
「無題」
改革を標榜し
「世間とたたかう」や良し
誤りを正す意だからだ
しかしそれをするに
仲間を集い
卑劣な手を使い
力尽くでその意を通す手法は
政治の常套手段とはいえ
やり方次第では
災いの種となり禍根も残す
過去の世界の革命もそうしてなった
たくさんの犠牲を伴った
そうしてなった政権国家が
後にどんな弾圧政治を行ったか
過去にも現在にもその足跡が見える
「ふざけんじゃねぇ」と言うのが
どの国の民衆もが抱く
沈黙の声だ
指導者たちの
国家国民国益のためという
ただ自分の観念に酔いしれている言葉は
自己満足と
仲間内の満足とのためだけに使われ
その裏でたくさんの人間の
誇りと尊厳を踏みにじる理由ともされ
正当化にも使われる
かつての世界大戦時に
民族民衆を心酔させた元首たちの
恐怖政治を彷彿とさせる
時代錯誤も甚だしい
亡霊ゾンビたちの生き返りだ
いずれ消え去るのは間違いないが
しばらく「世間」に跋扈して
かき乱したり血を流したり
たくさんの犠牲も出すだろう
消え去り立ち去った後は
「つわものどもが夢の跡」
教訓も何もない
ただ荒廃が残るだろう
人間の恥と醜悪さの集大成として
人の心に録されるだろう
2025/11/29
「継承譚」
敷き詰められた枯れ葉の上を
カサカサと音立てて
冬は歩いてくる
遠くの山から森から
ゆっくりと砥石に磨かれて
冷気が里へと下りてくる
少しの間躊躇していたら
「学校を出ていないから」と苦い父の声
落陽のまぶしさの中で笑みを浮かべている
そうして珍しく手を翳すように振り
背を向けて遠ざかって行った
昔ぼくが通った
あの部屋の中は蛻の殻だった
壁と柱の入れ物に
銘銘が勝手な幻想や妄想を
詰め込んでいるだけだった
人に体現されるものではない
つまりからくり箱だと
ぼくは見破ったつもりだ
ろくに話もしなかったが
ひとつの戦いの継承の形がそこにあった
外からと中からと
同じものに向かって戦っていた気がする
秋から冬へ
山から里へ
カサカサと乾いた音を立てながら
冷気は枯れ葉をぬらし
やがて雪が降り積む
足跡は消えずに
先へと続いている
2025/11/28
「一人芝居」
立ったまま靴下をはくことが
難しくなってきた
右足上げておっとっとっと
左足上げておっとっとっと
まっすぐ立っても猫背だし
ぶれずにきれいに歩けもしない
歪みひずみもあちこち
長く人間の生活を続けると
みんなこうなる
長生きは健康に悪い
ゆっくりと日が暮れて
ゆっくりと午睡から目を覚ます
知らぬ間に
集落の外れまで運ばれている
『たそがれだな』とか
『人生だな』とか
教科書通りに朗読をする
深夜までには
まだ繰り返す時間はありそうで
今よりは上手に
朗読するようにもなるだろう
観客のない一人芝居も
できるだろう
2025/11/27
「いい人」
ぼくは人の目を気にする狐です
人の目を気にするので
気にしないようにしたいなあと
子どもの頃に思ったことがあります
結局直らなかったので
これは仕方ないと思いました
諦めました
それでそれからは
人の目を気にして顔が真っ赤になったり
心がざわざわしても
気にしないことにしました
気にすることを気にしない技です
その技を磨きました
そうしたら不思議なことに
人の目を気にしても
顔が赤くなっても
ざわざわする気持ちになっても
そういう心を見る
もうひとつの心が立ち上がって
気にする自分を
冷静に見るようになりました
「みにくいアヒルの子」
というむかしのお話を思い出します
水に映った自分の姿を見て
ハクチョウであることに気づいた話です
本当の自分を知る瞬間
きみにもいつか
あればいいのにと言うお話です
なぜならば
きみが思うよりもきみは
人間として尋常です
いい人です
引きこもる人
孤独の人
あなたのことです
ぼくは狐です
2025/11/26
「個性はもうそこで」
個体の誕生は類の誕生を模している
脊椎動物の進化の歴史を
胎児の姿で通過する
産道を下ると
人類の誕生と一人の人間の誕生とが
二重写しになって
外界に出現する仕組みになっている
誕生した個体にとっては
それが人間としての始まりにあたっている
そこから少しの間
乳児には人間史が吹き込まれる
一年後は人類が言葉を獲得した時期に当たり
完全な言葉の習得までには
なお時間を要することになる
同時進行で社会性を獲得して行く
以後はゆっくりと
人間社会の一員へと成長を遂げる
初めに遺伝子記憶が展開され
次に既存の脳記憶から
新規の脳への刷り込みが行われる
こうして代々類から個へ
そうして個から個へ記憶は送り届けられて
現在が形作られる
現在はそのすべての始まりから最果てにある
おおむねその過越は
あやまたずに現在へと続いている
だから現在へと至ったすべての種とその生は
とても貴重なのだ
それらの生には上下尊卑の区別はない
ただ細胞からと
脳髄からの二種の情報の違いが
個々の違いを生みだしてしまうだけだ
個性はもうそこで出来上がってしまっている
その後は人の物語として展開して行き
日常にあって
悲喜こもごもを生みだす
2025/11/25
「怖い話」
今一瞬のうちに日本国民個々に一兆の金を持たせたら
社会問題は一掃するな
引きこもりもなくなるし犯罪も起こらない
使い切れないほどの金は持っているから
誰も働かなくなる
行くところまで行けばみんな無職
使い切る前に国家も壊滅するし政治も経済も消滅
そのうちお店も工場もなくなって
人々はただ食い物を探してうろつき回る
その頃にはお金に価値はない
狩猟採集か農耕のはじまりの時代に戻るのかも
現金増刷革命
令和の歴史にそう刻まれる
これはこれで懸案の社会問題は解消
競争も争いも鎮静化する
半年と経たずに
物という物はなくなって
物がないから知識もいらない
学校にも行かないし
引きこもりもなくなるし犯罪も起こらない
お金はただの紙切れ
ただの無価値な金属
人々はただ食い物を探してうろつき回る
食い物の取り合いで
小競り合いや盗みが横行するのかな
でも警官もいないし報道もないし
みんなにお金がありすぎるとお金の価値がなくなって
結局無一文と同じになるのだな
ちょうどいいあんばいがお金に価値をもたらすので
価値を維持するバランスが統治の手腕でもある訳だ
貧富を作り上げてなかなか巧妙だな
金は持たせすぎても吸い上げすぎてもだめなんだな
統治の要のひとつでもあるから
当分世の中から金を無くすことは無理だな
統治が出来なくなる
うまい仕組みだ
そのおかげで今の世の中もこんなになって
お金を発明した人たちの
頭の良さに囚われ続けてしまって
呪いなのか怨霊なのか魑魅魍魎なのか
怖いな怖いな
過去からの呪縛が怖いな
2025/11/24
「老後はあちこち詰まりがち」
今のところ目や耳や鼻や歯に
加齢による衰えの症状が顕著に出ている
視力聴力の低下に鼻炎や歯のぐらつきなど
これはもう順調に衰えているということで
喜ばしい限りだ
もっとある
頭髪が限りなく薄くなりかけ
ご多分に漏れず足腰に痛みも走る
こんな状態で
どのように老後に立ち向かえばいいのだろう
野生動物なら生きていられない
そういえば体の中も怪しい
便秘がちで下剤の世話になっている
口から肛門まで一本の管状に続いていて
その末端が詰まったら
それは大変だ
その間には畑のサツマイモみたいに
たくさん臓器がつながっている
それらもみんな弱化するに決まっている
いよいよ本格的に衰えている訳だから
喜ばしい限りだ
生き物はみんな口から栄養を取り入れて
残りかすを肛門から外に出す
それが出ないってことは
残りかすがいっぱいになって腹がパンパンになる
野生の生き物なら末期だ
実はそれに似たことが頭や心にも起きている
主に目や耳から取り入れた情報が
どんどん頭や心に貯まるばかりで出口がない
情報には有益なものもあれば
有害なものも混じり
それは心や頭の中で発酵もする
心も頭もパンパンである
どこかにぷしゅーっと穴を開けて
一度空っぽにしないとやってらんない
詰まった時の放屁みたいに
すかっとしたいな
こちらもなかなか老後は深刻な問題で
限界に近い気もして
それはそれで喜ばしい限りだ
もうすぐ厳しさのカウントダウン
終了と同時に
マットに大の字になってゆっくり目を閉じる
ぼうっと意識が消えて行くのは
気持ちいいだろうな
2025/11/23
「災害革命」
年を取ると
この国はもうだめだなとか
狂っているとか崩壊するなとか思いがちだ
さまざまに山積みされた問題は
どんなに応急の対処を繰り返しても
かえって悪化するばかりだとも考えてしまう
挙げ句の果てに
令和の徳政令だとか
基本の食料は自給自足を義務とするとか
とんでもの解決案を考えたりする
もちろん誰にも取り上げてもらえないから
自然災害頼みを
真面目に考えたりする人もいる
南海トラフ地震が起きれば首都機能も停止し
関東から西は大きな打撃を受ける
特に高度文明を支える仕組みや機能が壊滅し
一瞬のうちにビルや家屋の倒壊
広域に津波が押し寄せ惨状が広がる
つまり国家の壊滅
国家の機能停止の状態を想定する人がいる
それは冗談交じりに言えば
自然のする災害革命という話だ
災害革命でしか日本を立て直すことは無理だ
そういう考えだと思う
年寄りの考えることは大胆すぎる
だが考えるだけだったら何を考えてもいいのだ
その人が災害を起こすのではない
その人はそうなったらどうすると
現在対策は講じているのかと問題を提起している
やっていないんじゃないかと危惧している
そのうえで実際に災害が起きたら
それは天災ではなく人災でしょということになる
そんな国家や政府はだめじゃん
復旧復興で同じような国家や政府を目指すのは
愚かじゃんという話になる
こういう年寄りの無責任な妄想の
本当の問題はその先にありそうな気がする
それぞれの家族単位の立て直しは
過去のそれを踏襲するとして
問題はどんな国や地方の創世を目指すかだ
そこに来ると
ぼくのように凡庸な年寄りには分からない
ただ以前と同じ国家社会の復旧復興じゃ
芸もないし意味もない
地方への大幅な権限委譲とか
二カ所拠点の住まいとか
家族を維持する分の田畑の貸与とか
理想のイメージは作っておきたい
聞かれたらいつでも答えられるだけの準備は
怠らずにしておきたい
2025/11/22
「歴史が刻まれ文明が進み」
歴史が刻まれ文明が進み
いったい何がしたかったのかと
誰かに聞いてみたいんだが
見当たらない
一方ぼくらはぼくらで
生涯のほとんどは
震災後の日常のように
やるべきことに追われていた
豆腐を買いに出かけたり
灯油を買いに出かけたり
用もないのにとぼとぼ歩いたり
歴史が刻まれ文明が進み
いったい何がしたかったのかと
誰かに聞いてみたいんだが
見当たらない
ぼくらは何にも刻む気はなかったし
文明の牽引も後押しもしなかった
けれどもきっと
ぼくらが知らないところで
相変わらず
歴史は刻まれ高度文明は進む
何がしたいんだろう
誰が喜ぶんだろう
何のために誰のために歴史は続き
ぼくらをすり抜けるように
文明や文化は高度化するのか
その一連の流れは
個の生涯にもすれ違い
人間の願望の大半にも
今のところはすれ違っている
2025/11/21
「古代期と子ども期」
葦原や森を眺め続け
大地を歩き大地に寝転ぶ
それはこの島国以前から続く人の暮らしで
この島国の古代人の心にも体にも染み込んでいた
いつの頃からかその古代人たちが
本格的に目線を上げることを覚えた
太陽があり雲があり夜には月も星も見えた
もちろん以前から見てはいたが
見る主体の意識が変わって来ていた
空からは光が注ぎ雨も落ちた
見えない風は高所にも川辺にも吹いた
意識には「不思議」が芽生え
その意識で空を眺めた
太陽を眺め雲を眺め夜の月や星を眺めた
雨の降り続くのも眺め風のうなりも聞いた
大地に降り注ぐ光
この島国の古代人はいろいろ見聞きした中で
いちばん偉いのは太陽だと考えたかも知れない
活力をもたらし
元気をもたらすことに気づくようになっていた
最も大事なものを失いたくないと感じた時
はるか遠い地の古代人たちは
身近にあるものの中から感謝の思いを込め
美しく大切なものを捧げ
太陽がいつまでも空に生き続けることを望んだ
生け贄は太陽への転生であると
誰もが信じていたのかも知れない
信じれば生け贄は喜びであり誉でもあった
この島国の古代人がそうしたかどうか知らない
ただ同じくらいに太陽を崇め
大事なものと認識できたはずだ
これをたとえば縄文時代に仮定して
さらに現代の子ども時代に換算すれば
ざっと四歳から八歳くらいかなと推測してみる
人間としては基礎形成の時期に重なる
成人が子ども時代の多くを忘れるように
現代人も縄文時代を無意識の底に沈めている
けれどもその時代の心身の経験が
その後を決定したり左右したりするような
重要な時期だったとは考え得る
子ども期がそれだからだ
つまり空白の時期とか
何もしなかった考えなかった時期ではなく
人間にとって貴重で重大な時期の一つが
そこにあったに違いないと
確証はし得ないまでも想像はし得る
そう考えてみると幼年も古代も
成人や現代と同じかあるいはそれ以上に
心身にとって豊かさを育んだ時期だし
そうした体験と経験の時代だと見当がつく
2025/11/20
「遺恨の表白」
女性にもてたことがないので
どこか奥の方に恨みつらみが隠れている
ぼくはすぐに惚れる
声に惚れ目に惚れ仕草に惚れる
惚れると好きだと言ってしまう
いつもその繰り返しだ
いまでもぼくは残念であり無念である
たまには女性から言い寄ってきても
よかったのではないか
告白するには常に大きなリスクが伴う
ぼくは覚悟を繰り返した
健気に繰り返した
いま思うと一方的にリスクを負ってきた
ぼくはそれがずっと不服で根に持っている
もう一つ言っておきたいことは
女性はぼくの人間性に興味がないことだ
特に内面や思考や思想そのものに
まったく関心がない
主にお金や快適な暮らしを求めてくる
そんなふうに感じる
だから渋々ぼくを好きだと返してきても
ぼくを好きなのではなく
利をもたらすという範囲でのことだと思う
老後も進んできて
あまり女性のことを考えなくなってきた
女性のことは分からない
それがぼくの結論になってきた
意識の上での触れ合いや接触というものを
本当の意味では経験したことがない
老後になってますます距離が遠くなり
女性は生き物としては別物だと
そう理解を諦め放棄しようとなってきた
ぼくが悪いんじゃない女性が悪いんだ
男性に正体を明かさない女性に罪があるんだ
女性崇拝の賞味期限切れだ
たぶんもう互いに男性でも女性でもなく
目の前には人間だけがいるんだと
そうなってきたんだと思う
2025/11/19
「言いたい放題の場があることは悪くない」
ざっと見るだけで
SNS上には
たくさんの文字表現がある
それらを読む人もいれば
読まない人もいる
互いに読者で表現者と言うこともあり
ぼくのように
ただ表現を垂れ流す
それだけの人もいるのだろう
読むだけでは飽き足らず
自ら表現する人が増えている
プロアマ問わず
つまりは自己主張の花盛りだ
そういう時代なんだと思うし
そういうことが出来るようになった
ということでもある
そこから少し引いて考えると
いっせいに表現者になる
その動機はいったい何だ
そんなに世の中に不満があるか
あるんだろうな
どれをとってもよい
少しだけ読んでみると
それが分かる
たくさんの不満が世に出ているが
それは出たきりになって
速攻改善には結びつかない
むかしの「夢の島」
ゴミ溜めの臭いもする
それでもと言うか
それだからと言うべきか
言いたい放題の場があることは悪くない
自己満足だろうが自己慰安だろうが
要求また需要があるということ
むかしの井戸端とか
毎晩のように繰り返された酒の席とか
思いの丈の熱気の放出として
同じような意味を持ってもいるのだろう
悪酔いもして後悔もするのだろう
善いも悪いもごっちゃだから
みんなの見る目聞く耳も養うのだろう
そういう場が規制され廃止されると
井戸端の場は
また次に移るのだろう
こうやってしか
ぼくらも前に進めない
2025/11/18
「表出の衝動」
集落には境があり
県境とか国境とかの境もある
その先は分からないが
きっと何かの境がある
動植物との境とか
自然との境とか
見たことはないが何かある
押しくらまんじゅうの
仲間とか集落とか社会とかから
もみくちゃになって押し出され
自分から離れて行って
気づいたら境界の線の上だというのは
多分よくあること
悪いことばかりではない
それは離れた世界と近づく世界と
二つの世界の間で
一粒で二度おいしい
やるべきことがたくさん出来る
とりあえず
あっちにもこっちにも目を向ける
悪いことがあるとすれば
境界の線から出られないこと
あっちにもこっちにも行けない
なので線上で孤独である
類を作れない
すべてから疎遠な立ち位置なのだ
孤独なさみしさに襲われたら
植物や獣を考える
いずれも個体であることを
そのまま受け入れて
一本や一匹を辛いとしていない
夜空の星たちもそうで
隙間なく瞬くが
星同士はまた絶望的に離れている
だからもう何も考えない
目に見え耳に聞こえること
心や頭に思うこと
その時自ずから表出の衝動は湧き
言葉や色や音を借りてそれを表出する
人間はほかの生き物と違って
そういうことをしたがる
そしてそこまでは誰からも
文句をつけられる筋合いはない
だがそこで問題になるのは
表出がそれ自体として
目的化されてしまうことだ
誰に向かってと言うその相手がいない
だから表出はいつも
幻の対手を探し
幻の対手に向かってなされる
その不毛と徒労のむなしさだけには
耐えなければならない
2025/11/17
「ちょい満」
洗濯物を干す時に
黄色と橙色の秋桜が花壇の中に
桃色と白色の秋桜が
家屋と庭の境に勝手に咲いていた
日差しを浴びていて
どれもきれいに見えた
十個ほどのプランターのなかは
すべて日々草が咲いている
庭の端に南天の木があり
よく見ると小さな実が
赤くついている
幹と葉っぱが茶色で
その赤はあまり目立たない
偶然だけれども
こういう偶然が一番よい
「きれい」と思ってすぐにそれを忘れる
生きるってことは
こういうことの繰り返しだ
意味のない意味や
価値のない価値が現れては消えて行く
その一齣に
ついさっきも触れたのだと思うと
うーん
ちょい満だ
生きてることが
こんな時は心地よい
※「ちょい満」は思いつきで、勝手に造語しました。
小さな満足。ちょっとした満足の意です。
2025/11/16
「大きな岐路」
車や電車なしには動けない
手足を延長した結果だ
AIが進化するとどうなるか
AIは脳機能の外化や延長だから
おそらく人間は
単純で楽な思考しかしなくなる
コピペが横行する
昔の漫画に描かれた未来人は
体が線のように細く
頭だけが大きく描かれていた
それは間違いだ
頭の働きはAIに託すから
頭も小さく細くなる
そのうち人間は手足も不要になり
思考する頭も不要になり
その先ではロボットに置き換わり
出涸らしみたいに
小さく縮小されて取り残される
いいか悪いかではない
間違いなく現在は
そういう発展経路を進んでいて
かつて自然世から法世に転位した
その時のように
未来を左右する
大きな岐路に差し掛かる
と予測する人もある
壮大な話なので
ぼくには理解しかねるが
2025/11/15
「たゆたう意識」
池の中か海の中か分からない
ただ水の中にいるのはたしかで
底には沈殿する不明があり
表層には光が差し込んで見えている
ざっと意識の中はこんなで
潜ったり浮かび上がったり
自由自在に動き回れている
身体の動きとは違い
遠くまで行ったり来たり
もしかするとこの中では
宇宙の端や外までもといった
無限や無制限さもある
頭の中はこんなふうで
一日中こもっていることもできれば
同じところにとどまることも
あちこち動き回ることもできる
制約だらけの現実世界とは別に
意識にとってのもう一つの現実世界が
ぼくら人間にはあるっちゃある
ずいぶんと長い間ここに過ごして
ともすればここでの過越が
自分の人生のような錯覚もする
どうなんだろう
身体世界での現実がすべてだと
誰が決めたんだろう
水の中にたゆたう意識
まるで羊水の中の胎児のように
このたゆたいのまま
いましばらく
身体の旅に付き合って
明日へと運ばれていくことになる
2025/11/14
「部屋の中」
部屋に一人いて
思いつく言葉を文字にしたりしていると
ふと
ここは墓の中だ
という気がしてくる
生きているんだか死んでいるんだか
生きることはこういうことじゃないと
漠然と思う
じゃあ生きるとはどういうことかというと
考えることも面倒になる
でもなんか違うよなあと思いつつ
しかし自分なりに精一杯考えて生きようとして
その結果が自分を部屋に閉じ込めて
あれこれ言葉を紡いでいる
もう本当はどんな生き方をしたかったか
思い出すこともできない
少なくともこんな生き方なんて
望んだことではなかった
そんな気がする
幸せだよって言えない
誰にも勧められない生き方
かといって苦しいよとも悲しいよとも言えない
ぼく仕様のこの墓の中で
呼吸が止まるまで
言葉と文字の積み木崩しに没頭して
ぼくは終えるんだろうなあ
満足だとも不満だとも
言いがたいところだな
2025/11/13
「寂しい帰結」
子どもの頃くすぐったいことに過敏で
それが気に食わなくて何とかしようと思った
いろいろやって最後には自分で自分をくすぐった
くすぐったさから逃げるのではなくて
くすぐったさのど真ん中に進んで入って行った感じだ
そうやったらいつの間にかくすぐったくなくなった
逆に不感症気味になってしまった
子どもの頃のこの体験に味を占めて
苦手なものにはかえって向かって行くように努めた
その方が苦手の正体を知ることになり
苦手が苦手でなくなることを知った
嫌なこともそうやって克服した
気がついたら偉そうなもの
強そうなものにも刃向かっていて
偉そうなものは少しも偉くなく
強そうなものも強くないと知った
おかげでぼくの精神は無敵になったのだけれども
ぼくの引きこもり症は変わらなかった
無敵なのにますます引きこもった
ぼくの論理でいえば
寂しさから逃れるには仲間を作ることではなく
寂しさの真ん中に進むことだから
当然こういうことになった
不思議さを演出するようで言いたくないが
現在からむかしを振りかえって見れば
こうなることは幼児の頃に
すでに伏線として予感されていた気がする
そうしてみると
何かぼくの核のところでは
ぼくはぼくをしか生きられなかったんだと
変わっていないんだと
駆け抜けてきた割には寂しい帰結に
いまたどり着いている
2025/11/12
「ありもしないもの」
昔からそういうところがあったのだが
例えば周りからどう見られようが
どう言われようが気にすまいと考えていた
そうするとある人が
周囲からどう評判されようとも
その評判の視線は借りずに
自分の視線の感触だけでその人を見る
そういうことになっていた
それでよかったんじゃないかと今も思っている
結果世間の評判はずっと遠くなって
自分の目で見て耳で聞いたこと
それしか言えなくなった
世間からも遠くなり
あらためて世間を見渡すと
作られた群れと言っても本当は
一人一人の集まりに過ぎず
その一人一人をよく見ると
上下もなければ尊卑もなくみな同じ
そんなふうに見えている
遠ざかった世間は自然の場所近く後退して
独特の意味とか約束事とかも
ずいぶんと薄まって見えて
あんなこともそんなこともどうでもよい
そのように見えている
生きてりゃいいっていうようにだ
この時この瞬間に生きているものは
みな一緒に横並びだ
金持ちも人気者も関係ないよ
楢の木と青芒だって
見方によっては違いがないよおんなじさ
ぼくにはそう見える
生きようとして生きていることに変わりはない
それでいいじゃないか
それだけじゃないかって思う
長生きして一つだけいいことがあった
普段落ち込んで過ごすことが多くても
そんな気分に囚われるのは馬鹿らしい
そう考えられるようになったことだ
どうだっていいじゃないか
いずれ近いうちに死ぬ
みんな死ぬ
そうしたらみんなそれまでは
死ぬまで生きるで一緒だ
そんなんで
いいんじゃね
どう生きようがいいんじゃね
そう考えて
人間の責任という
ありもしないものを肩から下ろして
少し楽するようになった
2025/11/11
「記憶のキャンバス」
記憶のキャンバスには
大きな虫の音や蛙の鳴き声もあります
目には家の前の大きな桜の樹の幹や葉があり
その向こうには川があり
左右には田んぼが広がっている
それこそ飽きるほど目にした光景です
小さな山がありそのうえに空が広がっている
夜には無数の星たちが降り注ぎ
天空の月は丸く細い三日月と
入れ替わり立ち替わりしている
縄文といった昔は特に
一万年以上も続いた平和な時代と言われる
その間大人も子どもも
昼にもまた夜の早いうちにも
空を眺め大地を歩き
雲を見たり空を見たり山を越えてみたり
海や川にも出かけたかも知れない
獲物を探し木の実を探し
雨の日も風の日も繰り返し手と足とを使い
目に見て耳に聞いて
心に思い考えることもしていた
単調な生活の繰り返しと考えられるが
一万年近い単調さで焼き付けられた
目の記憶や耳の記憶
あるいはそれらの伝承や口伝
あるいは思いや考えを記憶した意識や心は
時代の地層として
幾重にも積み重なり積み重なりして
末裔たちの足場となった
単調な繰り返しで固められた
純朴で太い万葉調の心情や
ありとあらゆるものに共感できる精神
けれども遠く
「文明開化」の声を機に
積み上げてきたすべてのものを
そぎ落とすようにして駆けてきた
何一つ遮るもののない
空とか雲とか太陽とか月とか星とか
また大地とか草原とか森とか
雨とか川とか木々の幹とか梢とか
そのほかにも鳥たちがいて獲物の動物たち
蝶がいて虫たちもいて水の中には魚
一万年をそういう中に過ごしたら
そりゃあしっかりとした
本物の知識や知恵もついたろう
こざかしい知識を山積みした現在が
進歩発達の結果だというのは嘘だ
それらは人間の外部に打ち立てられた
科学技術文明の結果で
個々の人間の肉体や精神や心情は
おおむね急速に縮退している
2025/11/10
「ほぐす人」
小学校の先生をしていたが
今よかったと思うことは
勉強はできないがクラスの人気者だった
そういうお馬鹿な子に出会えたことだ
ぼくが教壇に立っている時よりも
その子が中心になってワイワイしている時の
クラスの雰囲気はとてもよかった
後年になって
テレビでお馬鹿タレントが活躍している時
現在ではお馬鹿芸人を見る時
やっぱり似たような雰囲気を感じ取る
ほっとして心がほぐれる
先生がいないと授業が進まないように
社会には優秀な政治家や学者や
いろんな有識者が必要なのかもしれない
それは人間社会が高度に便利になり
そしてまた国を維持するために必要とされている
だがぼくらからすれば
毎日の暮らしにそんな優秀なやつは必要ない
あのちょっと間の抜けたくらいの
場を明るく和やかにしてくれる人が貴重で
その人の優秀さは
現在のどんな評価基準をもっても
正確に計ることはできない
つまりそんな評価基準しかもっていない社会は
豊かさとはかけ離れたさみしさと吹きっさらしで
到底住む気にはなれない社会だ
ぼくは老いてなお
特にそんな子どもたちのことを
懐かしく思い出したりする
成りたくても成れない優れたお笑い芸人には
ある種のあこがれもある
2025/11/09
「処世訓」
平らな道の先端を考えもしないで
身の回りのことに五感を集中させている
とくに若い人たちはそうだ
世界の果てまでは
いつだってひとっ飛びで飛んでいける
そう高をくくっている
平らな道の先は断崖絶壁と知らない
年を取ると正反対で
身の回りのことは既知だと高をくくり
断崖の行く手ばかり心配になる
若い人たちは
行く手の断崖について考えた方がよい
それを考えると考えないとでは
「現在」の見え方も
真反対ほども違ってくる
年寄りは反対に
間近に迫る断崖を気にする必要はない
「現在」に触れている
その手触りのようなものを
噛みしめたり味わったりと
そんなことを気にかけるべきだ
手の甲に落ちた日差しのぬくもりとか
鼻先をかすめる風の匂いを嗅ぎ分けるとか
意味はないが
そういうことに一生懸命になり
一日一日を身と心とで感じることがよい
幸せとか不幸とか考えるよりも
居心地のよい時と場とを
ゆっくり追いかけて
次々と移動して行くくらいで
ちょうどよい
2025/11/08
「言葉の力」
言葉は力である
事実を真実を真理を伝え教える
そうであれば伝播し
世界は自ずから成るように成る
放っておいても
世界の方から正しい言葉は求められる
そう考えて言葉に取り組んだ
たくさんの先人がいる
けれども今日では
言葉には力が無いことが分かった
言葉はそれほど歓迎されない
かつて言葉に込められた
事実も真実も真理も
社会を動かす力にはなり得ていない
社会を動かす力は別なところにある
種明かしをすれば食と性
経済と恋愛だ
そうして根底でそれを支えるのは欲望だ
誰にでも備わっている欲望である
いつの間にか言葉は
その一部の力を失いつつある
失望の人たちは
無口に黙り込むか
大声で叫ぶかの二択を選ぶことになる
間を縫って
小銭稼ぎの文字列が跋扈する
これからも言葉は少しずつ
威力を捨てて行く
2025/11/07
「個幻想からの発信」
賢しらな言葉たちが賑やかに
時に大声で表通りを行き来している
別に気にする必要は無い
目に見える世界がすべてだと思い込んでいる
彼らとは別に
同じ空間の中にぼくらは別世界を構築した
ミュートを発動しフィルターをかけ
こっそりとひっそりと
ぼくらはその世界に憩うことができる
どちらが実際世界であり架空世界であるか
問うても意味が無い
もともと世界は何重にも重層的なのだ
ぼくらは知っている
ぼくらが目の前にしている世界に向かって
「虚偽だ」と発信した瞬間に
その世界は虚偽世界に転落する
だれに承諾を得る必要も無い
まるで独立国のように
独立の精神世界は出来上がってしまう
世界を変える方法
その探索は
個的なところから始められても
悪くはない
2025/11/06
「きんこじ」
むかしよく
声を上げたいのに声が出ない
そういう夢を見た
切実に声を上げたいと思う場面で
必ず声が出せないものだから
ものすごく
無力感に打ちひしがれた
体の奥のまたその奥から
本当に本当に
声を絞り出そうとするのに出せない
いま考えてみると
自分が声を止めていたとしか思えない
その時の自分は何かって
さらに分からない
現実世界だとそれほどのことはないが
やはり声が出せない
そんな状況なり場面がしばしばある
その度に打ちひしがれたりはしないし
黙っていれば場面も転換し
嫌な気分を持ち越すことも少ない
けれどもどんどん年経るごと
口に出せないことが積み重ねられて行き
やはり心にも頭にも
無力がいっぱい詰め込まれてしまう
いつしかそれが実際なのだと
自分でも認めてしまい
この世界はそういうものだと言い聞かせ
「きんこじ」を頭に乗せて
さらに無口になる
2025/11/05
「老後の心象その三」
細々からギリギリへと足下は綱渡りだ
老後は少しずつ飢えていく
姥捨て山ではなく
持ち家の中で
日ごとに心はむしばまれ
追い詰められていく
まるで南の島の震洋隊みたいに
出撃命令が下り
いざというその時を待っているようだ
こういう状況下と
こういう状況下に置かれていることとが
運命のように当たり前に思える
言葉はただ浮かんでは消えて役に立たない
言葉の代わりに映像が貼り付く
巨大な幻の戦艦に吸い寄せられるようにして
その時を迎えるのだと
その結果だけが明瞭に見えている
平和時なのに
高度文明社会なのに
福祉国家と言われたりもするのに
なんだか破滅に向かって
緩やかに突撃するような雰囲気の中に
貧しいぼくらの老後は進んでいる
2025/11/04
「人の心の考古学」
生き続けることは大きな仕事だ
考え悩み続け
時に大きな傷も負う
考え悩む機能が失われた時でさえ
身体なり細胞なりは
休み無く動き活動し生を営む
それもまた大事業だ
生き続けることは
生命あるものの
唯一の大きな大きな仕事である
その余のことは
ちっぽけな人間世界の
ちっぽけな世間話でしかない
得意げにしゃべりたいやつには
黙ってしゃべらせてやれ
ぼくらは
何かをなすこともなさないことも
同じ価値だと考えているし
上下も尊卑もないと考えている
人間世界もそのうち大きくなり
世界なり社会なりの
無意識のシステムを理解するようにもなる
その頃には現代も古代の範疇に入れられ
人たちの声なき声や
引きこもりや鬱の人の声も発掘され
それらの精神性が
一括りに高く評価もされるだろう
だから生き続けることは大きな仕事だ
考え悩み続け
時に大きな傷も負う
現在の生きとし生ける人間のあらがいが
未来に向かってなだれ込む
未来の考古学がそれを探す
遺物を調査して
最後はその時代の
人の心にたどり着こうとする
2025/11/03
「やりくり算段」
「生活が苦しい」と文字にする時には
実は苦しんでいないですね
一種の喩になっていて
実際は貧乏だとか金がないことを言っている
「苦しい」と言うのもだから
この先どうしようかということが
四六時中念頭に浮き上がり湧き上がり
それでいてどうすることも出来ない
そういう状態を指している
こういうときの苦しいは
高熱で苦しむ時の苦しさとは違う
ところでぼくは
生活の苦しさを実感できない
金がないと言うことも
先行きが不安だと言うことも
たしかに心がざわざわすることではあるが
それが苦しいことかどうかというと
よく分からない
このときの苦しいには実体がない
もっと言うと
意識が苦しいと警告しているだけで
であれば意識を変えればすむ話だと
そう考えているところがある
「生活が苦しい」と意識すると
たしかに生活は苦しく感じられる
この意識を意識的に切り替えて
今だけの意識にすると
ただいまの現在は
苦しくもなんともないのである
だったら今だけを見て
今だけを意識すれば
とりあえず苦しくはないのではないか
何なら楽しくもあり
居心地よくいる時もある
こうして少しよこしまな手を使って
ぼくは老後の生き方というものの
やりくりをしている
2025/11/02
「二つの適応のルート」
ふつうの人には出来なさそうな修行
例えば坊さんとか武士だとか
それに頭に特化した修行だと
学者さんもそうかな
常人以上のことをするというのは
ふつうの人には出来ないことをすることだ
どうしてそういうことをするのか
と考えてみたことがあるのだが
生き物としてのふつうのこと
それは自らする食材の調達ということで
田畑を耕すとか魚を捕るとか
そういうことをしない
生活の選択をしているから
そこの基本から逸れてしまっているから
ではないだろうかと考えた
人間の原型や元の素型を考えると
個々に食材を調達するものとして存在した
他の動物たちとほぼ同じで
狩りをし植物の実などを採集した
それは遺伝子に代々引き継がれ
細胞に記憶されてもいるに違いない
だからそれをしないで生きることには
無意識の抵抗があるのだと思う
なので僧侶にせよ武士や学者にせよ
ふつうの人以上の
苛烈で過激な修行のようなものをしないと
存在意義が認められない
そんな後ろめたさが生じて
きびしく自己を律することになっている
ぼくから言わせれば本末転倒
逆の生き方になっている
本来なら田畑を耕し魚を捕り
ほかの時間はのんべんだらりんと過ごし
いい加減なところでこの世におさらばする
そんな生き方でよかったと思う
数万年から十数万年はそんな生き方をして
先のように厳しい律し方をするようになったのは
ここ数千年つい最近のことだ
遺伝子に想定された環境適応の時間と
脳に想定された環境適応時間と
あまりにも乖離が大きくなったので
ずいぶんちぐはぐなことが多くなった
食料の生産や調達が
生きる目標や価値ではなくなってきた
身体で作り出す価値よりも
幻想で作り出す価値の方が
より高い価値だと見なされるようになってきた
ただこれからもその延長上に行くのか
それは分からない
二つの適応のルート
その限界があるような気がして
こころがざわざわする
2025/11/01
「枠はどうして消すか」
X枠内にABの対立がある
Aが主流の時にはBが傍流で低く扱われる
なので下剋上というか
立場の逆転を画策するのが成り行き
そうなればなったで
また新たに逆転劇が画策される
これが永久に繰り返されるということは
X枠に原因や問題がある
そう受け取るのが道理である
そこで今度はY枠が考案されるが
XとYとの枠の違いはあるものの
内部にAとBとが生じて同じことになる
X枠Y枠どちらにせよ
ABの対立が出来て抗争が繰り返される
これを無くすにはどうしたらよいか
仮説として
枠があるためにこうなったのではないか
と考えてみる
一度壊して検証してみるのがよい
けれどもそれは容易く出来ない
やってみたら別の火種が生まれたでは
ごめんなさいで済まない
仕方が無いので
成るようにしか成らないと放っておく
まあ二分の一の確立で
人間史はよい方に向かって行く
そう言い聞かせておく
最終的にはみんなが
生存中には仲良く楽しく
いい気持ちで過ごしたい訳だから
徐々にそうなっていくのだろう
ぼくらに出来ることは
他者を愛するとか優しくするとかの努力で
特に子どもたちを通してバトンをつなぎ
後世にそれを届けたい
ひとりの脱落もなく愛される世が来たら
その時はもう平和も平等も
間近に迫った時代だ
自ずから枠は消えている
ABも消える
2025/10/31
「遺言の考古学」
人のためにと言う嘘に閉ざされて
長い歳月を
時代が運ぶ人の生活らしきものに費やした
それはそれで誰もが嬉々として
または抜け殻のようにして抱き合ったり泣き合ったり
気を使わぬ隣人として無干渉でいたり
そういう切れ切れの物語の一つに数えられる
そうして魂のない大河は地平線の向こうに落ちていく
と書き進めたら神話が出来上がる
まさかそんな時代じゃないと空の下に雲が集まる
わずかな日差しから薄く黄色に染まり
経年によって焼けた歴史の色が現れる
その下で暮らしとか生活とか呼ばれたそれは
煙立つのか立たないかの岐路にあって
無言と無意識の糸の上で時間を探すことになる
ぼくらは食と性の戦士
ただそれだけの理由で生かされる
地上の群れの一種に過ぎないのだと
羞恥の衣服を脱ぎ捨てる
何にでも適応し擬態もできる変幻自在の種として
これからも呼吸のように嘘を吐き
言い訳の暮らしを暮らしていく
それはまるで標本の中の虫と同じなのだが
一つの警告のような
末裔に向けての遺言となる
2025/10/30
「きみも考えてくれないか」
狩猟採集から栽培の知恵も付いた
日本の縄文は最高だな
集落には親族氏族のほか
奴隷のように使われる人もいたという
なので全貌は知らないが
わりと穏やかな暮らしが垣間見える
あとから見ると
ひとつの理想郷のようにも見えるが
どういう訳か理想郷は続かなくて
衰退しながら
ゆっくりと動乱期に向かう
どうしてなんだろう
理想郷のままで踏みとどまれなかった
歴史が進むことは
進歩し発達することは
必ずしも全てがよくなる訳ではないね
貴族社会だの武家社会だのと進んで
社会の上方に寄生する制度が造られ
食い扶持は農民漁民に依存して
楽して贅沢する連中も増えた
羽振りがよく威張る連中が増えると
其れ等のために贅沢品を造ったり
あるいは売ったりする仕事も繁盛して
高額な取引をして稼ぐ知恵も
みんなの知るところとなった
挙げ句の果てに
戦をして殺し合うのも
だんだんと平気になって行った
高度成長期の日本経済界では
社長はもちろんのこと平の社員まで
信長だ秀吉だ家康だと
天下取りの武将をもて囃した
考えてみたら彼らは
人を殺して平気だった時代の
異常な戦闘集団の
言い換えれば人殺し集団のお頭たちだ
それを理想とあがめて模範とし
出世して高層ビルから下を見下ろす
天守閣みたいでいい気持ちなんだろうけど
少し異常な習性ではなかったか
進歩発達は避けられないことなんだろうけど
影のようにぴったり付いてくる
なんか変に争いを好む習性について
よくよく考えておかないと
社会全体が足をすくわれそうだ
弥生期以降社会はしばしば戦場と化した
実際の戦闘がないときでも
戦闘の種はずっと潜在してきた
現在の平和時でも右や左に分かれ
あるいは上と下とに分かれ
ずっと火種は燻っている
戦いの武器が出土されない縄文の遺跡
今ほどに進歩も発達もしていなかった時代に
一万年も平和に暮らせた理由
それはどこにあるのか
きみも考えてくれないか
理想の未来図を描くために
2025/10/29
「反射と反応」
たまたまラジオを聞いていたら
新しい文科省の大臣が
社会に必要とされる人材を育成し
供給するのが教育の役目とかなんとか言っていた
びっくりした
人間を社会に役立つ視点から見て
しかも社会に供給するとまで言っていることに
開いた口が塞がらない
たぶん彼は究極の傲慢さに気付いてもいない
人間と言えども一個の生命で
その生命は役立つことを前提にして誕生した
というものではない
彼の言い方だと しかし
生まれた子牛を立派な乳牛に育て
市場に送り出す
そう言っているのと同じじゃないか
言い訳はいくらも出来ようが
彼の立ち位置はそういうことだ
そしてその立ち位置は
国家社会の指導層に共通する
ふざけんじゃねぇよ
傲慢に過ぎるんじゃないか
お前らの都合に合わせて生きてられるか
ってぼくならば思う
一事が万事
今の世の中はいずこもそうなっていて
生まれるのも生きるのも嫌だって
いずれ近い将来そうなる
国を滅ぼすのはお前たちだ
ってぼくは考えて
どうすりゃいいんだ
とも思ったな
2025/10/28
「細々と歩く世界」
生き残った特攻隊員の
本音で語る動画が公開されている
戦時を語るその声に
しっかりと耳を傾けたいのだが
いくつかを聞くと離れてしまった
震災の語り部の話も同様だった
風化させないという趣旨には賛成だが
すでにもうぼくの内側で
風化は始まっている
こういうぼくもまた
ひとりの語り部なのだ
事務局や協会などの団体はないが
時代の証人のような気分で
凡人の生涯について
語り続けている
支援金も補助金もない
協賛者も支援者もない
はっきり言ってしまえば
誰も知りたくない
誰も聞きたくない
そういうことなんだろうと思う
特攻隊員の言葉も
語り部の言葉も
言い募るぼくの言葉も
聞くのはしんどい
というのが大方の反応なのだ
そういうわけで
公認で制度になった語り部は
次にはどう維持するかに話題は移る
「風化させない」が一人歩きして
今度は「維持」が運動になる
本当に語りたいものは
聞き手の有無にかかわらず語ろうとし
本当に聞きたいものは
語り部の有無にかかわらず聞こうとする
無理強いをしたところで
きっと効果はない
続けても止めても良くて
あとはそれぞれの本気度で
なるようにしかならない
それでもって
これからどうしようかと
それぞれがそれぞれに問うて
前後にか左右にか歩を進める
そうやって細々と
歩く世界だ
2025/10/27
「思惟の枯れ葉」
二十歳で専門家や職業人並になった人は
それはその道に関して専念して
十年くらいは要している訳だ
その間はひとつのことに専念するから
普通の暮らしや育ち方からは
ずっと遠ざかってしまうことにもなる
分業化専門化はこれまで
偉大な専門人を数多く輩出してきた
悪くない話に見えるが
ひとつことに専念して十年以上を費やすので
その間他のことは
ほぼ失念していたのと同じになる
旧石器時代だと
ほぼ専門性と言えば石器作りくらいで
それも狩猟や採集と兼業的で
現在からするとみんながみんな
互いのことはわかり合えていたような気がする
今はどんどんひとりひとり
差別化が激しくなって分からなくなった
すぐ隣にいる人がどういう人なのか
全然分からないと言うことが起きている
それでもどんどん専門化や分業化は進んでいて
偉大な専門人職業人が生まれ続け
偉大な業績が更新され続け
あちこちで拍手喝采も鳴り止まない
結構な話と言えば結構な話だが
ぼくから見れば
世の中に名人達人天才は増えたが
その分ぼくが考える人の基本型
人の原型が
どこを見ても見当たらなくなっちゃった
これと言って得意も専門もないが
人間として大きいとしかいいようのない
そういう人が少なくなっちゃった
もう古いんだな
ぼくも
2025/10/26
「知の池の今」
最近の子どもから若い人から
賢くて頭がよい
歌でも文章でも運動でも
表現とかパフォーマンスとかに優れ
すごいなって思っていた
学び方や習い方が上手なんだと思う
それに比べると
自分の考え方もその表出の仕方も
古びていて時代遅れで
経年ヤケした古本のようなものだ
誰も見向きもしない
でも用無しは用無しなりに
思うところはある
さまざまな分野領域で人気があり
影響力のある人たちの中に
いくつかの共通点がある
技術力が高い
どうすれば受けるかをよく知っている
その上で需要に向けて作り上げて
適切に供給する
そういうことが本当によく出来ている
それはほんとうに見事で
時代に上手く適応できている
それで心と心との出会いもあることだから
まったくそれで良いわけなんだが
なんだかそこに
新たな「建て前」が出来上がっているようで
妙に胸騒ぎなどして止まらない
「建て前」は公約や方針みたいなもので
みなよく出来ている
結果が出る前だからそうなる
若い人は「建て前」を「本音」にしている
「本音」と「建て前」に境がない
よく言えば裏表がなくて
その分奥行きがなく薄っぺらい
なので知ってか知らずか
妙に自信過剰でもある
それが怖い
教育の成果だと思うが
教育的な背景以外の背景が
とても狭くて薄い
言葉の根拠となる体験も見えない
2025/10/25
「『言葉』考」
「さびしい」という思いと言葉を
いっしょに浮かべて
あるいはそれを口にした時に
その人の意識や心は
ある共同性の中に引き込まれる
本当はひとりの「さびしい」は
その人の体臭や仕草のように
色やにおいや形が誰とも違っているのに
言葉はそれを伝えない
それどころか内在の精神は
言葉という鉄格子にとらわれて
いつしか人は
言葉の人になっている
人を傷つける言葉
人を支配する言葉
人を軽んじる言葉
いつの間にか人は
言葉を扱う主体者として
心の奥に閉じ込められてしまう
言葉がなければ
知った口はきけない
言葉がなければ
威張ることも出来ない
人に命令して動かすことも
他者を従わせることも出来ない
ある場合言葉は断定的で
暴力的でまた絶対的で
だからわたしは言葉が嫌いだ
だからわたしは言葉少ない
それでもなお言葉の人になっていて
どこかで誰かに
日々不快な思いをさせている
本意ではないのに
ついつい不出来な言葉を選択して
それを口にしたりしている
このジレンマから抜け出せずに
思惟の坂を転がり落ちる
その上でなお
あなたを理解しているふうや
世界について
知ったふうを語ってしまう
言葉にとらわれた
言葉の人になっている
わたしはわたしを嫌いだが
それでもわたしを捨てがたい
言葉以前のわたしが捨てがたい
言葉以前の
人の心が捨てがたい
2025/10/24
「つまらない一日」
言葉を使って考え
それをおもてに顕すと
たいていよくない結果になる
そんな経験を
この年まで続けてきて
これを上手く説明できなかった
言葉の水面下から
意識が言葉をチョイスする時
何か決定的な過ちがあると思う
これを強いて言うと
チョイスした言葉
チョイスされた言葉に
実は発話者が引き摺られるということが
その時に起こっているのではないか
それはもう水面下の混沌が削ぎ落とされ
同時に発話者の思いは
チョイスした言葉以外のものではなくなる
人間にとって言葉は重要だが
言葉以前から
言葉をチョイスした瞬間に
わたしたちは何か
とてつもないペテンを
いかさまを 詐欺を 過ちを
自他に対して行っているのではないか
今日はそんな不安が頭を持ち上げて
なんだかつまらない一日に
なろうとしている
2025/10/23
「日記の人」
朝に目覚め夕に眠る人
一日を一生のように生き
昨日の記憶は去る
明日の夢は当てにしない
なにともなく
テレビをつけて見るように
意識に表れた思念を観る
(おや)と思うこと
こころに引っ掛かること
を白紙に刻す
それを日記と呼んでよければ
ただそれだけの老後だ
息を吸って吐いて
日だまりがあれば身を丸め
引いていく思念の後を
半眼で追う
バランスさえ取れば
なかなかの居心地だが
その床は針の筵
時に血も滲む
2025/10/22
「冬の足音」
社会のため国のため
他人のため国民のため
そう言っておけば
ブーメランとなって
自分の利になる
そういうテンプレートが
出来上がった社会は
はてさて
普通じゃないし
気持ちが悪い
そうは言ってもそうなっていて
違和や異論を口にする
そんな隙もない
どうする
今年の秋は
素早く駆け抜けて行きそうで
そうなると冬も早い
ぼくの苦手な寒さが
すぐそこに迫る
落ち葉のように地に伏せて
身を縮めて冬が来る
冷たく重い唇を閉ざし
長い忍従を抱えて冬が来る
あちらの世界では
今も裕福な暮らしを夢見たり
注目されることを望む人たちが
ひしめき合っている
ここまでのところ
人間とはそういうものだ
ぼくらは否定しない
羨むこともしない
我欲まみれの世の中で
これが本当に理想の暮らしかと
これが本当の人間らしさかと
ただ小さな生活をして
問いを問うているのだ
見返りのない
問いをただ繰り返すのだ
2025/10/21
「積み上げられた石」
かつて圧倒的に優位にあった古代中国の文明文化に触発され、追いつき追い越せとばかりに国の興隆を図ったように、明治になって今度は西欧の文明文化を追うことになった。
さらに昭和の対米戦からの敗戦後、第二の欧米文明文化の輸入の波が津波のようにこの国を襲った。かつてこの国の歴史にはなかったほどの対外的な負い目と、欧米への傾斜、傾倒は、ほとんどまるごとの欧米化と見なしてもよいくらいに進んだ。自由、平等、そして民主主義などの考え方は、草の根運動並にこの国全体に行き渡った。
なるほど、諸外国の言葉や文物を翻訳し、これを頭で理解することは出来た。だがその理解はネイティブの理解かどうかは疑わしい。なぜなら、それを生み創り出した土壌や歴史がこの国にはないのだ。何十年何百年もかけてやっと作り上げた哲学や思想や理念というものではない。つまりどこまで行っても借り物に過ぎないと言えば言える。
例えば民主主義を守る、議会制民主主義を死守するという言葉が連呼される。これにはしかし、考えられる基盤や前提があって、それは国家を前提とするところに発想されたものである。そしてこれらの言葉の連呼には、絶対的に、国家とは何か、国家存在の是非はどうか、 と言う問いが問われることなく口から出されている。
あえて言ってみれば、この国にはヘーゲルやマルクスと言った存在が現出したためしがない。
だが日本の風土や土壌や歴史に根ざした思想が全くなかったというのでもない。思想的に孤立しているゆえに、やや貧相と言わざるを得ないのだが、借り物ではない言葉と考えを元に、この国で初めて自立的な思想を持って普遍的思想の試みを為した安藤昌益、その人がいた。コツコツひとりして基礎から積み上げたその思想は、けして颯爽としてもいなければスマートな学説というものでもない。独善的で独りよがりで誤りも多々含み、アカデミックな学問体系から見れば、評するに値しないと見られる面もあるのかも知れない。だがこの国の誰もが為し得なかった根源的、根本的な考察を、全ての思想的な系譜に頼らずに為そうとしたことだけは確かである。
議会制民主主義どころではない。安藤昌益からすれば、文字以前、国家以前の社会の方が正しい社会の在り方なのだ。
積み上げられた石が背丈よりも高かったとしたら、たいていの人は積み上げられた石の山をよじ登って、てっぺんに自分の石を置こうとするだろう。安藤昌益はそうではなかった。その石山の作りは根源において誤りであると見た彼は、ガラガラと突き崩して、一から石の山を築こうとした。その志の高さだけは、よしとして認めるほかない。今日の見るともなしに見る言論空間を前に、内向して閉塞する精神の外在史、また安直な人間精神の礼賛が横行していることを、ひとりの生活人として憂えずにはいられない。
2025/10/20
「『教信』の流儀」
賀古の教信沙弥は田畑を耕し
荷物運びの手伝いなどで生計を立てた
かなりの極貧生活だったと言われる
浄土教の先駆者と言われるが
日本の中世の宗教人としては
珍しく「直耕」の人で
修行と称する「不耕貪食」を避けた
世の僧侶たちと違うのは
「俗人」を捨てなかったところだ
言い方をかえると
煩悩の世界に在り続けたことだ
そのためにずっと在野の修行僧であり得た
悟りを開いた高僧は
内なる衆生を切り捨てて成るもので
衆生とは断絶している
修行僧で在り続けた教信の流儀は
悟りよりも難しく
難易度は高いものだという気がする
あこがれて
幾たびかその背を目で追った
そんな昔の記憶もある
2025/10/19
「エキストラ体験」
暮らしの舞台で
ぼくはエキストラの通行人役だ
そこそこ緊張して
ぎこちなく行きつ戻りつする
休憩に幕が下りると
舞台の全体を見渡す
大道具小道具が立ち並び
舞台裏の控え室では主役脇役の談笑
それらを観察して
まあそれがどうということもない
ぼくの人生と言うことになる
ところでぼくの演劇論では
主役もエキストラも同等だ
エキストラひとり欠けても
その舞台は成り立たない
成り立つとすれば三文芝居だからだと
こうぼくは考える
三文芝居には必然がない
ひとりの登場人物が
居ても居なくても同じだと言うことは
脚本に不備がある証拠だ
いちいち指摘はしないが
それは定理である
今この人間社会においても
不用な人間と言うものは存在しない
存在するものが欠ける社会は
三文社会ならぬ低級社会なのだ
そして自らを恥じない低級社会は
ずっと低級なままだろう
これがぼくの演劇論からの
人生論と言うことになり
エキストラ体験からの帰結だ
舞台監督も演出家も
いい気になるな
2025/10/18
「言葉以前の自由」
一歳児の意識や行動には言葉が介在していないように見える。これは彼または彼女の傍らに寄り添う、犬や猫についても同じように言える。
言葉が介在しない意識や行動は、わたしたちには不可解である。にもかかわらず、幼児と犬、幼児と猫との間には親和的な関係が成立しているように見える。言葉を持たないもの同士として、言葉を介在させない関係がそこに見えている。
それが長いか短いか分からないが、彼らに一種独特の関係性が成立するまでには、お互いにお互いを観察する前段が必要であったと思える。そういう観察の時間を積み重ねて、ゆっくりと親和的な関係性が出来上がって行った。
彼らの関係性で面白いと思えるのは、束縛がない所だ。どちらからともなく相手に近づいて行き、また気が向かない時はどちらからともなく離れて、まったく自由で、勝手で、関係性そのものが混沌としている。
人間がまだ言葉を獲得していなかった時代には、人間対人間の接し方においても、幼児と同じような接し方、関係の仕方をしていたのではないだろうか。はじめに観察があり、それをもとに親和が育まれる場合もあれば、疎遠、反発へと向かう道もあった。
現在の成人を中心とした社会では、幼児と動物の自由な往来、接近と回避の仕方は、とうてい容認できないことがらに属する。多言される、絆、配慮、思いやり等々の言葉、あるいは何々のためという目的が常に言動に要求されることは、そうしたことの証とも思える。
言葉が、意識や行動を規制する。どうも現代社会では、そういうことが言えそうな気がする。まだ言葉を獲得していない幼児と、言葉を獲得してからの人の世界とは、明らかに隔絶している。そこでは言葉を獲得した代償として、何かを消失、見失ってしまったかのようにも感じさせられてしまう。あえて乱暴な言い方をすれば、それは個としての、さらに言えば生命的な、自由さと言えるものではなかったか。
2025/10/17
「進化の引き金」
もともと自然界に生まれた人間は
自分の世界に引きこもった
現代の引きこもりは
その意味では由緒正しく
DNAを引き継いでいるとも言える
人間社会はぼくらの意識にとって
第二の自然界になる
社会からの引きこもりは
その意味では
至極当然の成り行きではないか
自然界から引きこもった人間社会と
人間社会から引きこもった個人と
さらに個から引きこもる精神と
精神から引きこもる精神
引きこもりが進化の引き金を引く
事後的に見れば
生物の進化とは己の本質を
拡張していく方向に向かうことだ
進化はどこまで続くんだろうか
続くだけ続いてなお
その先があるんだろうか
2025/10/16
「敗北の階段」
「死の棘」の作者の意図とは別に
こうでなくてはいけない
と言う敗北の在り方を
かつてぼくはその本に学んだ
ひとつ負けて後退して
二つ目も負けて後退して
必死に抵抗しながらも
負けを受け入れて行かざるを得ない
主人公の倫理と論理
そうして会話はどん底に落ち
落ちてなお深みに沈む
一対一の関係での勝ち方は
広く世に流布されていたけれども
徹底した負けの記述はなくて
新鮮な驚きを超えて
怖ろしく思った
精神のと言うよりも
裸身にまで後退した「我」同士の
一対一の関係で
作者が主人公に選択させたのは
敗北であり後退であった
あれからぼくも
全ての階段を一個ずつ
下り続けてきたのだ
例えば真
例えば愛
例えば倫理
例えば文学や知の敗北を
集められるだけ集めてきたのだ
だからもう降り場はない
そう思う所でまた降りて
負けのない所まで負け尽くす
「死の棘」の主人公も作者も
気の利いた台詞も言わず
思想的また理念的に
結実する言葉を
ついにひと言も発しなかった
ただふっと
最後は日常に降りたって
時々に平穏を得ただけだった
2025/10/15
「半透性の境界」
体をこしらえたのは
水や野菜や魚や肉などだが
ぼくらの場合は特に
お米の影響が大きそうだ
脳をこしらえたのもそれらだ
けれども脳の場合は
特に意識内容をこしらえたのは
まったく別のものだ
目や耳や鼻や皮膚などを通して
脳を通過していく一切のもの
それらで出来た
それから脳の仕組みも加担した
脳の食料を情報と考えると
ぼくらの心と身体とは
通過する食料と情報で出来ている
結局ぼくらは
環境から出来上がった生き物で
ぼく自身が環境の一部に見える
そうしてこう解して
自分の心身を解きほぐすと
心身のどこにも「自分」が残らない
残るとしても
全て環境によって作られた自分だ
自分で作り上げた自分なんて
どこにもない
そもそも生まれた時は
自分など持たずに生まれてきた
高齢になって
自分を維持することに疲れてくる
自分と他者との境も溶ける
だんだんどうでもよくなって
生死の境も溶けそうで
だんだん幼児になって行く
何が気が楽か
どこが居心地よいか
高齢になると
教わらなくとも分かってくる
もしかすると
死もまたそういう処か
2025/10/14
「解けない秘密」
里では聞けない言葉を聞こうとして
里を出て山道に向かった
夏のよく晴れた日に空も雲も光も風も
いつものただの空で雲で光で風であった
低木の枝葉も生い茂る雑草らも
あるいは高木の幹や枝葉も
要するに全ての自然は無口だった
すごくがっかりしたのを覚えている
二つのことがあったと思う
ぼくに聞く力がなかったこと
ぼくは本当は信じていなかったこと
それから思った
ぼくは無なのだと
世界も無なのだと
全ては意味なく存在しているのだと
それなのに人間の社会だけは
人間の社会だけが
有の様相を呈していて
ぼくにはそれが難問だった
無を有に変えてしまう
人間社会のトリックがだ
ネタの秘密はまだ解けていない
2025/10/13
「非言語世界」
はじめに
世界の目は閉じている
そっと世界は広がり初めて
成年になると
ほぼ世界大と同じ広がりを見せる
旧石器時代が幼児の目だとすると
縄文は少年少女の目になり
弥生になると思春期の目になる
もちろん認識される世界が
徐々に拡大されて行き
青年になると時代に追いつく
壮年になって現代に出会い
広い世界を知り得たと錯覚する
現代の目を獲得したと
けれどもそれは
象の鼻に触れただけのように
世界の端緒に触れただけなのだ
それを言語化世界
言語世界と考えておこう
教え込まれた知識だけでは
教え込まれた分しか
世界は世界を開示しない
世界大に開かれた壮年の目は
もう世界を見切ったと高を括り
認識の高みに上り詰めたみたいな
しゃらくさい顔つきになる
だが本当に世界の広がりと
深さを知っていくのはそれからなのだ
本当は世界は
見せたい世界だけ見せていて
見せたくない世界の扉を閉じている
そこでは世界もまた
人間たちのように他に示さないこと
伝えないことの意志を持っていて
おいそれと開示しない
それはつまり非言語世界だ
壮年以後の目も
見えている世界だけが
世界の全てに違いないと思い込む
そうやって世界は
かろうじて世界の秩序を
保ち続けて来た
2025/10/12
「小さな悪態」
世の中では
高齢者を支える若者世代に
同情の声があがった
けれども若者ばかりでなく
壮年や老人と幅広く
全ての国民がいっせいに支えているのは
国家や国家を統治するための
あらゆる機関と
その従事者たちの生活を
ではないのか
それらはずいぶんと膨れ上がって
「サービスの向上」
が叫ばれるままに肥え太っている
それぞれについての予算は
最低でも昨年並みで
毎年何が何でも必要だと計上される
会社員も公務員も
その手のことはよく知っている
にらまれた部署は予算削減
気に入られたら予算アップ
部の長は予算を引っ張り込んでの「長」
ぼくらの若い頃はそうだった
今もそうかどうか分からない
当事者たちだけは知っている
やたらに国家機関や機構が膨張して
批判の目が強くなってから
協力団体や研究所など
胡散臭い事業所が増えて
準国家機関みたいな様相を呈している
補助金とかの名目で
金もそこそこ注がれる
たぶん
名目もある
国のため
文化の促進
エトセトラ
世代を超えて苦しいのは
中から下の層だな
老人ホームでの虐待とかさ
恐ろしいよ
その層の内部を分断させて
怒りの向けどころを狂わせるのだな
ぼくらは
こんなことを書き散らすのが関の山
屁の突っ張りにもなりゃしない
小さく悪態を吐く
塵よ積もれと今日も吐く
2025/10/11
「被雇用の人」
会社員で働いていた時
また公務員として働いていた時
あるいはアルバイトで働いていた時は
なんかわりと真面目に誠実に
働いた記憶がある
給料をもらう事実があったためなのか
仕事というのはそうするものだと
考えていたせいなのかよく分からない
わりとそつなくこなしていた
誰かに教わった訳でもなく
ひとりでに仕事はそうするものだと
頭の中に形が出来ていて
それに従っていたまでだという気がする
老後の今はそんなことは遠い話だ
そうするもんだという形からは離れていて
あんなに一生懸命やったことなども
どういう理由で頑張ったのか
もう思い出せないし分からなくなった
ただその時々で
そうすることが当たり前のように思え
当たり前のことを
当たり前として為していただけだと思う
それをどうして当たり前と感じ
考えていたのかはよく分からない
気付いた時にはそうなっていて
どうして自分がそう思いそう考えたかまでは
分からない
心や心の枠組みが
物心が付いてからはそう仕上がっていた
自分の意志で仕上げた部分もあるだろうが
どこかで何かに誘導された気もする
一旦その仕事を離れると職務も無縁になる
雇用時の一時的な熱中
言葉を換えると中毒のようなものだ
離れると業務への情熱も消える
自分のため家族のためというのが
一番の動機だったと思うが
それ自体が錯覚かも知れない
夢中だったその当時は考えもしなかった
考える余裕すら持ち合わせなかった
長い間何の疑問も持たなかった「被雇用」
不問に付して働いて
いまごろ迂闊だったなあなんて
恥ずかしくて
誰にも言えやしねぇ
2025/10/10
「非望の企図」
地獄の池のカンダタは
一本の蜘蛛の糸を頼りに
極楽に上ろうとして失敗しました
ぼくがその後のカンダタだったら
地獄と極楽という枠組みから
脱出を試みます
つまり枠組みの外に出ます
外に脱出して
極楽も地獄も否定します
その先は分かりません
カンダタ以外の住人は
池の底を抜きはじめました
赤い水を引いて地獄ではなくする
そんな作戦のようです
地獄がなくなると極楽もなくなります
その上で極楽と地獄の住民同士の
仁義なき戦いが
これから始まりそうな気がします
極楽と地獄の跡地は残っていて
みんな底よりも
上の方で暮らしたいのだと思います
ぼくは一旦その高低差をなくし
平らに均して更地にしたいです
実際の地形もそうですし
心的な地形も一旦たたき壊して
作り替える必要があります
きっと高低どちらの住人も
ムリムリって言うと思います
しかしそのことは
はじめから想定済みではあります
2025/10/09
「個への巣ごもり」
集団が出来社会が出来ちゃったので
仕方なく掟も出来て
法の世になり文字の世にもなっちゃった
仕方なく法にも文字にも従うようになって
みんなが満足できればいいのだが
ぼくら人間はどこかで
細胞に流浪の記憶を刻んでもいるのか
自分の好き勝手をしたり
好き勝手にしたい願望を持っている
現在社会での引きこもりは
その典型的な現れではないんだろうか
人間は集団に所属し家族に所属してしているが
その個体は個体として
どこにも所属しない個体が原型とは言える
時代を遡るだけ遡って
自然まみれの原始の頃には
所属の観念もなかったはずだ
群れとして寄り添ってはいたかも知れないが
各々は内発の意志だけで動いていた
自分の行動を制するものがあれば
獣のように牙を剥きさえしたろう
いつの間にかそのような
個の内発の欲求や欲望はがんじがらめに
他からも自らからも
押さえ込むことが理性の人文明の人と
定義されてしまうことになった
まったく人間の歴史は墓穴を掘る歴史だった
法やしがらみや黙契を身にまとい
勝手に動こうとすると
全てがぐらりと揺れて不服を浴びせてくる
なんか違うんだよなあと
内心の意は呟いてもいるんだが
ぼくらにはどうしたらいいか分からない
どうすることも出来ないでいる
誰かに教え導いても欲しいんだが
教え導く者がいればいたで
ぼくらはきっと疑ったり否定したりするんだ
自分で発見しないと済まないんだ
厄介なんだよね
余生もいいとこなのに
ぼくはまだ何も分かっちゃいない
2025/10/08
「水清ければ魚棲まず」
智に働けば角が立つ
情に棹させば流される
こんな小説のフレーズがある
字義通りに理解できるが
何事もほどほどにという意味合いも
ありそうだ
適当でいいとか
なあなあでやっていきましょうとか
そのようにも聞かれる
社会生活というのは
杓子定規では暮らせない
嘘も方便
適当に善で
適当に悪だという仕方でしか
やっていけない
角が立つほどの智も
自分を見失うほどの情の濃さも
邪魔になることがある
あんまり四角四面でも
見境なく迎合するやり方でも
よくはない
都会人は智に働き過ぎて
田舎人は情に厚すぎる
この社会は
人間たちは
みんなが聖人君子で生きていける
そういう所ではない
誰にでも善と悪とが住まっていて
嘘も真も住まっていて
それならば当然
嘘や悪の部分を
過度に厳しく追及してはいけない
追求する時は
清廉潔白の顔つきになる
それが嘘だから
本当はそこで
嘘を追求する資格を失う
それを不問に付して
誰かの嘘や悪を追求しても
説得力に欠ける
容易に反撃を受けやすくもなる
そこでもやはりほどほどがよい
「水清ければ魚棲まず」
原典を辿れば漢代の儒者
いたって息の長い言葉の意味だ
2025/10/07
「最後の修正」
小説でも随筆でも詩でもない
これは日常生活の中で閃いたことの
メモや覚え書きの類いで
精神や意識の備忘録に過ぎない
心象に映し出された概念としての光景
未分化な概念世界だ
これを書きとめることによって
僕は賞賛を得ようとしているのではない
ましてや商品として
売りに出したい訳でもない
息を吸って吐くように
水を飲んでそれを排出するように
何かを取り込んで何かを出す
その循環の一つとして
ぼくはこうしているだけだ
ぼくには必要なのだ
この世界この社会に生きて体験し
感じたり考えたことを
抽出したり文字にしたりして反芻する
その先に少しずつ
原点なり原像なりが見えてくるのだ
その固定点から現在のぼくが
どの方向にどれだけ離れているか
やはり少しずつ知れてくる
意味はないが
もうこの年になると
その固定点にどれだけ近づけるか
最後の修正に努める以外に
生きて為し得ること
生きて為したいことの
何ものもない
2025/10/06
「余生はこう使う」
社会に不満を持つ下層民がいて
現在を変えたくない上層民がいて
やや対立が激化している
どっちもどっちだが
その流れとか動向とかの
必然性は理解できる
どちらにも言い分があり
動機としてはやむを得ないと
納得も出来そうな気がする
けれどもそれは出来そうな気がするだけで
どちらにも加担する気にはなれない
どちらも近現代の思想や思潮の延長で
言ってしまえば代理で末端の争いだ
社会的に見ても支流の支流
山深い峡谷での争いだ
都会では相変わらず自由が闊歩しているし
田舎ではのんびり赤とんぼが飛び
蟷螂が虎視眈々と獲物に近づいてもいるだろう
本当の理想の追い方や
そのための戦い方というものは
白昼の広場で行われるというものではない
メディアや報道が追いつくところでは
本当で正真正銘の戦い
厳しい真の戦いというものはないのであって
けしてそういう場所に浮上しない
どうでもいい戦いと真の戦いとは峻別すべきで
本当や本物は隠れた洞窟の中だ
嫌でも見えてくる表現や演技とは違い
地道に探索しないと見えない
ぼくらは長いことかかって未だに探索中だ
才と力とがない分
やたらと時間をかけることになっている
洞窟を発見したら
ぼくらはそこで余生を過ごす
既存のものなら続きを
新規のものなら新たな鑿の後を
洞窟に残す
2025/10/05
「精神史」
夏よりも早く夕暮れが来て
闇も急速に満ちていく
外には線状降水帯の虫の音が
強く注いでいる
一瞬 古代が 先史が
脳裏に駆け上がる
鳴き声が華やかに聞こえたら
明日にはよいことが満ち
陰鬱に聞こえたら
きっと不吉なことが起きる
昔の人は巧みに翻訳して
そう聞き取った
ぼくらはその力を失った
蝉の声がそうだったように
すぐに忘れる
歌にも歌えない
2025/10/04
「変わらぬ声変わらぬ言葉」
夏よりも早い時間に夕暮れが来て
闇が急速に満ちていく
こういう時に窓から外を眺めると
心が「ああっ」ってなる
虫の音が線状降水帯のように
暗がりに注がれる
一瞬だけ古代に 先史に
引き戻される
その鳴き声が華やかに聞こえたら
明日はよいことが満ち
陰鬱に聞こえたら不吉なことが起きる
そういう言葉として
昔は聞き取ったりもしたのだろう
その能力は現代には失われたが
ほんの微かにだが
言葉として聞こえる気もするな
待ち望む秋の到来を
喜ぶ声と言葉だな
無意識と反射が繰り出す
虫たちの声や言葉
ぼくらはだから信頼し
共鳴もするんだな
2025/10/03
「はじめての年金暮らし」
王様みたいに働かずにすんでいるが
王様は王様でも貧乏な王様で
チマチマした生活
清貧な暮らしを余儀なくされた
王様でしかない
その正体は年金生活者である
食べることがやっとの年金で
掃除洗濯買い物くらいしか
やることがない
あとは遊んで暮らせる訳だが
ぼうっと遊ぶ代わりに
詩もどきを書いたりしている
金がかからないから
と言うのが本音に近い
詩の勉強などしたことがない
詩人になる気もない
さしあたってそれを趣味として
日々趣味三昧の王様である
仲間もなく
褒め称えるものも皆無だが
咎めるものも皆無なので
当分このまんま
行けるところまで行こうかって
至ってのんきに構えている
どうにも立ち行かなくなったら
藻掻くだけ藻掻いて
力尽きて倒れて行けばいいんだ
年金以外の収入は何もない
恨みはないけれども
手放しで
いい世の中だったとは
死んでも言わない
生きてても言わない
野垂れ死ぬ生き物たちと同じさ
ヒト科の生き物だから
言葉を呑み込みながら
静かに息を引き取るだけさ
2025/10/02
「情の自然について」
親孝行が出来なかったとか
期待に応えられなかったとか
あの時ああすればよかった
そうできなかったことが悔やまれるとか
あまり過剰に考えないようにしている
その時の行動がすべてである
そしてそういう行動しか出来なかったと言うことは
それがその時の精一杯だったからだ
まだもう少し若い時には
そういう割り切りが出来なかった
あれも出来ないこれも出来なかったと
他人には話さなくとも
心の内で悔やんだりしたものだった
しかしよくよく考えると
そうした思いやりとか優しさを
自分に強いると言うことは
実は他人に強いることでもある
自然にそういう振る舞いが出来ていたなら別だが
そうでなかったとしたら
過剰な悔恨なり自責の念などは
実際には後の祭りでしかないし
自分を救済するための悔恨なり自責の念でしかない
自分が親にも他人にも
それほど情に厚かったりしなかったとか
あるいは情が薄かったとすれば
おそらくそれは自分に跳ね返ってきて
その時に
それはそう言うものだと理解して
人を恨んだりしなければいいだけの話だ
そしてどちらかと言うと
その方が人の心の自然に適っている
大きな古墳やピラミッドなどは
異常者たちの
異常な心の振る舞いを象徴するものでしかない
それは少しも人の心の範でもなければ
理想でも普遍でもない
2025/10/01