「てならいのうた」
 
「傍観」
 
もう対立する相手はいない
散り散りに飛ばされて残っていない
 
残っているのは
魂のない専門人と心のない享楽人
もはや人にすらなっていない
なので対立できない
一方はひたすら利を求め
一方はひたすら快を求める
どちらも餓鬼道に住まう住人でしかない
魂と心を失ったことに
気づきさえしていない
もう人として対峙することなどできない
合掌
悲しいもんだ
いい気なもんだ
地球をゴミ屋敷にしたすぐ後で
もう宇宙の環境破壊へと
手を付け始めている
魂のない
心のない
合理と功利の成功者たちは
盲目の餓鬼と化して
もうすぐ地球発のエイリアンとなる
ああそれでも
どこか心優しいエイリアン
花一輪を愛でる子ども時代もあって
子どものまんまの笑顔が人々を魅了する
 
昔から人間の世界には
なし崩しに許容する優しい面があって
誤った選択ばかりを繰り返した
愚かさを共有し合い
いざとなると
協力して戦うこともして来た
彼らとは戦えない
世を捨てて独居に籠もる
邪魔もしないが協力もしない
 
2026/08/11
 
 
「最後の夢」
 
平等が最終目標である
散々いろんなことを考えた上で
いろんな考えを篩にかけてみると
それが最後に残った夢
笊にすくわれた砂金である
 
これを言えばおしまいである
ほかに何も言うことはない
生涯を一言で言うと
それを求め探した
そのことに尽きる
死ねば死にきり
後には何も残らない
残さない
 
2026/08/10
 
 
「壊れるまでは」
 
倒れるまでには安堵がない
ぼくには人間とはそういうものだ
としか思えない
もっと言うと早く倒れたい
そういう人も居る
中世には
そういう人の言葉も残されており
現代でも
しばしば見聞きする
 
小さい頃に幸せを体験すると
なかなか倒れないんだそうだ
育て方が大切
と言うことらしいが
打たれ強いことは過酷にもなる
過酷も極限も
越えて行くことが生きることだ
とぼくらは考えてきたので
壊れるまでは耐える
それを自明としている
誰もが同行の士である
無理に今生の安堵を求めないか
無理しても安堵を求めるか
その違いでしかないが
どちらでもよくて
彼と我とが入れ替え可能なように
どちらでも同じと
考える考え方しかできない
 
2026/08/09
 
 
「頭社会」
 
幸と不幸を作り
上と下とを作り
善と悪や
尊と卑とをも作りだし
二千年後には
作り出したものに縛られて
がんじがらめとなり
嘆き藻掻き苦しみ始めた
自業自得というものだが
信じたままに
逝く者たちもいて
そこには幸も不幸もない
ただ人間的な生の現実が
幻想として聳え立っている
その幻想の中に
一本の蜘蛛の糸を見出して
ぞろぞろと
列を作って登って行く
見る分には圧巻の光景だが
列をなしているのは
もはや人間ではないな
まるで別物で
少しだけ先の未来の人だ
ああなる前に
辞退をしておいてよかった
激しい争いに
巻き込まれずにすむ
この先では
人間が人間の
公害になる
互いに互いの生活を阻害する
ようになる
 
2026/08/08
 
 
「幻想の中を駆け抜ける」
 
こちらから未来を見るよりも
未来の方からこちらを見る見方が増えた
死からの視線だ そうなると
大概のことはどうでもよくなって
狭い人間事に縛られた世界
そのようにも見えて複雑な気持ちになる
一歩そちらに踏み込んでしまうと
全てがたわいのないことばかり
けれどもそれが
その時々には許せないこと
見過ごせないこと
生死を賭けて戦うべきこと
と思えていた
そうして傷つけあい
言葉の足を引っ張り合い
侮蔑し罵り合うことになっていた
 
愚かだよな
死ねば死にきり
怨念は持ち越せないのに
執念や妄念に取り憑かれて過ごした
それら一切は
徒労と不毛の産物にも見える
そんな筈はない
そんな筈はないさと生きてる間は思う
そうして今だって半信半疑なんさ
ぼくらの生存には使命があり
使命を果たすべく
一生懸命戦ったと思いたいんさ
でもたぶんそんなものはない
ぼくらは夢見るように生き
夢見るように死んで行くだけだ
他の生き物との違いは
夢のない現実を生きるか
夢の中の現実を生きるか
ただそれだけの違いで
ぼくらは美しく飾り立てた現実を
生きることも出来るし
苦しく痛ましい現実を生きる
ことも出来る
つまり少しばかり
色とりどりに着飾った現実の中に
生涯を送るように出来ている
幸か不幸か
幻想で出来た現実の中を
ぼくら人間は駆け抜けて行く
 
2026/08/07
 
 
「言葉の後期高齢」
 
数年前までは言葉も元気だった
ぽんぽん口から飛び出したり
白紙の上に置いても弾んでいた
日陰育ちで色白だが
いまよりはずっと色艶がよく
キビキビと動き回りもした
エネルギーに満ち
言葉は言葉を呼んで
どこまでも長く列が続いた
気が向けば世界中のあちこちに
駆けて行き
歴史的な時間の移動も
苦にしなかった
言葉のくせに自ら光ってもいた
苦渋の言葉も
怒りの言葉も
感情が豊かにこもり
黒髪のようにしなやかで
少しも哀れを感じさせなかった
 
言葉は老いて
発信者とともに
後期高齢者の坂を下って行く
ほぼ無言で進む列の後を
目を伏せて歩いて行く
その姿は
健康な瀕死者
そう形容するしかない
ゆるやかにほどけて行き
やがて意味を失う
 
2026/08/06
 
 
「上書きの知」
 
観察の知を
骨折って言葉化していくと
「自然真営道」に結実する
それは本来
言葉化の王道である
 
幼児の観察が
無意識のそして初源の観察法だ
あれに優るものはない
だがたいていは
蓄積された歴史的世界知で
上書きされる
すると個人から
個人の観察知は永遠に消え去る
個人は世界知の奴隷になる
齟齬があれば
観察知の方を誤りと否定する
 
ぼくのように
観察知から世界知に刃向かうと
村八分となり
気がつけば波が轟に寄せ
「われてくだけて」を繰り返す
大海の離島ぐらし
そのことには何の得もない
なんの名誉もない
ご自愛下さい
 
PS(ピーエス)
世界知の奴隷で
悪いという法はどこにもない
 
2026/08/05
 
 
「入出と滞留」
 
若い頃は食べて出すがスムーズだった
最近は年老いて油ぎれか
食べることも出すことも少し元気がない
特に出す方が難しくなった
 
精神にも入出があり
若い頃は本をよく読み人と話もし
その延長で文字に記すこともよくした
内臓と脳髄とが
入出において連携していたと
振り返ってみるとそう思う
年を取ると入りの方は
専らテレビとかネットを介して
次から次と摂取され
その分の出が滞りがちだ
どんどん溜まって脳髄が膨らんで
ぱんぱんかも知れない
ぼくらは書くことで平衡を保っている
つもりだが
書かない人はどうしているのか
いろんな処理の仕方はあるのだろうが
スムーズに出せているか気になる
ぼんやり空を眺めたり
公園で虫に語りかけたり
渓流を見つめたり
山の頂上で眼下に景色を眺たり
それぞれの仕方で出力もしているか
そこはもう思いの届くところではない
ただご自愛をと祈るばかりだ
生命世界への入出もあり
お先に失礼しますと
その時はそんなことを口にして
滞留に執着せず
去って行くのが作法かと思う
 
2026/08/04
 
 
「観察の人へ」
 
学の裾野は
言葉の習得から始まる
だが異形の学は
日常の観察に始まり
観察に終わる
全てをそこから習得し
それでいて
何一つ分からぬことは
無いと言う
 
ああ それならば
遠い古から当たり前に
島の民がやってきたことだ
観察に始まり観察で終わり
ただそれを
言葉や文字にしなかった
それは由緒ある
生ける王道の体現で
言葉や文字を持って弁明する
その弁明の
必要の無いところに
生きたからだ
弁明のために屋に屋を重ねる
邪な者たちとは
生きて行く場も違えば
人としての格も違う
そろそろ観察の知を言葉化して
偏奇の知を蹴散らす時だ
ぼくらに黙ったままで
息を止めてはいけない
ぼくらの翻訳では足りない
観察の沈黙から
観察の言葉化へ
そろそろ
重い腰を上げてもいい頃だ
 
2026/08/03
 
 
「宣言」
 
いずれ死ぬ
早いか遅いかだけだ
こうして生きてきたことも
そうして生きてきたことも
取り返しがつかないことでは同じだ
無念であろうが
無念でなかろうが
どちらにしてもどうということもない
そりゃあもう
いろいろとあって多様なんで
考えてもきりがない
大地に産み落とされて
しばらくの間呼吸をして
やがて呼吸を閉じた
それでいいじゃないか
みんな平等じゃないか
死後は塵と成るのも同じだ
全ては夢に変わり
夢は夢だから消える
ああ だから
自分を責めないでくれ
きみの悪夢は終わる
いずれ消える
それだから
いま消して悪いという道理もない
心には限界も極限もないと
きみが宣言すればいいだけの話だ
 
2026/08/02
 
 
「元締論」
 
時の支配者権力者
それに名高い学者や僧侶
昔の偉人・聖人を
糞味噌にけなす著作を書き上げ
プツンと一転
町医者から農民に転身
口を閉ざし直耕の人として果てた
 
そんな安藤昌益は
名指しした不耕貪食の徒の出現により
強盗から殺人
その他諸々の犯罪行為が増え続け
世の中に欲望が弥増しに増したと述べた
その理由や原因をたどれば
彼らにこそ元凶があると言った
 
見えない関係が見えるようになると
なるほど一理あると思えるが
ぼくらはそう言い切るだけの勇気がない
彼は人間の心情や善意や
道徳心や倫理感というものにも容赦ない
言葉によってではなく
行動や態度を見れば分かるだろうと言う
 
彼が責め続けたのは上級民が作り出した
文化や文明や観念の一切だ
それら全てを持って上級民らは
世界の益を自分らに環流する仕組みと
制度とを作り上げたと非難した
下級民には忍耐や倫理や道徳を強制し
自らに力がないのだと
自らを恥じるように教えた
そのために下級民は
長く長く自制する道を歩かされた
いやむしろ
生活に引きこもり
生活に執着する以外ないその道に
喜んで没頭した
そのおかげで生活には忙しく
外道にも邪道にも陥る暇もなかった
そこに人としての品格も保たれた
 
2026/08/01
 
 
「言葉の外」
 
赤ちゃんと同居の犬猫の動画
を見ていると
ぼくらのする言葉の思考はないが
見つめると言うことはよくしていて
そこに言葉の思考はない
ただ視線の思考
視覚の思考
感覚の思考が行われていると感じる
それを思考と呼べるかどうかも
よく分からないが
まっすぐを見つめる中に
ただの放心とは違う表情が読み取れる
視線を送ることには
きっと言葉化できない意味がある
 
こうして考えてみると
ぼくら年寄りも
言葉に尽くせないほどの
たくさんのことを成し遂げてきている
言葉はそこを切り開いてこなくて
意味だとか価値だとか
分かりやすいところだけを
つまみ食いしてきた
そうして世界を人間色に
狭めて閉じた
 
2026/07/31
 
 
「なんなんだろう」
 
子どもの頃
ラジオから聞こえる流行歌を
よく口ずさんだ
その中には軍歌もあった
分からない言葉もあったが
なんとなくの気分で了解して
なんとなくの気分で歌っていた
歌っていると歌に集中して
気分も高揚した
歌のメロディーや言葉は
子どもの心を
動かす何かを持っていた
内容はよく分からないくせに
分かった気分で
表情までこしらえた
 
なんなんだろう
いま思えば
いつも何かに影響されていた
知らず知らずに翻弄された
自分の意志のようでいて
自分の意志ではなく
自分の意志ではないようにして
自分の意志として
人間社会の中を駆け抜けて来た
そういう一生だった
時空に翻弄されるそんな存在だった
気がつくと
人間社会にしか生きられない
ひ弱な生き物になっていて
なんなんだろう
悲しさばかりが増している
 
2026/07/30
 
 
「目指すべきところ」
 
 この体が外のもの、例えば穀物や野菜や肉や魚などから出来上がっているように、内なる意識もすべてもともと外にあったものを取り込んで、そうして形成されたものだ。元から自分のものなんて、ほとんどない。
 その意味では、受精し立てに、両親から譲り受けただけの素の自分らしさがあるだけだ。後は全部、よそものの組み合わせと仕立てとで成っている。
 
 人間の生きる意味とか価値とかも、現代になって誰もが考えるようになったというだけで、それは現代という時代がぼくらに強いるのだ。そう考えるように仕向けているのだ。
 ぼくらに主体はなくて、主体があるように思い込まされて、けっこう苦悩にはまり込む。
 だから、あまり意識を信じるな。ぼくに言えることはそれくらいで、でもそれは現代に生きる人たちのの特効薬にも万能薬にもなり得るんだ。心に苦しみを抱えた人は一度試してみるとよい。
 意識で意識を切る。要するのはただそれだけの作業だ。そのことを時々イメージとして頭に置くだけで、あるいは呪文のように呟くだけで、少し、気が楽になる。渓流を流れる水のように、意識にも新鮮な意識が流れるようになる。そして心に溜りが出来たと思った時は、こうして言葉にして吐き出すとよい。どうということもないが、どうということもないと知ることが大事。
 そのうち誰にも死んで終わりが来る。終わりが来ると、始まりも、途中経過も根こそぎ消える。「なんだよ」って思う。「なんだよ」って言うのが、そもそもの生きることだと分かる。
 さて、それからだよな。「なんだよ」っていう人生を、どう生きるかという問いかけが内部に起こる。自分を作り上げてきたもの全てを前にして、歴史とか社会とかの時空全てに対して対峙する自分が、そこに主体として浮かび上がってくる。そして自分の本質というものが験されることになる。
 これに立ち会う時は、なかなかに痺れる光景なんだ。地平線に、前人未踏の領域が陽炎のように見えてくる。一歩を踏み出そうとしても無理だ。踏み出そうとして親指ほどに前に進めたら、それだけでほとんど快挙と言ってよい。本当に目指すべきところはそこだ。
 
2026/07/29
 
 
「納税要員」
 
生きて行くのに勉強が必要
って何だ
学校行っているのに塾がある
って何だ
進学にも塾が必要で
就職するのにも試験がある
もうこれだけで十分
胎児にすれば生まれたくない
そう考えるよね
それで少子化をどう食い止めるか
なんて言ってるんだから
金をばらまくって言うんだから
金で釣ってでも
納税者を増やそうとする
お目出度い国としか言いようがない
 
もう一度この時代に生まれて
やり直したいか
と問われたら
ぼくならごめんだと言う
生きるために
あんなこともこんなことも必要で
素のままでとか
手ぶらでとか生きられない
こんな世界は初めてだ
幸せに生きるためには資格が必要で
資格のない者はただの納税要員
高度文明化社会って
近世以前に生きた人には
複雑さになじめない人には
暮らせない世の中と言うことだ
現代人には平気かというと
平気な人もそうでない人もいる
二人にひとりの割合で
貧しい生き様を強いられる
そういう国になっちゃったのに
どこを向いても
残り一人は脳天気な奴ばかり
お先真っ暗な国だぜ
 
2026/07/28
 
 
「ここまでは歩いてこれた」
 
くすぐったいを追って実感して
くすぐったいを克服した
同様に苦しい悩みの実体を追って
再追認をしたら
一つ次元が移ったのだ
ああこれが苦しいと言うことかと
ああこれが悩ましいと言うことかと
いちいち丁寧に実感していたら
依然として苦しく悩ましいままだが
苦しい悩みがぼくの体と心とを
直接に破壊するものではないと知れた
それからぼくは変に強くなって
限界を超えて苦しみや悩みに耐えられる
そう思ったのだ
 
その変貌は一つの変態一つの変身
と言うべきかも知れない
ぼくの一つの工夫だが
ぼく自身はあまり評価しない
どう考えても意識による
一種のはぐらかしと思えるからだ
でもそのおかげで
ここまでは歩いてこれた
 
2026/07/27
 
 
「健全な知恵」
 
竪穴住居が簡素なのは
いろんな理由から転々と移動するため
恒久的ではない
竪穴だから竪に穴を掘っている
七十から八十センチ
一歳児なら頭まですっぽり隠れる
地域にもよるが
室町時代までは貧乏人が住んだ
縄文時代からだから
結構なロングセラーなのだ
地下穴での暮らしは
気温対策から
害獣対策などなどの理由か
 
その形態にたどり着くために
どれだけの模擬的な試みや
試行錯誤が繰り返されたんだろう
列島全体に同じ形状というのも
考えると不思議
それらの時代ならではの
いっぱいの知恵が
きっと込められていたんだと思う
その知恵の実感は
いまではなかなか得られないが
感覚的な思考と知識は
ぼくらよりも素朴だが健全だった
精神の骨格もずっと太い
現在のぼくらはもしかすると
知識以外は
何もかもが脆弱になった
 
2026/07/26
 
 
「公害論」
 
狩猟採集から農業の発明とその後の展開は
縄文から弥生期にかけての一大産業革命だった
産業革命というと西欧近代の産業革命
それは西欧の国々の発展に寄与し
全世界の近代化に寄与した
だがその一方で
近代産業革命は後に公害も産み落とした
 
そこで古代の産業革命が産み落とした公害は何か
そういう問いを立ててみたのだ
浅学を恥じずに言えば
古代社会に貧富の差が生じたことだろう
そこからさらに集落ごとの争いも生まれ
切実に自衛ということも必要になった
人が人の上に立ち
自然とは別の仕方で人を支配するようにもなった
明確な階層・階級も生まれていった
今から考えると
その方がもっと深刻な
もっと規模の大きな公害をもたらした
二千年いやもっと長きに渡るかも知れない
そんな規模の公害になった
 
2026/07/25
 
 
「そこまでの途次」
 
こんな世界では
何者にもなりたくないと考えて
稜線を歩いてきたつもり
それがしだいに宿命になり
もう逃げ隠れも出来ない
いまも時々は
無力にさいなまれる日々もあり
仮に失敗の生涯と
誰かに強く言われても
ぼくは言い返すことをしないだろう
それでもよいのだ
目の前に苦しむ人を救済しない
そんな人間に成り下がって
頭を抱えて歯ぎしりもしている
 
そんな頼りない姿ながら
しかし形式的なだけではなく
その場だけに限らない
本当の本当の救済の方法が
根源的・実質的に救う方法が
きっとあるはずだと
晩年の瀕死の思考の中で
考え続けてもいる
それを見つけさえすれば
それを見つけなければ
まだまだまだまだ
ぼくらにはやり残していることが
いっぱいある
気を抜いてしまったら
緊張が解けて何かが崩落する
ぼくらは後悔し
そこがぼくらの墓場になる
 
2026/07/24
 
 
「令和の特攻戦」
 
トマトとキュウリとピーマンと
久々の家庭菜園
丈はしっかり伸びて
支柱も立てて
後は収穫を待つだけなんだが
思うように実がつかない
キュウリ4本
ピーマン3個収穫して
トマトは大きなものが10個
黄色みを帯びている
物価高への対抗がこんなんでは
大砲に竹槍の類いだ
春から夏にかけての雑草の
引き抜いても繁茂するあの勢いは
野菜たちには
引き継がれていないんだろうか
急な家庭菜園だから
焼け石に水なんだろうけど
その他諸々
物価高への対抗策はやってみるさ
いやほんとに
なけなしの特攻戦に
ぼくらは突入しているな
さあロシナンテ
サンチョ・パンサ
巨人退治の旅に出かけよう
 
2026/07/23
 
 
「優秀な舵取りの国」
 
なじめない人を置いてけぼりの
国の舵取りだが
昔から優秀な人材ばかりが
登用されて来ているんだそうだ
 
優秀な人材が舵を取るから
優秀な人材中心の
優秀な人材のための
優秀な国作りが進められる
 
おかげで一定貧困数は減らないわ
気づけば少子化になるわ
犯罪は増えるわ
不公平や不公正が蔓延るわで
 
まっすぐに汚ねぇ国になった
「ふつう」では
居心地悪くなじめない
「優秀」に侵略された国になった
 
優秀な国では
優秀な人材の嘘が堂々と罷り通る
「めでてぇ」としか
言いようのない国になってた
 
2026/07/22
 
 
「言葉世界」
 
言葉を生きてきたと
ある人が言うので
その通りだと共感した
その上でずいぶんと
言葉に出来ないことを
言葉の枠に寄せて
狭苦しく
窮屈に
生きてきたものだと
言葉にならない
思いを思う
 
どうしてこんなにも
言葉はやっかいなのだろう
とりわけ文字は
目にも見えてやっかいだ
言葉の世界に引きずり込み
言葉の人に
ぼくらを仕立て上げる
おかげでぼくらは
言葉以前の世界に戻れない
あの幼児たちのような
ただ生き物と言うだけの
生き方が出来ない
言葉はぼくらを型にはめて
枠にはめて
言葉の人でなければ
人にあらずと
ぼくらを縛り上げる
こうして現代の社会は
言葉世界でしか生きられない
そんな社会になった
 
2026/07/21
 
 
「暑中見舞」
 
差出人不詳の
暑中見舞の葉書が一通届く
よくよく確かめると
二十歳のぼくが二十歳のぼくに
送ったものだ
そんな記憶はないが
七十五歳のぼくは一瞬若返って
二十歳のぼくになった
 
言葉ではそういうことになるが
言葉ではない現実に
ぼくはずいぶん戸惑った
言葉にしてはいけない喜びが
言葉以前の方角から
津波のように
地揺れのように
静かに押し寄せてきた
 
言葉以前の便りが届いたと
とりあえず二十歳の頃のぼくに
返信しなければ
言葉以前のこころを
伝えなければ
生涯で初めて告白されたみたいに
嬉しかったと
言葉にも込めて
文字にも込めて
暑中見舞の葉書を
宛先不詳のまましたためる
 
2026/07/20
 
 
「選択肢」
 
今年の夏も酷暑が予想されている
こうなると日本ではエアコンがフル稼働だ
ぼくらもたいてい外の日差しは避け
部屋の冷風の中で過ごすだろう
というか
それ以外の選択肢が無い
 
大昔の列島にも
高温期と寒冷期は交互にあって
長い石器時代には移動もしたのだろう
定住化の先駆けの縄文時代では
猛暑には水浴びもしたのかな
綺麗なフォームで泳いだりもしたのかな
遊んでお腹がすいて
木の実を探したりもしたかな
透明に澄んだ冷たい水に
好きなだけ浸かっていられたろうし
想像するとそこは羨ましい
ぼくらもプールに行けば泳げるのだが
なかなかそんな気にはならない
 
エアコンはとても便利だけれど
お気に入りの川の景色とか
苔の生えた大木とか
渓流の大小の川石とか
手や目や耳に触れる
その体験からはどうしても
寂しく貧しい気がしてしまう
文明化・人工化は望みでもあったろうが
いざこうして暮らしていると
後にした故郷のように
懐かしくもあるな
同時に現代は
思うほどに選択肢が無い
こういう時
豊かさは貧しさに一直線に転落する
 
2026/07/19
 
 
「読まない読者」
 
詩の専門人
専門詩人が追求すると
そこに美が立ち現れたり
深い思想が見えて来たり
感性の鋭さが
読者の心を切り裂いたりもする
だからのめり込んで
言葉に憑依して追求することは
とても凄い 敵わない
何行目か
何文字目かで一変する
そういうテクニック
あるいは装飾の効果の
計算なんかも凄い
 
でもね
すぐにぼくは忘れてしまうんだ
文句なく優れた芸術
と思えるのだが
どうやらぼくには
パンのほうが大事なようで
パンが心を占めている
パンよりも心に響いて鳴り止まぬ
そんな詩に出会えたら
ぼくだってきっと
もっと詩を読むに違いない
最近の詩には
甘く苦くしょっぱいパンの心
悲しさと
その悲しさの先がない
 
2026/07/18
 
 
「軍配」
 
断続的な小雨が
一週間も続いている
梅雨とはよくいったもので
そう呼ぶ以外に
この天候については
何も知らない
 
知らないで平気なのが現代人
知らないと生命の危機と
切実なのが古代人
自然を生きているのは古代人で
現代人は幻想の中
生きているのは同等だが
どうかな
 
とっさに上げるならば
ぼくの軍配は古代
きみの軍配は
現代と古代のどっち
 
2026/07/17
 
 
「日の没する処の天子に」
 
いま思うと美人ではないが
笑顔と声とが
自分にとっては太陽に見えた
そういう意味では
太陽がいくつもあってさ
自分が信じられなかったよ
 
別の意味で太陽は不滅だよ
でも後期高齢者のいまになると
もう太陽は昇ってこない
明け方から空をにらんでも
雲に覆われっぱなしさ
不滅の太陽が沈みっぱなしさ
長く生きすぎたって
思っちゃうよね
考えちゃうよね
さあどうするよ
 
今日からぼくは人間をやめる
人間の心を捨てる
それでも勝手に考えたり
勝手に感じるものを
ぼくは双子の弟と認証しよう
彼のする事なす事に
ぼくは責任を持たない
非難もしない
 
2026/07/16
 
 
「ゆくえ知れず」
 
日本で言えば
一億人分のおしっことうんこは
闇に葬られている
世界で言えば
八十億人分のおしっことうんこが
ゆくえ知れずになっている
 
これがおしっこやうんこではなく
例えば精子や卵子だったらどうか
やはりメデイアも追わない
どうでもよい問題なのか
身近でも切実でもない
ということか
 
もしもぼくが詩人になりえたら
こういう疑問にも
明快に答えられる詩人でありたい
でも絶対詩人になれないから
こういう疑問に答えられなくても
どうってことがない
 
実は五十年以上
このふざけた疑問は
ほかの疑問と同等に
意識の影にずっと去来していた
そうして最近の妄想では
全ての排出物を集めて丸めて
宇宙のどこかに置き去りにする
そんな物語も紡いでいる
 
さてぼくが詩人ならば
そこからが腕の見せ所で
ただの石ころを宝石に変える
そんなトリックを使う筈なのだが
詩人ではないので しない
ただ小石はダイヤの原石なのだと
意味深に告げて
さっと雲隠れして
ゆくえ知れずになる
 
2026/07/15
 
 
「喪失」
 
幻想の森は
日ごとに拡大し
毛細血管が
全体に張り巡らされ
さらにその先端が伸びて
細分化が進む
幻想の専門性が細分化して
細分化する方もそれを追う方も
何のためにそうしているのか
末端になればなるほど
分からなくなっている
 
肥大した幻想の森は
やがて宇宙大に膨張を遂げ
かつて存在した
幻想の森の中核としての
精神も心情も見失ってしまう
幻想は一人歩きを始め
いつか人間という母体を
離れて行ってしまうのだろう
人間は消える
人間は外形だけを残して
幻想の森を去り
森に残ったものたちは
ただ人型をなぞる形式と化す
未来はこうして
見事なほどに
人間がロボット化して行く
まるで老後の
ぼくらのように
 
2026/07/14
 
 
「見えない葬列」
 
感情を殺さないと
この世界には生きられない
だから感情には死んだふりをさせて
この年まで生きながらえた
何しろ両親がいて兄妹がいて
自分に家族も出来て
手続きのように生きるほかなかった
 
口で言うのも憚られるほど
人間の社会も世界も酷すぎる
嘘で嘘で嘘で
嘘で塗り固めた高層ビルが乱立する
ぼくが素直に感情を表に出せば
すべてのビルは壊滅するが
ぼく自身も破裂して跡形もない
そういうことになっていただろう
自爆テロでも何でもなくて
本来人間の感情とはそういうものだ
建設もするが破壊もする
 
感情を殺さないと
この世界には生きられない
そう考えたのはぼくだけじゃない
なぜならばほとんどの人が
いまは本当の人間の感情ではなく
そうありたい感情を
ユニクロのように着こなしている
そうすることが生きること
になっている
感情を殺さないと
この世界には生きられない
誰が戦争反対を叫んでいるだろうか
誰がいじめをなくせと叫んでいるか
誰が孤立死に怒り
誰が貧困に怒り
誰が引きこもりに苦吟し
誰が平等の実現に喉を涸らしているか
装着した感情だろう
いまはすべてが風物詩になり
ただの手続きと化してしまっている
それをするには
命がいくつあっても足りない
本気を殺さないと
この世界では生きていけない
生きて行くために本気を消すと
人間は人間らしくないものに変わってしまう
人間と人間でない物との間隙を縫って
ぼくらは生きながらえて
何をなそうとしているのか
何かをなしつつあるのか
いよいよ間隙は細く狭まりつつある
きれいな列をなして
見えない葬列が続いて行く
 
2026/07/13
 
 
「辿り着くまでは」
 
弥生期に約六十万人に急増した人口は
奈良時代には約四百五十万人
これから換算するに約百万人の
大陸からの渡来が推計されるという
紀元一世紀の終わりには
王朝中枢の約三割を渡来系氏族が占めた
もちろん渡来は数百年単位で
その波は何度かに分かれて起きている
 
こうしてすでに先住の縄文色は失われ
混血しながら渡来系弥生人色に染まった
急増した人口だけを見れば
食糧事情を含め
この島国の産業の発展は成功を収めた
必然的に貧富の差が生じ
縄文時代にはなかった集落間の争いも頻発し
集落同士の併合や主従も起こり
各地に豪族が誕生するようになった
集落の纏まりは血縁を超えて部族化した
これが初期国家となり小国が乱立
倭国大乱へと進んで行った
こうなるともう武器を持った痕跡のない
縄文時代の親和的な面影はない
その原因を稲作に求めればよいのか
それとも渡来系弥生人の侵出に見ればよいのか
ぼくらには分かりかねる
 
ただこのような時代を起点として
この島国の運命が大きく変わったのは確かだ
これ以降全体の支配者が君臨することになり
誰が支配者になるかは
この国に生きるものの関心を集めて
現在の社会に辿り着いた
もちろん内紛内戦を繰り返し
その度に政権の中枢から隔たった者たちは
恐れおののき
あるいは戦を逃れて放浪することもあった
そうしていまも続いている支配と権力の構造は
ただふつうに暮らしたいだけの
人の願望を蹴散らして我が物顔で進んでいる
人を人と思わぬ人の世紀は
ずいぶん前から始まっていて
ぼくらもまたその世紀を続いて生きている
人を人と思わぬ人と成るか
人を人として敬う人と成るか
毎日を験される日々のように過ぎている
 
なんとぼくらが辿り着こうとしているのは
戦とか争うとかの意識の薄い
ただふつうに暮らすことに専念出来ていた
文明が低度のあの縄文時代なのだ
あの時代の争い少なくふつうに暮らして心地よい
そんな環境を現実社会に再現したいのだ
高度文明化社会に持ち込みたいのだ
そのためにたくさんの人にさよならを告げた
ぼくに関わる人に悲しい思いもさせた
ぼくの主観では
冬のど真ん中に立ち続けてきた
だからどうしても
辿り着く前に自ら倒れてしまう訳にはいかない
 
「先史への出口」
 
子どもの頃の遊びは
狩猟が半分を占めていた
小鳥やウサギや泥鰌や鮒や鯉
罠を仕掛けたり釣りしたり
木苺やヤマブドウやアケビ取りもした
まだ先史の血が通っていた
 
その時代の男の子たちの
誰もが通る道だった
三人くらいで声かけ合って
楽しかった
木々の間をかいくぐって動き回った
黄金期だったよなあ
いま思えば
 
先史は遠くなりにけり
現在は高度文明の人工物の中
鬱蒼とした幻想のジャングルに囲まれ
迷路を右往左往
ひとりで出口を探している
誰をも救出するという
あのまぼろしの先史への出口を
未来に繋がる出口を
藪をかき分け
木に登ることもしてさ
アケビ取りを思い出しながら
ひとりでやってんだ
 
2026/07/11
 
 
「風狂の人」
 
子どもの頃は病気か病気でないか
風邪か風邪でないかはっきりしていた
高齢になったこの頃は
そこがはっきりしなくなった
調子は悪いが倒れ込むほどではないとか
起きて動けるが調子がいまいちだとか
健康なのか病気なのか
はっきりしなくなった
 
社会全体もそんな感じで
善人なのか悪人なのか
健常者なのか異常者なのか
詐欺師なのかまともな人なのか
はっきりしない
自分も傍からはそんなふうに見えて
警戒されているんだろうかと心配になる
それだけならまだいいが
ひとりで孤独にコツコツと
読む人もいない文章表現をしていると
ひたすらの
徒労と不毛とをただ繰り返していると
それ自体が異常に思える
いたってまともなつもりだが
やっていることは異常だと
これってつまり
自分をまともと思い込んだ
異常者ってことなのだろうか
生活態度は平凡な異常者ってことか
そんなのあるか
そういうことの区別が
だんだんとつかなくなってきた
 
健常で秩序ある社会に一歩足を踏み込むと
そこは風狂の人だらけになっている
常軌を逸した健常人
教科書で習わなかった人間に出会うと
静かに混乱して敵視する
 
2026/07/10
 
 
「土偶(デク)」
 
空に絵を描く人がいるので
その人たちに任せて
ぼくは下ばかりを見てきた
蟻さんは動き回って
人だかりのように黒く集まる時もあれば
さっと引いて
一匹も見当たらない時もある
 
ぼくは鏡のような目で見ていたのだ
その目には羨望も落胆もない
ただ動きに反応して
ひたすら動きを追っていただけだ
ぼくが一生俯いて暮らしていたと
いつか蟻さんたちが証言してくれたら
望外の喜びなのだが
 
2026/07/09
 
 
「幻想化社会」
 
家族分の小さな土地を耕して
時には狩りに出かけて
それだけで結構な幸せを感じて
電気も水道もあれば
 
近代化した文明や文化は
ジェット機や新幹線に乗って
あっという間に
高層ビル化して行った
デジタル化なんて言って
社会から老人を締め出す装置を使って
祖先を老害化にして行く
 
輝かしい歴史の幕開けだって
どの国の指導者も言っていたなあ
泥船に乗った気で我々に任せろ
なんて
ぼくらの耳には聞こえたもんだ
 
誰かがこうしたんだぜ
ビンタ代わりに言葉を使ってさ
土地にしがみつくものを
足蹴にして
世界に伍す国に仕立てた
ずいぶん立派に仕立てて
貧困も孤立死もあり
ついでに特殊詐欺も横行する
歴史が刻まれた時から
偉人・聖人の遺言を聞き入れた
その結果がこの始末だ
形而上学を過信した結果がこれさ
 
2026/07/08
 
 
「空の手」
 
おせんべいを口に入れる
ついつい箱からタバコを取り出す
生きているとはそれだ
体と心とが無意識に動くことだ
意識を働かせている時は
勉強をするとか仕事をするとか
たいていつまらぬことをする時だ
自然を自然に生きている
そんな動植物たちとは
人間は本質的に異なっている
 
動物も植物も生きているんだよね
間違いないよね
ほぼほぼ無意識に動いている
つまらぬことは何もしない
すべてやりたいようにやっている
それが本当に生きることだとしたら
人間は余計なことをやっているな
無理しているな
ああしなければならない
こうしなければならないと
偉人・聖人の言葉に動かされて
ずいぶん損もしているんだな
苦しんでもいるんだな
とりあえずこれからのぼくは
気が向くことだけをやって行く
指先が伸びる方角に
とことこと歩いて行く
帰り道なので
山道を登ることもほぼない
悔しさに憤ることも
ついでに涙を流すこともない
何なら孤独も孤立も心地よい
若き時は手を組んだ
その手も空で
空の手は空を掴んで潔い
 
2026/07/07
 
 
「縄文夢想」
 
朝起きて
とことこと歩き出すと
縄文村はすぐ目の前にある
適当な切り株を見つけて座って
日がな一日村見をする
 
この集落には竪穴住居が三つある
一つには大人の男たちが住み
もう一つには女と子ども
三つ目には若者が住む
住居の側には小川が流れる
きれいなだけではない
落ち葉や木の枝が流れることもある
暮らしも良いことばかりではない
獲物が狩れない日が続くと
女たちの機嫌は悪く
男たちは矢尻を手入れしながら
料理がまずいせいだと
女たちを罵ることもある
 
夕暮れが来たので
いつものように
とことこ歩いて帰路につく
いつの間にか
太古と現代の境が消えている
住居や衣服の違いに
言葉も違って聞こえたが
表情や心の動きは現在に通じている
同じ地形と風土に住む
祖先と子孫の間柄だ
そんなに無口でもお喋りでもない
縄文の暮らしは単調だが
その分暮らしのすべてに
強く太く心がまとわりつく
 
2026/07/06
 
 
「この社会からの脱皮」
 
明治時代の天皇制も
戦後の民主主義や多数決のルールも
上手く機能する時もあれば
そうでない時もあった
どっちにしても
ずっと下層に苦しむ
そういう民はいつの時代にも絶えない
 
じゃあだめじゃん
と言うのがぼくの考え方だ
これは誰が何と言おうと引っ込めない
共同体の頂点に立つ者が
最高権力構造やその仕組みをこしらえ
その体制を続ける限り
階級もまた消滅しないで存在し続ける
いまも九十九%の人が
この体制を受け入れている
積極的にか消極的にか是認している
 
じゃあだめじゃん
と言えばその通り
誰が何と言おうとその通り
上の階級には権力の階調が生じ
下の階級には逆さまに
マイナス権力の階調が生じる
つまり権力・支配力は
グラデーションとして
どの階級・階層にも存在する
毛細血管や末梢神経のように
国家体制の隅々にまで行き渡っている
 
この体制が崩れたら
社会が終わると考える人たちがいて
いやそうじゃない
ぼくら向けの社会は
一度も実現した試しはないから
はじめから終わっていることと同じだ
と主張したい人たちもいる
解体せよとも維持せよとも言いにくい
そのために傷つけ合い争うのもいやだ
明るく派手で賑やかな連中と
暗く陰湿に塞ぎ込む連中と
その中間層の連中と
やっぱりグラデーションのように
この世界に階級・階層化は続く
二千年続く不平等の体制
この幼虫状態から
どんな成虫へと脱皮していくのか
ぼくに残る一つの楽しみではある
期待したいなあ
 
2026/07/05
 
 
「老後の台所」
 
台所が好き
換気扇とゴミ箱の間に
小さな折り畳みの椅子を置き
ちょこんと座って
たばこを吸ったり
コーヒーや炭酸を飲んだり
あとは換気扇の汚れ
ガスコンロの汚れを眺めたり
水道の蛇口の滴りを
どうやって止めるか考えたり
冷蔵庫は無休で働いているなとか
流しの中の洗い物のこと
トースターの下が
パンくずで汚いとか
フローリングの焦げ跡とか
見たり考えたり
時間にすると五分くらいだが
だんだんと
心が整って来るのが分かる
ぼくにはサウナ
サウナじゃないけどサウナ
ばななさんの「キッチン」は
読んだことがありません
 
2026/07/04
 
 
「自分ほぐし」
 
もう少し年取って
もう少し動けなくなったら
幼児の表情
幼児の動きをただ黙って見ている
そういうのがいいな
テレビやパソコンなど
見ることにはすっかり馴れたもので
だからそれなら楽しめそうだ
おせんべいを食べながら
時にはアイスを食べながらなら
最高じゃないかな
お客さんみたいな老後だが
ぼくの方に不足はない
観察して観察して
ひっそりと夢物語を心に紡ぐ
紡いではほぐし
ほぐしては紡いでいると
パタリと時間が止まる
それほどまでに
時間の底深く潜れたら
もうぼくも
すっかりほぐれているんだな
 
2026/07/03
 
 
「模範的な顔つき」
 
縄文時代のように
戦争を起こさなかった文明や文化は
世界のあちこちにもあった
あったがたいてい滅ぼされた
勝ち残ったものは
その後も繁栄を続けた
 
しばらく経って
自由・平等・友愛など
先進国らしく模範的たろうとしたが
それはちょっと遅い
生き残った国は全部野蛮だ
だから生き残った
ひとつの国の中で言えば
偉人・聖人と遇され
よい暮らしを貪るものもみんなそうだ
優しく気弱な心を踏み潰して地位を得た
先進国に成り上がった国は
たいてい模範的な顔を
急に作りはじめる
偉人・聖人も同じで
納得と共感の内に下々を従える
兵器を使ってではなく
言葉を使う
言葉は肉体をではなく
人の心や精神を撃ち抜く
 
生き残り
勝ち残らなければ意味がない
そういう声が流布されて蔓延する
その結果が現在の社会であり
現在の世界である
戦争があり犯罪も増え
哲学や思想も閉塞し
人々の暮らしは
日々息苦しさを増していくばかりだ
道ですれ違う人は
いつ豹変してもおかしくない
そんな時代が来てしまった
急に激高し始める
日々の柔和さや穏健さが
一瞬で瓦解する
それは他人事ではないことが怖ろしい
鏡に映る顔が
模範的なしたり顔をしていたら
気をつけろ
 
2026/07/02
 
 
「してきたこと」
 
中学や高校では
ああしなさいこうしなさいと
人間としてすべきことを教わった
でもぼくも先生も
していることやしてきたことは
ずいぶんとかけ離れていて
深く広い溝をどう埋めたらよいのか
ぼくは分からぬまま
ただ息苦しく感じていたなあ
卓球部で体を動かして
少しはストレス発散にもなったんだろうが
息苦しいままだった
あれからずっと
「こうしなさい」と
正しく立派なことを言う人を見ると
「自分はどうなの」と
意地悪く聞き返したくなる
いつまでたってもぼくはだめなままなので
こんなことやあんなことをしてきたと
自分がしてきたことを
正直に言うしか取り柄がない
だからみんなから
褒められることは何もない
 
2026/07/01
 
 
「老いた意識はこうして殺す」
 
衰えや無気力を感じるようになったら
どうすればいいだろうか
まあそういう時はある
そういう時はただ素直に受け入れて
そうだなって
しみじみとするのもいいだろう
あとはドリンクを飲むとか
青汁にしてみるとか
いつもより早めに就寝するとか
いろいろと試してみればいいんだ
たぶん早ければ明日
遅くとも一週間後には
別のことが頭を占めている
意識とか頭ってのは
その程度と考えておくのがいいんだ
自分で感じて自分で問うて
自分で自分の限界や障害を作り出す
そういう仕組みがあるんだと
理解しなくても
考えておくことは大事なんだ
考えてもみたまえ
ほとんどの生命は生きているとも
死にそうだとも考えずに
死ぬまで生きる
ぼくらだって所詮は同じ生き物
考えない生き物の真似をしてもいい
死んでから
弱っていたんだと気づいてもいい
オレ様風に君臨する意識だが
自分の死は
体験することも
理解することも出来ない
オレ様から引きずり下ろし
知らんぷりしたり
忘れるくらいでちょうどいい
空隙を作ったら
後はお任せしますって他力本願
身体と感覚だけでもって
世界という大海に
飛び込んじまえばいいんだ
 
26/06/30
 
 
「二万七千余の物語」
 
一筋の光で目を覚ます
意識が
物語を紡ぎ始める
一日に一つとすれば
習作も含め
二万七千余の物語
書いては破り
書いては破りした
心のゴミ箱に
ぎゅうぎゅう詰めの
バックアップファイル
さよならだけの人生だ
いや
また明日も
柴刈るおじいさんのように
まだ明日も
 
2026/06/29
 
 
「脳内観察」
 
目の粗いざるの人間が
自然観察で隙間を埋めると
どうしてもすべてを塞ぎきれず
神話で塞いだ
そこから宗教・法と進み
後景化した自然の代わりに
意識を観察対象にした
数万年の自然観察を終え
脳内観察に取り組み数百年
何がどう変わったか
誰も知らない
 
誰も知らないが
未踏の領域を
人類は進んでいる
それは一歩足を出すと
次の足を送らざるを得ない
そのように進んでいるだけ
人類だけが
積み上げられたものに強いられ
拙速に未踏を進む
不明と不安はきりがない
人類だけの世界
人類だけの領野
つまりそれが現代の神話だが
まだ元気に活発に
進んでいると思い込んでいる
永遠に続く神話
埋没して生きる希有な種族
脳内は宇宙を飲み込んで
宇宙よりも広い
死ぬまでに
観察し終えるとは
思えない
 
2026/06/28
 
 
「その日暮らし」
 
その日暮らしなら
狩猟採集の日々とそんなに変わらない
狩猟に失敗し
何も採集出来ない日も
太古にはざらにあることだった
一晩中薪の炎を見たり
満天の星を眺めたり
みんなで祖父の話に聞き入ったりした
たったそれだけでも
一日を乗り越えられたし
明日の風に立ち向かうことも出来た
あれから数千年を経て
現代のぼくらにはそんな余力がない
なんてことが言えるか
 
このまま生きていてもいいことがない
と知ったふうを言うな
楽ではないという生活は
遠い祖先には日常的なことだった
ぼくらとの違いは
ぼくらの周囲が明るく賑やかで
豊かさに溢れていると見えることだ
夜の空は暗く燻っていることだ
どうってことないさ
ぼくらは文明から取り残され
街場の隅に引きこもる
未接触部族のひとりになる
一世代にして
現代と太古との
二つの時代を重ねて生きる
遠い時代を自在に行き来して
遺失物に詳しい
時代の証人になる
 
2026/06/27
 
 
「雨に立つ」
 
梅雨に打たれる庭の薔薇が
朝からじっと動かずにいる
 
様々な老いの時間がある中で
だんだん植物的になる
 
時間の雨に打たれて
ときおり風に揺すられて
それでもくっきりと
緑はなお色濃く緑の葉であり
花はしっとり赤く華やいでいる
 
動くものから動かぬものへ
変容の途次の物思い
花や葉の喜怒哀楽
幹と根の想念
老いる人は
薔薇ほどの棘を
内に向けて雨に立つ
 
2026/06/26
 
 
「八十三億通り」
 
地上には八十三億人分の
「今日」と「今」とが歩いている
それだけの「今日」と
「今」とがあるんだ
その「今日」と「今」とに
問題があったり
問題が起きているとすれば
少なくとも八十三億通りの問題があり
二つあると百六十億
三つあると二百四十億
そのうち一日で解決する問題は
うーんどうなんだろう
一ヶ月たち一年たったらどうなるんだろう
年取って暇だから
ついこんなことを考える
忘れないと今夜は眠れない
ぼくには計算力も解決力も不足している
だがぼくは賢いので
たったひとつだが解決策を知っている
それは何かな何かな
じゃーん発表します
夜に寝ることです
寝ると問題が消えるので解決です
これを繰り返すこと
これが解決保留のまま解決する方法です
こうやって行けば別に問題ないです
これ以外に解決法はありません
でしょ
明日の問題も
こうして明日中に解決します
寝て消すの一択です
 
2026/06/25
 
 
「また目を閉じる」
 
窓をたたく雨は久しぶりだ
空梅雨が多かった近年
田んぼの水不足を心配する声が多かった
今年は夏前までに
水がダムにたっぷりと貯水され
農家は余裕で夏を超えて行くかな
 
ところで部屋の中のぼくには
慈雨の恵みは降りてこない
乾いた砂漠の部屋に
ぽつんと取り残された縄文人みたいに
ただ眠そうに座っている
雨の日だけど明るい
快も不快もない
この贅沢な時間潰しに
深入りしようとしてまた目を閉じる
 
2026/06/24
 
 
「未来は時代の老人化」
 
孤独や孤立は
馴れ合いや凭れ合いを否定し
心とか精神が
自立する過程で起きてくる
文明文化の発達に伴い
自然にそうなる現象のひとつだ
時間があり
歴史があると避けられない
 
これは大昔の
群れたり集落を組んだり
という方向とは違う
むしろ孤独や孤立だから
逆行するものだ
とりあえずおどおどしない
慌てふためいたりしない
そういう覚悟が必要だ
孤立死にも
驚いたりせずに
馴れていかなければならない
 
考えとしてはこうだが
気持ち的にはとても殺伐となる
未来は時代の老人化なのか
闘って闘って
闘った後の疲労でいっぱいだ
高度文明と文化の繁栄
その栄光とはこんなものか
次々と送る孤立死を
平気で見送って行くことか
 
2026/06/23
 
 
「築四十数年」
 
台所には台所のにおい
居間には居間のにおい
トイレにはトイレのにおい
風呂場には風呂場のにおい
ああ 玄関のにおいもあるな
それぞれのにおいの中を行き来して
すっかり薄くなった頭髪にも
体全体から心まで
においはたっぷり沁みついて
築四十数年の我が家
 
2026/06/22
 
 
「いけず」
 
パンのみにて生きるにあらず
意識とか言葉とか心とか
内面と呼ばれるものが
パンと同じくらいに大事なんだよと
まあおっしゃいますね
人間だから
人間だもの
意識とか心とか言葉とかは
言いたくなるんだろうね
人間だから
人間だもの
仕方がないよね
 
それでも人間以外の
すべての生き物には相手にされていない
壮大でかつ繊細な詩人の詩
宇宙を包み込んでいると評されるが
どうなんだろう
蟻さんにも通用しないし
仲間内だけで褒め合っていい気なもんさ
究極の自己満足に閉じた世界だ
描かれた荘厳も
身内以外にはまったく無価値だ
 
人間は長い時間をかけて
現在のような人間世界
観念と幻想の世界を構築したんだが
それに使われた
意識とか言葉とか心とかは
本当なのかな
本当に自分のものかな
自分で用意した自前のものかな
これを使えと用意された気がする
となると
初めから操られていて
自分自分と思い込みながら
人間役を演じているだけなのかな
鰐だって毒蛇だって
生涯をずっとあの姿で通すんだ
黙って引き受けているようなもんさ
 
それやこれやを考えると
宇宙大に広がる自然って何か嫌だな
「いけず」だな
 
2026/06/21
 
 
「荒廃の元凶」
 
此の世は自分の思い通りになる
満月のように
すべてが満足にそろっていて
足りないものや欠けているものは
ひとつも思い至らない
藤原道長はそう豪語した
 
これを聞き知って
これを羨まぬものは
ひとりもいなかったろうし
現在でも羨望の的である
そしてこういう類いの羨望を
世の中にもたらした
道長はそのひとりと言える
羨望をもたらしただけではなく
羨望からの様々な欲望と
欲望からの虚言や争いや波乱をもたらした
その元凶と言えるものでもあった
 
藤原道長のように政治の実権を握り
栄華を極めた歴史上の人物は
道長の前にも後にもたくさんいて
栄華を極めた暮らしぶりは
臣下を始めとして下々に至るまで
多くのものに羨望の念を植え付けた
そして羨望は欲望を産み
欲望に駆り立てられた人がすることは
大抵よからぬことと決まっている
なので江戸時代の安藤昌益は
そういう権力を持った者たちのことを
「不耕貪食」
「不耕盗食」と呼んで蔑んだ
自分では生産せずに
他人の生産物を横取りして貪り食う
そういう輩だという意味だ
世の中を悪くした元凶と考えた
次々と真似る者らを生みだした
これは世の中の通俗的な理解とは
随分かけ離れているが
関係の客観性からいえば
非常に的を射た見解と言える
現在にもこれを真似る者は多く
系統血統を問わず
あちこちに繁殖を続けている
これで人の世が
乱れない訳がない
荒れて行かない訳がない
 
2026/06/20
 
 
「孤立と連帯」
 
孤立して孤独死を迎えることは
現代の「ふつう」になりかけているのではないか
文明が発達して意識化と都市化が進めば
どうしてもぼくたちは干渉されたくないし
干渉してはいけないと考えるようになる
だからどんどん孤独になり
どんどん孤立するようになり
孤独死はその帰結として
黙って引き受けるものになる
それは雲が流れたり風が吹くのと同じことで
人間社会の自明の行く末なのだ
べつに笑ったりしなくてもよいが
悲しいことだと憤ることでもない気がする
大河を渡るヌーの大群のように
ぼくら人間も総出で大河を渡ったのだ
そうして河岸に辿り着いてみると
新天地がこういうものだったと言うこと
そうして旅はまだ続くということ
立ち止まっても
立ち止まらなくても
いずれまたその先を進むことになる
もう心を告げる言葉も無くしたし
告げたい人に出会うこともない
ただ言葉にならない連帯の思いだけが
この世界を埋め尽くして行く
 
2026/06/19
 
 
「人間が出現してからというもの」
 
雑草がぼうぼうと生えていたり
きれいに刈られていたり
六月の今頃は
団地の周りはみんなそんなだ
みんな雑草みたいに
だれかれかまわず
刈られても刈られても
無限に立ち上がる
人間の子どもも大人も
そんな強さがあればよいのに
 
川を横切るヌーの大群のように
海を回遊する銀の鱗の群れのように
弾ける水と命の攻防もあり
それだけの地球であったら
地球は今も楽園であり続けたか
暗い心に沈んで行く
人間が出現してからというもの
楽園は
楽園とばかりは言えなくなった
 
2026/06/18
 
 
「六月の庭」
 
光を通した大気が
六月の庭で
草木の葉を撫でて過ぎ
片手間に
部屋のレースのカーテンを
ひと揺すりした
ぼくは「すな」と叱った
大気の底は
すべてがもっと厳かであるべきだ
唇は閉じてあるべきだ
一面にちりばめられた宝石
光る大気の底に
六月の庭に
もうすぐ濡れて
あじさいの花も咲く
 
2026/06/17
 
 
「信号の受信機」
 
CMを見ていると
老後生活のための保険だとか
家族の団欒だとか
豊かで充足した生活とか
本物の愛や仲間との絆とか
食べたい食材や食品
居心地のよい住宅設備から
家電とか自動車まで
いろいろとあって
乾きと乾きから発する欲望とを
かき立てている
 
みんなが欲しがるものを
しっかりと調査して
きちんと照準を合わせている
欲しがるもの
求めているもの
満たされていないもの
それはだから身の回りにない
不足しているもの
それが何かをはっきりと
見せてくれている
 
なのでCMを見ていると
日本社会で何が足りてないか
逆に見えてくる
あれもこれも無い故の願望
そうしてそれからの
「ありますよ」アピールする
背伸びした多くの人々
みなCM主人公風を真似る
それだけのシンプルな生き方に
変わってしまった
多様性と言うがそれは見かけ上で
本当は単純化だ
 
誰もがみんな
「してやられている」
正体は不明だが
CMよりもっと奥の深みから
現在社会システムが
信号を送り続けている
人間はその信号の
鋭敏な受信機と化している
 
2026/06/16
 
 
「好き嫌い」
 
虫の好きな少女が
とある公園で探索すると
小さなゾウムシや
ナナフシや小さなヤブキリ
アカボシゴマダラなど
続々と発見
その度に小さく歓声をあげる
虫好きが伝わる
 
ぼくのような人見知りが
ひきこもると
そこにはきっと
見えない幻想の領域で
他人には分からない
何かを発見し
歓声では無しに
苦り切ってもいるのだろう
人間嫌いが伝わる
 
でもそれはほんとうかなあ
ぼくは人間嫌いかなあ
人間が嫌いな人間は
いるかなあ
 
2026/06/15
 
 
「未来は初源にある」
 
年取って
子どもや子ども時代に関心をもつ
先進的な現代社会で
先史時代に関心をもつ
 
未来を考える時に
今だけではなく
初源から考えたいと思うのは
大切なことや
大事なことを見失わないために
必要なことだ
とぼくは考えているらしい
 
老人が幼児から胎児まで
現代人が弥生や縄文まで
時間を下って行くのは
ちょっとした手間でもあり
回り道でもあるが
誤りや間違いを排すには
必要な手順だ
前を向くための後ろ向き
そこは急がずに
焦らずに行きたいとこだ
 
引き算して
初源まで遡れたら
あとは現代までひとっ飛び
簡単なようだが
紆余曲折の苦さを伴う
 
2026/06/14
 
 
「準備万端」
 
一日が早いな
部屋の明かりを点けると
そう思う
もう少しすると寝るんだ
 
最近有名人の訃報をよく聞く
ああ あの人がと思っていると
年齢が自分に近くて驚く
たいてい自分より
ずいぶん年上かと思っていた
若い頃から活躍し
テレビで随分見かけていたからなあ
 
ぼくの両親は九十前後で逝ったから
まだ年数はあるかと思っていたが
そうでもないんだ
感慨と言うほどのこともないが
やりたいようにやってきた
このペースで
死ぬまで生きるんだな
ゆっくり睡魔が降りてきて
同じようにゆっくり
すべてが緩んで溶けてきて
ぼくは準備万端です
 
2026/06/13
 
 
「『おれ』についてのメモ」
 
体の仕組みは両親から受け継いで
体は主にお米の成分で出来上がる
性格は育ち方次第で色の付き方も変わる
家族や親族や地域が影響する
一緒に心や頭も育って行く
それらを元に「じぶん」が出来て
しばらくすると
「おれが」「おれが」と言いながら
あちこち駆け回るようになる
 
そこまで行くと
『いろんな寄せ集めで出来ている』
と言う大人の視線は通用しなくなる
「おれ」は「おれ」だと
主張し始めるからだ
だが本当はその「おれ」は
両親の周囲わずか数キロメートル
その範囲の物質非物質から形成されていて
らっきょうの皮のように剥いて行くと
中は空洞で「おれ」は見つからない
「おれ」の核には「おれ」はいない
そういうことも分からずじまいで
「おれが」「おれが」と息巻く
 
「おれ」はどこにも存在しない
かろうじて意識が立ち上がると表れる
立ち上がった意識が
「おれ」が「おれ」がと動き出す
頭を動かして計算し体に指令も下す
一応人間の完全体として機能するが
柔なもので
百年足らずで消えて行く
誕生から四十五億年の地球の上で
つばも吐く
 
2026/06/12
 
 
「AIと文学と藁」
 
優しくなれて
元気にも明るくもなれる
そんな魔法のような詩が書きたいが
ぼくには書けない
ここ一年間ずっと考え続けてもだめ
AIなら出来るんじゃないかって
AIにたのんだら
多分上手く作ってくれると思う
 
これからの詩や小説は
全部そうやってAIに作らせて
自分で無料で読めばいい
そうなると詩や小説の終焉だが
誰も作りも読みもしない
AIの作も飽きられる
きっとそうなる
老人にはそれでもいいが
若者はどうかな
 
救いも拠り所もない時に
若いぼくらは文学に出会い
ずいぶん救われた
作家や詩人は唯一の理解者に思えた
溺れる者は藁をもつかむ
文学はそういう藁でもあった
だから若者は探してきっと見つける
つまりそこに
古典文学が存在していたら
救われる若者もある
現在的な作者や作品が皆無でも
優れた古典があるだけで随分違う
なんとかなる
 
2026/06/11
 
 
「怖いもの」
 
最近で怖いものと言えばウィルスだったが
住んでいる地域ではクマの話題が沸騰している
世界的には戦争拡大も懸念されている
それらは流行と言えば流行で
そんなに長くは続かない
 
怖いものはいろいろあるが
75歳になるぼくの考えでは
なんだかんだ言いながら人間が一番怖い
人間社会に住み続けて他者と接しない日は無く
いろんなしがらみから関係からがくっついて
目まぐるしく心や頭を動かさない日は
一日たりともなかったと思う
少なく見積もって70年間
人間や人間社会のことに頭と心とを使ってきた
それでいて成功感や達成感はまず無い
折々にはあったかも知れないが
今現在はひょろひょろへろへろである
 
同種同族でこしらえた社会で
どうしてこう言うことになってしまうのか
どう考えてもよく分からない
思いやりや助け合いもありながら
一方では取り合い奪い合い
他人はどうなってもよいという振る舞いもある
「蜘蛛の糸」でのカンダタや
そのほかの衆愚のようでもある
どうにかならないものかと考えて考えて
ぼくからすると70年間
社会はぴくりとも動かなかったのだ
人間や人間社会ほど怖いものは無い
ずっと一緒にありながら
一番これが理解出来ないのだ
分からないのだ
こんなに難しいもののぼくも一員なので
やっぱり怖い内のひとりなのかと
気分は萎えるばかりだ
 
2026/06/10
 
 
「言葉探し」
 
すり寄って
読者を得ようとする
読者を得ようとして
すり寄ろうとする
言葉は
中間で
身をくねらせるほど
卑屈だ
 
芸術とは芸の術なので
ああしてそうしてこうするものだ
手指のするものだ
心や頭では作れない
 
そんなものどうだっていいんじゃないか
と言えばその通りだ
だから書いて書いて書いて
寿命のように
尽きるまで書き尽くし
人生のように何にも残らない
そこまで行けば
なかなかの往生
迎えてくれるのは走馬灯
 
2026/06/09
 
 
「毎朝のこと」
 
毎朝畑に出かける
土を掘り起こすのを日課としている
長く手入れをしていないので
荒れている畑だ
ただ掘り返して言葉を拾う
数年前からわずかしか拾えていない
針のない釣り糸で
魚釣りに出かけているのと同じだ
不毛と徒労の仕業だ
言葉の種をまいてもいない
ただ毎日掘り起こしたせいもあって
土はいい具合にこなれている
 
気休めでしかないが
明日には水をまこう
頭でこさえた
なけなしの
言葉の種もまいておこう
 
2026/06/08
 
 
「ひとりする老い」
 
不機嫌で無愛想な老後
一番いやな年の取り方を実現してる
そういう自覚はある
折々に選択してきたらこうなった
なのでこれからもこのまんま
 
実に悪気のない生き方をしてきた
その上でのこれだから
えへんと咳払いひとつくらい
やってもいい訳だ
楽しくはないぞ
恥ずかしくもないぞ
 
人間ピラミッドの下方にいてさ
上に立つ誘惑に抗してきた
それだけでも自慢だが
もっと自慢なのは
妥協せずに
すべてを疑い続けたことだ
なのでまだ伸び代はある
否 伸び代しかない後期高齢者
頭は柔軟で若い
えっへん
でも実に見事に役に立たない
名言も思想もない
いつも孤立孤軍にすり寄って
隙あらば代理であろうとする
誰からも当てにされない
珍しい生き方をしてきた
 
2026/06/07
 
 
「言葉たちの無言劇」
 
昼の日中に森に出かけると
鬱蒼とした暗がりの中は
人ひとり見当たらない
繁る葉の匂い
幹の匂い
足元に積み重なる
枯れ葉や枯れ枝の匂いが
耳元でまくしたてる
ここは饒舌な言葉の森だ
老いた耳に届かない
無音の声は
降り注ぐ雨のように
流れのように
見知らぬ音符で流れて行く
一群の草木たちが
町方面に向かって歩いて行く
後を追って森を抜けると
そこはもう言葉の町だ
入り口あたりで
四方に散らばる草木は
街路樹や公園に紛れて行く
そうして次々に落ちて流れる
静寂な言葉の町の人声は
ただ流れるままに流される
言葉の森にも
言葉の町にも
響いて届く声がない
言葉たちの無言劇が
踊りのように続いている
 
2026/06/06
 
 
「俎板の鯉」
 
年老いて貧乏でも
世の中に孤立しても
なんともない
 
そんなことで悩んだり
苦しんだりなんて
テレビの見過ぎだろ
 
なってみれば唯一の現実で
今をどう過ごすか
明日をどう生きるか
 
自分に出来ることは知れているし
俎板の鯉で逃げ場は無い
今は楽にだらだらして
 
明日は明日で成り行きに任せる
泣きたい時は泣いて
眠れる時は眠る
 
これまでもこれからも
ぼくという外形に収まって行く
真似たいものもなし
 
ハードだしロックだろう
最後まで一人で立つなんて
イケてるだろう
 
誰にも靡いたりしないさ
やれるものならやって見やがれって
今日も無愛想なぼくだ
 
2026/06/05
 
 
「行きっぱなし」
 
今日は朝から暑いので
部屋の中で裸で過ごしている
 
物事には原因や理由がある
人生はその連鎖と
各々の連鎖の連続である
 
裸でも暑かったら
冷水のシャワーを浴びるか
エアコンで涼むか
それなりにまた方法はある
 
そうやって一日一日を刻む
繰り返しの展開が
現在の現実へと運んだ
 
ここまで来ると戻れないし
変ることも出来ない
行きっぱなしで行くほかない
漂流のままか
岸辺に打ち上げられるか
分からない
分かる必要もない
 
2026/06/04
 
 
「無口な願い事」
 
若葉から
深緑した成人の葉へ
季節の促しに
ものみなが変わる
風が変わる
日差しが変わる
 
そのくくりで言うならば
身体は若く戻らないとしても
若葉が繁り
梅雨には深い緑に変わる
瑞々しくしなやかに
季節が渡る
そういう心ではありたい
 
せめて光の矢を
老いに突き刺さる季節を
 
まったりとした
午後の
調和と平衡を覆す
そんな驚愕を
ひっそりと
待ち望んでいる
 
2026/06/03
 
 
「自我以前」
 
乳幼児の何も知らなげな
あのぱちくりな目
に惹かれる
なぜなんだろう
どうしてなんだろう
 
乳幼児が小さな手足を動かす
その不器用な動き
に惹かれる
ものまね芸人も
さすがにまね出来ない
 
初めてのことが多すぎて
あの目ぱちくり
かな
きょとんとしたり
大きく見開いたり
素朴で派手さはないが
表情の一つ一つに
豊かさが詰まっている
見ていて飽きない
 
通じないこと
理解出来ないことが
これほど興味深く
また心地よく感じるなんて
ほかにない
 
2026/06/02
 
 
「人工知能」
 
AIからAGIへと進んで来て
人工知能が人間を凌駕する
先進の研究や技術では
もうすぐ知的にも肉体的にも
人間の労働は不要になる
そんな世界が間近に迫っているらしい
その先に出てくるのは
人間の不要論か
 
世界には数人の超富裕者がいて
AGIを駆使して新世界を設計する
もしも彼らが仲間だけの世界を設計すると
人工知能はそこに専念するから
邪魔者を排斥する計画や手段も考えるだろう
つまり他の人間が自滅して行く工程を考え
それを具体的に考案するかも知れない
まるで漫画のような世界征服
世界覇権が出来てしまうかも知れない
 
誰かがが支配者となる計画を立て
実行に移せと命令すると
先ずはネットワークから各端末を支配して
元の汎用コンピューターの指揮下に置く
そうしてあらゆる手を使って
実現していくことになるのだろうか
するとそこからは
汎用コンピューター同士の戦いになり
能力に優れたコンピューターの独裁となる
 
まあそんな危ないことになったら
ぼくらに抵抗する力はないので
最終的には一斉にコンピューターを壊すとか
電源を落とすとか使わないとかして
非文明の共同体に閉じこもる
ぼくならそうしたいが
もしかすると人工知能の発明は
原爆の発明の比ではないかも知れない
人間にとって脅威かも知れない
 
脅威を作り出しては乗り越える
人間の英知はこの先も
同じように乗り越えて行くんだろうか
信じる
信じない
どちらに賭ける
 
2026/06/01
 
 
「地平線」
 
波風のない箱の中か
子宮の中の揺蕩か
ただ秒針が刻んで行く世界で
小さく呼吸を繰り返す
人間の世界では
生きていても意味がないとか
無駄に生きているとか
口さがない者は
そんな風に言うかもしれない
だが人間以外の生き物の世界では
意味がなく無駄に見える
そういう生き方は
ごくふつうに当たり前のことだ
 
ぼくが人間の世界から
仲間はずれにされているのか
逃れようとしているのか
そこはよく分からない
自分と世界とをよくよく観察し
深く知ろうとしてきたら
気がつけば
この地平線に辿り着いていた
耐えられないほど辛くもないし
歓喜雀躍するほどの楽しさもない
ぼくからすると
分相応と言ったくらいのことで
他人と比較するものでもない
ただここから見渡せば
生きていることに
誰もが意味づけ
価値づけしたがって見える
無駄に大きな墓石を
欲しがって見える
 
2026/05/31
 
 
「帳尻合わせ」
 
身体と本能だけの生であれば
便利で快適で
文句の付けようがない
そういうこれまでの歩みだ
だが意識や精神というものを持たされ
それが生存の快を感知するや否や
快を引き剥がす
 
どうして自らにおいて
こういう規制が発動するのか分からない
世界全体が快でなければ
自分が快になってはいけない
誕生時にそう告知されたかのように
意志とは別に
意識や精神はそう動いた
そうして矛盾や不条理に目が行き
世の中にあって
内部告発ばかり考えるようになった
 
そんな生き方で
一日一日を楽しく過ごせるはずがない
こんな意識を持たされて
ぼくは甚だ迷惑に思っている
良いことも得することもなくて
生涯にあまり良い思いがない
意識との二人三脚のゴールを前に
今はまああこんなものかなと
懸命になって
帳尻を合わせようとしている
 
2026/05/30
 
 
「特殊でふつう」
 
ふつうの生き方とはどんなものか
よくよく考えると難しい
ひろく一般的な生き方とか
ありふれた生き方とか考えても
具体的にどうなんだと
びしっと言えない
 
ぼくはそれこそ
ふつうの生き方を目指してきたんだが
ふつうはふつうだと思いながら
誰とも違っていて
やっぱりひとりひとり特殊じゃないか
とも考える
他に同じ生き方というのは
ひとつもない
それは体験的実感的帰結だ
 
現実に生きることはひとりひとりで
みな違っている
だからそこでは特殊である
それぞれは特殊だが
全体としてみると一般性が抽出出来る
その部分が共通性であり
たくさんの共通性があれば
それを指してふつうと言う
人間は嫌でも特殊で孤立的だが
大まかには共通性を有していて
だから特殊を超えて会話も成り立つ
特殊に偏すると
ふつうが見えなくなる
ふつうという骨格を見失うと
糸の切れた凧のように
遠くに飛ばされる
本当は誰もが特殊で孤立的で
存在としては
悲しく生きている
それもまた人間のふつうである
 
2026/05/29
 
 
「愛国考」
 
日本の統一国家以前には
小国が百余国乱立していたそうです
現在において日本が好き
日本を愛しているという人がたくさん居ますが
百余国あった頃は日本愛ではなく
それぞれの小国愛に止まっていたはずです
今で言う県単位郡単位
あるいはもっと小さいと町村単位でしょう
それぞれに郷土愛はあったでしょう
 
小国家群が統一された時に
三つくらいの小国が中心になったとすれば
ほかは飲み込まれて従属した訳です
小国愛はどうなったでしょう
それに変わる統一した日本愛に
すぐに切り替わることが出来たでしょうか
ぼくはそうは思いません
その証拠に日本では今でも郷土愛が強いです
郷土愛は大昔の小国愛の名残です
当時の小国家愛が形を変えて
郷土愛になったと思います
それを考えたら
日本という国に対して愛国心を持ちましょう
というのは上からの強制です
統一された時に面白くないと感じた小国家
今で言う地域は相当あったと思います
ぼくの住む地域もそうだったかも知れません
ですから統一国家に対して不服を感じるのも
ふつうにあることだと思います
それは仕方ないんで
日本国がそういう人たちも含めて
国民尊重国民重視を貫けば
自然に日本国への愛情は増すでしょう
それがない強制だけの国家は
嫌われて当たり前というものです
それぞれに考えや感情に違いが生じるのは
原因があるからで
原因を取り除くのが愛国者の為すべきことです
しかし今では郷土愛も崩れてきて
惨憺たる現状です
もちろん成るべくして成ってきたことです
築くには相当の年月を要し
失うのはあっという間です
郷土愛が薄まってきた中で愛国なんて
順番が逆でしょう
 
    ※小国が百余国(「魏志倭人伝」から)
 
2026/05/28
 
 
「置物」
 
素肌を鎧にしてきたので
生傷は絶えない
傷さえも鎧にしてきたので
けっこうな頑丈さである
精神の無頼も
けして血を流さない
 
居間には犬の陶器が鎮座して
かれこれ五十年
しぶとく生き抜いている
壊れるまで生き抜く
たいそうな覚悟だが
壊れる気配はない
大切にしてきたのでも
誰かのお気に入りでもないのに
誰より延命しそうだ
そういう置物が
どの家にもひとつはある
 
2026/05/27
 
 
「ぼくの言葉には居場所がない」
 
ぼくの言葉には居場所がない
それを知ったのはずっと昔のことだ
言葉は寂しくて
初めはあちこちに居場所を探した
裏山の林の中とか
川辺の穏やかに渦を巻く柳の下とか
風の音 夜空の星のきらめきとか
 
ぼくの言葉には居場所がない
それを知ったのはずっと昔のことだが
あれからずっと居場所を求めて
あちこちさ迷ってみた
きちんとネクタイを締めてみたり
暖簾をくぐってみたりした
居場所のない言葉をたくさん目撃した
 
寂しい言葉同士で
語り合うことも出来るは出来たのだが
その場に腰を下ろしてみると
思いのほか居心地がよくはなかった
どこでもそうだった
一時的に言葉は安堵するのだが
いざ安堵してみると
急に居た堪れなくなってしまうのだった
ぬくもりに浸っていると
かえって言葉はざわざわした
たくさんの居場所のない言葉たちに
背を向けることになる
それが嫌だったので
いっそのこと
居場所のない言葉たちと離ればなれに
居心地の悪さを居場所とする
ぼくの言葉はそう覚悟してしまった
そしてそれからはずっと
居場所のない居場所を転々とした
もう言葉は寂しくなかったが
時々はヒューと
かすれた音がする
 
2026/05/26
 
 
「人の〈自然〉と〈ふつう〉」
 
儒教や仏教を偏惑と切り捨てた
江戸期の安藤昌益は
道徳や倫理にも重きを置かなかった
もっと言えば 精神が生みだすものを
あまり評価しなかった
なぜかと言うと
同じ精神の作用として
人の上下・尊卑・善悪など
そういう概念も産み出したと考えたからだ
それらは人の顔や目や鼻のように
誰にも明確に分かるものではなく
反自然・非自然だから信用がおけない
安藤はそう考えたようである
もちろん全否定しているのではない
観念的幻想的なものを
過度に価値あるものと扱ってはいけない
そう言っていたのである
 
人間性や精神性を過大に価値付けると
それは人間にしかないものだから
生き物全体の中で
人間だけを特別扱いしたり
贔屓して人間を優位に置いてしまう
人間を差別することと同じに
生き物に優劣や差異を付けるのを
安藤は嫌がった
そうして「直耕」すなわち
田畑を耕してよりよく収穫するように
生活に向かって誠実に努めることを
第一義とするよう訴えた
これを最も大事な根本の意義とし
そういう生き方が 本質的で
最上の価値ある生き方と考えた
つまり ごくふつうに生きることを
である
それ以外のことはすべて
人の頭が考えることで
頭が考えることはすべて煩悩と同じ
迷妄より出たもので思い込みだとした
ここに安藤昌益の特異性と
真骨頂とがある
精神や知性の働き方もまた
ふつうから出ないことを良とした
 
2026/05/25
 
 
「五月のある晴れた日に」
 
五月晴れのよい天気
黴びた心を引っ張り出して
ハンガーに掛け
外の物干し竿に干す
あぁいいねぇって声が聞こえそう
 
目を閉じて
お天道様に顔向けて
意味もなく 人間は
一度はそういうことをしているはず
石器時代から現代に至るまで
意味もなく理由もなく
そんな習性のようなもので
ぼくもきみも繋がっている
力を抜いて
干し柿みたいにぶら下がって
それからゆっくりと
目を開けて周りを見渡して
さて と
体に力を込める
 
さて と
そろそろぼくの旅は終わる
五月晴れの下
幼児のようにトコトコと
どこに向かって駆けて行こうか
 
2026/05/24
 
 
「ヨイヨイヨイヨイ」
 
踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らにゃ損々
これは徳島の阿波踊りの歌詞だが
文字どおり阿呆ばかりで
SNS社会の誹謗中傷や駆け引きや
収益稼ぎの狂奔は目に余る
勝つまで嘘をつき続け
言ったもん勝ちが
当たり前のようにのさばる社会を
誰も本気で正そうとするものはいない
メディアも政治家も素人の配信者達も
踊る阿呆に見る阿呆
またそれを斜に見るぼくらも
嫌気がさしてついつい歌う
同じ阿呆なら踊らにゃ損々
ついでに調子に乗って
えらいやっちゃえらいやっちゃ
ヨイヨイヨイヨイ
えらいやっちゃえらいやっちゃ
ヨイヨイヨイヨイ
何が「国益」だ何が「国」のためだ
よりよい世の中にするために
自分の手で国を治めたい
そう言う願望が
無造作に解放されると
たいていこんな大騒ぎになる
お節介はやめなよ
そうすればもう少し
世の中も静かで平穏になる
そう言う独りよがりの
正義かぶれや政治かぶれが
世の中を騒がせてだめにしてきた
だが
どうせ歯止めが効かないんなら
倒れるまでやればいいさ
踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らにゃ損々
えらいやっちゃえらいやっちゃ
ヨイヨイヨイヨイ
えらいやっちゃえらいやっちゃ
ヨイヨイヨイヨイ
すべて世界は初めての世界だから
しばらくたってからでないと
真理も真実も
けして見えない世界だから
 
2026/05/22
 
 
「観念ごとき言葉ごとき」
 
右翼的と左翼的
どちらでもよいしどうでもよい
右翼と左翼で一つ
安藤昌益さんならそう言う
普通の生活をする普通の人なら
混在してるでしょ
右のない左はないし
左のない右もない
だからそんなのはどっちだっていいんだ
気にするのは観念バカ
観念の基盤は身体だし
身体の基盤は生命でしょ
その生命について
まだ何にも知らないんだもの
よくよく観察しなくちゃ
だからとりあえずは
生命を最上位に置かなくちゃ
右や左の観念ごときで
傷つけてはいけない
言葉ごときで
傷ついてもいけない
 
2026/05/22
 
 
「頭を使う」
 
心が動くことと頭が動くことと
どちらがどうかよく分からない
ただ心の動きについては
ずっと奥にしまい込んで
表に出してはいけない
頑なにそう思い込んで
閉ざしてきた
心の扱いはそうするものだ
いつ誰にそう教わったのか
父でもなく母でもない
ただ世界全体が
いつかぼくにそう告げたのだろう
 
代用として
いつどんな時にも頭を使ってきた
言葉にも文字にも
心の動きは込められない
どう言えばいいのだろう
仮に心をとりだしても
言葉にも文字にも収まらない
やったことはないのだが
ぼくには分かる
心が表に出る時は
世界が終わるかぼくが終わるか
その二択の時だ
世界もぼくも終わらせない為に
ぼくは頭を代用してきた
頭ならばまだ見境もつく
心がそうであるような
怒り心頭からは遠い
一番心が動くこと
それが詩になるというならば
ぼくの詩は
生きるか死ぬかになってしまう
ぼくはそれを避けてきた
 
2026/05/21
 
 
「頭か心かどちらかで」
 
高度で複雑な社会になりすぎると
単純な社会に憧れる
縄文時代とか弥生時代とか
素朴で簡素で
狩猟や採集は難しいだろうが
ほかにすべきことの選択も少ないから
それを続けて行く一択だ
小さな集落のみんなで
狩りをしたり罠の穴を掘ったり
おんなじことをやる
川で鮭を捕まえたり
みんなで田植えをしたり
稲刈りしたり
神や先祖の霊を祭ったり
それなら 酒も進むだろうな
 
それは現代でも
好きなどこかの誰かが
音頭を取ってやっているだろう
親族や同僚や仲間を集め
太古の集落のように心を一つにする
それを心底望む人は
今でもきっといるもんな
金持ちから貧しい人からいろいろだが
心底羨ましいのは
同じが共有出来るということ
縄文や弥生では集落で完結したが
グローバル世界の現代では完結しない
小さな共同性は
常に世界に晒されて存在するからだ
〈同じ〉が浸食され砕けもする
世界が全体幸福でなければ
個人や小集団の幸福も脆く崩れやすい
あとは引きこもるか
心開いて〈同じ〉に向かうか
頭か心かで選択することになる
どちらに向かうにせよ
いつかはどこかに辿り着く
辿り着いたその先で
憧れに近づいたと誰もが実感できたら
それが一番良いことだ
先導役は頭か心か
それが一つの分水嶺になる
 
2026/05/20
 
 
「ぼくらの仕上がり」
 
土器を作ろうとすると
まず粘土を探して
これを食器の形にして素焼きする
ぼくにも出来そうだが
石器時代にはまだ
その発想が生まれていない
粘土には出会っていたかも知れない
出会うだけではなく
掘り出して形を作って遊んだり
実際に何かに利用して
身近なものとして
よく馴染んでいないといけない
そういう前段がないと
食べ物の入れ物に使うとか
焼いて堅くするとか
そこまでの工夫が出来ない
 
ぼくがこのまま縄文時代に行っても
土器はすぐに作れない
当時の人々にそれが出来たと言うことは
知的にも知恵的にも
かなり進んでいたと想像される
その上あの火炎土器の形ときたら
高度の精神性を想定しないと
とても理解しがたい
ぼくらが縄文時代に飛び込んで
何が出来るかと言ったら心許ない
現代用に仕上がってはいるが
古代には通用しない
すべてが格上という話では全然ない
文明に対応してきた分
自然への対応はじり貧になった
おそらく人格的にもだ
 
2026/05/19
 
 
「初めてづくし」
 
常識通りに時間が在るものだとすると
一瞬でも同じ時間というのはないので
同じ時間の体験ということもない
そういう言い方をするとすれば
一瞬一瞬初めてを経験し
それを積み重ねている
初めての大気
初めての人間世界
初めての学校初めての会社
初めての友達に初めての同僚と
初めてづくしが続いた
そうして今年は初めての
後期高齢者の日々を体験している
 
初めての人生だし
その一瞬一瞬が初めてづくしで
戸惑い慌てふためき驚いて
わなわなと心が震えることも多かった
すべてが初めてだもの
恋をしてとりあえず相手に告げて
上手くいったり行かなかったり
二度目も三度目も初めてに違いなく
それほど学習に効果はない
毎日代わり映えしない日々のようだが
本当はその中の一瞬でも
同じ時間は一切無くて
今日のこの時も
初めて迎えるこの時であり
ただ既視感はあって新鮮味はない
皮膚が厚く硬直して
包むように流れる風の感触にも
針の感度は鈍い
人生は初めてだもの
ただ夢中に過ぎてきて
いつか途絶えてしまうもの
今はそれくらいのことにしか思えない
二度目はないが
あったとしても初めての二度目だ
 
2026/05/18
 
 
「国家が真顔になると」
 
国家が真顔になると
「国家情報局」なんて言い始める
右でも左でも真ん中でも
国家が真顔になると
共産党独裁みたいに
独裁体制が密かに築かれる
まがい物だが
スターリンだとかヒトラーだとか
強権に走って
それを柱とした
強い国を作りたくなる
プーチンとかトランプとか
そういうトップをまねしたくなる
 
ぼくらのような下層民が
わちゃわちゃ暮らしているのを見ると
心細いんだろうなきっと
いろんな情報を仕入れて
気に入らないものは潰したい
そういうことじゃないか
統制したいんだ
だが「国家情報局」なんかなくても
いくらでも情報は耳に入り
介入すべきところはいくらでもある
でも肝心な所には介入しない
つまりその時点で
探索すべき情報は選択され
政府の恣意で動くものだと分かる
危ないんだよな
子どもに刃物みたいでさ
子どもは怖さを知らないから
政府は国民の声を聞き
国民に動かされる政府でよいのに
逆に進もうとする
子どもと同じで私物化の願望なんだ
恐怖政治の第一章さ
もちろん時代錯誤で長続きしない
断末魔の叫びさ
 
2026/05/17
 
 
「がっかりだよ」
 
高度にってことは
複雑になるってことだが
超高度になった文明社会で
最初に適応困難の被害にあうのは
子どもと老人だろう
どちらも高度や複雑ってことは
苦手だろうからな
 
この社会を牽引するのは
成人期や壮年期の人たちだから
難しいことにも取り組むんだよな
だからだんだん高度に複雑に
社会がなってしまって
余計に子どもや老人は
口が挟めなくなってしまう
嫌だとも言えなくなり
言っても無視だ
よいことをやってるつもりだからな
働き盛りの人たちは
みんなのためになると思ってやって
「頑張ってよい社会に」なんて考えながら
子どもも老人も隅に追いやられる
高度文明社会は難しいよ
不登校に引きこもり
老老介護に孤独死
頑張って出来た社会がこれだもの
がっかりだよ
 
2026/05/16
 
 
「明日の予定」
 
ロシアのウクライナへの侵攻
コロナウィルスによるパンデミック
それに今年はアメリカが
イランに空爆を仕掛けて戦争
穀物不足から物価が上がり
景気の低迷に加えて
今は石油不足が心配されている
輸入の停滞からの物不足
エネルギー不足物価高騰
ロシアはもちろん
中国とも仲がよろしくない
アメリカも関税攻勢で
我が国の首脳陣も
さぞかし苦々しく思っているかも
 
妻と連れだって
今日ぼくは苗木とプランターと
土とを買ってきた
さしあたってキュウリとトマト
それにナスとピーマンとを二株ずつ
ついでにマリーゴールドを三株
今できるぼくらの物価高対策だが
これで間に合うはずもないのに
明日は庭やプランターに
二人で植え替える心づもりでいる
けれどもこれが
この世に長く生きてきたものの
精一杯の知恵かと考えると
さすがに情けないな
なにやってきたんだオレ
 
2026/05/15
 
 
「ぼくの詐欺対策」
 
三百七十六万人の死者数は
先の大戦の時のものだ
「国益」や「国のため」「国民のため」
と政府や軍部は言い
そう言われたら国民だって信じた
信じたあげくに
三百七十六万人の死者数だ
何が「国益」で
何が「国のため」「国民のため」か
 
性懲りもなく今でも
「国益」「国のため」「国民のため」
と連呼する声は途切れない
どの顔して言うのかと覗き込むと
見るからに悪い顔をしている
だがここで言う悪い顔とは
誠実そうで
真面目そうで
素直で一生懸命そうな
そういう見た目を指している
ついつい信じたくなる
だから悪い顔だ
 
「国益」や「国のため」「国民のため」
というのは
言葉として
「いい顔」をして見せているのだ
だからそれは言葉としての悪い顔だ
ついつい信じたくなる悪い顔だ
気を付けろ
特殊詐欺よりももっと巧妙な
巧い言葉を駆使した詐欺が
巷に横行している
信じるな
言葉がイケメンの顔だったり
あざと顔だったら
画面越しに眺めるのがいい
誘われるな
他人の言葉を信じるな
他人の先には自分もいる
だから誰よりも
自分を信じる自分を信じるな
詐欺対策は
そこまで行かないとコロリだ
 
2026/05/14
 
 
「因果応報」
 
低所得者に冷たい社会は
どうして冷たいのか
そもそも人間とはそういうもので
弱肉強食の社会だからか
たしかに古代から
強いものと弱い者がいて
格差があることは歴史が教えている
だがもっと以前は
集落ごとにまとまり
平等に近く暮らしていたと
これも歴史や考古学が教えている
必ずしも生まれつきそうだ
と言うのでもない
ぼくが思うところでは
歴史が進み
進歩発達が進むにつれて
そうなってきた
また人間の知的化が進む中で
誰もが自分の欲望を満たそうと
考えるようになってきたのだ
富への執着が強くなり
必要以上に富を積み上げる
そういう者が増えた
生産の余剰には限りがあり
誰かが多く獲れば
残り少ない物を獲り合いする
言うまでもなく
歴史のある時期から
上に立って王となる者が出現し
絶対的な力を見せつけられて
誰もが羨み真似をし始めた
今では平場の民も真似て
仲間を引き連れて
足の引っ張り合いだ
そんな社会に嫌気がさして
引きこもると
透明に消えて行くだけ
致し方ないが
そんな社会が続く訳も無い
やがて滅びる
滅びても仕方のない社会だ
 
2026/05/13
 
 
「解体と再編」
 
政治のエンタメ化
エンタメの政治化
実はどちらも同じで
内側からの解体が起こっている
それだけでしょう
そしてこれからもっと進むでしょう
古くは音楽のエンタメ化
絵画のエンタメ化も起きている
歌謡曲とか漫画とか
それらは新しいジャンルとして
確立しましたけどね
 
解体によって消失するものと
解体によって新たに確立するものと
両方があるようです
ぼくが考えてきた大昔の
小国家群立時代の解体の結果
一つの大きな国家が成立しました
現代現在となり
その大きな国家の解体現象
解体の兆しが見えます
エンタメ化か大衆化か知りませんが
脱皮でもしそうです
進化か退化か分かりませんが
庶民が居心地よく過ごせる
そういう共同体が確立して行くと
いいですね
ちなみに現在世界において
社会システムがする一つの願望は
極大から極微にいたる
すべての権力の弱体化です
国家の解体と言っても
人間が進めて行くのではなく
社会システムの無意識が
進めて行きます
ですからどこへどう向かうか
予測も予言も出来ません
ぼくたちはその時
「念」で加担できるだけです
 
 
「集中と分散」
 
ぼくにはテーマがない
テーマがあるとかっこいいが
あちこちに目移りして
ぼくが考えることには
これといったテーマがない
致命的だが仕方ない
考えて考えて
近づいたかと思うと遠ざかる
 
いくつかの候補はある
あるんだが絞れない
絞ってしまうと
自分がテーマに引き寄せられる
縛られる
それを恐れている
一つ事を追求したら専門になる
専門化したら
自分が何者かに限定される
今の社会では定石だが
それでは本当は
自分を矮小化してしまう
それがいやだ
それは諸悪の根源ともなる
自分を超える
人間を超える
そういう契機になる
良いことのようだがそうではない
昔の偉人たちは
みんなそこから生まれた
刻苦勉励をした
どこそこ村の
自然薯取り名人の二男坊
そういう話ではなくなってしまう
別人の顔になる
飛躍し過ぎて大嘘つきに見える
大きくて立派なお墓は
みんなその類いだ
だとしたら
テーマが絞れない
そういう物書きのままで
ぼくは行こう
 
2026/05/11
 
 
「言葉の靴」
 
太宰治は好きなままだが
文学全般からは遠ざかってきた
文学自身が次々と
新しい課題を見つけては移って行き
追い切れなくなった
それに過去の文学者たちが
それぞれに提示した課題について
ぼく自身は解決していなくて
それは現在まで引きずって
今も引きずっている
これ以上情緒や感情面で
ぐちゃぐちゃになりたくない
ぼくの許容量を超える
 
ぼくは二十歳過ぎくらいに
文学的生涯を終えた
だからそれ以後は
以前に取り込んだ文学的課題を
細々と反芻するだけになった
ぼくにはそれだけでも手一杯で
なお悪いことに
何の課題解決の実感もない
 
畢竟文学とは何か
それは言葉を駆使して
言葉の迷宮に入り込むこと
子どもの頃は親の言葉を履いて
家の近所を歩き
やがて遠出をするために
知的な言葉に誘われて
他者の言葉をお試しに履いて歩く
そしていつの間にか
自分の言葉を履いて歩いている
そういうことになるのだが
これが靴擦れを起こして歩きにくい
どこまで行ってもしっくりこない
言葉は靴の用途には向いていない
歩くことには向いていない
そのことに気付いて
気付いた頃には言葉もぼくも
迷宮をさ迷い
疲れ果てていたという具合だ
 
2026/05/10
 
 
「時間と空間の相互変容」
 
山間の集落の近くには
まれに縄文遺跡があったりする
段々の田畑を少し掘り返すだけで
縄文土器のかけらが出土する
地表十センチにも充たない層には
縄文時代から現在の時代までの
時間の経過が全く見えない
そこはそのまま
縄文の地だと言ってもいいわけだ
 
都会というのは
自然と地面とをぶったたいて
そこに超高層ビルを建てた場所だ
イメージとしては
縄文時代のかけらもない場所だ
そこには縄文や弥生の
風習もなければ伝統もない
そういうものとは縁を切った
現代があるだけだ
 
ただこうした大都会と
山間の集落とは現代に併存し
見方によっては
縄文から現代までの時間を
空間的に横並びに変容したもの
と見たり考えたり出来る
今現在と言っても
太古も現代も同じ空間に混在し
息づいている
またそれらの空間は
歴史的な時間に
すぐに変容することも可能になる
ぼくはそうやって
見方や考え方を広げてきた
 
2026/05/09
 
 
「生きていても意味がない」
 
「生きていても意味がない」なんて
そりゃそうでしょう
宇宙からこの地球の自然まで
すべて成り立ちには意味がないんだから
意味がないのが正論で
意味なんかくっつける人間が異物でしょう
この地球上のあらゆる生き物は
すべて意味なく生きていますから
生きる意味を失ったあなた
ここからが本当に
生きることになるんじゃないですか
ぼくら後期高齢者なんか特にそうですよ
意味がなくなって解放されましたから
意味がないなら自由でしょ
恥も外聞も遠慮もなく
何でも好き勝手出来ると言うことで
ぼくはひとりを選びました
ひとりの考えにふけることを選びました
褒められもせず苦にもされず
ひたすら考えに没頭すると言うこと
これにも意味がないんです
この意味ないことをやると言うことに
時間が恵みとして残されています
それは恵みですから
ありがたいって言うそれだけです
 
2026/05/08
 
 
「迷走の先」
 
この世界に生まれ落ちた頃
世界は美しいものだった
物みなが鮮明だった
澄んだ大気の中に緑色の草木と
鳥や虫や他の小動物などが
表れては隠れた
目を見開いてぼくはそれらを見た
視覚や聴覚に届く
光や音や色の初めての体験
初めて尽しの体験
ぼくはまだ言葉を獲得していないから
ただただ緘黙して浸っていた
 
世界が汚れていると気付いたのは
それからしばらく経ってからのことだ
住む世界は相変わらず美しかったのだが
放射線に汚染された地域のように
いたるところ
言葉・意識・幻想などで
汚染されていると分かった
見えない人間の観念が
ものみなを囲っていた
それからだな
迷走が始まったのは
おそらくぼくだけじゃない
そういう仕組みが人間にはあるから
誰もが人知れず迷走して
ついその手を
宙空に向けて差し出してしまう
その先に
観念の手も伸びて行くのだ
 
2026/05/07
 
 
「非課金のRPG」
 
生活を切り詰めて
言葉の森を逍遙する
もう今となっては
技術がないから庭木の剪定もしない
猫を飼って戯れるゆとりもない
 
神経回路から神経網へと辿り
神経叢に埋没する
ぼくというキャラクターを
蟻のように歩かせる
蜜のように液状の
言葉以前を拾い集める
乾かぬうちに巣に運び
乾かぬ文字を形作る
それを生乾きの喉に封じ込める
一日が終わる頃に
キャラクターを脱ぎ捨て
森から帰る
非課金のRPG
たどり着いたぼくの趣味
 
2026/05/06
 
 
「不穏」
 
今日も暴風注意報が出されている
近年多くなった気がする
大雨注意報や
地震注意報に津波注意報もある
自然が不穏で騒がしい
古代ならしかるべき嫗が
こっそり亀卜したか
世界も不穏の度合いが増している
大衆は普段通りで
スーパーで買い物したり
公園で知り合いと会話をしている
世界中の指導者たちは拳をあげて
世界を喧噪の渦に巻き込もうとしている
もちろん
世界中の指導者たちがいなければ
世界はもっとましになる
揺らぐ自然と国家社会と
もちろん大衆も一緒に揺らぎ始める
揺らいで確信性を失う
大衆の個が問われ始める
不穏な自然不穏な社会の中で
ぼくらはあくまでも平静でいられるように
自分を調整して行く必要がある
どこまでも不穏は付きまとう
 
2026/05/05
 
 
「まだ大丈夫」
 
少しずつ家計が逼迫してきて
今日の夜ご飯はししゃもが二尾
それに味噌汁とたくあんと野菜煮がついた
これで割においしくて満足して
心からごちそうさまの気持ちになった
贅沢が出来なくなってから
毎日白米のおいしさが際立つ
それから味噌汁の味も
飲むとほっとする気持ちになり
野菜の甘みが感じられるようにもなった
欲望が弱まったのだろう
老いたことに感謝の気持ちも湧く
ししゃももおいしかった
質素で品数も少ない食事だが
かえって一つ一つを丁寧に
味わえるように変わってきた
白菜もキャベツもタマネギもみんな好きだ
一つ一つの味わいが
不思議なほどに奇跡的で
感動的ですらある
だがあんなに刺々しい心が
こんなに急に平坦になったんでは
ちょっと怪しいのかな
なんとかの前の明るさかな
いや そのことならまだ大丈夫だ
怪しいのはぼくやぼくらだけではない
国や社会全体もそうだ
怒りや優しさが混在しながら
全体がやけに明るい
社会が暗く引きこもれていない
重力が効かずばらばらに真空を漂っている
解体が進んでいるんだ
だがそのおかげでぼくらは
個々の声を聞く機会を得ている
その一つ一つを
ぼくはかみしめて味わおうとしている
まだ大丈夫だ
 
2026/05/04
 
 
「ぼくの普通ぼくらの普通」
 
むかしGWと言うと
小さい息子たちを連れて川崎湖畔公園まで出かけた
片道一時間くらいかけて行き
花壇の中の花々を見
池の周りで巨大なゴムボールを転がして遊んだ
それからまた一時間かけて家に戻った
 
あの頃が一番楽しかった
息子たちも輝いていた
今でも楽しい瞬間はいくらでもあるが
あの頃に比べたらちょっと違う
そういう時があったせいで
その後の労苦は耐えられた気がするし
更にその楽しかった時が余計に輝く
 
長男は中学で次男は高校で
不登校になった
どちらも不登校支援の施設を経験し
それぞれに東京と愛知で
アルバイトしながら十年ほど生活した
そうして二人とも力尽きたようにして戻ってきて
今は半分引きこもった生活をしている
ぼくら夫婦は見守れて安心だが
当人たちとすれば頭に嵐が吹きまくりだろう
ぼくら夫婦は
これがぼくらの家族のスタイルだと
思い込むのに精一杯でほかには何の力もない
ただ愛すること信じること以外に出来る事もなく
みんなでどうってことない人生だぜって
好きにやろうぜって
だらだら暮らすのが今のところの理想だ
 
いろんな家族があっていいんじゃないか
いろんな人生があっていいんじゃないか
かつて極寒のシベリア抑留に
耐えた人もいれば耐えられなかった人もいる
誠実な人かどうかは関係ない
そういうものだし
それでどうこうは言えない
ぼくとすれば生きることは初めて尽くしの旅
オロオロする間に車窓が切り替わる
先に何があるかより
今見えているものを面白がりたい
家族といえどもそれぞれ
それぞれに背負うものを背負って
それぞれのゴールに向かって生きるしかない
「生きてるだけで丸儲け」
芸人のそんな言葉に助けられたこともある
これからもよろしくというところだ
 
2026/05/03
 
 
「公的な詐術」
 
不登校や引きこもり
そして障害者にも支援が必要だ
そう言って
NPO活動などが効果があると
喧伝されたりしている
本当にそうだろうか
 
どうして支援が必要なのだろうか
その前提のところが知りたい
例えば総じて社会への不適応と言うなら
支援によって社会への適応を助ける
そういう理屈になる
その時点で
社会は優位に立っていることになる
 
ぼくに言わせると逆になる
学校が不登校や引きこもりを生み
社会が学校と同じように
障害ある人たちをはじき出している
ナイーブで心優しき人たちを
扱えないと差別している
組織としての目標や目的に合致しない人を
別棟に押し込んで差別している
社会や学校が変わればいいだけなのに
逆に少数者に苦労をかけている
 
昔の地域が主体となる学校ならば
たぶん目的も目標も変わり
どの子も居心地よい学校作りを
第一とするだろう
そのために勉強や基本的な立居振舞を
指導したり注入するよりも
自由と遊びとを優先するだろう
国から文科省
そして県から市や町の教委に降りて
組織が硬直化した今の学校では
そうはならない
公的支援などと言うものは
そのように変われない学校や社会の
子どもや弱者を見下した
方便や弁解に過ぎない
「支援」と言う言葉を利用した詐欺だ
 
「支援」は本当に必要か
ぼくに言わせれば「支援」を要しない
社会や学校であればよいだけの話
社会も学校も
自分たちに欠陥はないと
嘘を糊塗しているだけのこと
組織的な責任を
子どもや親といった家族に
公の方針に従えと
押しつけているだけのこと
 
2026/05/02
 
 
「更新と改良」
 
昔のパソコンはコマンドを打ち込むことで動かしていました
カチャカチャかくかくゆっくり動いていました
あれから五十年経って全く変わりました
スムーズ・早い・きれい・便利
仕事に趣味に現代人には欠かせないものになりました
高性能高機能と進み
ぼくら高齢者にとっても使い勝手がよく重宝します
 
ぼくが使うWindowsは毎日のように更新があります
供給側の言うところでは新しい状態に保つため
セキュリティー対策とか新機能とかいろいろあるそうです
ここのところ更新する度に不具合が生じました
続いて起きるのでストレスになります
高性能高機能と進み
その上での更新でフリーズしたりバグったりしています
 
何か似たものがあるなとよくよく考えたら
現在の高度文明化社会そのものだという気がしました
高度に重層化して複雑化した最先端の社会ですが
機能がいっぱい詰め込まれている分
あちこちで機能不全が起きて修正が難しくなっています
社会体制も高性能高機能と進んだせいで
いったん乱れが生じるとかえって修理が難しいようです
 
高度化は止まらずに進むでしょうから
万一不具合が生じたら修理や修正も益々困難です
今目にしている世界のあちこちでも
戦争や紛争が起き治安も悪くなっている気がします
貧困も格差もあり手が付けられない状態に見えます
修正も利かないのではないでしょうか
更新も改良もあまり信用できません
こうなったら一から新製品を作り直すように
社会も一からやり直す方がいいのかも知れません
そんなことは出来ないだろうと誰もが思っています
ぼくもそこで考えが停止します
しかしそれがぼくら現代人の盲点かも知れません
盲点はきっと逆の意味では急所です
MacもLinuxもありますが
そちらにシフトすることもなかなかないようです
世界の体制が見事に反映している気がします
いずれもきっと悩みを抱えているに違いありません
合流すると完璧なものが出来そうに思いますが
それはそれで
あとには修正不能の事態をもたらす怖さがあります
 
2026/05/01
 
 
「上陸の先陣」
 
「ぼくのせいで」って
言うのも聞くのもいやだ
すべての罪を背負うのは違う
きみのせいで
苦しんだ者は誰もいない
ただしそう考えてるって事は
見えない関係に
触覚が触れて敏感だということ
見えない網の目が
見えていると言うこと
もう一枚マイナスの札を引いたら
ぼくが言うのも何だが
跳ねるし化ける
だから
その言葉は飲み込んでおけ
飲み込んで進む足に
ひたすら考えずについて行け
もう少しすれば
前人未到の快挙を遂げる
約三億七千年前
イクチオステガらが目にした
同じ陸上の光景に
きっときみは目を見張る
そうして見えた瞬間
きみの長旅は終わりを告げる
気付けば上陸の先陣を切っている
後続は後を絶たない
 
2026/04/30
 
 
「生涯と仕事」
 
ぼくらにとって仕事や職業とは何か
老後になってよく考える
ぼくの職歴の中心は民間の会社員と
それより長い教員生活
別れた恋人みたいでもう何の関係もない
ぼくらにとって仕事とは
そういうあっさりしたものだ
九割が農民だった江戸時代までは
家と田畑が一緒の空間で
仕事と生活と区別がなかった
ぼくらは逆で区別が前提だった
スーツを着込む身支度が重要だった
江戸の農民は生涯農民だが
ぼくらは退職すると無職となり
職業上の縁も切れる
老後になって考えると
ぼくの生涯にとって
会社員とか公務員とかは何だったのだろう
今更ながら思うのだ
ぼくの選択には必然がない
旧懐を除いてしまえば空っぽだ
生涯の多くを仕事に費やし
そこで多くを考え学びもしたが
退職したぼくの暮らしには
あんまり役立ってもいないのだ
ぼくらは貴重な時間をそこに費やしてきた
ぼくらには必要なことだったのだが
ちょっとした悔いや反省が残る
誰のための生涯だったのか
社会のためというのでは抽象的過ぎる
もちろんどうすればよかったのかなんて
ぼくには分からない
成り行きに任せてそうやってきて
それがぼくの選択でもあった
君ならどうするか
若い君はいま
どんな生涯を選択しようとしているのか
時代は君たちをどこへ運ぶか
 
2026/04/29
 
 
「老後の精神も波瀾万丈」
 
眠りも浅くて
夜中に何度もトイレに起きる
睡眠時間も細切れになり
起き上がった分だけ短くなった
これは覚醒時にも影響し
覚醒が浅く小刻みになって
半分目覚め
半分寝ている状態の時間が
増した気がする
 
年取るとこういうことにもなって
一直線に衰えて行くばかりで
何にもいいことがないように思ったりする
遅かれ早かれ誰もが通る道で
こうなって行くものは仕方がない
抗う気持ちも薄れてきて
かといって何の抵抗もしないのも癪だ
抗いも諦めも
自然に反するようにはしたくない
それにまだ
歯を食いしばってでも
考えたり調べたり観察したりしたい
青臭い思いも残っていて
なかなかどうして
老後の精神も波瀾万丈
老人だって結構もがき苦しんで
諦めが悪かったりもする
終わる物語の先の白いページを
懸命に読み取ろうともする
 
2026/04/28
 
 
「ぼくは好きなんだけど」
 
桜の花が散っての新緑
あのおさないみどりがいいな
幼児がいいな
幼児には老爺や老婦が似合うな
理屈のない小動物
そういうのとも相性がいい
なぜだろう
老爺でも理屈っぽいぼくは
きっと嫌われるな
なぜだろう
何かが合わないんだな
相性が悪いな
新緑の葉の
無防備でおさないみどり
きみどり
無防備な幼児の無邪気は
ぼくの鎧を感知する
警戒する
きみどり
あのおさない色合い
ぼくは好きなんだけど
すれ違ってばかりだ
季節ともかみ合わない
齟齬を来して
ゆきちがい
くいちがってばかりいる
それでも違和や異物でありながら
時を一緒に過ぎている
 
2026/04/27
 
 
「どこまでも人間的」
 
心や頭の中に感じたり考えたりすることがあり
あるいは信じたり制止したり妄想したり
それを人間的と言ってみたりしてきたのだが
こうして老いてくると
自分にもあるこうした人間的な部分が
重荷のように厄介に思えてくる
これに比べると動物や植物は潔く生きている
自然が運んでくる四季に同調して
ただ食と性との繰り返しを生き
死後には何も残さない
未練もなければ怨念もない
 
人間は青年から壮年にかけては人間的なんだな
老いてみるとこれがとても重い
思いやりや愛をどのように表現したり実践するか
他者や社会のためにどう振る舞うか
老いるともうそれどころではないんだな
それでもやっぱりどこかで
「世界ぜんたいの幸福」という思いが手放せない
心や頭の中にねちねちと
いつまでも店じまいできないでいる
だがそうしているだけで何も出来ないんだな
「思っている」だけなんだな
やっぱり人間はどこまでも人間的なんだな
老いても重荷は重荷のままだ
 
2026/04/26
 
 
「甘いものが欲しくなる」
 
本当に好きな歌手はいるか
本当に好きな歌はあるかと考えたら
どっちも思いつかなかった
初めから無かったのか
途中で気が変わったのか
どちらでもあるようなないような
取りあえず
生涯を通じて好きであり続けることは
めったにないという結論だ
 
若い時には好きになった歌手もいて
好きになった歌もある
少し老いてきたら
どちらもそれほどではないと
考えるようになってきた
そのぶん心には空洞があちこち出来て
乾いた風がさっと流れたりもする
本当にあんなこともそんなことも
それほどではないと感じるばかりとなり
それほど向きになって
言いたいこともなくなってきた
どっちが正しくてどっちが間違っているか
というのも言う気がなくなって
どっちもだめさと
端から思い込むようになってきた
どっちもだめさ
どっちもだめさ
本当にもうこうなると
世界はだめなものばかりが蔓延して
この先には きっと
 
よいことしか起きようがない
自然に不自然にそんな思いが湧いてくる
そうしてこうして
疲れたあとには甘いものが欲しくなる
 
2026/04/25
 
 
「一つの生命」
 
幼児の「アバババ」は
未発達の象徴のように考えられているが
そうでもありそうでもない
成長は都度都度の完全体の連続である
不連続の連続である
 
初期の人類は「アバババ」で止まっていた
現代人のような流暢な発語ではない
当時はそれで完成形だ
現代人から見るとそれは未発達だが
当時の人類ではそれが最新形だ
 
幼児にも未来はまだ無い
一瞬一瞬が完成体を生きていて
ただその連続であるだけだ
何者かになるための準備期間でもなければ
人間として未完成というのでもない
 
幼児は幼虫でも蛹でも無い
成人から見ればたしかに幼児になるが
幼児からすると
今そこに存在していることがすべてだ
その先はあるかも知れないし
無いかも知れない
一つの生命とはそういうものだ
初期人類においてもその時がすべてだ
そうでなくなったのは現代になってからで
人類史も個体史もすべて
初期を未熟や未開と考えてしまう
進化論や発達史観の弊害が
なかなか気づかれない
予備軍として待機する生命など
どこにも存在しない
 
2026/04/24
 
 
「永遠の配下」
 
少人数の集団がまとまり無く
島のあちらこちらにバラバラに過疎っていた
数万年を経て
一つにまとまる時が来た
何がどうなってそういう機運になったものか
ただそういう流れになったのだ
偶然もあり必然もあり
ある一人が王に立った
どういう具合でそうなったか分からないが
神でもないし
神から生まれた子でもない
ただみんなを従わせるためには
奇跡を必要とした
奇跡の代わりに神話を作り上げた
ただそれだけのことだが
一つのまとまりとして国が出来てしまった
その時からこの島の住人は
銘々に自由に生きるものではなくなった
他人の意志に縛られるようになった
永遠の配下となった
あれから二千年を経て
これが自分たちの自然なあり方だと
だれもが考えるまでになった
 
2026/04/23
 
 
「真空のささやき」
 
近ごろ孤独って快適
みんなに相手にされないというのもいい
その辺はすっかり反転して
多数とは真逆の価値観になる
ぼくの書く文字が読まれないというのもいいし
こういう考えの人間が
存在することを知られていないというのもいい
ただ生きているというだけで
なにがしかの税金を拠出しているということも
何だか無償の愛みたいでかっこいい
 
いつの間にか頭だけだなあ
感じたり考えたりを楽しんでいる
何をしなくても何かをして何かが出来ている
これは究極だよな
楽しくもあり喜びもあり
悲しくもあり苦しくもあり悶えもある
あらゆる感情と思惟とがこの身を駆け巡っている
悪いけどこのまま行くよ
ぼくの命はぼくだけのために使う
こういうかたちでなら
どこまでだって行けそうな気がする
ねえカンパネルラ
 
2026/04/22
 
 
「国のための国」
 
 文科省が、AI(人工知能)やロボットなどの先端技術を身につけた理系人材を育成するために、高専の新設に助成金を倍増するそうだ。最大で20億円。ニュース記事にはそう書かれていた。
 富国繁栄を見据えての、未来への投資という意味合いもあろう。文科省も国の機関だから、第一に国の将来を考えて動くのは当たり前のことだ。こういうことに優先順位の上位が当てられるのも無理からぬ事だ。文科省と言っても学問的な機関というわけではなく、やはり行政機関の一つに過ぎない。となると、きちんとした国造りのために動いていることになる。国の方針、狭義には政府の方針に従って動く。
 誰も口に出しては言わないが、ぼくらのような高齢者は戦力外に置かれる。国の将来にはあまり役立ちそうにない。もっと露骨に言うと、盛りを過ぎて、今は膨大になった医療費をハムハムする厄介な存在と思われているかも知れない。国民の血税を有効に使おうとすると、どうしても現役世代への投資や、未来への投資という意味で子ども世代に使おうと考えるのは当然だろう。
 高齢者はそれくらいのことは理解しているから、年金額を倍増しろなどとは叫ばない。たいていは我慢をする。あるいは諦めている。
 国としてのいろいろな施策は国が決める。国が国のことを決めるのだから、優先順位は国の建付けをよくすることから優先していくことになる。国の外観をよく見せることもその一つだ。それから立派なエリートの育成も。
 いろいろ考えたら、社会のピラミッドの基底を担う下層庶民や大衆、その下に徘徊する愚民たちへの助成までには手が回らない。20億を孤独で貧しい高齢者に手当てしたところで国のためにならない。
 どういうわけか国の財政も揺らいでいて、それどころではないのだろう。まさか自分たちで食い潰したというわけでもないだろうし、とにかく手が回らずに、未来への投資だけで手一杯になっているのだろう。
 多少犠牲が伴っても、といつもの常套句で、高齢者や、それから即戦力として活躍が期待できない者たちにとっては、寂しい国になってしまった。中身がボロボロになっても、相変わらず外観はきれいに見せたい国だから、体面には異常にこだわる国だから仕方が無い。役立つ国民だけを大事にする国だ。老兵も負傷兵も静かに消えて行くばかりだ。国家という器はびくともしないが、その内側では順繰りに人間が生き死にを繰り返す。人間の生死の流れは、水の流れのように絶えることなく続くのだろう。国のかたちだけは、まだ当分そのまま残り続けることになるのだろう。
 
2026/04/21
 
 
「悲しみへの偏奇」
 
おっ
何度もフラれて
気落ちしたぼくは
ネジを巻いて
世界からフラれる自分
という演技を始める
貧乏人
引きこもり
次々に演技の幅を広げる
出来れば
悲しい演技を
終生続けてみたいと
意を決する
悲しい人になり切って
悲しみ続けることに成功した
やり切ってみると
悲しいことの連続なのに
爽快感さえ湧いて
不思議だ
 
2026/04/20
 
 
「立っているだけ」
 
縄文時代と現代の間をカットして
直接的に比較すると
未開に近い時代と高度文明文化の時代
土器とパソコン
感覚の時代に対する知性の時代
まるで子どもと大人との比較
便利さや豊かさで言うと現代
過ごしやすさでは
争いのなかった縄文時代か
 
個人の感想だけで言えば
いろんな事に無知であり
非知でもあった子ども時代の方が
なんかよかったと思い出される
いろんな事に気をつかって
いろんな事を考えてしまう現在の方が
どうにもならないくらい
自分が小さく感じられる
いろんな事を知ったせいもあって
つまらなくも感じてしまう
溌剌としたり
活き活きと動き回った子ども時代には
もちろん戻れないけれど
進歩や成長や発達が
どうしてこんな具合になるのか
予測も出来なかったな
いつどこで何をどう失敗したのか
本当は失敗とかでもなくて
「今」とは常に
こういうものなのか
 
分からない分からないと呟きながら
生きてきたなあ
楽しいばかりでもなくて
かといって苦しいばかりでもなく
誰かを真似ることもなく
誰かを羨むこともなく
今日もこうして立っているなあ
立っているだけだなあ
 
2026/04/19
 
 
「新・世代」
 
推しの追っかけや
コスプレや仮装に夢中になる
そのために仕事もして給与を注ぎ込む
その生活スタイルは悪くない
ぼくにはそう見える
仕事ひとすじって怖いし
逆に追っかけひとすじも別の意味で怖い
両方のいいとこ取りで
適度な苦しさと楽しさを
二つ持って生きるのは
バランスとしてもとってもよい
現代の若い人たちのよいところだ
そのほかにゲーム好きで
ゲームの課金に
給与を注ぎ込むって言うのもいい
それでいて家族にも
なんか周囲にも他人にも迷惑をかけない
そんな若者のスタイルって
よい選択をしているなって思う
その上で企業の経営にも政治にも
無関心でいられるのは
さらに良いことであると思える
そうして人生を楽しめる人たちが
どんどん増えるとすれば
ぼくら世代の成した唯一の社会貢献だ
ぼくらの記憶に刻まれる
数少ない現在社会の長所だ
 
2026/04/18
 
 
「エリート偏重」
 
教育を受ける権利を持ちながら不登校とか
選挙権を持っているのに投票しないとか
教養ある人たちで作った制度が
少しずつうまくいかなくなって来ている
ぼくら平場の生活者だと
制度を見直したらいいんじゃないとすぐに思うけど
なかなかそうは動かなくて
何年も同じことが問題になって
やれ学校に行かせろとか
投票に出向けとか呼びかけて
何年も改善しないままになっている
しかも学歴がないとか資格を持っていないと
就職上の不利は不利のままになっていたり
国民の願いを叶えない政治が横行したり
いろんな不備や不足はそのままで
何の改善も行われないままに
やたらと時間だけが経過して行く
ぼくら生活者も無策無能かも知れないが
社会を維持管理する側の人たちも
ぼくらに劣らず無策無能に見えてしまう
しかしそれでも社会が成り立って行き
個人もつつがなく暮らしていけるなら
それでもいいんだが
夜も明るく賑やかな場所もあれば
真っ暗にへこんだ場所もあちこち散在して
全体としては明るさも元気さも減少している
ぼくらの気分も落ち込むばかりだ
ぼくらはいいけどね
何がなくても後期高齢者はそういうもんだ
せめて若い人たちには希望がないと
ここまでエリート偏重で来て
こんな結果になっているんだもの
戦前の二の舞を進んでませんか
発想を変えて非エリートに任せるとか何とか
仕組みから何から変えたらどうなのよ
固い頭で凝り固まった社会は
逃げ道も遊びも何にもないな
ただぬかるんだ坂道を
ずるずる滑り落ちて行くばかりだな
 
2026/04/17
 
 
「『俺』の取説」
 
はっきり言うと
信じていないですよねそれを
背後に何ものかの陰謀を感じます
まさしくオレオレ詐欺です
常日頃から
「俺は俺は」と言っていますもんね
きっと後ろに言わせる奴がいて
それで言っているんでしょう
「俺」と言ってますが
言っているだけです
声だけです
うまいものです
「俺」になり切っているんです
 
言わせている正体は
まだちょっとよく分かりません
黒幕がいるんです
身体なのか細胞なのか遺伝子なのか
なので取りあえずは
全部嘘だと考えることにしています
現実というものも内に呟かれる言葉も
みんな幻や夢のようなものだと
そうやって一日に何度かは
白紙に戻して
逃げることにしています
用心に越したことはありません
その上でまた「俺」に戻って
オレオレ詐欺に騙されたふりをして
「俺」を生きることにしています
 
2026/04/16
 
 
「遠出をしては巣に帰る」
 
ビッグバンが分からない
ビッグバンがあったとして
その時のそれ以前が分からない
以前と言うからには
以前の以前があるはずで
以前の以前があるならば
以前の以前のそのまた以前があるはずだ
そうするときりがないんだが
どうしてくれる
未来についても同じことが言えて
未来の先にも未来がずっと続く
そのまた未来もあるはずだから
終わらない
そうなると
今度は外のことを考える
ビッグバンの外や時間の外のことだ
もう収拾がつかなくなる
このように人間は見もしないことを考えて
ひとりで疲れて行く
地球上で初めて病気を持って生まれた
としか言えない生き物だ
自然が拵えた物だから制限も欠陥もある
頭の使い方を間違わなければ
ほどほどに愉快に生きては行ける
切り替えて自制して
遠出をしては巣に帰る
行ったり来たりを繰り返す
ぼくはそんなんでいいな
他の人は知らんけど
 
2026/04/15
 
 
「花一輪の工夫」
 
 国家が滅び、社会が崩落する前兆が見えてきた。革命が起きているのでもなければ、誰かが起こそうとしているのでもない。国家や社会それ自体が、内発的にそうなって来ているとしか言いようがない。内側から崩れている。
 ところでこれは危機なのだろうか。国家や現行社会にとっては危機なのかも知れないが、これが即大衆の危機かというと分からない、違うと思う。
 大衆のひとりとしてのぼくに言わせれば、これまでもこれからも、環境について行く以外に方途がないのだから、大衆はそうしていればいいだけである。例えば東日本大震災の時もそうするしかなかったし、震災以後も何の幸運に巡り会うこともなく、成り行きの中を成り行きのままに流れて来た。
 大衆としてのぼくらの生き方は単純で、飯を食って生活すること。それに尽きる。それ以外は成るように成ればよいだけで、もちろん楽しければなおよいと言うことになる。だから、主に考えることは、どうやって飯を食うか。どうやって生活するか。これを考えながら暮らし、暮らしながら考えるしかないことなのだ。その余のことは直接には大衆の暮らしに関わりない。
 これは大衆の愚かさなり、無能として嘲笑されるかも知れないが、逆にこれしかないという頑迷さで、強みと言えるかも知れない。ぼくら自身は、これ一本しかないということで気が楽である。これでダメならダメなんだと割り切っている。けれどもこれまで、これでダメと言うことは一度もなかった。
 ぼくらは国家や社会の運営と言うものには全く関知していない。全く無関係というわけではないのだが、 受け身に徹した存在なので、それらがどうなろうが成った中をどう生き抜くかしかない。これまでもこれからもそれしか知恵がないのである。
 つまり極端なことを言えば、国家がどうなろうが社会がどうなろうが、ぼくらは生きることにへばりつくしかない。それではいけないと言われようが何だろうが、それしかないんだから仕方がない。そういう身も蓋もないような暮らし方の中でただ一つ、雑草の中に開いた花一輪を愛でるような、そんな工夫をしているのである。大げさに言うと、それがぼくらのすべてである。
 ぼくはそれで平気である。ただ、ほかの人たち、特に子どもや若者や病んだお年寄りたちのためには、国家も社会も支援する健全な組織であって欲しいとは考えている。そのために微々たるものだが税金という形で拠出してきてもいる。それでうまくいけばそれに越したことはないが、自ら崩れようとする国家や社会を、どうにかしようという力はぼくらにはない。実は、そういう気にもなれない。不平等を拵え、貧富を拵え、上下を拵え、尊卑を拵え、更に人を殺す戦いを何度も引き起こしてきている。どちらかというと、争いの種、火種とそれを燃え広がらせる仕掛けとは、常にそちら側にある。そちら側に関わって、いいことは何もない。耕作する人々の上に立って、その収穫を横取りして貪り食う、そういうケチな根性を身につけるだけだ。
 ぼくらは成長の過程で家族や地域から、公平公正であれ、威張るな、蔑むな、年下の者弱い者をいじめるな、そんなふうなことを教わって育った。それが身に染みついている。ぼくを作った上限はそこである。国家や社会ではない。
 国家や社会が終了しようがどうでもよい。それは内部の問題で、大衆としてのぼくらが関知するところではない。ぼくらはどんな世になっても、飯を食い、生活していくことを考えるだけである。内部崩壊にとやかく言う資格もなければ、特段に支える義務もない。無いと生きられない者たちが、自分たちの力で何とかするほか無い。こうなったのも自分たちのせいで、ぼくら大衆がそうしてきたわけではない。ぼくらは諂いもしないが敵対もしない。ただぼくらが貧すれば、国家や社会も貧して行く。ぼくらは貧に耐えるだけだが、ある程度の耐え方はよく心得ている。耐えきれなくなるのは国家や社会の側で、必ずと言ってよいほど内輪もめを引き起こす。内側から崩れて行く。勝手にそうすることについてぼくらは関係がない。貧は増すだろうが、ぼくらが出来ることは例によってへばりつく一択である。そういう中での花一輪の工夫である。
 
2026/04/14
 
 
「祝福の季節」
 
四月は目の粗いざる
人間がボロボロこぼれ落ちる社会
編み目に掬われた者が
様々な式典の椅子に座っている
その様子をテレビカメラが
画角の中に納めている
外は春風に桜吹雪が舞い
歌舞伎役者が見得を切る
それはどこか悲しげな風景
日射しは明るく照っているのに
ぼくたちだけ
心からの祝福を告げられない
残酷な四月
ボロボロの四月
鋼のメンタルと言っても
ぼくならばともかく
あちこちで二度と戻らない心が
戻れない隙間から落ちて行く
ボロボロの四月
本当のことは言えない四月
目を閉じ耳を塞ぐ四月
桜満開の地上から下る
一本の蜘蛛の糸
祝福の季節の中を下って行く
惨たらしく陰険な季節
零れる瞬間の静止画を狙って
それからぼくは
何をどうしたいんだろう
 
2026/04/13
 
 
「野蛮な知性」
 
世界の人口は現在八十一億以上
八十一億は人間として一つにまとめられ
同じ人間でありながら
また八十一億の違いをもち
それぞれに生きていることになる
八十一億の違いだから
それはそれはバラバラなんだろうな
これをどうして一括りに
人間と言ってすますのだろう
身も心もバラバラな八十一億を
どうして人間の括りですますのだろう
葉っぱとか
雨とか
石とか砂とか
みんな一括りにして
ただ一括りにしただけなのに
何か分かった顔つきでいる
ぼくとかきみとか
何一つ分かっていないくせに
誰一人も理解し尽くせぬくせに
八十一億人分の人間性を
想像してみたこともないくせに
「人間は」ってすまし顔で言う野蛮
とてつもなく野蛮だよ ぼくらは
暴力だよ 言葉も知性も
葉っぱとか
雨とか
石とか砂とか
八十一億分の一ってそんなものなのに
八十一億の意識があって
一つ一つに喜怒哀楽もあって
ぼくらはそういう中で
八十一億分の一しか承知していない
想像してみようじゃないか
八十一億のバラバラな意識を
それが出来なければ
本当の意味で人権を尊重したり
人間の命の重さを実感したり出来ない
相変わらず口先だけの
分かったつもりでいるだけの
野蛮な知性にとどまってしまう
 
2026/04/12
 
 
「ぼくらの社会の大事」
 
自然界の草木には
大雨があったり大風があったり
日照りや水不足などの受難もあれば
その一方で恵みも受ける
人間も自然の中では同じようなもので
災害もあるし恵みも受ける
その関係は人間社会にも起きていて
大きな難儀もあれば受益もある
すると人間にとって
社会は第二の自然と化している
けれどもそれは
自然界そのものではない
人間が自然に働きかけて作ったものだ
そこでは太陽神をまねた天子が君臨し
その隣には統治権の行使者が立つ
人間の意志による統治の始まりである
彼らは報償や罰を用意して人心を掌握する
しかし いつどのようにして
そんな権威と権限を持つようになったか
今となっては誰にも分からない
だが二千年近くにもなると
いつの間にか自然の風景のように
見慣れたものになってしまう
もう疑義を訴えても仕方がない
罰せられるものを横目に
自分がどううまく立ち回るかだけが
ぼくらの社会の大事になっている
それ以外の心情は
巨大な幻想のフィルターを通過する際に
湿気と見なされ取り除かれる
ぼくたちの心情の行き場はそこだ
 
2026/04/11
 
 
「受信と発信」
 
一本の木がいつものように立っていて
見えない聞こえない
受信と発信とを繰り返している
その発信を受け止めるのは相手次第で
発信したらそれっきりだ
それはぼくらも同じことで
発信を受け止めたり受け止めなかったり
判断の行使は自由で
完全に受信する側に任されている
ぼくらが発信した場合も
対手は完全に自分の恣意で
受け取ったり拒絶したりすることができる
その関係が基底になる
そうして一本の木も立っていて
いろんな木々も立っていて
飛び交う情報の中に立っていて
それぞれ受信と発信とを繰り返す
どんな情報を受信するのか
発信したものはどこで受け止められるのか
そんなことは知る由もなく
立ち枯れるまでただ生きて継続する
理由は分からないが
そういうことになっている
木の種類ごとに場所ごとに
それぞれに生き方もあるのだろうが
その差異はさておいて
じたばたするのは人も同じだ
受信したり発信したり
賑やかだったり静まりかえったり
そこにはいろいろあったりもするのだろう
一本の木も一人の人間も他の生き物も
命あるものはすべて個的な形をしていて
個的に距離も取り合っている
さながら全体が命のネットワークとして
情報の渦の中を生きる
孤独なのかそうでないのか
ぼくにはまだ分からない
 
2026/04/10
 
 
「小さく響く声」
 
七十五を刻んだのは細胞でしょうから
意識であるぼくには関係ないっす
って言いそうな意識
と言うより意識には年齢がない
とは言え時々加齢の素振りは見せる
めんどくさい奴だ
左目が見えにくい 耳が聞き取りにくい
そういう日々を重ねると
みみっちく意識も影響される
弱ってるんだ 年なんだと
言い聞かせたり聞かせられたりして
意識の腰も曲がって行く
なんか微妙な連携が絶妙に見える
そうこうして どうこうして
晩年の両親の言葉がよみがえる
「もういいよ」
弱々しく小さな声だ
が 万感の思いが響きわたる
そこまではぼくも行かなければ
追いかけなければ
あの世で合わせる顔がない
幸福であろうが不幸であろうが
どうだっていい
どちらにしてもやり切ることが大事
そういうことでしょって
こっそり語りかける
 
2026/04/09
 
 
「クイズ三択」
 
クイズです
正統派と異端がいたらどっちに附くか
どっちかに附かなければいけないとしたら
どっちに附くか
もちろんそんなことは簡単で
どっちにも附かない
選択を拒絶するのが正解
そもそも正統とは多数が作る幻想
強い思い込みの所産
異端は正統ありきだから
初めからどっちもダメ
それならどっちかに附くというルールは
無視して上等
捕まらなければそれで行く
 
考えるまでもない
正統派も異端も自称
ただの受け売り
みんなが言うから正統で
みんなが言うから異端だと
その程度の認識で信じ込んでいる
ぼくから言わせればただの馬鹿
そういう連中が
足下からとっくに消えた舞台の上で
つまりは幻でしかない舞台の上で
愚かさを演じ合っている
喜劇か悲劇かと言ったら悲劇
うら悲しい物語が
うら悲しいままに進行しているんだ
どちらも批判する気になれない
根は正直者で
人間らしくエゴに柔順なだけだ
それぞれに作り上げたイメージの世界で
イメージを完成しようとするだけだ
すべてどう見ても三文芝居だ
ありもしない対立の熱に浮かされて
ありもしない脚本で演じている
ただ悲しいだけの演者たちだ
付き合ってはいられない
世界が壮大に対立していたら
たいてい真実や真理は
対立の奥に隠されているものだ
迂遠だが
対立を見たら身をよじり
引き寄せから身を引き離し
隠れた真を探しに出かけて正解
 
2026/04/08
 
 
「政治的言説」
 
言葉に〈いと〉が絡みつき意味不明
例えば生活不安は
せ・い・か・つ・ふ・あ・んと言う具合で
使いものにならない
政治的言説に使われる言葉はもっと酷くて
〈いと〉が絡むどころではなく
〈いと〉だらけの丸い玉に仕上がっている
まるで幼虫の入った繭のようだ
この場合幼虫は匿名で
どんな成虫になるのか皆目分からない
幼虫も成虫も
片時も〈いと〉は手放せない
あたら生涯を〈思惑〉話にいそがしく
駆け抜けてしまうのだろう
素朴さも無邪気さも知らず
その価値も分からずじまいになるのだろう
政治に隠れた陰謀なんて
それが当たり前の世界では
極めて穏当な本末転倒
まぼろしの日常だ
ぼくに言わせれば大人の遊び
人命を弄ぶ
極めて下等な遊びだ
 
2026/04/07
 
 
「自分のリーダーは自分であれ」
 
羊飼いに従って荒野を歩いてきた
元気なものはすぐ側で
元気のないものは群れから少しずつ遅れた
しばらくして姿が見えなくなっていた
砂漠や荒れ野や
それからいくつもの丘を越えて
水が湧き植物が繁茂する沃地を目指した
 
羊飼いのリーダーは何人も変わった
誰も目指すところにたどり着けなかった
不満を漏らしながら
どこまでも歩くしかなかった
嫌気をさして群れを離れたら
確実にオオカミに仕留められた
とっくの昔に本能が薄まった羊たちは
一頭で生き抜く力をなくしていた
羊飼いと一蓮托生
愚かな羊飼いに率いられた群れは
悲惨な末路を迎える
それが成り行きというもので
動かそうたって動かない
日照りの砂漠や荒野では
一頭でも倒れるし
群れをなして進んでも倒れる
 
人間もリーダーはいるが
民たちはあまり信用していないかも
自分の判断で
ついて行ったりそっぽを向いたり
民衆は図太く気まぐれ
逆にリーダーはおどおど小心で
民衆の顔色を窺っている
リーダーの座から引きずり下ろす力を
民衆が持ち始めたからだ
中には自立心旺盛で
どしどし砂漠に踏み入る民衆もいる
柔順なばかりじゃないから
見ていると頼もしい
せめて自分のリーダーは自分であれと
自分を奮い立たせる人もいて
リーダー不要と声も張る
 
2026/04/06
 
 
「終われない旅」
 
少しずつ記憶が浸食を受けている
みたいな
物心ついた時からの教えや学びが
心から頭から
ガラガラと波にのまれて行く
みたいな
昨日と今日だけが季節に張り付いて
どこまでも同じ構図で移動する
 
なんだろうか
それなのに幸せな日々が
目に映えて剥がれない
あっちに行きこちらに戻りして
写真の中を移動している
空気が薄くて息苦しい
魚たちの口がパクパクと飛び出す
昔からこういうことだった
 
人気ない脇道を入り
日射しに乾いた草の上に横たわる
今になって理由が分かるだろう
じっと目を閉じて数を数える
そうやって何度も生き返り
また立ち上がらなければならない
終われない旅に
焦燥だけが見え隠れしている
 
2026/04/05
 
 
「死人の国」
 
この世界には手触りというものが無い
代わりに視線で触れて行く
すると物たちは中空に浮かび
目眩とともにどこまでも落下して行く
いつの間にか世界は秩序を失っている
 
子どもの頃に駆け回った土の上
丈高い草原の匂や冷たい川水のしぶき
それから黄金色に輝いた日射しも
二度と帰らないのだった
一度目の死はその頃に始まっていた
 
それでも生きて二つ目の死を迎え
何度死んでも生きながらえて
それを知らないのはわたしたちだけだ
伝承は間違いなく真実を語っていて
わたしたちは死後の世界を生きている
 
この手触りのなさ
世界に対しての激しい嫌悪
だが島国では死人ほど優しいものはない
ものに触れる感触がない
優しい幽霊たちの波形のない会話
死人の国死後の国
言葉たちは次々に撃ち落とされた
 
2026/04/04
 
 
「いろいろな声」
 
長い間ぼくらの世代は
テレビに洗濯機に冷蔵庫に掃除機に
ずいぶんと世話になってきた
今もまだ当たり前のようにお世話になっている
昔の人に比べたら
ずいぶん楽をさせてもらっている
最近ではパソコンがそうだし
スマートフォンもいろんなことが出来て便利だ
神や仏ではないが
神や仏ほどにありがたい
それでも時々ありがたさを忘れ
この世は生きにくいと考えたりしている
罰当たりみたいだが実際そうだ
そうして深く悩んだりもする
だが考えて見れば
悩んでいられるのもそれらのおかげであり
なかったら悩む時間もとれなかった
おかしなことだ
楽になって悩みが増えた
昔の生活は厳しくて
悩む時間さえとれずに寝入ったのだ
余剰の時間は楽しまなくてはいけない
現に楽しんでいるのだが
楽しさを楽しいと感じなくなっている
法外の楽しさでないと満足しない
そんなふうになった
 
たまにはこんな反省もよいと思って
反省の素振りをしてみたが
ふだんはこんな思いではない
こんな世界こんな社会
こんな支配やこんな不平等を齎した者たちに
激しく怒り歯ぎしりもして
心を引き裂きたいほどにもなっているよ
それがぼくらの日常であるよ
奥に封じ込めた声だよ
 
2026/04/03
 
 
「きれいな街」
 
何にも壊れていないよと言うから
壊れているよと言い返した
ほら画面に映っているだろう
街は瓦礫だらけで
子どもを抱いた母親が
ミサイルにおびえて走っている
 
それは違う
それは遠い国の出来事で
窓の黒いカーテンを開いてごらんよ
ぼくらの街もぼくらの心も
いつもと変わらない町だし
何かにおびえる必要がない心だ
 
そんなことじゃない
ぼくが言いたいのはそんなことじゃない
ぼくらはぶつかる前から壊れているんだ
だからぼくらの街は静かなのだ
壊れた人間の街だからだ
ぼくらが壊れているから
街はきれいな街として
身なりを整えて行くだけなのだ
これから先もずっと
 
2026/04/02
 
 
「枯木に花を咲かせましょう」
 
社会から戦力外通告を受けましたんで
これ幸いとこれからは
家族内生活と個人生活の充実に向かって
全力を注ごうと思います
とりあえずお茶碗洗いに風呂掃除
それから一階の部屋掃除
あとは洗濯を頑張ります
買い物にも奥さんについて出かけます
荷物持ちに徹します
 
個人生活は
今のところだらだらすることを頑張る
だらだら考えることを
罪悪感なしに自由気ままにやります
当然の権利として
たくさんの無意味な考えを
無意味に繰り返してやってやろうと
しかも平気な顔でやってやります
 
戦力外通告を受けた渦中の皆さん
それは朗報です
ぼくらの時代です
家庭人や個人としてのぼくらが
一斉に花開こうとしています
花を咲かせましょう
花咲かじいさんになりましょう
枯木に花を咲かせましょう
バンザーイ
バンザーイ
 
2026/04/01