「てならいのうた」
「公的な詐術」
不登校や引きこもり
そして障害者にも支援が必要だ
そう言って
NPO活動などが効果があると
喧伝されたりしている
本当にそうだろうか
どうして支援が必要なのだろうか
その前提のところが知りたい
例えば総じて社会への不適応と言うなら
支援によって社会への適応を助ける
そういう理屈になる
その時点で
社会は優位に立っていることになる
ぼくに言わせると逆になる
学校が不登校や引きこもりを生み
社会が学校と同じように
障害ある人たちをはじき出している
ナイーブで心優しき人たちを
扱えないと差別している
組織としての目標や目的に合致しない人を
別棟に押し込んで差別している
社会や学校が変わればいいだけなのに
逆に少数者に苦労をかけている
昔の地域が主体となる学校ならば
たぶん目的も目標も変わり
どの子も居心地よい学校作りを
第一とするだろう
そのために勉強や基本的な立居振舞を
指導したり注入するよりも
自由と遊びとを優先するだろう
国から文科省
そして県から市や町の教委に降りて
組織が硬直化した今の学校では
そうはならない
公的支援などと言うものは
そのように変われない学校や社会の
子どもや弱者を見下した
方便や弁解に過ぎない
「支援」と言う言葉を利用した詐欺だ
「支援」は本当に必要か
ぼくに言わせれば「支援」を要しない
社会や学校であればよいだけの話
社会も学校も
自分たちに欠陥はないと
嘘を糊塗しているだけのこと
組織的な責任を
子どもや親といった家族に
公の方針に従えと
押しつけているだけのこと
2026/05/02
「更新と改良」
昔のパソコンはコマンドを打ち込むことで動かしていました
カチャカチャかくかくゆっくり動いていました
あれから五十年経って全く変わりました
スムーズ・早い・きれい・便利
仕事に趣味に現代人には欠かせないものになりました
高性能高機能と進み
ぼくら高齢者にとっても使い勝手がよく重宝します
ぼくが使うWindowsは毎日のように更新があります
供給側の言うところでは新しい状態に保つため
セキュリティー対策とか新機能とかいろいろあるそうです
ここのところ更新する度に不具合が生じました
続いて起きるのでストレスになります
高性能高機能と進み
その上での更新でフリーズしたりバグったりしています
何か似たものがあるなとよくよく考えたら
現在の高度文明化社会そのものだという気がしました
高度に重層化して複雑化した最先端の社会ですが
機能がいっぱい詰め込まれている分
あちこちで機能不全が起きて修正が難しくなっています
社会体制も高性能高機能と進んだせいで
いったん乱れが生じるとかえって修理が難しいようです
高度化は止まらずに進むでしょうから
万一不具合が生じたら修理や修正も益々困難です
今目にしている世界のあちこちでも
戦争や紛争が起き治安も悪くなっている気がします
貧困も格差もあり手が付けられない状態に見えます
修正も利かないのではないでしょうか
更新も改良もあまり信用できません
こうなったら一から新製品を作り直すように
社会も一からやり直す方がいいのかも知れません
そんなことは出来ないだろうと誰もが思っています
ぼくもそこで考えが停止します
しかしそれがぼくら現代人の盲点かも知れません
盲点はきっと逆の意味では急所です
MacもLinuxもありますが
そちらにシフトすることもなかなかないようです
世界の体制が見事に反映している気がします
いずれもきっと悩みを抱えているに違いありません
合流すると完璧なものが出来そうに思いますが
それはそれで
あとには修正不能の事態をもたらす怖さがあります
2026/05/01
「上陸の先陣」
「ぼくのせいで」って
言うのも聞くのもいやだ
すべての罪を背負うのは違う
きみのせいで
苦しんだ者は誰もいない
ただしそう考えてるって事は
見えない関係に
触覚が触れて敏感だということ
見えない網の目が
見えていると言うこと
もう一枚マイナスの札を引いたら
ぼくが言うのも何だが
跳ねるし化ける
だから
その言葉は飲み込んでおけ
飲み込んで進む足に
ひたすら考えずについて行け
もう少しすれば
前人未到の快挙を遂げる
約三億七千年前
イクチオステガらが目にした
同じ陸上の光景に
きっときみは目を見張る
そうして見えた瞬間
きみの長旅は終わりを告げる
気付けば上陸の先陣を切っている
後続は後を絶たない
2026/04/30
「生涯と仕事」
ぼくらにとって仕事や職業とは何か
老後になってよく考える
ぼくの職歴の中心は民間の会社員と
それより長い教員生活
別れた恋人みたいでもう何の関係もない
ぼくらにとって仕事とは
そういうあっさりしたものだ
九割が農民だった江戸時代までは
家と田畑が一緒の空間で
仕事と生活と区別がなかった
ぼくらは逆で区別が前提だった
スーツを着込む身支度が重要だった
江戸の農民は生涯農民だが
ぼくらは退職すると無職となり
職業上の縁も切れる
老後になって考えると
ぼくの生涯にとって
会社員とか公務員とかは何だったのだろう
今更ながら思うのだ
ぼくの選択には必然がない
旧懐を除いてしまえば空っぽだ
生涯の多くを仕事に費やし
そこで多くを考え学びもしたが
退職したぼくの暮らしには
あんまり役立ってもいないのだ
ぼくらは貴重な時間をそこに費やしてきた
ぼくらには必要なことだったのだが
ちょっとした悔いや反省が残る
誰のための生涯だったのか
社会のためというのでは抽象的過ぎる
もちろんどうすればよかったのかなんて
ぼくには分からない
成り行きに任せてそうやってきて
それがぼくの選択でもあった
君ならどうするか
若い君はいま
どんな生涯を選択しようとしているのか
時代は君たちをどこへ運ぶか
2026/04/29
「老後の精神も波瀾万丈」
眠りも浅くて
夜中に何度もトイレに起きる
睡眠時間も細切れになり
起き上がった分だけ短くなった
これは覚醒時にも影響し
覚醒が浅く小刻みになって
半分目覚め
半分寝ている状態の時間が
増した気がする
年取るとこういうことにもなって
一直線に衰えて行くばかりで
何にもいいことがないように思ったりする
遅かれ早かれ誰もが通る道で
こうなって行くものは仕方がない
抗う気持ちも薄れてきて
かといって何の抵抗もしないのも癪だ
抗いも諦めも
自然に反するようにはしたくない
それにまだ
歯を食いしばってでも
考えたり調べたり観察したりしたい
青臭い思いも残っていて
なかなかどうして
老後の精神も波瀾万丈
老人だって結構もがき苦しんで
諦めが悪かったりもする
終わる物語の先の白いページを
懸命に読み取ろうともする
2026/04/28
「ぼくは好きなんだけど」
桜の花が散っての新緑
あのおさないみどりがいいな
幼児がいいな
幼児には老爺や老婦が似合うな
理屈のない小動物
そういうのとも相性がいい
なぜだろう
老爺でも理屈っぽいぼくは
きっと嫌われるな
なぜだろう
何かが合わないんだな
相性が悪いな
新緑の葉の
無防備でおさないみどり
きみどり
無防備な幼児の無邪気は
ぼくの鎧を感知する
警戒する
きみどり
あのおさない色合い
ぼくは好きなんだけど
すれ違ってばかりだ
季節ともかみ合わない
齟齬を来して
ゆきちがい
くいちがってばかりいる
それでも違和や異物でありながら
時を一緒に過ぎている
2026/04/27
「どこまでも人間的」
心や頭の中に感じたり考えたりすることがあり
あるいは信じたり制止したり妄想したり
それを人間的と言ってみたりしてきたのだが
こうして老いてくると
自分にもあるこうした人間的な部分が
重荷のように厄介に思えてくる
これに比べると動物や植物は潔く生きている
自然が運んでくる四季に同調して
ただ食と性との繰り返しを生き
死後には何も残さない
未練もなければ怨念もない
人間は青年から壮年にかけては人間的なんだな
老いてみるとこれがとても重い
思いやりや愛をどのように表現したり実践するか
他者や社会のためにどう振る舞うか
老いるともうそれどころではないんだな
それでもやっぱりどこかで
「世界ぜんたいの幸福」という思いが手放せない
心や頭の中にねちねちと
いつまでも店じまいできないでいる
だがそうしているだけで何も出来ないんだな
「思っている」だけなんだな
やっぱり人間はどこまでも人間的なんだな
老いても重荷は重荷のままだ
2026/04/26
「甘いものが欲しくなる」
本当に好きな歌手はいるか
本当に好きな歌はあるかと考えたら
どっちも思いつかなかった
初めから無かったのか
途中で気が変わったのか
どちらでもあるようなないような
取りあえず
生涯を通じて好きであり続けることは
めったにないという結論だ
若い時には好きになった歌手もいて
好きになった歌もある
少し老いてきたら
どちらもそれほどではないと
考えるようになってきた
そのぶん心には空洞があちこち出来て
乾いた風がさっと流れたりもする
本当にあんなこともそんなことも
それほどではないと感じるばかりとなり
それほど向きになって
言いたいこともなくなってきた
どっちが正しくてどっちが間違っているか
というのも言う気がなくなって
どっちもだめさと
端から思い込むようになってきた
どっちもだめさ
どっちもだめさ
本当にもうこうなると
世界はだめなものばかりが蔓延して
この先には きっと
よいことしか起きようがない
自然に不自然にそんな思いが湧いてくる
そうしてこうして
疲れたあとには甘いものが欲しくなる
2026/04/25
「一つの生命」
幼児の「アバババ」は
未発達の象徴のように考えられているが
そうでもありそうでもない
成長は都度都度の完全体の連続である
不連続の連続である
初期の人類は「アバババ」で止まっていた
現代人のような流暢な発語ではない
当時はそれで完成形だ
現代人から見るとそれは未発達だが
当時の人類ではそれが最新形だ
幼児にも未来はまだ無い
一瞬一瞬が完成体を生きていて
ただその連続であるだけだ
何者かになるための準備期間でもなければ
人間として未完成というのでもない
幼児は幼虫でも蛹でも無い
成人から見ればたしかに幼児になるが
幼児からすると
今そこに存在していることがすべてだ
その先はあるかも知れないし
無いかも知れない
一つの生命とはそういうものだ
初期人類においてもその時がすべてだ
そうでなくなったのは現代になってからで
人類史も個体史もすべて
初期を未熟や未開と考えてしまう
進化論や発達史観の弊害が
なかなか気づかれない
予備軍として待機する生命など
どこにも存在しない
2026/04/24
「永遠の配下」
少人数の集団がまとまり無く
島のあちらこちらにバラバラに過疎っていた
数万年を経て
一つにまとまる時が来た
何がどうなってそういう機運になったものか
ただそういう流れになったのだ
偶然もあり必然もあり
ある一人が王に立った
どういう具合でそうなったか分からないが
神でもないし
神から生まれた子でもない
ただみんなを従わせるためには
奇跡を必要とした
奇跡の代わりに神話を作り上げた
ただそれだけのことだが
一つのまとまりとして国が出来てしまった
その時からこの島の住人は
銘々に自由に生きるものではなくなった
他人の意志に縛られるようになった
永遠の配下となった
あれから二千年を経て
これが自分たちの自然なあり方だと
だれもが考えるまでになった
2026/04/23
「真空のささやき」
近ごろ孤独って快適
みんなに相手にされないというのもいい
その辺はすっかり反転して
多数とは真逆の価値観になる
ぼくの書く文字が読まれないというのもいいし
こういう考えの人間が
存在することを知られていないというのもいい
ただ生きているというだけで
なにがしかの税金を拠出しているということも
何だか無償の愛みたいでかっこいい
いつの間にか頭だけだなあ
感じたり考えたりを楽しんでいる
何をしなくても何かをして何かが出来ている
これは究極だよな
楽しくもあり喜びもあり
悲しくもあり苦しくもあり悶えもある
あらゆる感情と思惟とがこの身を駆け巡っている
悪いけどこのまま行くよ
ぼくの命はぼくだけのために使う
こういうかたちでなら
どこまでだって行けそうな気がする
ねえカンパネルラ
2026/04/22
「国のための国」
文科省が、AI(人工知能)やロボットなどの先端技術を身につけた理系人材を育成するために、高専の新設に助成金を倍増するそうだ。最大で20億円。ニュース記事にはそう書かれていた。
富国繁栄を見据えての、未来への投資という意味合いもあろう。文科省も国の機関だから、第一に国の将来を考えて動くのは当たり前のことだ。こういうことに優先順位の上位が当てられるのも無理からぬ事だ。文科省と言っても学問的な機関というわけではなく、やはり行政機関の一つに過ぎない。となると、きちんとした国造りのために動いていることになる。国の方針、狭義には政府の方針に従って動く。
誰も口に出しては言わないが、ぼくらのような高齢者は戦力外に置かれる。国の将来にはあまり役立ちそうにない。もっと露骨に言うと、盛りを過ぎて、今は膨大になった医療費をハムハムする厄介な存在と思われているかも知れない。国民の血税を有効に使おうとすると、どうしても現役世代への投資や、未来への投資という意味で子ども世代に使おうと考えるのは当然だろう。
高齢者はそれくらいのことは理解しているから、年金額を倍増しろなどとは叫ばない。たいていは我慢をする。あるいは諦めている。
国としてのいろいろな施策は国が決める。国が国のことを決めるのだから、優先順位は国の建付けをよくすることから優先していくことになる。国の外観をよく見せることもその一つだ。それから立派なエリートの育成も。
いろいろ考えたら、社会のピラミッドの基底を担う下層庶民や大衆、その下に徘徊する愚民たちへの助成までには手が回らない。20億を孤独で貧しい高齢者に手当てしたところで国のためにならない。
どういうわけか国の財政も揺らいでいて、それどころではないのだろう。まさか自分たちで食い潰したというわけでもないだろうし、とにかく手が回らずに、未来への投資だけで手一杯になっているのだろう。
多少犠牲が伴っても、といつもの常套句で、高齢者や、それから即戦力として活躍が期待できない者たちにとっては、寂しい国になってしまった。中身がボロボロになっても、相変わらず外観はきれいに見せたい国だから、体面には異常にこだわる国だから仕方が無い。役立つ国民だけを大事にする国だ。老兵も負傷兵も静かに消えて行くばかりだ。国家という器はびくともしないが、その内側では順繰りに人間が生き死にを繰り返す。人間の生死の流れは、水の流れのように絶えることなく続くのだろう。国のかたちだけは、まだ当分そのまま残り続けることになるのだろう。
2026/04/21
「悲しみへの偏奇」
おっ
何度もフラれて
気落ちしたぼくは
ネジを巻いて
世界からフラれる自分
という演技を始める
貧乏人
引きこもり
次々に演技の幅を広げる
出来れば
悲しい演技を
終生続けてみたいと
意を決する
悲しい人になり切って
悲しみ続けることに成功した
やり切ってみると
悲しいことの連続なのに
爽快感さえ湧いて
不思議だ
2026/04/20
「立っているだけ」
縄文時代と現代の間をカットして
直接的に比較すると
未開に近い時代と高度文明文化の時代
土器とパソコン
感覚の時代に対する知性の時代
まるで子どもと大人との比較
便利さや豊かさで言うと現代
過ごしやすさでは
争いのなかった縄文時代か
個人の感想だけで言えば
いろんな事に無知であり
非知でもあった子ども時代の方が
なんかよかったと思い出される
いろんな事に気をつかって
いろんな事を考えてしまう現在の方が
どうにもならないくらい
自分が小さく感じられる
いろんな事を知ったせいもあって
つまらなくも感じてしまう
溌剌としたり
活き活きと動き回った子ども時代には
もちろん戻れないけれど
進歩や成長や発達が
どうしてこんな具合になるのか
予測も出来なかったな
いつどこで何をどう失敗したのか
本当は失敗とかでもなくて
「今」とは常に
こういうものなのか
分からない分からないと呟きながら
生きてきたなあ
楽しいばかりでもなくて
かといって苦しいばかりでもなく
誰かを真似ることもなく
誰かを羨むこともなく
今日もこうして立っているなあ
立っているだけだなあ
2026/04/19
「新・世代」
推しの追っかけや
コスプレや仮装に夢中になる
そのために仕事もして給与を注ぎ込む
その生活スタイルは悪くない
ぼくにはそう見える
仕事ひとすじって怖いし
逆に追っかけひとすじも別の意味で怖い
両方のいいとこ取りで
適度な苦しさと楽しさを
二つ持って生きるのは
バランスとしてもとってもよい
現代の若い人たちのよいところだ
そのほかにゲーム好きで
ゲームの課金に
給与を注ぎ込むって言うのもいい
それでいて家族にも
なんか周囲にも他人にも迷惑をかけない
そんな若者のスタイルって
よい選択をしているなって思う
その上で企業の経営にも政治にも
無関心でいられるのは
さらに良いことであると思える
そうして人生を楽しめる人たちが
どんどん増えるとすれば
ぼくら世代の成した唯一の社会貢献だ
ぼくらの記憶に刻まれる
数少ない現在社会の長所だ
2026/04/18
「エリート偏重」
教育を受ける権利を持ちながら不登校とか
選挙権を持っているのに投票しないとか
教養ある人たちで作った制度が
少しずつうまくいかなくなって来ている
ぼくら平場の生活者だと
制度を見直したらいいんじゃないとすぐに思うけど
なかなかそうは動かなくて
何年も同じことが問題になって
やれ学校に行かせろとか
投票に出向けとか呼びかけて
何年も改善しないままになっている
しかも学歴がないとか資格を持っていないと
就職上の不利は不利のままになっていたり
国民の願いを叶えない政治が横行したり
いろんな不備や不足はそのままで
何の改善も行われないままに
やたらと時間だけが経過して行く
ぼくら生活者も無策無能かも知れないが
社会を維持管理する側の人たちも
ぼくらに劣らず無策無能に見えてしまう
しかしそれでも社会が成り立って行き
個人もつつがなく暮らしていけるなら
それでもいいんだが
夜も明るく賑やかな場所もあれば
真っ暗にへこんだ場所もあちこち散在して
全体としては明るさも元気さも減少している
ぼくらの気分も落ち込むばかりだ
ぼくらはいいけどね
何がなくても後期高齢者はそういうもんだ
せめて若い人たちには希望がないと
ここまでエリート偏重で来て
こんな結果になっているんだもの
戦前の二の舞を進んでませんか
発想を変えて非エリートに任せるとか何とか
仕組みから何から変えたらどうなのよ
固い頭で凝り固まった社会は
逃げ道も遊びも何にもないな
ただぬかるんだ坂道を
ずるずる滑り落ちて行くばかりだな
2026/04/17
「『俺』の取説」
はっきり言うと
信じていないですよねそれを
背後に何ものかの陰謀を感じます
まさしくオレオレ詐欺です
常日頃から
「俺は俺は」と言っていますもんね
きっと後ろに言わせる奴がいて
それで言っているんでしょう
「俺」と言ってますが
言っているだけです
声だけです
うまいものです
「俺」になり切っているんです
言わせている正体は
まだちょっとよく分かりません
黒幕がいるんです
身体なのか細胞なのか遺伝子なのか
なので取りあえずは
全部嘘だと考えることにしています
現実というものも内に呟かれる言葉も
みんな幻や夢のようなものだと
そうやって一日に何度かは
白紙に戻して
逃げることにしています
用心に越したことはありません
その上でまた「俺」に戻って
オレオレ詐欺に騙されたふりをして
「俺」を生きることにしています
2026/04/16
「遠出をしては巣に帰る」
ビッグバンが分からない
ビッグバンがあったとして
その時のそれ以前が分からない
以前と言うからには
以前の以前があるはずで
以前の以前があるならば
以前の以前のそのまた以前があるはずだ
そうするときりがないんだが
どうしてくれる
未来についても同じことが言えて
未来の先にも未来がずっと続く
そのまた未来もあるはずだから
終わらない
そうなると
今度は外のことを考える
ビッグバンの外や時間の外のことだ
もう収拾がつかなくなる
このように人間は見もしないことを考えて
ひとりで疲れて行く
地球上で初めて病気を持って生まれた
としか言えない生き物だ
自然が拵えた物だから制限も欠陥もある
頭の使い方を間違わなければ
ほどほどに愉快に生きては行ける
切り替えて自制して
遠出をしては巣に帰る
行ったり来たりを繰り返す
ぼくはそんなんでいいな
他の人は知らんけど
2026/04/15
「花一輪の工夫」
国家が滅び、社会が崩落する前兆が見えてきた。革命が起きているのでもなければ、誰かが起こそうとしているのでもない。国家や社会それ自体が、内発的にそうなって来ているとしか言いようがない。内側から崩れている。
ところでこれは危機なのだろうか。国家や現行社会にとっては危機なのかも知れないが、これが即大衆の危機かというと分からない、違うと思う。
大衆のひとりとしてのぼくに言わせれば、これまでもこれからも、環境について行く以外に方途がないのだから、大衆はそうしていればいいだけである。例えば東日本大震災の時もそうするしかなかったし、震災以後も何の幸運に巡り会うこともなく、成り行きの中を成り行きのままに流れて来た。
大衆としてのぼくらの生き方は単純で、飯を食って生活すること。それに尽きる。それ以外は成るように成ればよいだけで、もちろん楽しければなおよいと言うことになる。だから、主に考えることは、どうやって飯を食うか。どうやって生活するか。これを考えながら暮らし、暮らしながら考えるしかないことなのだ。その余のことは直接には大衆の暮らしに関わりない。
これは大衆の愚かさなり、無能として嘲笑されるかも知れないが、逆にこれしかないという頑迷さで、強みと言えるかも知れない。ぼくら自身は、これ一本しかないということで気が楽である。これでダメならダメなんだと割り切っている。けれどもこれまで、これでダメと言うことは一度もなかった。
ぼくらは国家や社会の運営と言うものには全く関知していない。全く無関係というわけではないのだが、 受け身に徹した存在なので、それらがどうなろうが成った中をどう生き抜くかしかない。これまでもこれからもそれしか知恵がないのである。
つまり極端なことを言えば、国家がどうなろうが社会がどうなろうが、ぼくらは生きることにへばりつくしかない。それではいけないと言われようが何だろうが、それしかないんだから仕方がない。そういう身も蓋もないような暮らし方の中でただ一つ、雑草の中に開いた花一輪を愛でるような、そんな工夫をしているのである。大げさに言うと、それがぼくらのすべてである。
ぼくはそれで平気である。ただ、ほかの人たち、特に子どもや若者や病んだお年寄りたちのためには、国家も社会も支援する健全な組織であって欲しいとは考えている。そのために微々たるものだが税金という形で拠出してきてもいる。それでうまくいけばそれに越したことはないが、自ら崩れようとする国家や社会を、どうにかしようという力はぼくらにはない。実は、そういう気にもなれない。不平等を拵え、貧富を拵え、上下を拵え、尊卑を拵え、更に人を殺す戦いを何度も引き起こしてきている。どちらかというと、争いの種、火種とそれを燃え広がらせる仕掛けとは、常にそちら側にある。そちら側に関わって、いいことは何もない。耕作する人々の上に立って、その収穫を横取りして貪り食う、そういうケチな根性を身につけるだけだ。
ぼくらは成長の過程で家族や地域から、公平公正であれ、威張るな、蔑むな、年下の者弱い者をいじめるな、そんなふうなことを教わって育った。それが身に染みついている。ぼくを作った上限はそこである。国家や社会ではない。
国家や社会が終了しようがどうでもよい。それは内部の問題で、大衆としてのぼくらが関知するところではない。ぼくらはどんな世になっても、飯を食い、生活していくことを考えるだけである。内部崩壊にとやかく言う資格もなければ、特段に支える義務もない。無いと生きられない者たちが、自分たちの力で何とかするほか無い。こうなったのも自分たちのせいで、ぼくら大衆がそうしてきたわけではない。ぼくらは諂いもしないが敵対もしない。ただぼくらが貧すれば、国家や社会も貧して行く。ぼくらは貧に耐えるだけだが、ある程度の耐え方はよく心得ている。耐えきれなくなるのは国家や社会の側で、必ずと言ってよいほど内輪もめを引き起こす。内側から崩れて行く。勝手にそうすることについてぼくらは関係がない。貧は増すだろうが、ぼくらが出来ることは例によってへばりつく一択である。そういう中での花一輪の工夫である。
2026/04/14
「祝福の季節」
四月は目の粗いざる
人間がボロボロこぼれ落ちる社会
編み目に掬われた者が
様々な式典の椅子に座っている
その様子をテレビカメラが
画角の中に納めている
外は春風に桜吹雪が舞い
歌舞伎役者が見得を切る
それはどこか悲しげな風景
日射しは明るく照っているのに
ぼくたちだけ
心からの祝福を告げられない
残酷な四月
ボロボロの四月
鋼のメンタルと言っても
ぼくならばともかく
あちこちで二度と戻らない心が
戻れない隙間から落ちて行く
ボロボロの四月
本当のことは言えない四月
目を閉じ耳を塞ぐ四月
桜満開の地上から下る
一本の蜘蛛の糸
祝福の季節の中を下って行く
惨たらしく陰険な季節
零れる瞬間の静止画を狙って
それからぼくは
何をどうしたいんだろう
2026/04/13
「野蛮な知性」
世界の人口は現在八十一億以上
八十一億は人間として一つにまとめられ
同じ人間でありながら
また八十一億の違いをもち
それぞれに生きていることになる
八十一億の違いだから
それはそれはバラバラなんだろうな
これをどうして一括りに
人間と言ってすますのだろう
身も心もバラバラな八十一億を
どうして人間の括りですますのだろう
葉っぱとか
雨とか
石とか砂とか
みんな一括りにして
ただ一括りにしただけなのに
何か分かった顔つきでいる
ぼくとかきみとか
何一つ分かっていないくせに
誰一人も理解し尽くせぬくせに
八十一億人分の人間性を
想像してみたこともないくせに
「人間は」ってすまし顔で言う野蛮
とてつもなく野蛮だよ ぼくらは
暴力だよ 言葉も知性も
葉っぱとか
雨とか
石とか砂とか
八十一億分の一ってそんなものなのに
八十一億の意識があって
一つ一つに喜怒哀楽もあって
ぼくらはそういう中で
八十一億分の一しか承知していない
想像してみようじゃないか
八十一億のバラバラな意識を
それが出来なければ
本当の意味で人権を尊重したり
人間の命の重さを実感したり出来ない
相変わらず口先だけの
分かったつもりでいるだけの
野蛮な知性にとどまってしまう
2026/04/12
「ぼくらの社会の大事」
自然界の草木には
大雨があったり大風があったり
日照りや水不足などの受難もあれば
その一方で恵みも受ける
人間も自然の中では同じようなもので
災害もあるし恵みも受ける
その関係は人間社会にも起きていて
大きな難儀もあれば受益もある
すると人間にとって
社会は第二の自然と化している
けれどもそれは
自然界そのものではない
人間が自然に働きかけて作ったものだ
そこでは太陽神をまねた天子が君臨し
その隣には統治権の行使者が立つ
人間の意志による統治の始まりである
彼らは報償や罰を用意して人心を掌握する
しかし いつどのようにして
そんな権威と権限を持つようになったか
今となっては誰にも分からない
だが二千年近くにもなると
いつの間にか自然の風景のように
見慣れたものになってしまう
もう疑義を訴えても仕方がない
罰せられるものを横目に
自分がどううまく立ち回るかだけが
ぼくらの社会の大事になっている
それ以外の心情は
巨大な幻想のフィルターを通過する際に
湿気と見なされ取り除かれる
ぼくたちの心情の行き場はそこだ
2026/04/11
「受信と発信」
一本の木がいつものように立っていて
見えない聞こえない
受信と発信とを繰り返している
その発信を受け止めるのは相手次第で
発信したらそれっきりだ
それはぼくらも同じことで
発信を受け止めたり受け止めなかったり
判断の行使は自由で
完全に受信する側に任されている
ぼくらが発信した場合も
対手は完全に自分の恣意で
受け取ったり拒絶したりすることができる
その関係が基底になる
そうして一本の木も立っていて
いろんな木々も立っていて
飛び交う情報の中に立っていて
それぞれ受信と発信とを繰り返す
どんな情報を受信するのか
発信したものはどこで受け止められるのか
そんなことは知る由もなく
立ち枯れるまでただ生きて継続する
理由は分からないが
そういうことになっている
木の種類ごとに場所ごとに
それぞれに生き方もあるのだろうが
その差異はさておいて
じたばたするのは人も同じだ
受信したり発信したり
賑やかだったり静まりかえったり
そこにはいろいろあったりもするのだろう
一本の木も一人の人間も他の生き物も
命あるものはすべて個的な形をしていて
個的に距離も取り合っている
さながら全体が命のネットワークとして
情報の渦の中を生きる
孤独なのかそうでないのか
ぼくにはまだ分からない
2026/04/10
「小さく響く声」
七十五を刻んだのは細胞でしょうから
意識であるぼくには関係ないっす
って言いそうな意識
と言うより意識には年齢がない
とは言え時々加齢の素振りは見せる
めんどくさい奴だ
左目が見えにくい 耳が聞き取りにくい
そういう日々を重ねると
みみっちく意識も影響される
弱ってるんだ 年なんだと
言い聞かせたり聞かせられたりして
意識の腰も曲がって行く
なんか微妙な連携が絶妙に見える
そうこうして どうこうして
晩年の両親の言葉がよみがえる
「もういいよ」
弱々しく小さな声だ
が 万感の思いが響きわたる
そこまではぼくも行かなければ
追いかけなければ
あの世で合わせる顔がない
幸福であろうが不幸であろうが
どうだっていい
どちらにしてもやり切ることが大事
そういうことでしょって
こっそり語りかける
2026/04/09
「クイズ三択」
クイズです
正統派と異端がいたらどっちに附くか
どっちかに附かなければいけないとしたら
どっちに附くか
もちろんそんなことは簡単で
どっちにも附かない
選択を拒絶するのが正解
そもそも正統とは多数が作る幻想
強い思い込みの所産
異端は正統ありきだから
初めからどっちもダメ
それならどっちかに附くというルールは
無視して上等
捕まらなければそれで行く
考えるまでもない
正統派も異端も自称
ただの受け売り
みんなが言うから正統で
みんなが言うから異端だと
その程度の認識で信じ込んでいる
ぼくから言わせればただの馬鹿
そういう連中が
足下からとっくに消えた舞台の上で
つまりは幻でしかない舞台の上で
愚かさを演じ合っている
喜劇か悲劇かと言ったら悲劇
うら悲しい物語が
うら悲しいままに進行しているんだ
どちらも批判する気になれない
根は正直者で
人間らしくエゴに柔順なだけだ
それぞれに作り上げたイメージの世界で
イメージを完成しようとするだけだ
すべてどう見ても三文芝居だ
ありもしない対立の熱に浮かされて
ありもしない脚本で演じている
ただ悲しいだけの演者たちだ
付き合ってはいられない
世界が壮大に対立していたら
たいてい真実や真理は
対立の奥に隠されているものだ
迂遠だが
対立を見たら身をよじり
引き寄せから身を引き離し
隠れた真を探しに出かけて正解
2026/04/08
「政治的言説」
言葉に〈いと〉が絡みつき意味不明
例えば生活不安は
せ・い・か・つ・ふ・あ・んと言う具合で
使いものにならない
政治的言説に使われる言葉はもっと酷くて
〈いと〉が絡むどころではなく
〈いと〉だらけの丸い玉に仕上がっている
まるで幼虫の入った繭のようだ
この場合幼虫は匿名で
どんな成虫になるのか皆目分からない
幼虫も成虫も
片時も〈いと〉は手放せない
あたら生涯を〈思惑〉話にいそがしく
駆け抜けてしまうのだろう
素朴さも無邪気さも知らず
その価値も分からずじまいになるのだろう
政治に隠れた陰謀なんて
それが当たり前の世界では
極めて穏当な本末転倒
まぼろしの日常だ
ぼくに言わせれば大人の遊び
人命を弄ぶ
極めて下等な遊びだ
2026/04/07
「自分のリーダーは自分であれ」
羊飼いに従って荒野を歩いてきた
元気なものはすぐ側で
元気のないものは群れから少しずつ遅れた
しばらくして姿が見えなくなっていた
砂漠や荒れ野や
それからいくつもの丘を越えて
水が湧き植物が繁茂する沃地を目指した
羊飼いのリーダーは何人も変わった
誰も目指すところにたどり着けなかった
不満を漏らしながら
どこまでも歩くしかなかった
嫌気をさして群れを離れたら
確実にオオカミに仕留められた
とっくの昔に本能が薄まった羊たちは
一頭で生き抜く力をなくしていた
羊飼いと一蓮托生
愚かな羊飼いに率いられた群れは
悲惨な末路を迎える
それが成り行きというもので
動かそうたって動かない
日照りの砂漠や荒野では
一頭でも倒れるし
群れをなして進んでも倒れる
人間もリーダーはいるが
民たちはあまり信用していないかも
自分の判断で
ついて行ったりそっぽを向いたり
民衆は図太く気まぐれ
逆にリーダーはおどおど小心で
民衆の顔色を窺っている
リーダーの座から引きずり下ろす力を
民衆が持ち始めたからだ
中には自立心旺盛で
どしどし砂漠に踏み入る民衆もいる
柔順なばかりじゃないから
見ていると頼もしい
せめて自分のリーダーは自分であれと
自分を奮い立たせる人もいて
リーダー不要と声も張る
2026/04/06
「終われない旅」
少しずつ記憶が浸食を受けている
みたいな
物心ついた時からの教えや学びが
心から頭から
ガラガラと波にのまれて行く
みたいな
昨日と今日だけが季節に張り付いて
どこまでも同じ構図で移動する
なんだろうか
それなのに幸せな日々が
目に映えて剥がれない
あっちに行きこちらに戻りして
写真の中を移動している
空気が薄くて息苦しい
魚たちの口がパクパクと飛び出す
昔からこういうことだった
人気ない脇道を入り
日射しに乾いた草の上に横たわる
今になって理由が分かるだろう
じっと目を閉じて数を数える
そうやって何度も生き返り
また立ち上がらなければならない
終われない旅に
焦燥だけが見え隠れしている
2026/04/05
「死人の国」
この世界には手触りというものが無い
代わりに視線で触れて行く
すると物たちは中空に浮かび
目眩とともにどこまでも落下して行く
いつの間にか世界は秩序を失っている
子どもの頃に駆け回った土の上
丈高い草原の匂や冷たい川水のしぶき
それから黄金色に輝いた日射しも
二度と帰らないのだった
一度目の死はその頃に始まっていた
それでも生きて二つ目の死を迎え
何度死んでも生きながらえて
それを知らないのはわたしたちだけだ
伝承は間違いなく真実を語っていて
わたしたちは死後の世界を生きている
この手触りのなさ
世界に対しての激しい嫌悪
だが島国では死人ほど優しいものはない
ものに触れる感触がない
優しい幽霊たちの波形のない会話
死人の国死後の国
言葉たちは次々に撃ち落とされた
2026/04/04
「いろいろな声」
長い間ぼくらの世代は
テレビに洗濯機に冷蔵庫に掃除機に
ずいぶんと世話になってきた
今もまだ当たり前のようにお世話になっている
昔の人に比べたら
ずいぶん楽をさせてもらっている
最近ではパソコンがそうだし
スマートフォンもいろんなことが出来て便利だ
神や仏ではないが
神や仏ほどにありがたい
それでも時々ありがたさを忘れ
この世は生きにくいと考えたりしている
罰当たりみたいだが実際そうだ
そうして深く悩んだりもする
だが考えて見れば
悩んでいられるのもそれらのおかげであり
なかったら悩む時間もとれなかった
おかしなことだ
楽になって悩みが増えた
昔の生活は厳しくて
悩む時間さえとれずに寝入ったのだ
余剰の時間は楽しまなくてはいけない
現に楽しんでいるのだが
楽しさを楽しいと感じなくなっている
法外の楽しさでないと満足しない
そんなふうになった
たまにはこんな反省もよいと思って
反省の素振りをしてみたが
ふだんはこんな思いではない
こんな世界こんな社会
こんな支配やこんな不平等を齎した者たちに
激しく怒り歯ぎしりもして
心を引き裂きたいほどにもなっているよ
それがぼくらの日常であるよ
奥に封じ込めた声だよ
2026/04/03
「きれいな街」
何にも壊れていないよと言うから
壊れているよと言い返した
ほら画面に映っているだろう
街は瓦礫だらけで
子どもを抱いた母親が
ミサイルにおびえて走っている
それは違う
それは遠い国の出来事で
窓の黒いカーテンを開いてごらんよ
ぼくらの街もぼくらの心も
いつもと変わらない町だし
何かにおびえる必要がない心だ
そんなことじゃない
ぼくが言いたいのはそんなことじゃない
ぼくらはぶつかる前から壊れているんだ
だからぼくらの街は静かなのだ
壊れた人間の街だからだ
ぼくらが壊れているから
街はきれいな街として
身なりを整えて行くだけなのだ
これから先もずっと
2026/04/02
「枯木に花を咲かせましょう」
社会から戦力外通告を受けましたんで
これ幸いとこれからは
家族内生活と個人生活の充実に向かって
全力を注ごうと思います
とりあえずお茶碗洗いに風呂掃除
それから一階の部屋掃除
あとは洗濯を頑張ります
買い物にも奥さんについて出かけます
荷物持ちに徹します
個人生活は
今のところだらだらすることを頑張る
だらだら考えることを
罪悪感なしに自由気ままにやります
当然の権利として
たくさんの無意味な考えを
無意味に繰り返してやってやろうと
しかも平気な顔でやってやります
戦力外通告を受けた渦中の皆さん
それは朗報です
ぼくらの時代です
家庭人や個人としてのぼくらが
一斉に花開こうとしています
花を咲かせましょう
花咲かじいさんになりましょう
枯木に花を咲かせましょう
バンザーイ
バンザーイ
2026/04/01